<10> 地図にない町

 降りしきる雨の中、ひっそりその町は姿を現した。まだ陽が沈んで間もないと言うのに、目抜き通りにすら人影がないほどで村と言っても過言ではないほどの規模だ。

 人通りがないのは雨のせいだと言われればそれまでなのだが、グレイは僅かな違和感に眉間の皺を濃くしながらルーニーの後に続いた。


 唯一開いていた宿屋の一階は、例にもれず酒場であったが客の姿が一つも見当たらなかった。


「すまないね、旦那たち。ここで洗浄魔法は完備してないんだけど、いいかい?」

「かまわないよ。自分で出来るから」


 洗いざらしのタオルを差し出した女店主は帳簿を引っ張り出すと「一部屋でいいのかい?」と尋ねた。


「いいよ。それより、馬の世話よろしく頼むね」

「大切に預かるよ」


 多めの前金を預かった女店主は機嫌の良い顔で帳簿を片付け、奥に「ちょいと案内してくるよ」と声をかけた。そして帳場を出たてくると、さあさあと二人を案内した。


「最近物騒なことが多くてね。客もさっぱりだったから、ありがたいよ」

「ん? 何か面倒事でも?」


 女店主の後ろからルーニーが尋ねると、カンテラを翳した彼女はこれ見よがしにため息をついた。


「それがねぇ、人攫いが続いているんだよ」


 心底困ったと言う様相で彼女が再びため息をつと、ルーニーとグレイは顔を見合った。


 この町は地図にも載らないような小さな町だ。銘打つほどの特産品もなく主だった収入源は農産品だと容易に想像がつく。そこを酒場と宿屋で旅人を迎えることで補い、なんとか成り立っているような町なのだろう。

 そんな慎ましやかな町で人攫いなど起きれば、ただ事ではない話だ。


「ギルドに被害届は出したのかい?」

「……あまり大きな声じゃ言えないんだけどね」


 辺りをきょろきょろと見渡して人影がないことを確認した女店主は、声をひそめて話し始めた。


「最初に起きたのは三週間くらい前なんだよ。初めこそ、ただの家出なんじゃないかって皆笑ってたんだ。なんせ、いなくなったのは若い子だからね。こんな寂れた町じゃなくて王都に憧れて出てっちまったんだろうって」

「まぁ、田舎じゃよくある話だね」

「だろ? だけどさ、それが二度三度って立て続けに起きたら、少し気味悪いじゃないかい。それも毎回、魔術師を目指してる子や、旅の魔術師と仲良くなった子やらばかりさ」

「魔術師……そりゃ、気になるな」


 わずかに眉を吊り上げたルーニーに女店主はそうだろうと頷き、彼が持っている杖に視線を移した。


「旦那も魔術師のようだけど気を付けなよ。最近じゃ、魔術師に良くない感情を持ったのもいるからね」

「ご忠告どうも。だけど、それならどうして被害届を出さないんだい?」

「……それがね、人攫いにあった家はどこもかしこも家出だろうの一点張りさ。噂じゃ、町長が絡んでるとかって話もあるんだよ」

「そりゃ、穏やかじゃないな」

「こうして泊まってくれるのは本当に助かるけどね。旦那たちも、関わらない内にさっさと出ていった方が身のためだよ」


 案内された部屋の前で鍵を差し出した女店主は、階下から「女将さん!」と声がかかるとそそくさと去っていった。

 簡素な部屋に入ると、ルーニーは杖でとんっと床を叩いた。

 ふわりとローブの裾が揺れ、温かな風が吹き上がると滴る雨水も汚れも巻き取っていく。そして濡れた髪も服もすっかり乾くと、次いでグレイにも杖を向けた。


「何度体験しても、不思議です」

「メレディスにも洗浄魔法の魔具はあるだろう。使ったことないのか?」

「ありますが、家は浴場があったので魔法を使っていませんでした」

「さすがデール商会だな。金は湯水のごとくあるか」


 すっかり乾いたローブをベッドに下ろし、杖を立て掛けたルーニーは窓辺に立って外を眺めた。しばらくそうしているのが気になったグレイも、彼の横に立って窓の外を眺めてみる。


 視界を遮るほどの雨が窓を叩きつけていた。

 陽が沈んだのもあるが、娯楽などなさそうな町の中は行く人影など見当たらない。道を照らす小さな明かりまでも雨にけぶる様子は、誰でも気分が滅入りそうな寂れ具合を醸し出していた。


「何か気になることでも?」

「あー、道を間違えたのかなと思ってな」

「道? さっきの人攫いの話じゃないんですか?」

「まぁ、それも気にはなるけどな」


 ふむと頷きながら窓を離たルーニーは、荷物から地図を引っ張り出した。それを机に広げて首を傾げる。


「どう見ても、ここに花街はねぇだろ? おかしいな、ラムジーに着く予定だったんだけどな」

「花街?」

「んー? ほら、言っただろうが。童貞捨てて来いって」

「んなっ!」

「あー……そうか、この辺りで道を間違えたのかもな。そうするとここは」


 グレイが素っ頓狂な声を上げているのも気にせず、地図を辿っていたルーニーは指を止めると眉を吊り上げた。何が気になるのか、その場所をとんとんっと爪で小突きながらしばらく考えるそぶりを見せると──


「……グレイ、この町のものは口にするなよ」

「はい? どういうことですか?」

「用心に越したことはない。水も酒も飲むなよ」


 ぶつぶつ言いながら、部屋に用意されていた水差しを手にし、それをもって洗面所へ入ってしまった。

 しばらくして、空の水差しをもって戻ってきたルーニーは、それをテーブルに置くと荷物の中から分厚い冊子を取り出した。

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