後編

 時おり小雨のちらつく翌日の卯の刻、光義は姉川の岸辺に立っていた。昨夜から身に着けている唐綾威の鎧に加え、三日月型の前立がついた五枚兜の緒を締め、影雨かげさめと名づけた背の高い青毛馬に跨っている。いや光義以下家臣七七騎をはじめ。敵味方あわせて三万八〇〇〇の兵が姉川を南北に挟んで睨みあっていた。

 後の世に姉川の戦いと呼ばれるこの戦は、東西ふたつの戦場に分かれていた。姉川の上流にあたる東で浅井勢八〇〇〇と信長勢一万五〇〇〇が、下流にあたる西で朝倉勢一万と徳川勢五〇〇〇がそれぞれ相見えたのである。信長勢に属する光義は、浅井勢と対峙していた。

 両軍が異様な静けさに包まれる中、陣の右翼から馬を前に進ませた光義は両手を手綱から離した。まだ朝日が薄く辺りを照らしはじめたばかりの曇天に、ひときわ長い八尺の弓の陰がひらめく。次いで背に負う矢筒から一本の矢を抜いて番え、二尺五寸の腕で軽く弦を引き、弓懸をはめた二本の指を滑らせる。矢は高く弧を描いて宙を飛び、敵陣に悠々と届いて足軽ひとりの肩を貫いた。この一の弓が引き金となり、両軍が喚声をあげ互いに矢の撃ちあいをはじめる。ついに合戦の火蓋が切って落とされたのである。

 矢の撃ちあいでは主に矢の届く間合い、すなわち射手の質で優劣が決まる。弓兵の数は互いにおよそ一六〇〇と差がなかったにも関わらず、この戦では信長勢が浅井勢を圧倒していた。むろん信長勢を優勢たらしめたのは、弓兵のうち一割どころか五分にも満たない大島隊のはたらきによるものである。

 大島隊の放つ矢はどれも宙たかくまで舞いあがり、雨のように降りそそいでは敵兵の頭、首、肩、胴に次々と突きささっていく。馬上から弓を掲げ、強い力で弦を引くため矢は一町と一〇間を越えて遠くまで飛び、いっぽう敵からの矢はどんなに伸びても一町ほど、光義らに向けられたものもせいぜいが半歩手前で地に落ちる。馬を小刻みに走らせ自軍の矢だけが当たるところから弓を射るため、犠牲を出さずに敵の数を減らせるのだ。また矢を一本射るのにも手間をかけず、六六の弓の射手が矢継ぎ早に次の矢を取り、狙いをつけず続けざまに放ち敵に矢衾を食らわせる。弓の間合い、早さ、強さのいずれも敵味方を問わず他に傑出していた。

 それには歴とした秘訣がある。光義は日頃から家臣に、自他ともに認める猛稽古を課していた。戦の前後はさすがに休みを与えるものの、平時になると家臣を呼びあつめて槍や弓、太刀を握らせるほか、戦場で大筒の弾を拾っては光義みずから手に取り腕を上げ下ろしして膂力を鍛えていた。さらには家臣にも暇を見つけておのおの稽古に励むよう同様のものを渡し、たびたび主君と家臣のあいだで力を競いさえしていた。そのあまりの激しさに、ある者は自らお役御免を願いでたほどである。大島隊の攻めは、まさに選びに選びぬかれた弓の達人のみが成しえる業と言えた。

 したがって敵は弓矢の打ちあいに応じるだけで、おのずと数を減らされてしまう。浅井勢も例に漏れず、たまらず程なくして号令を飛ばした。

「かかれ」

 途端に先頭で待ちかまえていた浅井の足軽たちが駆けだし、水飛沫をあげて川を渡っていき、続いて信長も足軽を前に進ませる。こうした槍どうしの競り合いはたいてい数で優劣が決まり、この戦でもはじめは多数が少数を圧倒していた。すなわち織田と浅井の戦場から遠く西では、徳川勢五〇〇〇が朝倉勢一万に押されていたのである。

「前に、前に進まぬか」

 徳川勢の武将は、みな焦っていた。酒井左衛門尉忠次などは、大声を張りあげて兵を鼓舞するのみであった。命知らずと名高いはずの三河武士が、半ば足を止めてしまっている。正しくは一番槍が敵陣に飛びこんだ頃にあった勢いが、頭数が倍の相手に呑みこまれつつあった。ある者が槍で敵の胴を貫き、斬りつけられつつももう一人を道連れにしても、大半は集寡敵せず討たれてしまう。

 どんなに主に忠誠を誓って戦ったとしても、それだけで力が倍になるわけではない。足軽ひとりが死力を尽くしたところで、二人を討ちとれれば御の字であろう。むろん多くの敵に囲まれて命を落とす者の方がどうしても増え、劣勢を感じた兵たちに恐怖が伝わり、取り柄であった勢いもすぐに失われていく。

「殿、いかがいたしましょう」

 確たる策もない家臣から意見を求められても、大将の家康は怒らずにいる。情に奔る暇すらなく、進退を決めかねていた。この窮地を切りぬける方法はひとつだけある。南で横山城を取り囲む五〇〇〇の兵に助けを求めるのだ。しかし包囲を解いて後ろから攻められればひとたまりもなく、そもそも横山城に回っているのは信長の家臣であり、勝手の命令など許されるものではない。だいいち聞きいれられもしないであろう。かといって放っておけば戦に負ける。

 するとそのとき、太く荒々しい声が辺りに響いた。

「者ども、主からさように戦に臨めと命じられたのか。この俺が手本を見せてやる」

 声の方を向くとそこには馬に跨がり、胴丸と鹿角つきの兜を身につけた一人の男がいた。本多平八郎忠勝である。忠勝は二丈余りある長槍を携え、馬腹を蹴り足軽たちの間を掻きわけ進んでいく。家康は腹を決めた、というよりも忠勝に押されて腰を上げた。

「平八郎を死なせるな。断じて死なせてはならん」

 このとき忠勝は齢二十三の若輩ながら、すでに徳川勢随一の強兵つわものとして知られていた。その勇猛果敢な戦いぶりのみならず、情に厚く裏表のない性分で多くの者から慕われてもいる。相手は一万。忠勝ひとりを行かせれば間違いなく死ぬ。後年、信長からも花実兼備と評されるようにただ武辺に秀でるだけでなく、家康からも深く愛され何度も夜伽の相手を務めたほど見目麗しい美丈夫でもあった。家康は家臣たちについていけと命じたつもりはなかった。出陣前の一夜を頭に思いうかべ、身体の疼きを覚えながら掛け替えのない寵児をどうにかして死なせまいとしただけであった。

 もっとも、言いだしたら聞かない忠勝の性根は皆が知っている。家臣や兵は、忠勝を死なせぬようにするにはついていくしかないと覚悟を決めた。後ろで控えていた騎馬隊が、両脇を固めるように続く。怯みかけていた足軽たちが地鳴りのような叫び声をあげ、いっせいに前へ突きすすんだ。

 その声に後押しをされ、忠勝が先陣に躍りでて槍を、名槍の誉れたかい蜻蛉切を振りあげる。無双の刃が中空にひらめくや、次の瞬間には雑兵五人の首を甲冑ごと胴から切りはなしていた。徳川勢からは再び声があがり、兵たちは左右から挟みこむように朝倉勢を踏みつぶしていく。その勢いたるやすさまじく、中に紛れていた阿片漬けの兵をものともせず他もろとも瞬く間に敵軍を呑みこんでしまった。徳川勢の本陣では喜びの閧をあげる家臣たちをよそに、家康ひとりだけが腰をぬかして呆然と地べたに座りこんでいた。


 ところが一方、東では数で勝るはずの信長勢は浅井勢に押されていた。なぜかこの日に限って、足軽たちの行き足がつかなかったのである。実のところ戦がはじまる前からおかしなところはあり、皆どこか落ち着かず、無駄口を叩く者も少なからず見受けられた。その要因は幾つもあるが、うちひとつに倍ちかくある頭数が挙げられる。これだけ数の差があれば死にたくないという怯懦が、兵たちの中に生まれていた。それを一人ひとりが胸にしまっている間はまだしも、誰かがひとたび表に出すやたちまち周囲に伝わっていく。

 当然、この報せは浅井勢にももたらされる。もとより長政は無策で信長勢とぶつかってはとうてい敵わぬと考え、細かに戦の趨勢を把握し少しでも有利に兵を動かすため、本来は自身の警固にあたる馬廻衆を手薄にしてまで物見と使番の数を増やしていた。

「そうか、ではその方は元のところに戻れ。それから再び双方の戦いぶりを聞かせよ」

 長政は、自軍の優勢を聞かされたところで眉ひとつ動かさずにいる。多少は押していても数には相当の差があり、間違っても楽観などできない。一人の使番が去り、また別の一人が似たような報せを運んできても、しばらくは床几に座ったまま引きつづき務めを果たすよう淡々と命じるだけであった。しかしとある使番から変わらず戦況優位との報を受けたあと、すぐには行かせず顔を検めて呼びとめる。

「その方は、先ほどもここに来たな。何度めだ」

「四度目でございます」

 さらにその答えを聞くなり、今しがたまで無表情であったのが嘘のように歪な笑みを浮かべる。程なくして得意げに腰を上げ、白く肥えた巨体を持ちあげた。

「行け。物見ともよく話をし、またここに戻ってまいれ」

 一人の使番が前線と本陣を四度も行き来するあいだ、戦はずっと優勢に進んでいる。信長勢が浮き足だっているのは間違いがないようだ。ここまでは、ほとんどが長政の思いどおりに進んでいる。横山城を攻められて小谷から出城したのも、単に誘いに乗ったためではない。周囲の支城を潰されては、たとえ籠城したとしてもいずれは敗北に追いこまれる。ならば打ってでるべしと早くに覚悟を決めながら、それにも機をはからんと物見を遣わし、敵方に油断の気配を見とめてようやく野戦に応じたのである。浅井勢が押しているのは、ただの偶然ではなかった。

 もっとも、倍の兵力を破るにはこれだけでは足りない。戦はまだ終わっておらず、優劣はいつでも逆転しうるからだ。勝ちを収めるには、数の大小に関わりなく信長勢を退かせる必要がある。長政は奥の手を用意していた。家臣や足軽へ強気の顔を誇示するように、四方を大仰に見まわす。

「者どもを引ったてい」

 それから大声で命ずると小姓らが本陣の後ろへと向かい、間もなくして七〇余名の男たちを引きつれてくる。その風体は異様であった。みな一様に肌が浅黒く、目は落ちくぼみ、頬は痩け、身体じゅうから悪臭を撒きちらし、縄に繋がれ勝手の動きもままならぬというのに薄ら笑いを浮かべている。最先鋒には、自然の成りゆきで彼らの頭となった真柄直澄の姿もある。男たちは阿片漬けの兵に他ならなかった。かねてより蔵に集めておいた阿片漬けの兵を、長政はここぞというときに送りこむべく温存していたのである。

 男たちは本陣の前まで来ても歩みを止めない。長政みずからが先導し一町、二町と味方の間を掻きわけ進んでいった。そして敵味方の声がはっきり聞こえるところで、いちど足を止めて振りむく。

「ここでしばし待て」

 ほんの少し先では激しい戦いが繰りひろげられていたが、すぐには行かせない。軍配を付きつけ、男たちをその場に留めて一人ひとりの顔をできるだけ眺める。直澄のみならず、彼らの多くは哀れであった。飯一杯を食うのにさえ貧する民草の中でも、田畑を継げない次男、三男以下の生まれがほとんどであった。親から可愛がられたためしもなく、口減らし同然に兵に出され、手柄を挙げてはじめて周りから褒められたものの、戦や稽古で手にいれた力を平時にどこへ向ければよいか分からぬ者ばかり。さりとて乱世に戦は避けられぬ。よって兵も集めなければならぬ以上、こうした男たちへ束の間の快楽を与え、華々しい最期を飾らせてやるのが主の責めではないのかと思い、阿片を吸わせていた。まず兵力を得る狙いがあったにせよ、長政なりに慈愛の情をかけてもいたのである。

「聞くがよい。我らは織田上総介と戦を交えておる。貴奴は、その方らの生きる糧である阿片を日の本よりなくすつもりじゃ。間違ってもこの戦は落とせぬが、なにぶん頭数に差があるゆえ味方は苦戦しておる。それを覆すために、その方らの力が必要じゃ。敵本陣の上総介を討ちとってまいれ。褒美は上物の阿片を約束しよう」

 いかに並の兵より力があるとはいえ、八〇にも満たぬ数で斬りこみをかけては生きのこれるはずがない。仮に死を免れた者があったとして一人か二人のはずである。それをはなから承知の長政が煽りたてると、男たちのうちまだ口の利ける数人がか細い声で呟く。

「褒美が、阿片」

「しかも上物だと」

「もっとだ。もっとよこせ」

「とにかく勝てば褒美だ」

 すでに口の利けなくなった他の男たちも、阿片という言葉だけは耳に入るのか、互いの顔を見あわせては頷き一斉に前を向く。阿片ほしさに目が眩んでおり、命の有無などつゆも頭にない。幾人かは縄で繋がれているのも構わず、縛めを解こうと槍を手に腕をばたつかせはじめた。長政はその様子をしかと確かめ、再び家臣らに言いつける。

「縄を切れい」

 それまで握っていた縄を小姓たちが離し、手空きの馬廻りとともに腰の刀で切りはなしていく。手足が自由になるなり男たちがめいめいに足を前に踏みだすも、長政は咎めない。むしろ今こそ彼らを送りださんと軍配を高々と掲げ、一段と大きな声で号を発した。

「進め、進め。敵方に目にもの見せてくれようぞ」

 はじめひどくおぼつかず緩やかであった男たちの歩調は、主の声に背を押され徐々に早まり、やがては直澄を先頭に誰からともなく走りだしていく。味方を両脇に押しやりつつ敵兵と相まみえたときには、いつしか疾駆する怒濤の一団と化していた。

 その力は長政の期待を大きく上回るものであった。阿片により秘めたる膂力を引きだされた男たちの槍は鋭く、いずれも敵より一寸はやく心の臓を貫く。思慮分別が失われているがゆえ人の命を奪うにもためらいがなく、痛みを忘れているためにたとえ己が刃を受けようと身体が動く限りは血が枯れるまで得物を振るいつづける。元より血が猛りくるい戦に飢えており、意気はこの上なく高揚していた。絶えず顔に浮かぶ虚ろな笑みも、敵を怯えさせるのに一役買った。

 中でも、最も脅威となったのは先陣に立つ直澄であった。五尺三寸の大太刀を横に薙ぐだけで相手の頭を冑ごと吹きとばし、突きだされる槍はことごとく弾きかえす。身の丈七尺、目方四〇貫の体躯の持ち主、すなわち真柄一族のみが纏える南蛮鉄で拵えた厚重ねの甲冑は、雑兵どころか並の猛者が繰りだす刃など微塵も通さなかった。大筒と言わず火縄銃さえ使えれば別であったろうが、先刻まで雨天であったせいでいずれも適わない。敵は浅傷を一創あたえることすらできず、直澄の行くところ常に禍々しくも鮮やかな血の華が宙に舞い、後には人の形を留めぬほど醜く歪んだ屍が累々と地に横たわるのみ。しかも他の兵たちも、この一騎当千の味方を得て勢いに乗る。我も遅れをとるまじと気を奮いたたせ、阿片漬けの兵とともに群狼のごとく獲物に襲いかかった。

 彼らの常軌を逸した戦いぶり、とりわけ直澄の常人を遙かに超えた力は信長勢を震撼させた。槍で突けば血は流れるのに痛みを感じる素振りもなく、涎を垂らし雄叫びをあげつつ身体が朽ちはてるまで刃を向けてくる。おまけに頭にはそれこそ刃すら通らぬ直澄が立ちはだかり、足を踏みだすたびに地を揺るがすのだ。周りの兵が続々と後に従うこともあり、本来は八〇もいない阿片漬けの兵が二倍、三倍に膨れあがるばかりか倒してもたおしても甦ってくるようにさえ見えた。こうなるともう為す術がなかった。ある者は直澄の大太刀にかかり、またある者は名もない兵の槍にかかり亡骸となって次々と倒れ伏していく。得物を取って立ちむかう者はまだましであった。足が竦んで動けなくなったところを討たれる者、及び腰に後ずさりをする者、ついには背を向けて逃げる者が現れ、それがひとり増え、ふたり増え、元から浮き足だっていた信長勢は雪崩をうって崩れだした。軍勢はこのときこそ漠然とした慢心ではなく真の恐怖に囚われ、噂を伴って前線から離れた後衛の兵まで瞬く間に伝わった。


「何だ、あれは」

「顔がどす黒いぞ」

「斬っても斬っても向かってきやがる」

死人しびとだ。死人が槍もってんだ」

 当然、兵がそのように恐れおののく様は互いの将にも報される。これらの声が小姓によって本陣にもたらされたとき、長政がしてやったりとほくそ笑む一方、信長は苛立ちのあまり歯噛みをして軍配を足元に叩きつけた。足軽たちの目には彼らがさぞ恐ろしく、あたかも黄泉深くから這いだした亡霊のように映ったに違いない。しかし双方ともにごく一握りの武将は、あれらが紛れもなく現世うつしよのものであることを知っている。

「死人の兵などあるものか。数はいくらと申しておる」

「そこまでには見えませぬが、多くの者は二〇〇、いや三〇〇と申しております」

「そんな筈はなかろう。余の知るかぎり、貴様らが死人の兵と呼ぶ者は一〇〇もないはずじゃ」

 おのずと右の拳が握りしめられる。少しのずれはあっても二、三〇〇はあり得ない。味方は阿片漬けの兵を恐れ、正気を失っている。かといって阿片の存在を伏せたまま慌てふためく家臣や兵、足軽を鎮める術は持ちあわせていなかった。さらに追いうちをかけるように、別の報せが届けられる。

「その死人たちの兵に、身の丈七尺の大兵が交じっております」

「真柄の者だな。左衛門督め、こちらに家臣を遣ったか。して、その大兵の数は」

「一人のみにございます。しかしその戦いぶりはおよそ人のものとは思えず、厚重ねの南蛮鉄で拵えた甲冑を身に纏い、五尺三寸の大太刀を振るい、まるで稲穂を刈るように我らが兵の首を斬りとばしております。いちどこちらの兵の槍が当たりましたが、外れた肩をその場で造作もなく嵌め、元のように刀を振るったとのこと。兵はみな、悪鬼の武者と恐れおののいております」

 信長は、息を呑んだ。一部の兵に阿片を与えたのは知っている。しかし名のある武将を、どちらが阿片を与えたかは知れないが、直臣もしくは盟友の家臣を阿片漬けにするとは何たる仕打ちか。

「誰でもよい。その真柄、真柄の者を」

 真柄のいずれの者にしても、その七尺の大兵を仕留めれば少しは巻きかえせる。ともかく止めよと命じようとする信長を、どこからか高らかに鳴りひびく蹄の音が遮る。

「その者は、真柄直澄に相違ございませぬ」

 供に付き添われてやってきたのは、本多忠勝であった。全身に返り血を浴び、顔は泥で汚れ、足は鐙に掛けず腰を鞍の上にどっしりと預けている。

「それから、誰それ構わず相手をさせてはなりませぬ。私めも刃を交えたときに足を挫き、それぞれ二○名の命とひき換えに兄の直隆、子の隆基を討ちとりました」

 現に猛者として知られる忠勝が、一人では敵わなかったのである。真柄の血を引く直澄もただでさえ豪傑であるのに、阿片漬けとなっているのであればその力は五〇、いや一〇〇人の足軽に匹敵するであろうことは窺えた。

「では、いかがすればよい」

「朝倉勢は、我らが退けました。ご覧ください、稲葉右京亮うきょうのすけさまが加勢に向かわれました。みずから騎馬を率い、兵たちもまだ力が余っております。他の雑兵はともかく、真柄は疲れはてるまで暴れさせるのです」

 さらなる多数で押しつぶすというのは、上策ではないにせよ悪くない。むしろ戦における定法中の定法と言える。

「まずは右京亮に西から攻めるように申せ」

 間髪を入れず忠勝に命じたものの、信長には依然として不安が残った。もし数をもって巻きかえせなければ、いかな手段に出ればよいか。幾重にも重ねた守りの構えを頼みにすれば、本陣に踏みこまれる前に逃げおおせられはする。ただしそれでは浅井が勢いをつけ、朝倉が力を取りもどし、成りゆき次第ではのちのち手に負えなくなる。考えあぐねる信長の耳に、ある男の声が届いた。

「お屋形さま。その真柄直澄の首、私めが頂戴してまいります」

 気づけば目の前に赤母衣あかぼろ衆筆頭、前田又左衛門利家が跪いていた。身の丈六尺をほこる剛勇の士であり、信長勢で右に並ぶもののない強兵である。だが信長は迷う。利家は一騎当千の武士であると同時にかつて何度も褥を共にした仲であり、このときも歳は三十四を迎えていながら容貌すがたは二十歳を過ぎたばかりとしか思えぬ花のような美男子であった。間柄が以前と多少は違っても信長の利家に注ぐ情は変わらず、いかに戦とはいえ使いすてられる兵のひとりではない。もし申し出どおりに行かせれば、生きては帰ってこまい。その証とばかりに、使番が報せを運んできた。

「一の守りの構え、崩されました」

 やはり直澄ひきいる死人の兵は、並々ならぬ速さで突きすすんでいるらしい。それから続けざまに別の使番、また別の使番が信長のもとに飛びこんでくる。

「二の守りはどうにか持ちこたえておりますが、いつ破られてもおかしくありません」

「三の守りに、敵兵が足を踏みいれました」

「すでに先鋒隊は崩れかかっております。組頭の許しもなく後退し、逃走する者も現れはじめました。他の隊にも、我先に持ち場を離れる輩が次々と」

 これを傍で聞いた利家は、信長に決断を迫る。槍の又左と呼ばれる腕の持ち主であるほか、機を読む力にも長けているだけに戦況がいかに思わしくないかを理解していた。古今、戦において多数が士気を失い、もしくは恐慌に陥ったため寡数に敗れた例はままある。このとき信長勢は、まさに直澄をはじめとする阿片漬けの兵に恐怖していた。

「いかがされました。どうか、早くお下知を」

 もはや進退を定めるのに、一刻の猶予も残されていない。思いかえせば、信長じしんにもかなりの驕りがあった。城攻めを避け野戦に持ちこんだだけであるのに、敵方は味方の半数、正面からぶつかればさほど苦はなかろうとの油断がどこかにあった。後々のことを考え、兵の消耗を抑える狙いもあったとはいえ、万に一つも本陣へ踏みこまれまいと慎重に慎重を期したのも裏目に出た。守りの層を厚くする代わりに陣ひとつの幅を狭めたため、破られたあとで左右から挟みこむことができない。援軍を得たといっても、いち方向からだけの攻めでは心許ない。

 黙っているうちに、今度は東から軍が北に向かうのが見え、隊列から離れて安藤守就が近づいてきた。並足で歩く馬の背に、上り藤の幟がはためいている。願ってもない第二の援軍に、信長は早く来るよう促す。

「伊賀守、く参れ」

「お屋形さま。誠に勝手ながら、横山城を離れてまいりました」

「この期に及んで勝手も何もない。真柄直澄が我が陣めがけて攻めこんできておる」

「何と、真柄直澄が。今はどこまで」

「さっそく一の守りが破られたところじゃ。もしやするとここまで来るやも知れぬ。多分に、いや余の見たところでは間違いなくあれ((阿片))を与えられておる」

 急ぎ足で信長のもとにたどり着いた守就は、馬から降りるのも忘れて兵の集まる一点を眺める。程なくして眉に深い皺が寄り、吊りあがっていたはずの眉と、薄く笑みすら滲んでいた口の端がにわかに下がった。ややあって我に返り、片足を鐙から離そうとする。

「これは、失礼いたしました。馬上から」

「よい。馬から降りる暇があれば、一刻も早く直澄を止めよ。貴様は東から左衛門督を攻めるのだ。敵陣の先鋒を押しかえすように、兵を滑りこませよ」

「承知つかまつりました」

「いや。今いちど待て」

 馬上から一礼をして振りむき戻ろうとする守就を、信長は呼びとめる。稲葉隊とあわせて左右から挟みうちにすれば、おそらくは敵陣から伸びる兵の列を本隊から切りはなせる。それでもすでに自陣に足を踏みいれている直澄ら阿片漬けの兵は、すぐには止まらない。一三段の守りを敷いているからまだいいようなものの、じきに六段目、七段目、いやその先まで破られるのは火を見るより明らかであった。信長は利家を失わぬために、何とか少しでも手を打とうとした。

「真柄の直澄を討ちとるのに、何かよい策はないか。なければ致し方ないが」

 守就は再び陣の一点に目をやり、間を置いて何かを思いついたように北を指さす。

「策と呼べるほどのものではございませぬが、新八郎に射させてはいかがかと」

 どんな大兵の者でも、はるか遠くにいる弓の射手に触れることはできない。さすがの光義といえど射抜けるとは限らないが、試してみて損はないと考えたのか、信長は首を縦に振る。

「なるほど、貴様は新八郎と懇意であったな。しかし見つかるか」

「新八郎なら、味方から離れて馬を駆っているはず。家臣の数と幟で見分けがつきまする」

「ならばよかろう。新八郎に、今こそ腕前を見せよと伝えよ」

「御意。では、これにて」

 信長に背を向けると、家臣たちが足を緩め主の帰りを待とうとしていた。ときどき思いだしたように小雨が降る中、馬を北東よりに進めた守就は遠くから侍大将に叫ぶ。

「その方らは先に行き、加勢せよ。お屋形さまは東から攻めよとの仰せである。儂は今しがた役目を仰せつかったゆえ遅れて参るが、そのあいだ代わって軍を率いておれ」

 向かう先は笹竜胆の紋を掲げた、光義ひきいる大島隊。家臣が揃って弓を掲げているおかげで、おおよそ見つかる目算があった。敵兵に狙われるのをつゆも恐れず、傍らで家臣の背から伸びる幟に目をやり、馬腹を蹴って駆け足で供ふたりを連れて軍から離れた。


 同じ頃、直に白刃の下に晒されていなかった光義たちも、それなりに敵方の攻めに苦しんでいた。戦がはじまった頃とは違い、ところどころで長巻や太刀を振るっての乱戦がはじまっていることもあって、大島隊は休みなく馬を駆って何度も浅井勢に近づき、まだ敵兵が陣を成しているところを見つけて矢を放つ。光義は陣頭で矢が飛んでこないか、飛んできたとしても家臣まで届かないか、敵陣との間合いを測っていたつもりであった。

「二、三歩だけ下がれ。撃て」

 それでも隊を率いる者も率いられる者も人の子であるからには、どうしても隙は生まれる。光義が注意を促したすぐ後に、矢が一五本ばかり飛んできた。さすがに四、五本は届かないまでも五本が足元に刺さり、さらに残り五本が家臣に当たる。一人はかすり傷で済み、もう一人は肩に矢が刺さりながらどうにか持ちこたえたものの、三人が脚や腕に深傷を負い馬から落ちた。光義は敵兵が近づいてこないのを確かめ、手負いとなった者を助けるため愛馬の歩を緩める。

「この者たちを馬に乗せよ。またそなたたちは味方に助けを求めよ」

 無傷の家臣たちが、すかさず手負い三人を馬上に押しあげる。手負いが馬に乗って去るのを、光義は脇目でちらと見送った。無防備のところを襲われればひとたまりもないのは承知している。なにぶん頭数が限られているため守りをつけてやるわけにもいかず、果たして味方のところに辿りつけるかどうかは運しだいであった。これで矢を放てる家臣の数は六三。手負いが出るのは織りこみずみとはいえ、あまり長引くとさらに数は減る。元から数の少ない大島隊にとっては、致命傷にもなりかねない。

 光義は顔をあげ、しのぎを削って足軽どうしが相争う様子を眺めた。敵の数は弓矢でかなり減らしたはずであるのに、遠くからでも信長勢の不利が見てとれた。かといって大島隊の得物は弓であり、たった七○騎あまりで大勢が変わるわけではない。無闇に矢を放てば味方にも当たってしまう。朝方にはじまった戦だというのに、陽はかなり高い。戦の勝負かちまけがどうなるかは、まったく読めなくなっていた。

 するとそこに人の近づく気配がした。家臣が殿、あれをと口にして後ろを指さした方角から、見慣れた幟を掲げて数騎が近づいてくる。足並みからして敵ではなく、それどころかやけに見慣れた顔の、他ならぬ守就であると判別できる。家臣は黙って道を開けた。

「これは伊賀さま。横山城から、軍勢とも離れてなぜここへ」

「新八郎、事は一刻を争う。浅井勢に、おそらくはあれ((阿片))を与えられた真柄直澄がおる。儂は東から、右京亮さまは西から救援に向かうが、それだけで敵方を止めるのは難しい。そこでお屋形さまから直々の仰せじゃ。おぬしの弓をもって仕留めよと」

 光義たちの後ろを通るのが守就の軍であるならば、西から攻めいる稲葉隊も間もなく敵陣まで辿りつくであろう。しかし戦の流れからして、果たして浅井勢を退けられるかどうか。いつかは力尽きるにしても、左右から攻められたばかりに死力を振るい、自陣のかなり深いところまで攻められることは大いに考えられる。足軽たちが死人の兵と恐れおののく声が聞こえ、現に破竹の勢いで本陣に迫りつつあるのが分かった。

「おぬしならできるはずだ」

 守就は口をまっすぐに結んで深々と頭を下げ、さらに馬を近づけて小声で呟く。

「儂からも頼む。本陣の前に傳兵衛どのがいる」

 光義はそれだけすぐさまに気づいた。主からそれなりに認められていても所詮は小禄の身であり、劣勢にあって真っ先に名を挙げられるとは思えない。この弓の腕をもって直澄を射よというのは、守就みずからの頼みに違いなかった。

「あい分かった。そなたら、半分でよい、半分は儂についてまいれ」

 ならば、光義は何とあっても聞きいれねばなるまい。頷いて家臣に呼びかけ、槍騎兵一一のうち半分の五騎を連れていく。

 このままでも戦には勝てるかも知れぬ。仮に本陣まで踏みこまれたとしても、信長が退けばよい。ただし本陣の前には森可成が守りについており、そこには守就の娘であるお昌との祝言を控えた可隆がいる。もし直澄と刃を交えれば確実に死ぬ。それを防ぐために、守就はわざわざ足を運んで頼みにきたのだ。光義としても見所のある可隆を死なせたくはなかった。

「影雨、止まれ」

 光義はとあるところで愛馬の背を小さく叩き、語りかけて歩みを止めた。日ごろから大事にされているだけに、影雨は何があろうと光義には従う。いちど止まれと命じられたからには、たとえ刃が鬣を掠めようと微動だにしない。

「そなたらは下がっておれ。あと、ひとつのヽヽヽヽヽをもて」

 続けて光義は家臣から一本の矢を受けとり、戦場を望んだ。馬上からはその趨勢がよく見える。直澄の勢いが衰える気配はなく、周りを固める死人の兵にも守られ、錐のように次々と守りを崩していく。形ばかり槍を向けたとて、何人も手出しはできまい。

 しかし遠くまで離れれば話は別であった。互いに入り乱れて火花を散らす足軽たちのはるか頭上で、直澄の大きな頭だけが揺れている。七尺の体躯は間近で刃を交える者には脅威であっても、弓の射手にとっては絶好の的となる。今のところ天は味方しているのか、雲の切れ間からところどころ陽の光が薄く差し、それまで降っていた小雨と風が止んだ。光義は鞍に跨ったまま胴を斜めに傾け、八尺の弓を前に向ける。直澄までの間合いは、一町と五〇間をゆうに越えていた。

 その長い弓の柄を目にした守就の家臣は、主に訊ねる。

「あのような身の丈に不釣り合いな弓で、軽く矢を飛ばすだけならまだしも、果たして狙いが定まるでしょうか」

 家臣は、もっと短い弓を使うべきと言いたいのであろう。だが付きあいの長い武将たちは、あの弓が何かを知っている。伊達に尺の長い弓を手にしているわけではない。

「案ずるでない。あれなるはその昔、源平の世に造られし鎮西八郎為朝の弓。造りの精妙なること世に並ぶものなし。見よ、あの広い肩と長い腕を」

「しかしあそこまで遠くにいる者を、果たして仕留められるでしょうか。それに真柄ほどの者が、さすがに丸腰とは思えませぬ。甲冑は纏っておりましょう」

「あれもただの矢ではない。玉鋼で拵えた鏃を名刀名槍と同じように鍛えた、まさにひとつの矢じゃ。それに存じておろう、かつて新八郎の矢は大樹の幹を貫いて敵を仕留めたのだ。浅井勢に悪鬼の武者ありといえども、我らに弓を握ったあやかしがあるからには恐るるに足りぬ」

 くわえて剛弓ぶりも、古強兵の間では音に聞こえていた。守就の口にした武功は、『寛永諸家系図伝』に「或とき敵兵樹陰じゅいんにかくれをる。光義其樹木を射つらぬき、敵の首にあたる。敵兵光義が弓勢ゆんぜいを感じて、その樹ならひに首をきって、その矢をぬかずして光義がもとにをくる」と歴々と記され、後代にも広く伝えられている。

 光義は二人の声をつゆも耳に入れず、左手で握った弓を縦に起こした。弦は矢とともに右手で摘んだまま、引かずにいる。鏃の先が直澄を捉えるまでに、的の歩みをしかと測った。光義が二つ息を吐くあいだに、直澄は三歩すすむ。

 それから頃合いを見て、やおら身体に力を込める。普段は枯れている肌に潤いがにわかに戻り、太い血管が皮膚に幾筋も表れ、鎧の下に隠れた胸、肩、背なの筋肉が雄々しく盛りあがる。巨木の幹を思わせる力強い二尺五寸の腕が隆々と伸び、とても齢六十三の老体には扱えぬような長さ八寸の弓の、並の益荒男ではびくともしないほど固い弦が耳元まで引かれた。

 そして再び直澄に目をやる。相変わらず歩みに変わりはない。七尺の体躯を存分に振るい、無人の野を行くがごとく進む。行きかう兵たちを眼下に望んで上に下にと揺られる頭は、あたかも人の波間に浮かぶ扇の的であった。その的を貫ける矢は、触れただけで木肌に深々とめり込むほど鏃の鋭い矢は一本しかない。いちど外せば、敵は可隆や利家のもとに辿りつく。彼らが命を落とすのは必定であった。光義は己でも気づかぬうちに、頭の中で念じ唱える。

──南無八幡大菩薩、我国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくはあの扇の真ん中射させてたばせ給へ。

 一人の若者を死なせぬために、友の願いをかなえるために。

──この矢はづさせ給ふな。

 鏃の先に直澄が足を踏みいれるか否かの瞬間、光義は刹那の合間を見切って指を滑らせ矢を放つ。矢は鋭く風を切りさき唸りをあげ、緩やかな弧を描いて寸分たがわず的を捉える。間合いは一町と五〇間はなれていたにも関わらず、玉鋼で拵えた鏃は南蛮鉄のかぶとを突きやぶり、直澄の大きな頭蓋と脳を真横に貫いて逆さ側から飛びだしたところで止まった。

 直澄は大太刀を振りあげたまま、横倒しに倒れる。傍で攻め手に廻っていた浅井の兵も、まさに刃を交えようとしていた信長の兵も何が起こったのか分からなかったであろう。突如として異様な静けさが戦場に広まり、双方の手が止まった。誰の仕業かにせよ、浅井勢にとっては一騎当千の味方を失い、信長勢にとってはおよそ人とは思われぬ悪鬼の武者が仕留められたのである。恐怖の叫びと歓呼の鬨が同時にあがった。


 満天の星が瞬く夜空の下、光義と守就は山の麓で酒を汲みかわしていた。四方は笹竜胆の陣幕に囲まれ、辺りからは家臣たちの焚く炎の煙が、ときおり火の粉を交えてあがる。

「新八郎、此度の戦では世話になった」

 守就がどんどん注いでくる酒を、光義は穏やかな面持ちで受ける。戦のあとの酒は口の中に広がる旨み、喉に沁みいる心地よさが格段に違った。

「お屋形さまの命とあらば、従うしかありませんでしたからな。お気になさらず」

「何を申すか。おぬしのはたらきがなければ、傳兵衛どのはどうなっていたか」

 正直なところ、光義に確たる自信はなかった。断じてまぐれでないとはいえ、間合いは届くか否かといったところ。当たったとしても冑を貫けるとは言いきれなかった。久方ぶりに弓を目一杯に引きしぼったせいで、肩周りと背中がひどく痛んでもいる。

 ともあれ直澄を仕留められたおかげで、戦は光義たちが勝ちを収めた。信長勢は一三段もうけた守りを一一段まで崩されたが、その後もちなおして浅井勢を北へと退けた。可隆は無事であったうえに敵兵ひとりを討ちとり、父の可成から改めて祝言を許された。利家もさしたる傷を負わず手柄を挙げている。まさに光義の弓が可隆を救い守就を救い、利家を、ひいては信長をも救ったのである。その守就は安堵のためか早々に酔いが回ったと見え、杯を傍らに置く。

「さて、戦が終わって一段落ついた。新八郎、おぬしはどうする」

「まずはお孝と寝るといたしますかの。儂がいないばかりにお孝の奴、火照った身体をひとり慰めておるに違いありませぬ。さっそくその寂しさを癒してやらねば」

「これ、新八郎。また始まったか」

 戦が終わったときから、光義の答えは決まっていた。話の合間に酒を飲みほしたせいか、気分がよくなり目尻がおのずと下がる。口の端をにんまりと広げ、戯れに股の間を指さしてみせた。

「とはいえ、また毎晩のように搾りとられることを思えば、今のうちにこちらの方を養生しておかねば」

「元はといえば、おぬしが手ほどきして教えこんだのであろう。今さら暇乞いはならんぞ。大人しく応えてやるまでじゃな」

「是非もありませぬ」

「随分と嬉しそうに申すのう。それにしてもおぬしらは、他にすることはないのか」

 冷やかしまじりに笑う守就に、ない、と答えようとしたところでどこからか笛と太鼓の音がした。足下に広がる山裾に目を落とせば炎をあげて燃える焚火が幾つも見え、子供たちの声が響く。祭りであった。おそらく戦の終わりを祝っているのであろう、元の住処に戻った村人たちが大人子供を問わず楽しげに謡い踊っている。

「ああ、その前に茂兵衛を寝かさねばなりませぬ。房事の最中に起きてこられては、色々と手間で仕方ありませんからな」

「これこれ、止せと申したであろう。しかし茂兵衛どのか。きっとおぬしの帰りを心待ちにしておるぞ」

「伊賀さまの仰るとおり、甘え癖がまだ抜けませぬゆえ。伊賀さまも婚礼のことがございますれば、お早めに国元へ戻られた方がよいのでは」

「そうじゃな。儂も明日の朝はやくここを発つとしよう」

 守就がそう言って腰を上げ、何度か名残おしそうに振りかえりつつ立ち去るのを見届けたあと光義も寝床についた。そして戦が終わったからには、一刻も早い帰参を目指すことにする。約束どおり我が子に話の続きを、扇の的に矢を当てられたかを聞かせてやるために。

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弓聖 新宮義騎 @jinguutakeru

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