4-5
ギルハルトの愛馬の上、アイリは手綱を握る腕の中にまたも捕われるような格好になっていた。動きやすいドレスは馬にまたがっても問題なさそうだったが、淑女の
「腰や足が痛くはないか? もっとこっちに寄れ。落ちるぞ」
返事を待たずに、彼はアイリの腰を自分のほうへと引き寄せる。
密着のぬくもりに気を取られる暇も与えられずに手綱を握らされ、ギルハルトの手が重ねられた。うろたえかけるアイリは、そういえば、と思い至る。
──まだ、『お散歩』の儀式の
自意識
大厩舎の前の広場を抜け、大庭園へと向かうにつれ少しずつ馬の足は速まっていく。
この身を包み込むギルハルトの体温。のぼせそうになっていたアイリの頰を撫でていく風に目を細めていると、間近に彼の声が問う。
「どうだ、馬での『お散歩』は」
「とっても視線が高くて、気持ちがいいです」
こんなにも視界が広い──。
改めて
大厩舎のほう、走り出てきた数人の若い騎士が笑顔で手を振っている。
あれは陛下へ振っているのだろうと横目で見てみるも、ギルハルトが彼らに応じる様子はない。一瞬迷ったが、アイリは騎士たちに手を振り返してみた。それに気づいた彼らはさらに大きく手を振り返してくれて、嬉しくて笑顔になる。
ギルハルトの顔を振り返ってみれば、その瞳は
「やっと俺を見たな」
「え?」
「俺から『好きなもの』を
苦い笑みを含んだ声が耳に優しくて、今更ながら、ギルハルトは年齢の割に落ち着いた低めの声なのだと気がついた。男の人とこんなにも密着した状態でいるのに、緊張よりも安心感に包まれている自分がいる。
「陛下、ありがとうございます。馬に乗せてくださって」
「礼を言うのは俺のほうだ。騎士どもが言っていただろう。おまえが
つぶやく声は本当に独り言のようだった。アイリは不思議に思って問う。
「騎士の方々は、あんなにも陛下を
ギルハルトは首を横に振った。
「宮廷に仕える者は、俺に王であることを求めている。皆に見放されずにいたのは、俺が王であったからだ」
人狼は神の
「俺は……ずっと怖かったんだ」
自分の
夜が来るたび、このまま正体を失い、本当の獣になり果ててしまうのかと。
自分が自分ではなくなるのではないかと。
そんな弱音を臣下に漏らすわけにはいかない。臣民を不安にさせるのは王ではない。
ギルハルトから漏れる言葉の
背に負うものはあまりにも大きく、それでも、不安を
アイリは彼の手に重ねた手をそっと握る。
「陛下は、陛下ではないですか」
神様なんかではない。
臣民を大切に
「全部含めて、陛下です。完璧な神様よりもずっと
心からの笑みを向ければ、わずかに驚きを含んだアイスブルーの瞳が穏やかなほほえみを返す。
「ならば、アイリ。俺を名で呼んではくれないか。ギルハルトと」
「ギルハルト様」
「ギルハルトでいい。おまえの前では、ただのギルハルトでいたいから」
いつものアイリであれば不敬であると固辞していたところだが──あともう少しだけしかこの人といられない、という
「ギルハルト」
呼ばれた男は快活に笑う。そして言った。
「アイリの行きたいところはどこだ? どこにだって連れて行ってやろう。だから、おまえも俺を選んでくれないか。俺はおまえを妃に……いや、妻にしたいんだ」
その言葉に、アイリの胸は高鳴っていた。
ギルハルトは優しい。
この数日でぞんぶんに知ることができた。たとえ、妹の身代わりとしてここに来た自分に恥をかかせまいとする
遠くに見える王都の時計
剣の稽古のせいで硬く分厚いそれは、王宮に来ていなければ一生知ることはなかった。
銀色の髪が見た目よりもはるかに
夕日に照らされた
なぜか涙が出そうになって、アイリは奥歯をかみしめた。
ギルハルトと共に見た、この景色を、きっと
ひとときの輝きは、宝石のきらめきよりも、きらびやかなドレスよりも、はるかに得がたい宝となるだろう。
身代わり婚約者なのに、銀狼陛下がどうしても離してくれません! くりたかのこ/ビーズログ文庫 @bslog
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