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 厩には、見事な毛並みの美しい馬が並んでいる。

 馬体にブラシをかける者、ていてつの手入れをする者、飼葉を運ぶもの──世話をしていたのは、ていではなく驚くべきことに育ちのよさそうな若者たちだった。

「お初にお目にかかります、月の聖女殿どの。足をお運びいただき、我ら銀狼騎士団一同、心より歓迎いたします」

 騎士団の衣装に身を包み腰には剣を帯びる、きらきらとまぶしい若き騎士たちは、アイリに向かっていっせいに礼をとった。

 銀狼騎士団に所属する騎士は、みな王に剣をささげている。王国行事のパレードなどで彼らを遠目に見たことはあったが、こうして間近にするのは初めてだった。

 妹の社交に付き添っていたアイリは、身なりのいい貴族の子弟はたくさん目にしてきたけれど、目の前にいる騎士たちの立ち居ふるまいはその誰よりも洗練されていた。女性に対するれい作法も行き届いているのか、アイリに対してぞくっぽいこうを向ける者は一人としていない。

 王宮に仕える彼らは良家出身のはずだが、みな熱心に馬の世話をしているようだった。

「銀狼騎士団では、自分で自分の馬を世話することが決まっているからな」

 それで馬との信頼を高めるのだと、ギルハルトは説明をくれた。狼がけるがごとき機動力を誇る、人馬一体の銀狼騎士団はルプス国のほまれである。

 愛情深く馬を世話する彼らの様子を見学していると、騎士団長だとアイリにあいさつをした背の高い男が、ギルハルトに声をかけた。やがて彼らは真剣な表情で話しこむ。

 ラフな格好をしていても、げんを放つギルハルトの姿は格好いい。思わず見とれるアイリに対し、一礼して近づいてきた騎士の一人が話しかけてきた。

「レディ。今日はどうして、このようなところへ?」

「お仕事中におじゃをして、すみません。馬が好きだと申し上げたら、ごこうで陛下が連れてきてくださったんです」

「なんと、それは光栄なことだ」

 馬が好き、という言葉を聞きつけた騎士の面々は色めき立ち、たちまちアイリはうるわしくも逞しい大勢の男性に囲まれてしまった。

「いつかお会いできればと思っていましたが、月の聖女殿にお越しいただけるとは」

「ありがとうございます、レディ」

「感謝します、月の聖女殿……!」

「本当に、貴殿が王宮に来てくださってよかった……心からの感謝を」

 次々に礼を言われてアイリはこんわくする。


 ある者は笑顔で、ある者は興奮気味に、ある者は涙ぐんでいて──。

「あなた様は、我々の命の恩人なんですよ!」

「命……?」

「ご存じありませんか? 我々は、救われたのです。あなたのお越しが、もしも半月おそければ、騎士団には五体満足でいられぬものがいくにんか出ていたでしょう」

 騎士によれば、ギルハルトは幼いころよりけんじゅつけ、よく銀狼騎士団に交ざり訓練を共にしていたという。十五のとしには、騎士団内にかなうものはすでになかった。

 比類なきけんを誇る銀狼王は、その名をかんする騎士団の団員たちにとって誇りであったが──とつじょとして、彼らにごくの日々が訪れた。

 半年前から、凶暴さを垣間見せるようになったギルハルトは、以前に増してとして剣術の訓練に参加し、ちゅうちょなく騎士たちを叩きのめしたという。

「この半年の間に、団員の三分の一が退団届を出したのです。届は、団長が保留にしましたが。今、団長が陛下と話しているのは、復員希望者についてですよ」

「無理もありません。僕も、先々月、半殺しにされかけましたから」

「半殺し、だなんて……」

 きらきらまぶしい騎士から出た言葉だとは思えず、おおげさだと思いかけるアイリであるが、満月の晩の王を見ている。あの状態の彼が、剣を取ったかと思うと──。

「けだものでしたよ。ええ」

「ただでさえ、人間離れしてお強いのに」

「何度死ぬかと思ったか……訓練でじゅんしょくなんて、死んでも死にきれませんからね」

 死者もなく、再起不能なほどの重体者も出ず、大事に至りこそしなかったが、これらの騎士の苦難が『暴君陛下のきょうじんに殺された臣下もいる』というまことしやかな噂として、クリスティーナの耳に入れられたのだ。

 最悪の事態が訪れるのは時間の問題──人狼の血にたかぶっていたとはいえギルハルトもそれをしていた。

 だから、この一か月、彼は自ら判断して剣を持たなかった。その結果、これまで剣のけいで発散させていたフラストレーションをぶつけられるほこさきが、騎士から文官に移る。文官からは、騎士団に対して『剣術の訓練を再開しろ』と圧力がかかる。

 しかし、みな命はしい。ギルハルトとしても理性では、これ以上臣下を傷つけたくはない。退団届の提出は増える一方だった。

 進退きわまった騎士団がほうに暮れていた、その時に訪れた救世主が銀狼王の婚約者というわけだ。恐縮するアイリに対して、騎士たちは熱弁する。

「あなたがいらしてからというもの、陛下はすっかり穏やかになられまして」

 じょうきょうが一変したのだと。

「失礼ですが、レディ。そのように可憐でかよわく見受けられるのに、陛下を恐ろしいとは思われなかったのですか?」

「よくぞご無事でいらっしゃいましたね」

「月の聖女には秘伝があるのですか? いったい、どんな術をお使いに?」

「いえ、私は何も。ただ陛下とご一緒しているだけで」

 アイリのまどい交じりの言葉に、騎士たちは、おお、とかんたんいた。

けんきょでいらっしゃる……」

「月の聖女って……本当に実在していたんですね、せんぱい

「ああ。自分も、おとぎ話だとばかり思っていたぞ」

 アイリを囲んでわいわいと盛り上がる中、一人の騎士が、向こうで立ち話をしているギルハルトの背中を横目に、耳打ちするように囁いてきた。

「ここだけの話、この数日、陛下はちょっと浮かれているくらいご機嫌がいいんです」

 囁いてくるその騎士もまた、ずいぶん機嫌がいいように見えた。

 となりの騎士も笑顔でうなずく。

「こうして聖女殿にお礼を申し上げられるなんて、我らは幸運です!」

 喜びに沸き立つ騎士の誰もが王へのうらみを飲み込んでいる、というふうではなかった。

 疑問に思いかけるアイリだが、きっと自分と同じなのだろうと思った。彼らも、ギルハルトが好きなのだ。彼のりょうの力に、きつけられてやまないのだろう。

 その時、厩舎の外から馬のづなを引いて入ってきた一段と若い騎士が、慌てたように声を上げる。

「おい!? どうしたんだっ、こら、止まれっ!」

 全身の体重をのせて手綱を引っ張るも、若い騎士の馬は止まらず、アイリに向かって突っ込んでくる。すぐ間近にせまった馬はさっと脚を止め、はなづらを寄せた。

 アイリは物おじせずに手を伸ばし、ぽんぽんと撫でてやる。

 騎士の使う軍馬は見上げるほど大きい。所領の牧場で育てていた荷運びのための馬よりも目方があるが、すり寄られてもこわいとは思わなかった。昔から、どんな動物であっても不思議と恐ろしいと感じたことはない。

 慌てていた周りの騎士たちも、やがてほほえましく見守った。

「レディは動物がお好きなんですね」

 特別に動物が好き、というわけではないが、こうしてしたわれるとそれに応えたいとは思う。自分にできることがあるならしてあげたいし、動物相手であっても彼らの役に立てたのだと思えば救われた気持ちになる。

 だから今回、身代わりといえど、こんな自分が王宮を訪れたことによってエーファや騎士たちが喜んでくれたというのなら、やはり嬉しいものだ。

「レディ、乗馬をごしょもうとうかがいました。どの馬になさいますか?」

「ぜひ私の馬に! 私がうまから大切に育てました」

「いやいや、ぜひとも俺の馬に! 気立てのいいまんの子ですよ!」

 いや、自分の馬に、と、騎士一同はこぞってアイリに手を伸べる。

 月の聖女と感謝をしてくれるが、ベルンシュタインの血を引くのはアイリだけではない。

 こんなに手厚く歓迎してもらい仕事の邪魔をして申し訳ないし、何よりも男性と接することに慣れていないアイリにとって、きらきらまぶしい騎士たちの圧はきょうれつだ。眩暈めまいを起こしそうになって、後ずさりながら話をらす。

「ご厚意に感謝します。そ、それにしても、馬たちはみんなかしこそうな顔をしていますよね。こんなに大きくて立派な軍馬なのに、目が穏やかで、とってもかわいい」

 顔をり寄せてくる馬の一頭を撫でてやろうと再びアイリが手を伸ばせば、とつぜん、後ろから伸びてきた男の手に、その手を摑まれた。

 振り返れば、なぜかひどく不機嫌な顔をしたギルハルトが立っている。強引にアイリを自分の愛馬にひっぱりあげて乗せてしまうと、騎士たちがざわめいた。

「陛下が、ご自分の馬に女性を乗せた!?」

 一様に驚く彼らの中の数人が、ギルハルトが発した『かわいい……だと?』というなぞのうめき声を聞いていた。

 しかしながら、当然、この気力体力ともにじゅうじつし文武にすぐれる敬愛すべき銀狼陛下が、しっにかられ胸中穏やかではないなど、誰ひとりとして想像もしない。それも嫉妬の相手が馬であるとは……騎士たちは夢にも思い至らないのだった。

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