4-3



 身代わりの露見したアイリは、ちゅうぼうで静かに菓子作りの後片付けをしていた。そこへ、あわてた様子でエーファがやってくる。

「まあまあ、いけませんわ! そのような雑事、未来の王妃様のお仕事ではありませんのよっ、わたくしどもでいたしますから!」

「いいんですよ。片づけまでがお菓子作りですから」

 何より、アイリは未来の王妃ではない。もはや身代わり婚約者ですらないのだ。

 本当の名を明かして謝ろうかと思ったが、アイリがしなくともすぐに伝わるだろう。

 それでも、実家に帰される前にしておきたいことがあった。

「エーファさん、これまで本当にお世話になりました」

「あらあら、どうなさいましたの、聖女様。そんなに改まって」

 首をかしげるエーファに、アイリは大きな皿に食べやすくカットして盛り付けたリンゴの焼き菓子を差し出した。

「これ、よろしかったら、私がお世話になったみなさんと一緒にし上がってください」

「え? ですが、これは、陛下のために作られたものでは」

「陛下のお菓子とは別に作りました。あ、心配しないでくださいね。材料を使うのは、サイラスさんに許可をいただいてますし、もしもおこられたら私がやったと言ってもらえれば」

「いえ、そういうことではなくて」

「この王宮に来てから、エーファさんはずっと私の面倒を見てくださって、励ましてくださいました。私、何度もエーファさんの笑顔に勇気づけられたんです。だから」

 一般的に、高貴な身分の者は自分に仕える者に対して、いちいち感謝を伝えたりしないものだ。しかし、アイリは一般的な令嬢ではない上に、噓をついて王宮に上がった身である。それが申し訳ないと思っていたし、宮仕えのエーファとは二度とこんなふうに親しく言葉をわす機会もないだろう。

「だから、せめて私にできるお礼がしたくて」

 瞳をぱちぱちとしばたたかせていたエーファは、やがて両手で顔を覆った。

「え……もしかしてエーファさん、アプフェルクーヘンおきらいでしたか!?」

「ち、違いますのよ、わたくし……クリスティーナ様に感謝される資格なんて──」

 指の間からのぞくエーファの瞳には、涙が光っていた。

ざんしますわ……わたくし、あの無表情メガネに『婚約者様を逃がさぬように』と厳命されていましたの。陛下が、元の冷静でそうめいな主君に戻るためには、聖女様が絶対に必要なんだって。わたくしも陛下が元に戻るためならば、どんなことでもしなければと思っていました。けれど、いたいけなお嬢さんを、あんなにも凶悪で凶暴な状態の殿とのがたしんじょに放り込むような非道をしてしまって……」

 胸の内にまっていたものをき出すように、エーファはさらに泣く。

「ですから、お礼なんてしていただくような資格、わたくしにはありませんのよっ」

「エーファさん、落ち着いてください! でしたら、私も懺悔しなければなりません。私、じ、実は……クリスティーナではないんです! 本当は、義理の姉のアイリ・ベルンシュタインなんです。妹の身代わりだったんです。噓をついていて、ごめんなさい」

 一大決心の告白に、しかし。

「まあま、そうですのー?」

 エーファはのんびりとして言った。たいして驚いてはいないようだ。

「だって、お召しになっていたあのフリフリドレス、お体に合ってませんでしたもの」

 だから正直なところ、かんを覚えていたとエーファは言う。噂に聞く『社交界を飛び回る派手好きなクリスティーナ』とはふるまいが違っているのも奇妙に思っていた、と。

「では、これからはわたくし、『クリスティーナ様』ではなくて、『アイリ様』にお仕えすればよろしいのですね」

「へ……? い、いえ、ですから、私は身代わりでして」

「関係ありませんわぁ。あなた様は、わたくしたちの陛下を取り戻してくださった」

 そして、彼女はにこにこ笑顔でリンゴの焼き菓子をアイリの手から受け取った。

「あなた様がわたくしどもに心を配ってくださったように、わたくしも、心からあなた様にお仕えしますわ! 改めて、よろしくお願いいたしますね」

 その時である。アイリはきゅうきょ呼び出しを受けたかと思うと、どたばたとたくを整えるようにとせっつかれた。何が何だかわからないまま、王都最新の流行だというしょうえさせられ、エーファの指揮によってヘアメイクをほどこされる。

 着付けに手伝いが不要なくらいラクに着られるれんなドレスは見た目に反して、驚くほど動きやすい。ふんわりとしたスカートは重たくなくてかろやかに歩けそうだ。

 せんさいな花のしゅうの施されたたけの短い上着。かわいいデザインのブーツはごこがよく、だいたんな布花のアクセントの効いたボンネットは、子どもっぽくもなければ不思議とには見えず、装いをエレガントにいろどっている。

「素敵ですわぁ。まあ、当然ですわね。わたくしいっそう、腕によりをかけましたもの!」

 はりきるエーファであるが、アイリは装いに感動するゆうも与えられない。

 あれよあれよと連れてこられた先は、色とりどりの花みだれる王宮庭園で──。

「おそれながら、陛下……? これは、いったいなんのお呼びたてでしょう」

 アイリの疑問に、先に庭園にとうちゃくしていた銀狼王はきょとりとして答えをくれた。

「『儀式』の続き以外に何がある」

「……私は身代わり婚約者だと、陛下はおわかりになったのです、よね?」

 実のところアイリは、大勢のもくに触れるであろう儀式の前に身代わりがバレ、お役めんになることをありがたいとすら思っていた。

 それを置いても、ギルハルトはぼうだから儀式は一日にひとつずつ、というむねを聞いていたというのに、なぜだが、本日二回目の儀式ときたものだ。

 アイリに向けて、ギルハルトが手を差し出してきた。

 頭の上に「?」を大量に飛ばしていると、強引にぐいと手を引かれる。

 ギルハルトのてのひらは大きく分厚く、かたい。けんるう男の手をしていた。その逞しさに気を取られてぼんやりしていると。

「アイリ、おい、アイリ、どうした」

「…………」

「なぜ、歩かない? 『散歩』ができんだろうが」

「………………」

「そうか。歩きたくなければ、き上げて運んでやるしかないな」

「っ、歩きます!」

「残念だ」

 ギルハルトはしょうすると、アイリと手をつないだままで歩き出す。

 何もかもがわからないアイリの頭は、逆に冷静を取り戻しつつあった。

 そういえば、と、思い出す。儀式の一覧が並んだ巻物には、この『お散歩』は手を繫いで歩かなければならないと記していた。

「あの、陛下? 私が身代わりと、ご存じ、ですよね……?」

 もんと承知しながらり返した問いに対し、ギルハルトはかたをすくめて問い返してくる。

「おまえこそ、聞いていなかったのか? おまえは、俺が決めた俺の妃だと」

 もちろん、聞いていた。聞いてはいたが。

 ──それは単なる当てこすりでは?

「ふん? では聞くが。本来の婚約者だというおまえの妹は、どこにいるというのだ?」

「……!」

「クリスティーナ・ベルンシュタインがいない現状で、儀式を中断してみろ。ベルンシュタイン伯爵家から王妃がはいしゅつされることは今後二度とはないだろう。おまえは、それでもかまわんのか?」

 この世の終わりのように青ざめるアイリの手を口元に引き寄せると、ギルハルトはそのこうに詫びをするように口づける。

「悪かった、おどすようなことを言ってしまった。どうか、そんな顔をしないでくれ。今、おまえがいなくなれば、俺はまたじんろうの血に振り回される日々に逆戻りなんだ。助けると思って、このまま王宮に留まってほしい」

「でしたら……もう少し、ひとけのないところを歩いていただけると、ありがたく……身代わりの私とこうして目立ってしまっては、妹が宮廷に上がりにくくなると思うのです。そうなっては、かわいそうですから」

 妹の人並み外れた神経の図太さがちらりとのうをかすめはするが、それを振りはらってアイリは訴える。六つ目の『儀式』のとうかいとなれば、さらに注目度が高いのだから、ここで手を打っておかねばならない。

「せめて、目立つ儀式は中断していただければ──なんて……」

「中断? まさか! 盛大に行うぞ。なにせだからなぁ?」

 わざとらしいまでに明るい声。にこっと噓くさいほどれいな笑みをギルハルトから向けられて、ひいっと息が止まりそうになる。

 考えてみれば神聖な儀式を『思い出作り』だなんて、不敬が過ぎた。やはり分不相応なことをするものではない。

「おまえは、妹がかわいそうだと言ったな?」

「は、はい」

「ならば、俺はかわいそうだとは思わんのか? 『アイリがいい』と望んでいるのに、妹にしろとすすめられる俺をあわれむ気持ちはないのか? ん?」

 やはりかんぺきに美しい笑顔でられて、アイリは青ざめるばかりである。

 王が妹ではなく自分を望む理由を、『ベルンシュタインに恥をかかされた報復』だと信じて疑わないアイリは逆らうのをあきらめた。彼に手を引かれるまま歩きながら、せっかくなので見事な庭園の光景を楽しむことにする。

 季節の花も美しく咲きほこる午後の庭には、ふんすいかげやら、バルコニーの柱の陰、そこかしこから宮廷人が銀狼王と、その婚約者の『お散歩』を見物し、何事かささやき合っている姿が見えていた。

 今を楽しもうと図太く開き直る気持ちが、たんに縮み上がる。異性と手を繫いで歩くだけでもきんちょうしているアイリは、人から注目されるのに不慣れなのだ。

 一方のギルハルトはといえば、注目を集めることなど慣れているのだろう、堂々としたものだ。

 いまさらながら、彼のいでたちを見てみれば、アイリと同じく動きやすい散歩にふさわしそうな軽装だ。上質な白絹地のシャツに、のうこんのズボンといたってシンプルだが、ベルトのバックルにはせいな細工が施されていて、なんとも品がいい。

 シンプルなだけに彼のまった体の線や、ふるまいのスマートさがきわっている。直視すれば、またぼうっと見とれてしまいそうだ。

 それにしても、正装しているときはずいぶん年上に見えたけど、いつもはきちんと整えられているぎんぱつが今は自然に流されているせいか、少し幼い印象だ。

 いままで意識しなかったけれど──。

「陛下は、おいくつなんですか?」

「ほう。ようやく俺に『きょうしんしん』になったか」

「……っ、いえ、あの、ごめんなさい。しつけなことをうかがいました」

「なんだ。菓子を食べさせ合ったときに、おまえが俺に興味津々だと言ったのは、やはりかんかせぎだったのか」

 ──バレてた……!?

 アイリは慌て、なぜだかギルハルトはしゅんとしたようだった。

「すみませんっ! 陛下がおいくつかを知りたいのは、本当なんですっ」

「二十一だ」

「え? あ、ああ、そうなんですね!」

 ひょうけするほどあっさり教えてもらえたそのねんれいを知って、どうやらこのラフな装いの銀狼陛下は年相応に見えているのだと得心がいった。

 銀色の髪が、風に流れて形のいい額におどっている。

 昨日はあの綺麗な髪に親密に触れていたなんて、夢を見ていたような気分だ。

 不思議な気持ちで見上げていると、ギルハルトがせきばらいした。

「あー……アイリの質問に答えたのだから、アイリも俺の質問に答えろ。いいか、無回答は許さん。噓をつくなどもってのほかだ。正直に答えるように」

 背筋を伸ばして命じる口調は、まるで厳格な指揮官のようだ。

 ただならぬ緊張感を発する彼に、ごく、とアイリはつばを飲み込む。

 ──いったい、どんなじんもんが待ち受けているというの……?

「おまえの好きなものは、なんだ」

「…………は?」

 拍子抜けして、間抜けな声が出てしまう。

「なんでもいい。ドレスでも宝石でも……ああ、そういうものでおまえの心は動かないのだったな。食い物でも、音楽でも、カードゲームの役でも、書物でも、どうしゅの産地でも」

 さあ教えろ! すぐに教えろ! 今教えろ! 早く教えろ!

 その圧力はすさまじく、アイリは思わず後ずさりそうになるが、しっかりと手を握られていてそれもできない。たとえば、今、ここでギルハルトの手を振り払って逃げ出してみたとしても、いっしゅんで追いつかれて捕まえられてしまうだろう。

 興奮しきったおおかみに追われる、野ウサギのような気分だった。

「私の好きなものを、知って、どうなさるおつもりです……?」

「前は、おまえの望みを聞いたな。あれは恩賞のためだったが、今度は違う。個人的な礼がしたいのだ。ああ、一応言っておくが『妹にしてあげてください』というのはナシだからな。俺はおまえから菓子をそうになったのだから」

「私が作った、あの焼き菓子のことをおっしゃっているのですか? あれは儀式のいっかんだったんですよね?」

「建前でよければ、本当におまえが作る必要はなかったはずだ。料理人が、大層驚いていたぞ。まさか、婚約者本人が作るとは思っていなかったと」

「え……、そうだったんですか!?」

 なんと畏れ知らずなをしてしまったのか! さいこうほうの美食を知りつくしているであろう国王陛下に対して、あんなぼくなお菓子をお出ししてしまうなんて──。

 きょうしゅくに震えあがるアイリに対して、ギルハルトはしんけんな顔をして言った。

「この立場に立っていると、建前ではないものを示してくれる者は少なくてな。貴重な経験をさせてもらった。だから、俺も相応のものを返したいと思っているんだよ」

「陛下……」

 アイリはなおに感動していた。なんてがたいお方なのだろう、と。

 この国の臣民であることに誇りすら感じる彼女は、まさか王が『アイリに気に入られたくてたまらない』という下心をまんさいしているなんて、想像もしない。

 彼の誠実に応えようとアイリは考えてみた。先日、望みを問われたとき、すぐには思いつかなかったけれど、好きなものくらいならすぐに答えられるだろうと。しかし──。

 ──ん? あれ……?

 彼女はがくぜんとする。本当に、何ひとつ思い浮かばないのだ。

 そして気がつく。生まれてから十七年、伯爵家の長女として最低限といえど必要なものは与えられてきたし、未来の王妃である妹を支えるに必要とするものは、自分で選んできた。けれど、自分自身が『好き』という理由で何かを選び取ったことはただの一度もないということに。

 絶句したアイリに対し、困らせたとでも思ったのか、厳格な指揮官から一転、ギルハルトはおだやかに促した。

「難しい問いではない。それに、ひとつじゃなくてもかまわんのだぞ。いくつでもいいし、なんでもいいんだ」

「えっと…………わかりません」

「わからない? 何を言っているんだ、自分のことだろう」

 まったくもって、おっしゃる通りだ。

 過去に、妹から『お姉さまって自分では何も決められないのね』とてきされたことがある。おおげさなだとばかり思っていたけれど、これはさすがに冗談では済まない。

 五歳の子どもならばともかく、十七歳にもなって好きなものひとつ答えられないなんてずべきことだ。アイリは必死になって頭をひねる。

 ──好きなもの好きなもの、私の好きなものは……。

 あっ、とアイリはつぶやいた。いて言うならば。

「馬に乗るのは、好きです」

 たぶん。

 三年ほど前のことだ。領内に経営している牧場で、あまりにも馬に好かれるものだからうまやばんに勧められて乗ってみたことがある。

 ──あの時は、本当に楽しかったわ。

 がらにもなくはしゃいで一日乗馬をたんのうした。後にも先にも、あんなにはしゃいだことはないように思う。慣れぬ乗馬でしりが痛くなったような気もするが、そんなおくなど吹っ飛ぶほど楽しかった。

 どこにでも自分の行きたい場所に行けるような気がしたから……。

「馬か。悪くない」

 笑みを含んだつぶやきと共に、ギルハルトに連れられた先は、王城内のだいきゅうしゃだった。

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