4-2


◇◆◇


 アイリのいなくなった謁見の間で、先ほどまで彼女を捕えていた玉座の上にのろのろと腰を下ろしたギルハルトは、気がけたように肘置きにだらしなく寄りかかっていた。

 ──おもいで? 思い出、だと?

 彼女の中で自分はすでに過去の出来事で、〝ナカッタコト〟に分類されている……?

「要するに……俺はソデにされた、ということなのか……?」

 ぼうぜんとしたまま口をついて出た事実に、ひどくらくたんしている自分におどろく。

 それだけに、アイリ・ベルンシュタインの存在にいかに浮かれていたか、気がついてしまった。すでに手の内に入ったものだと思い込んで、彼女と過ごすこれからの日々を勝手に夢想までしていたのだ。これでは、まるで──。

「俺が、けなカンチガイろうのようではないか……!? っ、……おいやめろ、そんな目で見るなっ」

 ほとんど八つ当たりじみて、サイラスをねめつける。

 並みの人間であれば、銀狼王のひと睨みで口もけなくなるほどしんかんするところだが、この半年の間、主人のきょうぼうさをたりにしてきたきんちょうは涼しい顔だ。

「アイリじょうを正式に王妃におむかえするつもりですか」

「問題あるか」

「ありません。むしろだいかんげいです」

 本心だろう、とギルハルトは思う。

 ギルハルトの凶暴性に慣れるほどサイラスは常に傍で仕えていた。きゅうてい内で最も、けもののごとき主君の暴挙に耐えたのはサイラスであり、誰よりも熱心にギルハルトを〝人間〟にもどすための方策をさぐり、しんしたのもまたサイラスなのだ。

「女性に振り回されるあなたを見るのは初めてなものですから、実にしんせんです。よりによって、あんなにもじんちく無害の扱いやすそうなごれいじょうに」

 ぶふーっ、とこらえきれない笑いがれる。めっなことでは笑わないこの男は、アイリが来てからというもの笑いが絶えない。含み笑いやしっしょうなど、実に腹の立つ笑いざまは、表情がまったく動いていないので慣れぬ者が見たら軽くホラーだ。

 この男の無表情にすっかり慣れているギルハルトはといえば。

 ──首をめてやろうか……。

 本気で思いかけて、不毛だと思い直す。

 学生時代からの友人であり、その頃から変人なこの男の言い分はごうはらであるが、いつだって的を射てはいる。

 アイリ・ベルンシュタインという女は、一見、人畜無害で扱いやすそうだというのに、つかもうとすればするりと手の内から逃れるウナギのよう。かと思えば、ロバのようにごうじょうなところもあり──。

 不可解だ、とギルハルトはこめかみを押さえてぼやいた。

「女というのは、ドレスや宝石を与えれば、浮かれ喜ぶ生き物ではなかったか?」

 自分をかざり立てるのが何より好きで、他の女よりも見栄えするよそおいができれば鼻高々で、新しい絹のぶくろ一つ買うのにまる一日を平気でかけるヘンテコな生き物ではなかったか?

 ところが、アイリはそれらのほうしがらない。

「王妃にしてやると言えば、もろ手を挙げて喜ぶものではなかったのか?」

 ──地位を与えると喜ぶのは、女に限った話ではないがな……。

 けんぼうじゅっすううずく宮廷内で利権をうばうキツネどもを相手にしているギルハルトは、腹芸を見抜くのを得手とする。その彼をして、アイリの『いい思い出ができた』という笑顔に裏は感じられなかった。

 すがすがしいほどに、あれは本心だ。

 ──けんされている、というわけでもないだろう。……たぶん。

 まったく、さっぱり、アイリ・ベルンシュタインという女がわからない。

 頭をかかえるギルハルトに対して、サイラスは言った。

「世にはいろんな人間がいますよ、ご存じでしょう?」

「女のことは知らん」

「アイリ嬢からすれば、あなただって相当に変わった男でしょうよ」

 王に『普通』を求める者がどこにいる、と反論しようとしてやはり不毛だとやめた。

「アイリには……心を寄せる男でもいるのだろうか」

 宮廷で弱点など決して見せないよう心がけるギルハルトが、めずらしく弱気を隠せずにいることに、サイラスはおや、とばかりにまゆを持ち上げた。

「婚約のを行うにあたって、事前調査を念入りに行っています。妹君はともかく、アイリ嬢に男の気配は見当たりませんでしたがね」

 いそがしすぎてそれどころではなかったでしょう、とたんたんとして報告する。この近侍から、ベルンシュタイン伯爵家のきゅうじょうについてはおおむねあくしていた。

「グレル侯による、ベルンシュタイン伯への評価はおおむね正しいですよ」

 ベルンシュタイン伯爵家は、先代──アイリの父親がまかってからというもの、あとをいだ弟、つまりアイリの叔父がポンコツなおかげでちょうらくいっをたどっている。

 領主がたいなのをいいことに、領地の管理を任せている管理人は、けっこうな額の土地代をかすめとっているらしい。

「ベルンシュタイン伯は、管理人の背任に気づいてすらいないようです。ろくにちょう簿をつけていないせいでしょうね」

 足元をおろそかにしながら、ベルンシュタイン伯爵夫妻は実の娘を王妃にかつげることにしつしているのだ。それさえかなえば、経済的な問題も解決し、自分たちのめいは回復すると信じきっている。

「妹のクリスティーナは、去年の社交界デビューからこっち、ろうにゃく問わずにさまざまな貴族男性と親交があるようです」

 こんの貴族令嬢は、ていしゅくを重んじるのがいっぱん的であるはずだが。

「陛下、クリスティーナ嬢が社交界デビューをした夜会での謁見すら、覚えておいでじゃないでしょう? 婚約者だというのに、すぐに辞してしまわれて」

 王城で行われる貴族令嬢の社交界デビューでは、王にはいえつするのが通例だ。

 覚えていないギルハルトはけんにしわを寄せる。

 何しろ、勝手に決められた婚約であったし、一年前と言えば、ギルハルトがたいかんしてからもうれつに忙しかった時期である。

「陛下がすげない上に、顔合わせの茶会すら開こうとなさらないものだから、クリスティーナ嬢はしびれを切らせて自分から『王の婚約者でございます』と社交界にっ込んでいたようですね。せっつきと、あてつけの意味もあったのでしょう」

 サイラスは、感心したような口調で続ける。

「なかなかに図太……いえ、失礼。逞しい妹君のようです。クリスティーナ嬢としては、貴族ていの『王妃になる女性とこんにしておけば宮廷にぐんと近づける』という打算を承知していたようですよ。じゅんすいにちやほやされるのが好きなのでしょう」

「……ほう」

「男性からのウケのよさとは反対に、令嬢方からはかなり反感を買っていたようですね。特に、月の聖女が妃に収まるのに反対する貴族の令嬢とは大変険悪だったとか」

 その様子はある意味、社交界の名物だったとのことで。

「そんな周囲の反応はどこ吹く風で王妃になる気満々のようでしたが、どうやら王宮に近い者が最近のあなたの横暴を耳に入れたらしいのです」

 怖じ気づいて身を隠したというわけか。

「いかがです。アイリ嬢のおすすめ通りに、クリスティーナ嬢ともお会いになってみますか? 私の配下が総力をあげれば、すぐにでも見つかるでしょう」

 ギルハルトは、自分の婚姻についての進行を丸投げしていたのをたなげし、皮肉っぽくくちり上げた。

いやがらせで言っているなら、その口をい付けてやるが」

「純粋な親切心です」

 噓をつけ、とギルハルトは鼻を鳴らした。

 そこかしこにみっていひそませているサイラスが、王都や王宮で起こるおおむねのことを把握しているというのはおおげさではない。『総力をあげて』本来の婚約者をさがせば、それこそ明日にでもこの場に連れてくるだろう。

 それをしないのは、つまり、あの身代わり婚約者を気に入っているということだ。

「俺はアイリに好かれたいだけだ」

「好かれるヒントを差し上げたいのはやまやまですがね。アイリ嬢についての報告は、まるで妹のじょのように静かに茶会に付き添う姿がもくげきされていたくらいです」

 サイラスは、妹の情報は好みの茶に至るまで調べれば調べただけわかるけれど、アイリ・ベルンシュタインの個人的な情報はほとんどわからないという。

「あとは、使用人の足りていない実家でていまいや伯爵夫人、そして飼い犬の世話を忙しくしていた、くらいですか。めんどうがいいのでしょう。今のアイリ嬢にとっては、面倒を見る相手が一時的に増えただけ、といったところですね」

 サイラスは意味ありげな視線でギルハルトを見つめる。

「……この俺が、犬や子どもと同列に見られていると言いたいのか」

「ごじょうだんを。彼女はオオカミ耳を見たところで、笑わなかったでしょう」

「……おまえは初めてアレを見たとき、大笑いしやがった」

「さすがに笑うしかありませんよ。仕えるべき主人にふかふかの獣耳が生えていたら」

 アイリはギルハルトのオオカミ耳を見ても、笑わなかった。こそ見せたがべつなども感じさせなかった。さらには、血のたぎりをおさえるのに苦しむギルハルトに対してあいさえ向けてきたのだ。

 少なからず好意を持たれていたからこそ、と判断して何が悪い。というか──。

「俺は……、カンチガイ野郎などではない!」

「はい?」

「アイリの作った菓子はうまかった。あんなに菓子がうまいと感じたのは、初めてだったんだぞ!? 俺の体調をづかい、はいりょして作ったとまで言っていた。菓子にろう回復の効果を持たせようと考えるなど、あまつさえそれを作ってみせる貴族の女など、俺は見たことも聞いたこともない! そもそも気のない男相手に、そんなことするはずが──なんだ、その顔は。信じていないのか」

「いえ……ぷふっ、そういう、ことでは、くっ」

「おい、なんで笑いをこらえてやがるんだっ。おまえにも食わせてやればよかったな。あんなにうまかったということは、アイリがこの俺の舌をよろこばせたくて、特別に愛情をこめて作ったからに違いないんだ!」

「おそれながら、陛下。アイリ嬢は、この後、私や他の者にも菓子を配りたいと」

「は……な、なんだと? アイリの菓子は、俺だけのものではないのかっ!?」

「当たり前でしょう。私どもの集めた情報から考えるに、妹君が貴族同士の茶会に持参していた菓子は、アイリ嬢が作っていたもので間違いなさそうですしね。貴族間では『美味』と評判だったそうで」

 けんもほろろの報告に、ギルハルトはぐぬぬ、と歯ぎしりする。

「ならば、ブラッシングはどうだ!? あれは特別だったはずだ。アイリはな、俺のかみに愛情深く触れたのだ。この髪をかれたとき、気持ちがよくて、俺はゆめごこだったのだぞ! あのぜつみょうな加減は、愛がなければできないはずだ」

「ブラッシングは、飼い犬への日課だったようです」

「日課? ……犬っころが、毎日アレをされていたというのか!?」

「はい。ちなみに、犬種はコーギー。所領の牧場で生まれたばかりの牧羊犬のいぬを弟君が欲しいと泣きわめいて飼うことになったとか。三日できた弟君の代わりに、アイリ嬢が世話を押し付けられたそうです」

 無表情メガネは、いちいちどうでもいい情報とともに冷や水をぶっかけてくる。

「……じゃあ、なんだ? アイリにとって俺は、妹に押し付けられた婚約者で、弟に押し付けられた犬と同等で……アイリにとって、その程度の男だと言いたいのか……?」

「ですから、申し上げていませんよ。なんなんです、今日のあなたは、あなたらしくもなくくつさらけ出しますね。本当は、アイリ嬢から犬扱いされたいんですか?」

 されてもいい、と思ってしまったなんて死んでも明かさない。一生おもしろネタにしておちょくられるのが目に見えている。

 犬はともかくとして、彼女の行いを思い返すほどに実感がりんかくくしていく。

 ──つくづく、みょうな女だ……。

 まず、身代わりとして王宮に上がっておいて、アイリはつまらない噓をつかないのだ。

 そして卑屈なほどにけんそんするも、こちらを感心させるほどの教養をかい見せることがある。知性は、王妃に必要な素養だろう。

 何より、ギルハルトは普通の人間ではない。そんな男の妃になる女に一番求めたいものは、ここぞというときのたんりょくだ。だからこそアイリを気に入っているし、彼女の他に、自分の妃にする女はいないとすら考えている。

 控えめな態度に見えて、その実、アイリのきもわり方はじんじょうではないのだ。

 満月の夜にはくっきょうですらおそれるじゅうせいあらわになる姿を前にして、逃げ出さなかったばかりか、手を差し伸べてくるとは。

 ギルハルトは、今はオオカミ耳の生えていない頭に触れた。

「『かわいい』、なぁ……」

 彼女は、よすぎるほどに面倒見がいいとのことだ。自分が特別扱いされていたわけではないと認めるのは業腹だが、実際にその通りなのだろう。

 アイリがギルハルトから逃げなかったのは、主従の忠義でもなければ、益のためでもなく、や矜持のためでもなかった。その面倒見のよさゆえであれば、あきれたお人よしというべきか、度をえた慈悲の持ち主というべきか。

 ──つまりは俺ではない、別の男に愛をわれればすぐにでもその男の手を取っても不思議はない、ということだろう?

 その光景を想像してみれば、はらわたえくり返るほどに腹立たしい。

 ──俺のためだけに、菓子を作ればいい。

 ──俺のためだけに、あの愛情深い手が触れればいい。

 どくせんよくが胸を支配しそうになるが、愛情を求める相手の心を力でねじせ思い通りにしたがるこうがどれほどのこうであるか、ギルハルトは身をもって知っている。

 だからこそ、別の男にわたしてなるものか、アイリを手離してなるものか、と意気込む反面、いはしたくない、とも強く思う。

『女なんてどれも同じだ』とうそぶいてみせたのは、せんたくなんて与えられていないと思っていたからなのだ。ベルンシュタイン伯爵家にとって、妹のしっそうは予期せぬトラブルだったろうが、ギルハルトにとってはまたとないチャンスのおとずれとなった。

「俺は、生まれて初めて、人生の選択肢を与えられているのだ」

 ところがアイリのほうは、ギルハルトを選択肢にすら入れていない。

「どうにかして、アイリ自身の意志で俺を選ばせたいところだが……さて難問だな」

 これまでギルハルトは自動的に相手から望まれてきたし、欲しいものがあれば手に入った。王権でたいていの物事は、なんとでもできていたのだ。

 ところが、アイリ・ベルンシュタインという女はそれが通用しない相手だと、この数日で理解した。何しろ、『奇妙な女』である。

 めずらしくぐずぐずとおもなやむ主人の姿に呆れたサイラスが進言した。

「陛下。アイリ嬢を知りたければ、回りくどく我々のちょうほうなどあてになさる必要がどこにあります? ご本人が王宮にとどまっておいでなんですから、直接、うかがえばいいでしょう」

 目からうろこが落ちるとはこのことである。なんでそんな簡単な方法に思い至らなかったか? これまで女について特別に知りたいとも、興味がいたこともないからだ。

 それなのに、アイリにはどうあっても好かれたい。ギルハルトに対して何ひとつ求めようとしない、あの女をそばに留める方法は? それが知りたくてたまらない。

 そう考えると居てもたってもいられず、ギルハルトは玉座から立ち上がる。

 サイラスに命じた。

「ただちに次の『儀式』を実行する!」

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