4.身代わりだって言ってるじゃないですか!?

4-1



 身代わりのうそは、あっけなくけんした。

 アイリは身動き一つできない。真っ白になった頭は、何も考えることができず、グレルこうしゃくの朗々とした得意げな口上が、ただ耳に入ってくるばかり。

「私の従者のひとりがうったえておるのです。『社交界で、自分は本物のクリスティーナを何度も見ましたが、アレはちがいます』と。顔立ちは似ていても、ひとみの色が明らかに違うのだと。では、あなた様のこんやくしゃしょうするむすめだれなのか? 下男を使ってはくしゃくを調べさせたところ、この数日、まいの姿がそろって見えないというではありませんか! クリスティーナが今、どこにいるかはわからずじまいでしたが、王宮に留まるむすめの正体は知れましたぞ。あれは〝アイラ・ベルンシュタイン〟といって、ベルンシュタインはくの養女です。おわかりですか、親愛なるへい! あなた様はたばかられているのです。じょくと不敬と、と……なんとおぞましい悪党か! 尊い主君をだますなど、とても許せるものではない!」

 あたかもたい上のセリフであるかのように、身ぶりまでしばめいた侯爵は、さらにベルンシュタイン伯爵の悪いうわさをつらつらと並べ立てた。それらはおおむね事実だったが、今のアイリにとって、そのきょじつはどうでもよかった。

 役目をまっとうできなかった。自分にあたえられた役目はくなった母と父の分、ベルンシュタイン伯爵家にくすこと。できることは、それだけなのに──。

 ──私のせいで、私が、うまくできなかったせいで……!

 ふるえながら、すっかり冷えきった自らの手をにぎりしめる。ひざからくずちそうになるアイリの耳に、かべの向こうから、ぎんろう王の張りのある声が聞こえてきた。

「ときに、グレルこう。余には不可解な点があるのだが」

「はい。なんなりとおたずねください。なんでしたら、うちのじゅうと下男を呼び寄せ、ここで証言させても」

「『アイラ・ベルンシュタイン』とは、何者だ」

「は……それは、ベルンシュタイン姉妹の姉であると申し上げたはずですが」

「クリスティーナの姉は、『アイ』だが?」

 しん、とえっけんの間がせいじゃくに満たされる。

 何を言われたのかわからない、と言いたげなグレル侯爵がおずおずと口を開いた。

「おそれながら……それが、何か?」

「わからんのか。殿でんは、不正確であやふやな情報をあたかも真実だとして、余の婚約者をきゅうだんしたのだ。とうてい、許しがたい」

「……? いえ、ですから、陛下がかんちがいをしておいでだと、申し上げているのです。アイラは陛下の婚約者ではなく、真っ赤なニセモノなのですよ」

 ギルハルトは目に見えてげんな表情になり、玉座のひじ置きを指先でコツコツとたたく。

だと言っているだろう。名すら正確に調べもせずに、余の前に得意げな顔をしてよくもそのようなでまかせを言えたものだな」

「いや、陛下っ、娘の名など二の次でありましょう!? でまかせを言っているのは、ベルンシュタイン伯で、やつは王家のこんいんを侮辱したのです!」

「くだらぬ告げ口をしてきたかと思えば、あまつさえ自分の利を得ようという貴殿のほうがよほど侮辱しているのではあるまいか」

「……っ、ろうなさいますか!? わたくしめは、陛下のためを思ってこうして」

「余のため? みくびられたものだ。このギルハルト・ヴェーアヴォルフを、よくのために動くものと、そうでない者の区別さえつかぬおうあつかいするとは」

「先王よりお仕えしているわたくしをそのようにおっしゃるとは、タダで済むとお思いか!?」

 ふん、とあごを持ち上げたギルハルトは、ごうがんに言い放った。

「クリスティーナ・ベルンシュタインを婚約者にと署名したのは先王だ。余ではない」

 侯爵が悲鳴のようにこうの声を上げる。

「な、なんとっ! 先王陛下の決定を、ないがしろになさいますか!?」

「なるほど。先王に仕えた貴殿は、今まさに玉座につく余を蔑ろにすると申すか」

「…………!」

「さがれ。かいだ」

 王は冷たく言い捨てた。取り付く島もないその態度に、何かを言い返そうとくちびるをわななかせた侯爵は、しかし、いとまを告げるとげるようにその場を辞すのであった。



「レディ、レディ? お気は確かですか」

 真っ青になって放心していたアイリは、サイラスの声かけにハッと我に返った。

 壁の向こうでは、グレル侯爵の去っていくのを見送ったギルハルトがやれやれ、とばかりに玉座のひじかけにほおづえをつく。くうに向かって言った。

「待っていろ、と言ったはずだが」

 視線だけを壁越しにかくに向けてくる。びくっ、と身を震わせるアイリに代わって、サイラスが謁見の間に向かって返した。

「私がレディをごういんにお連れしたのです」

 小さくため息をこぼし、ギルハルトは命じる。

「こっちにこい」

 サイラスにうながされ謁見の間に入ったアイリは、玉座の前で小さくなった。

「……陛下。あの、私、申し訳、ありません」

 頰杖をついた格好のまま、アイリに視線を向ける王は何も答えない。彼は先ほど、どういうわけか伯爵家をかばうようなふるまいを見せた。

 しかし、グレル侯爵の糾弾は正しいのだ。ベルンシュタイン伯爵家は、この若き王をたばかった。王のしんらいを最悪の形で裏切ったのだ。

 アイリは意を決し、首をられるかくで口を開く。

「おそれながら、陛下。私が、妹の身代わりで──クリスティーナの姉であると……ご存じ、だったんですね?」

「いや。たった今知った」

 がたがた震えながらした質問は、あっにとられるほど軽い口調で返された。

 アイリは「へ?」と目を丸くする。

「話に聞いていた『クリスティーナ』とは違うだろうとは、まあ思っていたがな。あまりにグレル侯の物言いに腹が立ったから、適当にハッタリをかましてやったんだ」

「はったり……」

 どちらにしろ、露見は時間の問題であったことに変わりない。

「おまえはアイリ・ベルンシュタインでそうないな」

「は、はい。のっぴきならない事情で妹の都合がつかず、私が代理として──このたびはっ、我がベルンシュタインの不始末から、ごめいわくをおかけしましたことを」

「そんなことはどうでもいい」

 アイリのび口上をすっぱりとさえぎって、ギルハルトは言った。

「もっとこっちへこい、

 とても逆らえるふんではない。命じられるまま近づけば──。

「もっとだ」

 いらったような声に、断頭台に立たされる気分できざはしを上り、玉座のすぐわきまで、えそうになる足をはげまし近づいた。

 手をばせばれられるほどのきょで玉座の銀狼王がねめつけてくる。視線はちょうせん的なするどさをはらんでいた。

 彼は何も言わない。そのまなざしとちんもくがいたたまれなくて、再び疑問を投げかけた。

「あ、の、陛下は、私がニセモノの婚約者だと疑っていらしたのに、どうして問いただすこともなさらず、しきを続行なさっ──きゃあああああっ!?」

 次のしゅんかん、アイリはぎょうてんし、あられもない悲鳴をあげていた。予告なくたくましい王のうでにがっちりとこしつかまえられたのだ。

 そのまま反転させられたかと思うと、あろうことか玉座に座らされる格好になる。王だけが着くことの許された座である。真っ青になりながら下りようともがくアイリだが、背もたれに手をついたギルハルトの両腕はびくともしてくれない。

「は、放してっ、くださ、い」

「放さない」

「こ、ここは、陛下だけに許された座で──」

「ああ、王である俺が許す。何か問題あるか」

 おおありです! と反論したいアイリに、しかし、おおいかぶさるようにギルハルトの膝が座面に乗り上げてきて「ひっ」と息をのんだ。

「なあ、アイリよ。もしも、『おまえはニセモノだな?』と俺が糾弾していれば? おまえはどうしていた? 逃げていただろう、この俺から」

 今まさにギルハルトからのがれようと試みるが、玉座と、彼自身の体がまるでけんろうおりのようにアイリを逃がしてくれない。

「満月の晩の俺から逃げなかった女を、つまらん理由で逃がすつもりはないんだよ」

「つ、つ、つまらない理由、だなんて……!」

「他人から決められたことなぞ、おおむねつまらんことだ。そうは思わんか?」

 王の指がアイリのおとがいに触れて、でるようにそれをそっと持ち上げる。

「しかし、おまえをきさきにするのは、つまらなくはない。そう思ったから、俺は、俺の妃をおまえにすると決めた。アイリは、俺が選び、俺の望んだ、俺の妃というわけだ」

 ギルハルトは、なぜだか得意げな調子で言っているが。

「???????」

 アイリは、異世界の言葉で語りかけられているここだった。

 からは常々、『なんとも地味でえのしない娘だ』と言われてきた。

 妹のいとして、貴族の社交界の様子を外側から見てきたけど、笑いさざめく彼らははなばなしく、彼らから見ても、自分ほど地味でつまらない存在はないだろう。

 ところが、ギルハルトは『つまらなくはない』と言っている。物心ついてからというもの、そんなことをアイリに対して言った者は、ただのひとりとしていなかった。

 ──どういうこと? 陛下は、何か勘違いをなさっているのかしら……?

 アイリの顎に触れていたギルハルトの指はやがてほおに触れ、すずやかなはずの彼のまなざしは熱っぽく、何もかもがアイリを混乱させる材料となっている今、ベルンシュタイン伯爵家がピンチにおちいっていることには変わりがない。

 この苦境をだっするすべは、アイリ当人が考える他ないのは動かしようのない事実だ。必死に頭を働かせる。混乱している場合ではない。

 ──ここは一度冷静になって、陛下の立場になって考えてみよう。

 こんなにもきょうこうに『身代わりアイリを妃にする』と言い張るのは、まさか──。

 ──当てこすりってこと……!?

 おうこう貴族というものは、すべからく体面を重んじるものだ。

 つうの貴族男性であれば、十年も前から決まっていた婚約者に逃げられたとなれば、大変にきょうを傷つけられたはずだ。真理に至ったアイリは──実際には真理などではなく、そう思い込んでいるだけなのだが──頭をガツンとなぐられるようなしょうげきを受けていた。

 これまで、伯爵家の存続にばかり意識を向けていた。なんということだろう! ベルンシュタインは、この若く美しい国王陛下におおはじをかかせてしまったのだ!

 となれば、しゅがえしのひとつもしたくなるのは当然で。

「陛下……」

「ん?」

 腕の中にとらえた身代わり婚約者に対し、甘い声で応じたギルハルトは、次の瞬間ぎょっとする。うつむいていた顔をこちらに向けたアイリが、あいいろの瞳からぼろりとおおつぶなみだをこぼしていたからだ。

「どうした、どうして泣くのだ!?」

「大きなお気持ちで、グレル侯の糾弾から伯爵家をかばってくださったこと、深く感謝いたします。その広いお心で、どうか、どうか、クリスティーナをお許しください」

「は……?」

「妹は確かに、少しばかりほんぽうなところがあります。今はまだ幼く、向こう見ずなふるまいもあるでしょう。ですが、裏を返せば、あの子には行動力があるということです」

 目を点にするギルハルトは口をはさもうとするが、アイリは彼の手を取ってたたみかけるようにこんがんする。

おうとしての自覚を持てば、きっと落ち着くでしょう。どうか、ごを!」

「……おい」

「クリスティーナには、私からもよくよく言って聞かせます。ですから」

「おい、と言っているんだ」

「妹を見捨てないでやってください」

「アイリ!」

 大声で自分の名を呼ばれた彼女は、ようやく我に返った。

「なあ、アイリ。おまえ、グレル侯と俺のやりとりを聞いていたんだよな? 俺はおまえを妃にすると言ったはずだが」

 かくにんを取られ、もちろんです、とうなずいた。

「陛下はご慈悲で、私をかばってくださったんですよね」

 そして、真の婚約者クリスティーナに逃げられたことはおもしろくない。

 ──ええ、わかります。わかりますとも……!

 瞳に涙をめたまま、アイリはうんうん、とうなずいてみせた。

「クリスティーナは、陛下を誤解しているのです。あなた様の慈悲深さとすばらしさを知ったら、必ず気持ちが変わります」

 力説するも、ギルハルトの表情はどんどん不機嫌になるばかりだった。

「要するに……、この俺が気に入らん、ということなのか」

「きにいらん?」

 遠い異国の言葉でも聞いたように、オウム返しすれば、ギルハルトはため息をついて言いえる。

「俺が、おまえの夫に足る男ではないと、そう考えているのか? といているんだ」

「ま、まさか! 恐れ多いことです。私、そういうことを申し上げてるのではなくて」

 アイリはぽっと頰をしゅに染めながらも、正直に言った。

「陛下と過ごす時間は、楽しかったです。毎日、お会いできるだけでも夢のようなのに、あんなにも親切にしてくださって」

 身代わりだとバレた今、もう自分は家に帰されるだけだとわかっているからこそ口に出せる本心だった。

「たとえたわむれであっても『選んだ』と言っていただけてうれしかったです。一生の、いい思い出ができました!」

 晴れやかながおで言われたギルハルトは、ぴしりと頰を引きつらせた。

「思い出、だと……?」

 ショックのあまり腰がくだけ、玉座に乗り上げていた自分の膝がずり落ちるのに気づかない王に対して、アイリはなんのふくみもなければくもりもなくうなずいてみせる。

「はい! ごいっしょできて、とっても楽しかったです!」

 すでに過去の出来事にされてしまったギルハルトは、両腕の間に捕えていたアイリに逃げられたことに気づかないほど放心している。

 そばひかえていたサイラスがえきれない、とばかりに、ぶふっとせいだいき出した。

 その笑い声に、ようやく我に返ったギルハルトははくじょうなメガネをのろい殺しそうな勢いでにらみつけてから、きょうあくみを口元にかべる。

「ふん? そんなふうにかたくなに逃げまわられると、追い回してみついてやりたくなるではないか……なんなら、今ここでおまえののどにかじりついてやろうか」

 まるできょうだいおうのようにおどろおどろしくすごめば、アイリは震えあがりながらもしゅくじょとしての礼をとると、「おの片づけをしてまいりますっ」と逃げるように謁見の間から退散するのだった。


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