淡いカタチ

プリンさん

淡いカタチ

 後悔しない選択肢は選べたのだろうか、

そもそも存在していたのか、それすらも到底わからない。


私には厳格な祖父がいた。

 十五歳の時に父母を交通事故で亡くした私には唯一の肉親となる人だ。

父母はあまり親せきと親しくなかった。私も一度もあったことがない。

後から知ったことだが、父は財閥の跡取りだったらしい。

お見合いを強いられたそうだが、母と運命的な恋に落ちてしまい駆け落ちしたらしい。

「運命的な恋」、「駆け落ち」という二つの言葉で表すことがはばかられるほどの大恋愛だったらしい。

二人とも一目ぼれしたらしい。

一目ぼれで結婚して長続きすることは子供のころは特になにも思っていなかったけど、大人になった今思うと、絵本的夢物語だと思った。

言い争ってもすぐにどちらか折れて解決してしまう、すぐにのろけて、めんどくさがりながらも相槌をうちながら聞いていた。

優しい父母との毎日は笑顔があふれていて楽しかった。

父は母との結婚以外考えられずお見合いを蹴って以降、家から見放されてしまったらしい。

父は必死に働いて裕福とはいえないが幸せな生活だった。

優しく仲の良い父母の姿を見ると、どんなにつらいことがあっても笑顔になれた。

その件があってか、親せきからは邪魔者扱いされてしまい誰もひきとってはくれなかった。

このまま保険所送りにはできない手前、親せきの家を転々としていくことになりそうだ。

私はまだ何も信じられなくてただただぼっーと眺めるしかなかった。

しかし、私をひき取ってくれたのは父を見放した祖父だった。

一番血のつながりが濃いが、一番ありえない選択肢だった。祖父は財閥を引き継がせ、もうほとんど関係を断っているそうだ。老後の自由な時間を私は奪ってしまうかもしれない。

この時の私は祖父に対して、一番血のつながりが濃いことから淡い期待をもっていた。 優しく愛情のある人物像を勝手に描いていた。

 そんな祖父が、私を引き取ったのは不思議でしかなかった。


 今思えば父母が亡くなったことが自分の心に大きな壁を作ってしまった原因。

さらにあったこともない祖父に引き取られて分厚い仮面をつけるようになってしまったのだと思う。しかし、結局は自分で壁も壊せず、仮面も外せずにいる私が一番の原因。わかっているけど何もできない弱い私。

辛くて悲しくて自分も一緒に死にたかった。

周りの子たちは授業参観にも父母が来ているけれど、私にはそんな経験はしたくてもできなかった。

父母が恋しくて、家では祖父と話す機会もなくて自分の感情を吐き出す機会もなかった。自分の存在が少しずつ空気に溶け込んでいっているような気がした。

 二三歳になるまで私と祖父は二人の生活は続いた。

 二三歳まで祖父との生活が続いたからと言って仲良くなれることは全くの別問題。

 祖父は私にあまり干渉することがなかった。会話も事務的なもので必要最低限という感じだった。

祖父は基本的に「はい」か「いいえ」しかいわない。

家事は祖父が基本的にしてくれていた。

料理もおいしかったし学校のある日は弁当も作ってくれた。きっとざらにいる主婦よりもよっぽど料理のうでがいいはず。

私は申し訳ないと思って、一方的にすべてやり始めた。

最初のころは母と一緒にやっていた家事だけしかできなかったけどすこしずつできるようになった。

財閥のトップで大きな屋敷に住んでいると思っていたが全くそんなことがなく、普通の平屋の一軒家だった。

家具も普通の家にありそうなものばかりで絵画なんてものもない。

家事もお手伝いさんがいてもおかしくないのにすべて自分でこなせていた。

下手な主婦よりもよっぽど料理もうまかった。 


生活していく中で話すことは、ほとんどなかったが同じ屋根の下で暮らしていたならば、いやでも相手のことは知ることになる。

 

祖父は年齢不詳で、仏頂面で顔はたるんでいることもなく俗にいうイケオジであった。

体を動かすことが好きなようで朝食の前に走りにいく。

奥さんを若い時に、病気で亡くしたらしくそれから再婚することもなくずっと一人でこの家に住んでいるらしい。

奥さんだと思われる人が、笑顔でレンズをみている写真が飾られている。写真立てにほこりが一切かぶっていないことから頻繁に掃除しては眺めているようだった。

 毎朝必ず仏壇の前で手をあわせていて、風邪をひいたときも関係なく手を合わせえていた。

一途なところは私の父に似ているようだった。

話し方、性格は全くと言っていいほど父に似ておらず祖母に似ているようだった。

外食もせず私が作ったご飯を黙々とたべていた。私が何か話しかけても興味もないようで無表情で相槌をうたれて終了するため、私も途中で諦めて話しかけることをやめた。


 私は祖父に毎年誕生日プレゼントを渡している。

 初めての祖父への誕生日プレゼントはたしか…。

 なんでも持っていそうな祖父に何を渡していいのかわからなかった。

 別段、趣味もない祖父に下手なものは渡せない。

 もらってうれしいものをあげたい気持ちが強すぎて全く決まらなかった。二週間前から考え始めたのに気づけばあと三日。

 諦めて当たり障りないものみしようと決めた私はせめて出来が悪くても気持ちのこもったものをあげたいから押し花でしおりを作った。読書をしている祖父を見かけたことがあるから、もしかしたら使ってもらえるかもしれない。

 押し花に使う花はカスミソウにした。花言葉は『感謝』『幸福』。

 きれいな押し花を作るために様々なことをしていると完成したのは祖父の誕生日当日だった。直接渡すのは恥ずかしくて学校に早くいかなければいけないということで早めにご飯を食べて祖父に会う前に祖父の机に置いておいた。

 メッセージカードをそえておいた。学校に早くいくことも心配なんてしないと思うが念のため書いておいた。

もし私が帰ってきたときにそのまま放置されていたら、悲しいな。

少しドキドキしながら一日を過ごして家に帰宅して、さりげなく祖父の机を見ると私のあげた誕生日プレゼントはなくなっていた。

心の底から安堵して夕食の準備を始めた。夕食を祖父と食べているときに何か言われるかと思ったが何もなかった。そのままなにもないまま一日が終わった。

正直なところ受け取ってくれただけでもうれしいが欲を言うと『ありがとう。』と一言だけでも欲しかった。

しかし、これでよかったのかもしれない。祖父に面と向かって話しかけられたことは一度もないので私が目を背けてより気まずい感じになってしまっても困る。


それからも毎年祖父に誕生日プレゼントを渡した。既製品のブックカバーや革の小物や万年筆など。毎年のように何を渡すのか迷ってしまう。しかし結局、なにを渡しても受けとってくれるまではいいが祖父に何か言われることはなかった。


私は高校生の時、一度だけ祖父に怒られたことがある。

私がバイトを始めた時だ。

いつまでも祖父にお世話になり続けるわけにはいかないと思って始めたバイトで祖父に怒られることになってしまった。

高校生活と家事とバイトとなると両立することが難しく学校で倒れてしまった。病院で点滴を打つことになった。

学校から連絡があって迎えに来た祖父の着物はいつもと違い着崩れていた。

祖父は病室で休んでいた私にただ一言だけ言った。

「バイトはやめなさい」と。

 

祖父は昼間、小さな庭を手入れすることが多く、冬場は本ばかり読んでいた。

ある冬の日、祖父が風邪をひいた。

朝食を食べているときに食事を残していた。いつもは何も残さずに食べてくれる祖父だから不思議に思った。

お茶を飲んでいる祖父を、皿洗いをしながら横目で見ると顔が赤くつらそうだった。

心配になって「熱はありますか。」と突然聞いた。

私は自分でも突然こんな風にきくことはおかしいとは思うがいつもとは違う祖父が心配で慌てていた。

祖父は「いわれてみれば朝から体調が悪いな。」といった。

私は祖父が今まで気づいていなかったことに驚いてすぐに部屋で寝ているように促した。 枕や薬や体調が悪くても食べられるようなものを準備した。

祖父は、私が言った通り部屋でゆっくりしていた。私が祖父の部屋まで食事を運んでいると「気にしなくていい。」といった。

祖父は気を使っているようだったが気にしなくていいというとマスクをつけ始めた。

祖父は私に風邪をうつすことを心配していたらしい。

祖父は体調が落ち着くと食事をする私の席に「ありがとう」と書かれた小さなメモ用紙とおいしそうなプリンが置いてあった。

私は祖父が私の好物であるプリンを知っていたことに驚いた。

冷蔵庫にも食べたことがないおいしそうなプリンがいくつもあって思わず笑ってしまった。洋菓子をあまり食べない祖父が悩みに悩んでいろいろ買ってきてくれたのだろう。祖父が一人でプリンを買い巡っているのを想像してしまった。

 庭の手入れをしている祖父に心の中で「どういたしまして。」といった。


 

そんな祖父との生活も八年で終わりを迎えた。この八年は濃密だった。


 私は社会人になって事務員をしていた。

結婚もしていなかったためこの家から通っていて学生の頃と変わらない生活を送っていた。

 ある朝、朝食を作り終わって毎日決まった時間に現れて一緒に朝食を食べる祖父は、私が朝食を食べ終わっても来なかった。

 何かいやな予感がして祖父の部屋にノックをした。

何度ノックをしても声をかけても返事がない。祖父に限って寝坊したり昼まで寝たりということは想像できない。

 仕方ないと思って扉を開けると祖父は穏やかに眠っていた。


 静かに眠っているかのように息を引き取っていた。


 

それからいろいろなゴタゴタがあって。

夢の中にいるみたいにふわふわと地に足がつかないままあっという間に一か月たっていた。祖父の死を自分が受け入れて落ち着く暇がなかった。

一人で祖父のいない家で食事をしたり、掃除をしたり、家事をするだけでも祖父を思い出す。

私はいま祖父の部屋で片付けをしていた。会話も思い出も少なかったけれど、あたりまえだった静かな二人の生活が恋しかった。いつまでも自分の中におさまっていかない悲しみだどうしたらいいかわからなかった。

会話がなくても、一緒にご飯を食べたり、情緒不安定になっていた私をずっと見守ってくれたりしていた。

 泣く暇がなかったこともあって思い出しただけで涙が頬をつたった。

 ポロポロと際限なく落ちてきて自分でも止めることができなかった。

 いつの間にか祖父のことがとても大切な唯一の家族になっていた。不愛想で無口だけど大好きだった。

 

 読書が趣味だった祖父の部屋には数えきれないくらいの本があった。

祖父の書き物机に一冊の辞書のような本としおりがあった。

 その本は表紙が特になくほかの本と違いほこりもかぶっていなかった。

 開いてみるのがしのびなかったが開くとそれは、


 一冊の日記だった。


 とても分厚い日記。

 表紙が色あせて日焼けした日記。

 一ページ一ページきれいな字で書かれていてその本には私を引き取ってからの毎日が一日も欠かすことなく記されていた。最初は鉛筆で書かれていたがある時から万年筆が使われていた。きっと私がプレゼントした万年筆を使ってくれたのだろう。

八年間何枚も何枚も紙を足した跡があった。

 風邪の日にも書いていたのか何日か字が乱れているところがあった。


 『私があの子を引き取ったのはあの子にとって正解だったのだろうか』


『あの子はお前に似ているよ。仕草だったり、たまに話せたときの言葉遣いの丁寧な感じだったり、お前がなくなってからずっと孤独だったから毎日が楽しいよ。でもな…』


 『不愛想な私はやっぱり嫌われているのだろうか。どうやって話しかけたらいいか分からない。』

 

 『家事をやるようになったが自分を追い詰めることになっていないだろうか』


 『あの子の誕生日プレゼントを買ってやりたいが何を買ってやればいいのか。自分ばかり毎年もらって、特に好みについて話したこともないのに私の好みのものをくれる。『ありがとう』の一言も言えない私は不器用だといっても駄目だな。こんな時にお前がいてくれたらすぐにわかっていてくれたのだろうな。』


 『風邪をひいた私に寝る間も惜しんで看病してくれた。「ありがとう」の一言も切り出せない不甲斐ない私の隣にお前がいてほしいと何回も思ったことか。』

  

 『看病のお礼にプリンをたくさん買った。彼女がよくおやつにプリンを食べているのを見たことがあったから何がおいしいかわからないからたくさんの店に行ってプリンを一つずつ買った。すこし恥ずかしかった。買いすぎて冷蔵庫がプリンばかりになってしまった。いつの間にかなくなっていて安心した。』


 『あの子はもう社会人になった。もう5年もたったのか。会社が忙しい時も朝食を作って、帰ってきてからも家事をして体を悪くしないだろうか。』


 『あの子と仲良く話したいと思っているけれど、どうやって話しかければいいのかわからない。』


 その日あったことが鮮明に記されていた。時々思い悩んでいるときに、亡くなってしまった奥さんにたよっているような日が何度もあった。

 祖父は私と話したくなかったわけではなかったのか。

 私が祖父に初めて誕生日プレゼントにあげたしおりもボロボロになっていて、ずっとつかっていてくれていたのだろう。私が押し花にカスミソウは本に挟まれてつっくた時よりも薄く淡い色になっていた。

ただ、いきなり初対面の孫が現れて、話しかけにくかったり、戸惑ったり、悩んだり、祖父なりにわたしと関わろうとしてくれていたのだ。

私が

「祖父と普通の家族のようになってみたい」とありえないような夢物語は現実になりかけていたのだ。

 ただ、二人とも歩み寄ることができなかっただけ。二人とも不器用だっただけだった。

 引き取ってもらったときから諦めずに話しかけにいっていたならば、祖父の拙い顔の動きを追っていたらもっと仲良く過ごせたのかな。

 そんなことを今さら思っても過去は変えられないことくらいもうわかっているはずなのに…

二人とも不器用なせいで距離が縮まらなかった。もっと仲よく過ごしておけばよかった。

 「時間ってこんなに冷たかったかな。」

泣き笑いでつぶやいていた。


 片づけをほったらかしにして日記の文字を一字一字読んでいたらいつの間にか陽が上ってきていた。

 また泣いて、ずっと泣いて目を泣き腫らして、自責の念にさいなまれてつぶれそうになった。

文字を追いかける度に祖父との思い出を追いかけているようでうれしかった。

読む度に残りのページが薄くなって時間をかけて読んでしまう。

一文字ずつ脳に焼き付けるようにゆっくりと読みふけった。

 

 読み終えると負の感情は消化されないけれど整頓されて、二人の無色だと思っていた毎日が、本当はうっすらと淡い色で彩られていたことが分かった。祖父と私の不器用な日々は淡くて、日常の小さな思い出がカスミソウのように集まってできていた。


 手の力が抜けると裏表紙のポケットから1枚の便せんが落ちてきた。

 その便せんには震えた文字で


 『ありがとう』


たった五文字つづられていた。




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淡いカタチ プリンさん @nutszero

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