Ep:04 夏川 陽とは誰か

物心ついた時から、

俺は嘘をつくのが下手だった。



覚えているのは幼稚園で、友達のおもちゃをうっかり壊してしまった時のこと。触っているうちにパーツが取れてバラバラになってしまった。頭が真っ白になった俺はそれを慌てて隠してしまったんだ。


その子は「ハルが触ってた、ハルが壊したんだ」と先生に泣きついた。怒られるのが怖くて「俺じゃない」と言いかけたものの、出るわ出るわのボロを出し、結局嘘をついたことで余計に怒られてしまった。友達から向けられた怒りに満ちたあの目を、俺はいまだに忘れられないでいる。



嘘がつけなくなったのはそれからだ。



怒られるのが嫌なのは当たり前、でも人をあざむいたり騙したりするのはもっと嫌いだ。



母さんは俺が小さい頃に死んでしまった。「ママはいつ帰ってくるの?」と幼稚で残酷な質問を繰り返す俺に、父さんはきちんと向き合いながらも、いつも優しい嘘をついてくれていたんだ。


もっと俺が賢くて、ちゃんと理解出来てたなら、父さんにあんな寂しい顔をさせずに済んだのかもしれないと、未だにそんなことを思ってしまう。だから、嘘をつくのも嘘をつかれるのも俺は苦手。




父さんは写真が得意だった。週末にはカメラを持って出かけ、色々な写真を撮ってくる。それは誰かがピースでこっちを向いて意図的に笑っているような、写真「らしい」写真じゃない。


シャッターを切るその一瞬。


父さんの独特の間によって切り取られた被写体は、わざとらしくなくそこに存在する。空を映した瞳の色も、何も考えていないような表情も、手持ち無沙汰な指先も、切り取ったその一瞬が大切に残される。



俺も撮りたいとねだったけど、お前みたいなおっちょこちょいな子供が触るには危ないといって触らせてもらえなかった。そのかわり、これまで撮った写真をいつでも見せてくれた。


俺は工作が好きだったから、その写真をもとに父さんがファインダー越しに見ている世界を画用紙に描き、立体物にしてみるようになった。



この世界は本当に存在するんだ。加工なんてされていない、普通にあるはずの景色。もしかしたら見落としてしまっている身近な景色。そうだとしたら勿体ないな。



「練習用に使いなさい。型落ちだから期待はするなよ。いつか自分のお金で大切なカメラを選んで買いなさい」


父さんはそう言って、高校生になった俺にカメラをひとつ譲ってくれた。父さんの思い出がたっぷり詰め込まれたカメラは、思っていたよりずっと重くて、思っていたよりずっと手に馴染んだ。



父さんの技術には遠く及ばずとも、写真はたくさん撮るようにした。それを絵にするところまで含めて俺の趣味だ。


高校では美術部、大学では映像研に入った。シャッターを押して切り取る一瞬は大切だけど、それを追い続けたらどんな景色になるだろうと映像分野に興味が湧いたから。


この映像研は活発で、最新の技術を使って舞台作品に投影するための映像を作っていた。他にもいくつかのグループに別れてミュージックビデオやプロモーションビデオの上映イベントが活発に行われている。




俺が初めて演技をしたのはその時だ。



人手の足りない映像研では、撮り手と演者を分担していた。もっぱら新入りは撮られる側に回る。俺は台本通りに従って画角におさまり、指定された動きをしたはずだったのだけど…カット、カット!と先輩が声を荒げ、俺に詰め寄ってきた。


夏川なつかわァ!お前、ちゃんとれよ」


台本通りにやってます、とそんな反論も届かぬうちに先輩が台本を手のひらでバシバシ叩きながら言う。


「なんだその大根演技、いくらなんでも感情乗ってなさすぎだろ。俺の演出なんかどうでもいいって言いたいのか?」

「違いま…」

「だったらもっと本気でやれよ!このシーンの意味わかってんのか?台本読んだんだろ?最愛の人を目の前で亡くした日の帰り道だ、わかってんだろ?ヘラヘラしやがって。景色見て歩く余裕があるわけないだろうが」



「そんなこと言われたってわかんないですよ。俺、そんな経験ないんです」



そう答えたら、また怒られた。



「なんだその言い訳!じゃあお前は、経験ないからって役フる気かよ、戦場の兵士も、医者も弁護士も漁師も、全部やったことねえ、知らねえって言ってフるのかよ!わかんねえなら想像しろよ、そういうもんだろうが」



周りが先輩をなだめすかしている間、俺は頭の中でただただ考えをめぐらせていた。じゃあ想像してわかった気になるのが正解なのか?先輩だって戦場の景色も知らないくせに、人間の腹の中なんて知らないくせに、海の広さを見たことも無いくせに、知ってるふりでやり過ごして、それで良いのか?それが本当に良いことなのか?



俺、わかんないよ。



だって先輩。今、悲しくないんでしょ?誰も失ってないんでしょ?だったらその悲しそうな顔はどっから出てきてるんだ?「悲しい」のデータベースから引き出してきたままで、まるで役者の気持ちとリンクしてないじゃないか。


もちろん一方で、演技とはそういうもんだってことくらいはわかってる。でもレンズは正直だ。そのファインダー越しに被写体を見つめるまっすぐな眼をどうしても感じてしまうから、俺はカメラの前で嘘がつけないんだ。


その日の撮影が終わってから、俺はなんとなく腑に落ちないものを感じながら先輩に謝りにいった。先輩は渋々といった様子で「次は頑張れよ」と返してくれた。




その日の夜、このままでは映像制作の世界ではやっていけないかもしれないと自分の気持ちを父さんに打ち明けた。そうだなあ、とゆっくり噛み締めるような顔でしばらく宙をみていた父さんが、ふと笑った。



「演技は確かに大切だ。ハルは正直者だから、意図的に創られてると思うと途端に苦手意識が働くんだろうな」



そう言いながら書斎からアルバムを取り出してきて、その中から1枚の写真を指で示した。昔大好きだったヒーロー「テントーマン」のポーズを、満面の笑みで決める俺が写っている。


「これはなんだと思う?」

「え、俺でしょ?」

「そう、でもこの時、お前は誰だった?」

「……テントーマン」

「そのとおり。この写真はテントーマンがこっちを向いてくれたから撮ったんだ」

「だけどこれは俺だよ」

「そう、お前だ。それは変わらない。でもこの写真のお前は嘘をついてテントーマンのフリをしていたわけじゃない。テントーマンになってた。そうだろ?」

「…うん」


「確かに演技ってのは難しいよな。嘘と紙一重、いやほとんど同じと言っても過言じゃない。だけどその嘘を割り切って楽しむことが出来たなら、そしてそれを演じて、うつして、残しておけたなら大切な作品になる」


「嘘ついて楽しむの?」


「嘘というより、役という何かを着て別の人になるような感じだ。学校に演技を学んでいる人がいるだろう?今度聞いてみるといい。なんにせよ…父さんはこの日、随分小さくてかっこいいテントーマンを見かけたんだ。これは記念の1枚だよ」


父さんの言うことはなんだか少しだけのらりくらりとしているように思う。だけどその言葉は思ったよりすんなりと自分の中に入ってきた。




翌日、少し気まずい思いで映像研に向かうと、先輩から新しい台本を渡された。



「これはお前用の当て書きだ。脚本担当に頼んで設定を少し変更してある。やれるかどうかわからんが自分の立場で考えて、演じてみろよ。今日は撮影はとめない。テイクも重ねたっていい。お前の好きなように一回やってみろ」



その日の撮影の長いことったらなかった。だけどその日の撮影ほど楽しいこともなかった。自分を偽るということをとても狭く、そして悪として捉えすぎていたことに気付いた。


演技がうまかったかどうかはわからない。でもセリフをなぞるたびに自分の中に何かが降りてくるような感覚、いや、もしくは自分が役にどっぷりと沈んでいくような感覚があった。自分の中のどこかにあった喪失感、悲しみ、記憶の底にいる母さんの影を見ていた。



誰かと俺が重なっていく。

これは遠い世界の俺自身だ。



その作品の出来は映像コンクールでそれなりの評価を得られた。きっと脚本担当の先輩が凄かった。当て書きの才能があったんだ。俺を見極めて、別の世界の俺を書いてくれたんだろう。



学年が上がって自分がカメラを持てる側になると、この問題が思ったよりも大きいということに気がついた。自分が撮りたいものと自分が演じられるものと他者に演じて欲しいものの大きな解離がある。


演出側の立場になり、後輩に「自分らしくいてほしい、そのままの君を撮らせて欲しい」と何度伝えても、ファインダー越しに観る役者はどうしても自分の撮りたいものにならない。


そうじゃない、そんなわざとらしくなくていい。当たり前の瞬間の君をこの映像に納めたいのに。上手く言語化できない自分と、ありのままでいてくれない後輩に少し腹を立てながらも撮影は進んでいってしまった。



活動のメインである舞台投影の段階に入ると、ますます演者との気持ちのすり合わせが大変になった。どうしたってぶつかり合う。


俺の撮った映像と本当に心から共鳴するような演技をみせてくれる役者がなかなかいない。そんなにリテイク出すなら指導しろと言われて、演じてみせたのに「そんなものは演技じゃない」と役者に鼻で笑われてしまった。



俺は演技ができない。



分からないことを分かっているように振る舞うことに反射的な嫌悪感をおぼえてしまうことが原因だ。だけど、役に沈むあの感覚をもう一度味わえたなら…どこまでも深く、深く他者にる、あの感覚を味わえたら。




俺が俺らしく観たい世界を表現して生きるためには俺が「撮って、演じる作品」が必要なんだ。どちらかだけじゃ、足りないんだ。



この世のどこにもないのなら、わかってもらえるまで話しあわなきゃいけない。どうせ嘘がつけないのなら自分らしさを捨てずに武器にしよう。俺が観たものを大切に、俺の演技を引き出してくれる人を探して、それに相応しい表現ができるような本物の作品を創ってやろう。



誰に理解されなくてもいい。



俺が俺らしくあるために

その日から「舞台美術 夏川 陽なつかわ はる」と

そう名乗ることに決めたんだ。

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