Ep:03 成瀬 海里とは誰か

物心ついた時から、

僕が観ていた世界は特別だった。



僕の両親は観劇が趣味で、週末は決まって観劇に出かけていた。地方の小さな劇団から、高校演劇の大会、トップレベルの国際ミュージカルまでなんでも観に行くタイプだった。帰ってきた2人がいつも生き生きとしているのが子供心にも何だか嬉しくて。その正体が気になって、連れていってくれとねだったっけ。



初めての観劇は5歳のとき。



内容を理解するにはまだおさな過ぎたけど、あの日観たミュージカルの景色は圧倒的で、舞台という存在が自分にとって言い表せないほど特別なものになった瞬間だった。



何度見返しても色褪せない物語

毎回違う魅力で表現する役者

煌びやかで一糸いっしのほころびもない衣装

それを着て軽やかに踊るダンサーたち

荘厳そうごんに客席へ響き渡るアンサンブルの歌声

大きく、それでいてスムーズに

どんどん転回されていく舞台装置

あらゆる角度から物語を引き立てる照明



全てが完璧に美しい世界だった。




「大きくなったら役者になる」


そんな単直な夢を抱いたのは自然な流れだった。そして僕の言葉を両親は受け止め、叶えられるように背中を押してくれた。夢を見ることを笑ったりしなかった。


2人とも昔は舞台役者だったということを、その時はじめて教えられた。演劇という世界の厳しさと、その夢がどれだけ途方もないことなのかを充分に理解している2人が、それでも挑戦させてくれたことだ。


身をもって世界を知り、身をもって考えること。そして同時に「失敗と挫折を味わうこと」から子供を安易に遠ざけようとしない厳しさがあった。きらびやかなオモテ側だけではないということをきちんと理解できるように。



とはいえ、普通の子供にとって

ミュージカルの間口まぐちは狭い。



映像演技なら子役という入り口があるけれど、これが舞台となると難しい。保護者との連携ができて、かつ子供に教育を施し、保護管理できる団体は限られる。子供側も自立していなければ舞台自体が崩壊しかねないから年齢制限もあった。


大手の劇団なら子供を採用する育成支援もあったけれど、勉強や生活を成り立たせたうえでレッスンを受けるためには、親以上に学校側の協力も必要だ。


「舞台のために教育をおろそかにするなんて」と殆どの先生が言うだろう。



そして、両親と交わした約束があった。

「夢を追うなら責任を持ちなさい」

子供の僕にはそこまでの覚悟も力もなかった。



だから、中学卒業まではひたすら学校生活に集中した。きちんと勉強もしたし子供でも取り組みやすいダンススクールに通って表現と柔軟性を身につけた。


ときどき、子供も参加できるような地方劇団の公演に参加した。基本的にはセリフは与えられず、決まった流れにそって舞台を賑やかすだけの存在だ。それでも舞台にたつという高揚感は何にも代え難い、大切な思い出だ。



ただ、こんなことを思ってしまった。


「これじゃ光が足りない」



小さな劇団が使える劇場ハコは構造も形も様々にあるけれど、照明器具の種類は限られている。もちろん基礎はあるからどうとでも演出はできる。


ただ、問題はそれができる技術者がいるかどうかだ。追加のゼラフィルムやミラーを選ぶならそれなりに費用はいる。そして、そういうモノに時間と技術者を工面するよりも、舞台を長時間借りて練習することの方が重要であれば、当然、単純なサスペンションと地明じあかりだけに収束していく。



それはとても合理的であり、

同時にとても寂しいことだ。



いつか観たあの世界は、客席から見てもわかるほどに様々な色で輝いていた。規模の大きさは違えど、あの色鮮やかな光を僕の手で再現できたら…演者としてモノにできたら…そう考えただけで鳥肌が立つほどワクワクする。




中学卒業後は、近くの公立高校に入学した。

お金も時間も余裕を持つには最善のこと。


演劇部に入ることだけはずっと心に決めていた。最も手近で、最も努力できて、最も学べる方法は、自分から世界に飛び込むこと以外にはない。


僕は役者と照明技術を兼ねることにした。




高校演劇の世界は、

いわゆる劇場ハコとは全く違う。



高校生にとっては体育館の中にある地続きの空間。客席があるのは限られた時だけで、部活中はバスケやバレーなどの掛け声や、ボールが弾む音が響き渡る。夕方はまだ外も明るく、遮光カーテンを閉めるためには学校側の許可もいるから本番前以外に真っ暗な場所にするのも難しい。



でも舞台を独り占めする瞬間は最高なんだ。



ある日、大会前のとおしを終えた帰り道で、俺は舞台袖ぶたいそでに台本を忘れたことを思い出して取りに戻ったことがあった。空が暮れたあとの誰もいない体育館。いつもはやんちゃをしない僕だけど、このときばかりは少し自分勝手になりたくなった。



ローとアッパーから後幕を照らすホリゾントライトの配分をいじる。僕のお気に入りは上から白を基調に淡い色、下は青が強めのグラデーションを作ること。まるで海の中を舞っているような感覚に浸れる色だ。


空のように移り行く様も演出に合わせて自分で考えられる。


ただし舞台袖の照明台は、とてもアナログな機材。手元が狂ってほんの少し目盛がずれるだけで色の再現ができなくなるほど儚い技術だ。


もっといい機材なら決まった数値をパソコンで入力して管理できるのかもしれない。だけどこういう舞台にあるものは、いつだってこの手で覚えて創り上げるしかない。だからこそ僕はこの技術にのめり込んでしまったんだろう。



自分が創りあげた、深海のような景色で満ちた舞台の上で、お気に入りのミュージカルの音源をスマホから流し、それに合わせて身体を自由に動かした。声を張らなくても歌声がどこまでも通るような感覚がした。体育館シューズのきゅきゅっときしむようにこすれる音がリズミカルに響いて心地良い。


流石にコロガシやスポットライトまで出すわけにはいかず、地明かりしか使えなかったけどそれでも満足した。そして全ての電源を落として舞台から出る前に、この空間を包む静かな闇を味わうことができたんだ。




部活は楽しかった。

青春と呼べる日々を過ごしたと思う。



うちの高校はいわゆる弱小高校だ。地区大会で名を残せれば上々じょうじょう、県大会へ進んだことはない。強豪校と違って部員も少なく、大掛かりな舞台装置は部費を思えば簡単には作れない。


そして照明装置も高校で練習できる範囲には限界があった。実際の大会が行われる地区劇場には据え置きでプロ仕様の照明台がある。


それを使えばできることは多いけれど、実際に触れられるのは直前リハーサルを含む数回。大会の実行委員になって照明担当になるくらいしか近づく方法はないし、それを頼りに普段の演出を決めるのは流石にリスキーだった。




かといってお金があることが必ずしも良いとは思わない。舞台装置の派手さに自惚うぬぼれて演技自体をおろそかにすれば当然舞台の評価は下がる。なにもないからこそ、この身ひとつでできることを最大限に模索するようになった。



大舞台が当たり前となった強豪校の彼らには言い訳じみているように聞こえるだろうけど、僕らが大会を勝ち抜くための最善策はそこにあるんだ。



巨大な舞台装置を創ることは世界観を形成する大きな要因であり、同時に世界を変えられない大きな要因だ。


森を作れば森以外にはいけない。

教室を作れば教室以外にはいけない。


暗転中に時間をとって大道具をガタガタ動かすのは「緩く」観ているから許されることであって、本来なら舞台そのものを壊しかねない愚行だ。



舞台の上に何もなければ、役者が演じて語ったように、音が鳴るように、光が照らすように、世界が想像されて創られる。



空を模した幕の色を水色からオレンジへ。そのまま紺色にすれば時間が動く。細くスポットをさせば夜に月光が生まれる。



照明は世界そのものを創り出せる。



ただ、残念なことにそういう部分が観てもらえないことも多く、そういう意味では先がないのは事実だった。




卒業後はようやく入れるようになった演劇サークルを渡り歩き、舞台を創って演じてを繰り返した。出会う人々も様々で、キャストを優遇しスタッフに対して高圧的で支配的な演出家もいた。



たしかに主役は役者陣で、音響や照明は幕間に出ることもない日陰者かもしれない。



だけどこの暗闇の中で、光をあてて舞台を彩っているのはこっちだ。僕がこの手をひとひねりするだけで、この世界は成す術もなく崩壊するというのに。それを自覚していない役者にはどうしても腹が立った。



僕は怒ることは好きじゃない。

だけど光を愚弄されることは許せない。



光あれ、と神様は言ったっけ。



聖書ではまず命の前に光があった。光があるから命が生まれた。そのくらい大切なもので、照明は決して演者の言いなりなんかじゃない。


太陽の傾きに合わせて人々がライフサイクルを形成したように、光が主導権を握ることだってあるべきだ。そもそも技術者と役者は各々にしかできないことがあって、どちらがえらいなんてこと、ないはずなのに。


僕だったら光の中で演じられるはずだと考え、演者に集中した時期もあったけれど、息の合わない光に振り回されて仕方なかった。


僕はここから技術者を観ているのに、向こうは台本ばかりを目で追って、僕のことを観ていない。



目も、心も、光も合わない。



みんな傲慢すぎるよ。



役者はもっと、光を見るべきだ。

そしてもっと、知るべきなんだ。



自分を照らす光が何色で、どこから射しているのかを。そしてその先にはいつも技術者の目があることを。本番中に感情のほとばしるままに立ち位置を変えても、追いかけてくれる光があるのは、技術者である僕らの目があるからだということを。


そんな僕の想いや主張はなかなか届かず、僕の中で理想の景色だけが確立されていった。



僕が僕らしく世界を彩るためには、僕が「照らして、演じる作品」が必要なんだ。どちらかだけじゃ、足りないんだ。



この世のどこにもないのなら、いつか理解し合える役者と巡り会いたい。見えないところから人を彩る僕の技術と世界を分かってくれる存在に出会えたなら。共に美しい舞台に心も身体も沈めていけるような没入感のある、そんな本物の作品を創ってやろう。




誰に気づかれなくてもいい。



僕が僕らしくあるために

その日から「照明技術者 成瀬 海里なるせ かいり」と

そう名乗ることに決めたんだ。

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