第12話 結果
おれには今年で二十歳になる妹がいる。
名前は
優しくて明るく、腕っぷしも立つので友人も多く、本人は気にしてダイエットをしているようだが、その気になれば彼氏の一人くらいすぐにでもできるだろう。
しかしながら、そこはやはりおれの妹。かなりの面食いで、基本的に端正な顔立ちをした二次元キャラか端正な顔立ちをした2.5次元俳優にしか興味がない。
そしてそんな妹こそ、おれの最後の切り札だった。
「兄ぃの推しを投稿するの? わたしのアカで?」
電話がかかってくるのは覚えていた。地元の大学に通う文香は時折、推しのライブなどがあるとおれの部屋を宿代わりに使うのだ。
そんなとき、妹は必ずパソコンでライブ配信をする。〝みーちゃん〟たちアイドルが使うアプリとは違い、知っている人しか見ることのできないテレビ電話のようなものだが、「前夜祭」と称してファンを集めていつも真夜中まで盛り上がっていた。
「いつも
「それが今回の宿代ってこと?」
アイドルオタクの兄をもう優しい妹は観念したかのように、電話の向こうで頷いた。
「恩に着るよ。場合によっては追加料金も払うから」
学生で時間やお金が限られる中でもおれよりもよほど積極的に推しを支援している文香のフォロワーは一般な大学生よりは多いであろう700人を超える。相互フォローを除いても、その中の誰かが反応してくれればもう数百人、さらに数百人と瞬く間に〝みーちゃん〟の素晴らしさは広がっていくだろう。
3、2、1――噴水から〝みーちゃん〟の身長の三倍はあろうかという水柱があがった。「わあっ」と背中にしぶきを感じた〝みーちゃん〟が肩をすくめた次の瞬間、声を上げてしまった自分が恥ずかしかったのか、照れ笑いを浮かべる。
まるであとから合成したみたいにきらきらとした水しぶきの中、優しい顔をした女神のような子がこちらを見ている。撮影当初は気がつかなかったのだが、帰ってからパソコンに取り込んでよくよく見ると、〝みーちゃん〟はおれに視線をくれていた。
白いワンピースから伸びる華奢な脚からつま先に至るまでのライン。明るい表情に過剰過ぎないメイク。猫の瞳を柔和に細めてこちらを見てきらきらと光を放っている。
またとない写真が撮れた。
おれはそう確信していた。ただ、確信していたからこそ、自分の50人にも満たないフォロワーだけに公開するのは無意味な気がして、文香に電話をかけていた。
「いい? ポートガールズの愛甲美颯な。ファンは〝みーちゃん〟て呼んでる。『#みーちゃん』ね」
> ふみみ/リブスト♱クロウ信者/LCV/月読ミは武治知也寄りの箱推し @fumimimi6472
> 待って、兄の推しが可愛すぎる
> 横浜横須賀を拠点とするローカルアイドルらしいが侮れん……!
> #ポートガールズ #みーちゃん #奇跡の一枚 #拡散希望 #Fiw
> 9月20日21時47分
最後の「#Fiw」は「
これならば無理な宣伝行為ではなく、普段の文香の投稿の一つとして確実に拡散していくだろう。
その日の晩は眠ることができなかった。
何度も文香の投稿を見ては反応を伺った。「いいね」をした人や「
そんななかでもおれの心の中にはずっと〝みーちゃん〟がいた。最後に会ったのは制服姿の〝みーちゃん〟だ。二人きりで話す機会はやはりなかったが、おれはどうしても耐えられずにまたあの約束の話をした。
わかっているよ。そう言いたげに、彼女は頷いていた……ような気がする。
そうして朝を迎えた。
公式からの発表は何時ごろのことだったか。
この時間帯にその発表がないということは、無事に回避することができたのだろうか。おれはよほど運営事務局に電話しそうになったが、時計を見たらまだ朝の七時。少なくとも前回の今日はそんなふうに早起きをした記憶はなかった。
最後に見た〝みーちゃん〟のことを、おれは何度も思い出した。通常のライブとは違い、撮影会ではスタジオの控え室に帰っていく様子をファンが見守ることしかできない。
礼儀正しく頭を下げた〝こなっちゃん〟と何度もみんなに手を振ってくれた〝ちなりせんせー〟。その次が〝みーちゃん〟で、彼女はこちらを振り返ると小さく手を振ってすぐにいなくなった。そのわりとあっさりとした最後に、おれは少し安心感を覚えた。
来週はネット配信のアイドル番組が主催するイベントにトリ前として出演が決まっている。またそのときに会えるからねと言いたげな、そんなあっさりとした最後だった。
10時まで待って、それでも何の発表もなければ本当に運営に問い合わせてみよう。そう思った矢先のことだった。SNSの更新ボタンを押すとそこには――。
「重要なおしらせ」
もちろん、それは新曲のPV発表でも、久しぶりの地上波放送への出演でもなく、最愛の人が引退するという内容が書かれていた。
「みーちゃん……。なんで……」
あり得たかもしれない未来は潰えた。卒業公演もなく、結局何一つ変えてあげることはできなかった。おれの希望はまたしても、跡形もなく消え去ってしまったのだ。
「な、なんで……」
おれは江口さんに電話をかけ、やり場のない気持ちを抑えられずに聞いていた。
「わからない」
彼は言った。当たり前だ。わかっていたら、どうにかしていた。いいや、どうにかしたのだ。それなのに……。
「ああ、それと……」
前回の今日と様子が少し違うのは、おれが事前に〝みーちゃん〟がいなくなってしまうことを話していたからだろうか。そう思って、何かを言いあぐねている江口さんを促すと、彼は「これはぼくのアドバイスだから」と断ってこう言った。
「もちろん、無視してもらっても構わないけど、もしかしたら君はしばらくSNSは見ない方がいいかもしれない。ポートガールズの応援も……君の分はぼくが支援しておくから……」
「……え? ど、どういうことですか」
前回の今日に見せてくれたような父親のような優しさはそこにはまるでなく、むしろおれを突き放すような言い方で江口さんは言った。
「とにかく、忠告はしたからね」
そんなふうに言われてしまうと、むしろ気になってしまうのは当たり前の話だ。それに今、どんなことが起きていようとおれの胸にこれ以上の悲しみなど訪れるはずがない。
おれは手始めに文香の投稿を見てみた。
明け方に見たときと同じだった。反応は文香の他の投稿よりやや少ないくらいで、そのほとんどは付き合いか惰性で「いいね」をしているだけのようだった。
どうすればよかったのだろう。
おれはすでに気絶するほどの後悔の波に苛まれながらも自分のSNSをチェックしようと操作した。すると1件のDMが来ているのが目についた。
みーちゃん?
おれは思わず言っていた。事務局の取り決めでリプ返のとき以外はSNSでのファンサは基本禁止になっているのだが、今や彼女は事務局の縛りも受けていない立場にあるはずだ。
だが、それは全く違う相手からのメッセージだった。
その相手は他のアイドルグループも推しながら、ポートガールズのライブにもよく来ているというファンで、確かおれが昔投稿した〝みーちゃん〟の写真に「いいね」をくれて以来、実際に会って話したことはないが相互フォローの関係にあった。
そんな人が一体おれに何の用があるというのか。
> おはようございます。
> 推しを追い込んだ気分はいかがでしょうか?
> 地下アイドルに奇妙なファンは付き物です。
> 一概にあなただけが悪いわけではありません。守れなかった私や運営も同罪です。
> だけどせめて言わせてください。
> ふざけんな。
「えっ……」
な、なんだよこれ……。気がついたら殴られたようにおれはうなだれていた。手からするっとスマートフォンが床に落ちる。大きな音がして、そのあとに小さな通知音が鳴った。
それはまたしてもDMだった。
今度はSNS上で何度もやりとりをことのあるファン仲間からだった。
内容は先ほどのものと似たり寄ったり。とにかく〝みーちゃん〟の突然の引退をおれの言動と照らし合わせて批判するものだった。
通知音はそのあとも何度もなった。次第に間隔が狭くなっていき、仕舞いには鳴り続けておれの耳から離れなくなるんじゃないかと恐怖を覚えたところで電源を切った。
行こう……。
立ち上がると頭がくらくらとした。
それでもおれは行かなければならない。もう一度……あの場所へ。夢と
やめないで! 僕のみーちゃん 大宮れん @siel-n
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