第11話 撮影会とプレゼント

「給料を前借り?」


 自慢にもならないことだが、おれは仕事において遅刻や欠勤をしたことがない。部品の検品、機械の保守、商品の梱包――面白い職場では全くなかったが、難しい判断や辛い人間関係に悩まされることもない。それに〝みーちゃん〟を知ってからは彼女の笑顔一つさえ思い出せばなんだって頑張れた。

 そんな勤務態度だったからか、直属の上司(社長の息子)はあっさりとお金を貸してくれた。


「ありがとうございます」


「女に騙されて使い込むなよ」


「大丈夫です。騙されてなんかいませんよ」


 騙されていたってなんだって、辞めさえしなければいいのだけど。おれは思いながら、薄い茶封筒を受け取った。



 アイドルへのプレゼント。洋服や化粧品が一般的だが、最近ではほしいゲームやハマっている趣味のものなど、その内容は多岐に渡る。アイドルによっては、ほしいものリストをファンと共有していることもあるが、プレゼントをもらうための活動ではないとポートガールズのメンバーはそれを公開していない。それはただの決して綺麗事ではなく、自分たちは自分たちのパフォーマンスで稼ぎたいのだという覚悟でもあった。


 ただし、若い女の子向けの店に長居するのはファンの中では若い方のおれでもなかなか勇気のいることなので、いっそほしいものリストを公開してほしいと思うこともなくはないのだが。



「もう買ったの?」


 撮影会当日の朝。普段なら仲間たちと悩みながらプレゼントを買いにいくおれはしかし、待ち合わせ場所に現れた江口さんに不敵に笑ってみせた。

 前にあげたイヤホンや化粧品のように実際に使ってくれている様子をSNSに上げてくれたり、あるいは服などであればライブ配信や撮影会の時に着用してもらう。それがおれたちの喜びだ。そして今回、撮影会を行うに当たってそれにぴったりなのが――日傘だった。



「いや、みーちゃんが忘れるかもしれないと思って」


「未来予知でもできるようになったのかな」


 推しである〝ちなりせんせー〟のためにデパートの化粧品売り場を三周し、おすすめされたコフレを買った江口さんは不思議そうにしていたが、その通りなのだ。

 その日の横浜は快晴。またとない絶好の撮影日和なのだが、〝みーちゃん〟はなんと日傘を忘れてきてしまう。待機場所にはパラソルがあるので問題はないのだが、移動したり、あるいは〝みーちゃん〟が出ていない部の様子を見にきたりするのに彼女はその日、バスタオルを頭からかけていた。



 だが、未来を知っているはずのおれにも中には前回の今日とは違う予想外のこともあった。

 派閥とはいかないが、江口さんのグループの仲間たちは普段通り、実家からくすねてきた父親のカメラを手入れするおれに声をかけてくれたが、仲が悪いわけではないがあまり話したこともないもう一人の古参ファンが中心となったグループからの視線にはどこか痛いものを感じたのだ。


 おそらく、前回のおれのライブでの立ち回りが問題だったのだろう。突然の大声に、〝みーちゃん〟は真っ直ぐおれを信用していてくれたが、あまり知らないファンや物販にいた〝まいみー〟たちには一瞬でも恐怖を与えてしまったかもしれない。

 もちろん、これから起こりうる未来を信じてもらえればわかってくれるのだろうが、それを伝える術がない。それにファンの誰かに嫌われたっておれは〝みーちゃん〟を守ると決めたのだ。



 撮影会は今やローカルアイドルにとって重要なイベントの一つになっている。おれはまだまだ新参者だが、アイドル戦国時代と言われて早十年。今ではSNSの活用はスタンダードになっており、ファンの撮影した写真がきっかけで売れたアイドルもいれば、振付師コレオグラファーをつけてダンス動画で話題になったアイドルもいる。


 つまり、おれはファン同士の対応などどうであれ、素晴らしい写真を撮ることさえできればいい。それが話題になれば〝みーちゃん〟が考えを改める一端になってくれるかもしれないのだ。それにおれにはいくつか秘策もあった。

 何しろおれはこの撮影会に挑むのは二回目なのだ。〝みーちゃん〟がいつどんなポーズをとったのか、どんな表情をしていたのかは昨日思い出せる限り復習(いや、予習と言うべきか)してきた。


 今回のハウススタジオは公園に併設されており、最初の撮影は噴水の前からはじまる。この噴水、10分間隔で大きな噴射があり、被写体の周りにきらきらと水滴が弾ける。

 それさえ押さえておけば、あとはカメラ初心者でも簡単。姑息な加工など一切せず、ピントにさえ気を付ければいつどんなタイミングでシャッターを切っても〝みーちゃん〟は可愛らしい。



「あっ、ユウさんありがとう! めちゃくちゃ助かったよぉ」



 同担(同じ〝みーちゃん〟推しのファン)のやや鋭い視線を感じながらも、スタジオの控え室から出てきた〝みーちゃん〟に思わずおれは手を振る。彼女の手にはおれのあげた日傘。名前はよくわからないが、袖のところだけが透ける素材の白いワンピースを着ることはわかっていたので、爽やかなパステルブルーと白のフリルがついた日傘を選んできた。


 辞めないで。


 おれは小さく口に出して言った。

 こんなふうに笑える子がどうして明日の朝にはあんな決断をしてしまうのだろう。



 首からカメラを提げ、おれは自分の頬を叩いた。あんなふうに喜んでもらったのは今回が初めてのことだ。きっとこの世界の〝みーちゃん〟は、約束を守ってくれる。



「それでは第一部、開始いたします」


 スタッフさんに促されておれたちは横に並んでカメラを構える。ファインダーを覗き込むとそこには、頭の上の太陽よりも、それが反射した水面よりも、ずっとずっときらきらとした笑顔があって思わず目が眩むところだったが、どうにかシャッターを切る。


 一度確認したところで、時計を確認すると噴射まであと数秒といったところだった。



 10、9、8……。

 心の中でおれはカウントする。


 あのとき、〝みーちゃん〟は突然大きく噴き出した水柱に思わず身をすくめたあとに、照れくさそうに驚いてしまった自分を笑うのだ。そのときの顔を一週間前の今日、おれはこの目で確かに見た。そのときはおれも突然の水柱に思わず顔を上げてしまい、シャッターチャンスを逃したのだ。


 6、5、4……。

 今度こそ、逃さない。


 3、2、1――今だ!

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