闇屋

中村ハル

闇屋

 今日の闇は濃紺に藍、灰色に僅かばかりの白。

 昨日の闇は、紺碧に黒、群青と灰青に金。

 日付の順に綴じられた、色とりどりの幾百の闇。

「ああ、ダメだよ、それはまだ熟していないから」

 闇屋の星彦が、顔を上げて眉を顰めた。

 僕はページにかけていた指を、慌てて離す。

「いつも言っているだろう。熟していない闇を動かすと、混ざって結局ただの黒になっちゃうって。何度言ったらわかるんだ」

「わかってるさ。覚えてないだけ」

 睨む藍色の瞳に手を挙げて降参の意を示すと、星彦は呆れたようにぐるりと目を回してわざとらしいため息を洩らす。

「まったく。そんなんじゃあ、いつまで経っても……」

 続く小言に眉を下げてみせれば、はっとしたふうに僕を見て、気まずそうに口をつぐむ。

「それで、お望みは?」

 ぶっきらぼうにそっぽを向くのは、星彦の捻くれた謝罪のスタイルだ。僕はほくそ笑んで、懐中からよれた手帳を引っ張り出して頁をめくる。本当は見なくたって、覚えている。でも、金に塗られた小口を堪能したいのだから仕方ない。

「8年前の9月6日の闇を」

 インクの滲んだ文字を指でたどって、星彦に告げる。へえ、というように眉を上げたが、特に何も言ってこないのが小憎らしい。

 星彦は白く綺麗な指先で青のファイルを引き出すと、ぱらりと紙の束を開いて一枚を抜き取った。慣れた手つきでパラフィン紙に包み、それを封筒に入れる。使い込まれた木製の引き出しの上で束の間指先が迷い、すぐに銀色の蝋を取り出すと、あっという間に封筒の口を留めてしまった。シーリングスタンプは、星を掬うスプーンだ。

「お代はいつものように」

 大人びた笑顔で僕に闇を手渡すと、星彦はくるりと背を向けて、仕立てかけの闇をファイルに綴じ始める。話はこれでおしまい、ということだ。

 闇を手にしたら、なるべく早く使わなくてはならない。できるだけ速やかに、なるたけ動かさずに。でないと、揺すられた闇が紙からこぼれ落ちて、持ち主を飲み込んでしまうから。

 そして、僕は、この闇で、人を呑み込もうとしている。8年前のあの日に、遺恨を残したモノからの依頼で。

「きっといい闇が獲れるはずだよ、星彦。楽しみにしていて」

 わかってる、とひらりと白い手のひらが、僕を送り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

闇屋 中村ハル @halnakamura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ