第5話 きっとつながっている。
ジュディが、水穂さんのもとを訪れて、数日がたった。ジュディが、水穂さんに提供者になることは、もう決定して、水穂さんは、ガブリエル先生が所属している、大病院に行くことになった。何でも移植するのには、前処置と言うものをしなければならないそうで、そのために、しばらく病院にいなければならないようである。
あとは、提供者のジュディさんが、無事に赤ちゃんを産んでくれて、水穂さんのものになる、臍帯血が無事に入手できるかということであった。それが、うまくいくかどうか、も、運を天に任せるようなところがある。
その日、杉ちゃんたちは、いつもと変わらず、朝ごはんを食べていた。その日は、何もなかったし、いつもどおりマークさんは、仕事に行くと言って、玄関先に行った。トラーは、水穂さんが病院に行ってしまったので、この際だからと、シズさんに料理を教わることにしていた。暇なときは、なにか思いをノートに書き始めたようである。そういうことから、前みたいに爆発することは少なくなった。なので、少しは安心して見ていられる。時々、チボー君が、彼女を気遣って、様子を見に来たが、トラーは、落ち着いて生活できるようになってきていた。
「じゃあ、ごちそうさま。おまえさんの、目玉焼き、結構うまかったよ。次は、もうちょっと薄味で作ってみてくれや。」
と、杉ちゃんが、トラーにいうと、
「わかったわ。次はもっと気をつけて見るから。」
と、彼女は素直に言った。それは、彼女が進歩したのと同時に、シズさんのアドバイスも大きいと思った。そういうことを、ちゃんと指導してくれる人がいれば、人間、穏やかに暮らしていられるのだと思う。
「じゃあ、行ってきます。今日は、予約が遅い人が居るから、ちょっと帰ってくるの、おそくなると思うけど。」
と、マークさんはそう言いながら、玄関のドアをガチャンと開けようとした。その時、モー厶家の固定電話が勢いよく音を立ててなった。
「あ、わたしが出るわ。」
電話機の近くにいたシズさんが、急いで受話器をとった。
「はい、モー厶でございます。はい、はい、ああ、わかりました。はい、了解です。じゃあ、血液は無事に水穂さんのところに持っていけるわけですね。はい、わかりました。本当にご協力ありがとうございました。はい、わかりました。」
そういうシズさんに、トラーが、ちょっとお話させてと身構えたが、シズさんは、受話器を置いた。
「ミゲルさんのお嬢さん、無事に生まれたそうよ。元気な女の子ですって、ミゲルさんの話によれば、母子ともに健康ですって。良かったわね。」
と、シズさんが言うと、
「やったー!バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」
と杉ちゃんが大喜びした。シズさんは、良かったわね、とトラーにいうと、トラーは、涙をこぼして、なきだしてしまった。何をやってるの、ないちゃダメでしょう、と、シズさんは彼女に言ったが、トラーは泣いてばかりだった。それを玄関先で聞いていたマークさんは、トラーが自分の事以外ではなく、他人のことで悩んだり、涙をこぼしたりしてくれたことで、自分の重しもとれたような気がして、ほっとため息を付いた。そして、小さな声で行ってきますと言って、家の外へでていった。
「まあ、母子ともに健康なら大丈夫だ。きっと、かわいい女の赤ちゃんが、産んでくれたお母ちゃんと一緒に居るだろうな。お母ちゃんは、今頃休んでいるだろうよ。そして赤ちゃんもまだ見たことのない景色を、十分に眺めて楽しんでいるんだろうな。」
と、杉ちゃんがでかい声でいうと、
「杉ちゃん、こっちでは、赤ちゃんとお母さんが、別の部屋で休むことはないのよ。特別な事情でもない限りね。」
と、シズさんが訂正した。
「それに、病院で産むというケースも少ないわよね。自宅出産だったり、プールで水中出産とか、そういう人が多いわよ。こっちでは。」
「そうなのね。まあ、いずれにしても、ミゲルさんところには、家族が増えて、水穂さんは、無事に移植ができて、めでたしめでたし。あーあ、良かった良かった。とっぴんぱらりのぷう。」
杉ちゃんがいうと、トラーが、
「何よそれ、とっぴんぱらりのぷうって。」
と、いうので、杉ちゃんは、日本語の、お話が終わるときは、この言葉で締めるんだと教えてあげた。
「それは、どうかしらね、水穂さんがうまく適合してくれればいいけれど。まあ、あたしたちは、医療関係の方に任せきりにするしかないんだけどね。」
「まあ、でも、喜んでいいことじゃないの。それは、あたしたちの当然の権利だと思うわ。」
シズさんがそう言うと、トラーはまだにこやかに笑っていた。
「あたし、水穂にいくら好きだと言っても通じないから、この事、なにかに描くつもりよ。あたしが、才能があるかどうかわからないけど、でもやってみようと思ってるの。」
「若い人はいいわね。嬉しいときは、嬉しい気持ちに、しっかり浸れるんだから。年寄りは、どうしても、余分なことを、思っちゃう。まあ、それはわたしも年だってことかな。」
喜ぶトラーを長めながら、シズさんはにこやかに笑って、そういうことを言った。
「まあ、僕も、心配では有るけどさ。それでも、水穂さんが、元気になれるんだったら、それでいいことにしよう。」
杉ちゃんはそう言って、コーヒーをがぶ飲みした。もうこっちに来て、杉ちゃんたちもコーヒーばかり飲んで居る。緑茶を飲んだことなんて、一度もない。
その頃、ジュディが入院した総合病院では。
「よかったな。お前の子供も、無事に生まれてくれてさ。お前も、あれほど難産だったのに、なんとかなってくれてよかったよ。」
ミゲルさんは、病室で寝ているジュディに、そう優しく言った。
「産んだときは、すごい大変で、促進剤うつって言ったときはどうしようかと思ったけれど、そのあとは、なんてことなく、できたんじゃないか。それは良かった。」
「そうね、あたしはただ、痛くてしょうがないとしか感じられなかったけど。」
ジュディは、小さな声で言った。
「お母さんもそんなこと言ってたよ。お前を産んだときにな。本当はお母さんがいてくれたら、お前が孫を立派に産んでくれたことを、報告したかったな。」
思わず懐かしそうにそういうミゲルさんに、
「お母さんは、わたしに黙って出ていったわ。わたしの事、邪魔な存在だと思って、男のほうが良くなっちゃったのよ。そんなお母さんのこと、わたしは、今でも許さないで居るけどな。」
と、ジュディはそういった。ミゲルさんは、ジュディがまだ、元妻のことを許せないで居るんだなと、ちょっと悲しい顔になった。
「それにしても、おとなしい女の子だな。お前とは、偉い違いだ。お前は、生まれたときからお転婆でしょうがなかったのに。」
ミゲルさんは、ベビーベッドに寝ている赤ちゃんを見た。確かに、うるさく泣き叫ぶような赤ちゃんではなかった。本当は、ちょっとのことでうるさいくらい泣くほうが健康的な赤ちゃんだと、お医者さんも、看護師も皆言っていた。そういう事は、どこの国でも、変わらないはずなのに。
「まあ、泣かないならそれでいいわ。あたしは、その間、休んでいられるから。」
と、ジュディはそう解釈しているようであったが、ミゲルさんはちょっと心配になった。
「それより、あのきれいな人に、ちゃんと行ったの?えーとなんだっけ、臍帯血。」
「ああ、お前が、痛みの波から開放されて、泣いている間に、とっていったよ。きっと今頃は、水穂さんのものになっていることだろう。良かったじゃないか。お前も、生まれた赤ちゃんも、そうやって、人様の役に立てたんだから。本当に良かった。」
ミゲルさんは、あった事実を、しっかり話した。
「そうか。わたしも、役に立ててよかったわ。あんなきれいな人、放置してはおけないわよ。あんなにきれいで、ピアノが弾ける人だったら、世間が見捨てるはずはないわよ。」
ジュディは、そう言って、にこやかに笑った。確かに、水穂さんは男のミゲルさんが見ても、十分きれいな人であった。それは、誰が見ても、そういうことだろう。そういうことだから、水穂さんは、ぜひ、この世で生きていてほしい人でもあった。きっと、どこかに、水穂さんのことを、愛してくれる人が、いてくれると思った。
「あたし、不思議だった。あんなきれいな人が、日本で見捨てられて、大道芸人満みたいなことしかできなかったなんてさ。誰が見ても、ほんと、きれいな人よ。そこをうまく使えば、もっと偉くなれたと思うけど。」
「まあなあ、当事者でなければわからないことだって、この世にはいくらでもあることだよ。その中には、成功する人もいれば、失敗する人もいる。結果はどうであれ、あのきれいな人は、また生きられるチャンスをもらったんじゃないか。それは、きっと生きようと神様が選んでくれているんじゃないのかな?」
ミゲルさんとジュディがそう話していると、赤ちゃんが泣き出した。普段はおとなしいのに、泣き出すとすごい大きな声で泣き出すのが特徴でもあった。そういうところが、人間誰でも個性というものを持っている。そういうことなんだなと思いながら、ジュディは赤ちゃんを抱っこした。同時に看護師がやってきて、授乳の指導を始めると言った。ミゲルさんは、これは男にはできない仕事だからといって、急いで病室の外へ出た。ドアを閉めたと同時に、
「わたし、この子が、可愛いとは思えないんだけどなあ。」
とジュディが、看護師につぶやいているのが聞こえてくる。
「何を言っているんですか。赤ちゃんは、神様からの授かりものでしょう。そんな赤ちゃんを、可愛く思えないなんて、いけないことですよ。」
看護師は、看護師らしくそう言っていた。その時同時に、農業の取引先から電話がかかってきたので、ミゲルさんは、病院をでなければならなかったから、その後ジュディがどうしたのかは知らない。でも、ジュディはきっとだいじょうぶだろう。必ず、母親らしくなる。赤ちゃんだって、生まれたばかりだけど、大仕事をしたんだから。きっと、変わってくれるだろう。ミゲルさんはそう信じていた。
そのまま、ミゲルさんは自宅に帰った。いつもの通り、畑へ出て、ぶどうの収穫をする。ぶどうは、たくさん身をつけていた。今年も、ぶどうがたくさんとれてよかった、また、ジュディが産んだ孫が大きくなったら、ぶどう酒を作って飲んで見ようかな、その時まで、自分は生きたいな、ミゲルさんは、そういうことを考えていた。
その日、ミゲルさんは、日没までぶどうの収穫作業を続けて、はあ、今日も一日終わったなと、自宅に戻ってきたその時。
固定電話が、高らかになった。誰だろうと思って、電話に出てみたら、
「お父さん。」
と、ジュディが小さいけどはっきりした声でそう言っているのが聞こえてきた。
「赤ちゃん、お空へ行っちゃったわ。泣いたあと、引きつけを起こして。」
そんな事、、、。
ミゲルさんは、受話器を落としそうになった。
「本当にあったことなのよ。泣きすぎたあとで、引きつけを起こすことも有るんだって。なんで、こういうことになっちゃうんでしょうね。お医者さんも理由がわからないって。でも、とにかく、生まれて、3、4日しか、生きられなかった。」
ミゲルさんは、ちょっとまってろと言って、直ぐに病院へ直行した。ジュディは確かに、病室にいたけど、赤ちゃんは、どこにもいなかったし、泣き声も聞こえなかった。看護師が、今亡くなった原因を調べてますからといったが、そんな事どうでもいいとミゲルさんは言った。
「一体、どういうことなんでしょうか。生まれて、4日でいってしまうなんて、あり得ることなんでしょうか?」
思わず怒鳴るような言い方で、ミゲルさんはそう言ってしまう。
「ええ、赤ちゃんと言うのは、というより、命というのは、不思議なもので、」
看護師が口ごもりながらそう言うと、
「そんなのどうだっていいんだよ!娘が苦労して産んだ子を、どうしてそんなふうに邪険に扱えるんだ!お前たちは、ちゃんと面倒見る気があったのか!」
ミゲルさんは、怒鳴りつけた。
「もう、こんなずさんだったとは思わなかった。お前たちのことを、信用していたのに、なんで、こんな無責任な!」
ジュディが、ミゲルさんをじっと見ていた。お父さんがこんな事言うなんて、はじめて、と彼女はつぶやいていた。
「あたし、お母さんとして、何をやってたのかしら。あたしも、ここの人に任せっきりだったから、いけなかったのかな?」
ジュディも、今になってやっと悲しみが現れてきたらしい。彼女の目にも涙が浮かんでいる。
「いずれにしても、お前たちにとっては、病院内で起こった一つのことなのかもしれないけど、俺達にとっては、大事な孫を亡くしたんだぞ。その悲しさなんて、きっと、わからないと思うけど、、、。」
ミゲルさんは、涙を堪えるのも忘れて、そういったのであった。
「でも、お父さんが、そういうことを言ってくれるなんて、はじめて知った。あたし、もういらない存在だと思ってたから。」
ジュディは、どこかやけくそになっているような、そんな言い方で、そういうのであった。これ以上やけくそになってしまったら、彼女はもしかしたら、精神に異常をきたすとか、そういう異常事態に陥ってしまうのではないか、とミゲルさんは思った。それだけは絶対、やってはいけないことだと思ったから、ミゲルさんは、なにか言ってやらなければと思う。
「でも、決して、うちの孫は、何もしないで逝ったわけではないじゃないか。あの、きれいな人のところへ、臍帯血をくれてやったという、大仕事をしたんだぞ。ほんの4日しか生きられなかったかもしれないけど、それでもちゃんと人の役に立ったじゃないか。それは、自慢してもいいんだぞ。それは、お前だって、わかっているだろうな?」
ミゲルさんは、彼女を励ますように言った。
「それだけでも、すごいことをやったんだ。俺たちは、それができたということでそれで良かったと思わなきゃ。」
「そうね。わたしも、そういうことをしたんだと思うことにする。」
と、ジュディは、ミゲルさんに、はっきりと言うように言った。
「四日間でも、ちゃんと、やるべきことはやったんだって。あたしも、そう思うことにするわ。」
その間に、お医者さんたちは、何をしているのか、よくわからなかったけど、ミゲルさんとジュディは、そう思うことにしていた。医者は、できることもあるけれど、できないことも有る。だから、それを、批判したり、怒ったりしても意味はない。
「だって、赤ちゃんは、もう死んでしまったかもしれないけど、ちゃんと、あの子のからだの一部は、別の人の役に立てたんだものね。人は、つながっていることが、いちばん大切だもんね。」
「そうさ、きっとどこかで、人はつながっているさ。」
ミゲルさんとジュディは、外を見た。星になった赤ちゃんは、自分たちを眺めていてくれるだろうか。そう、赤ちゃんに、先に逝ってしまった赤ちゃんに、恥ずかしくないような生き方をしなければ。そういうことだと思った。
一方その頃。ガブリエル先生の病院では、水穂さんが、病室で眠っていた。周りの患者たちは、日本から、すごくきれいなやつがやってきたと噂しあっていた。
「やっほー、来たぞ!一人ぼっちで寂しいだろ?だから、来てあげた。喜べや。」
と、杉ちゃんが、病室のガラス戸越しにでかい声で言ったため、水穂さんは目を覚ました。ガラス越しに、杉ちゃんと、マークさんがそこにいた。
「昨日で終わったそうですね。無事に、終わって何よりです。拒絶反応とか、そういう事も比較的軽かったと聞いてますよ。僕もホッとしました。」
マークさんは、そう言っていた。水穂さんは、ガラス戸ごしにそう言っているのを読み取って、ちょっとため息を付いた。
「良かったね。みんなにも、いい報告ができそうだね。」
そう言っている、杉ちゃんに、水穂さんは、このまま死ねたら本当は良かったと思っていたことなんて、言うことはできなかった。マークさんもマークさんで、ミゲルさんの赤ちゃんが、生まれてすぐ亡くなったということは、言わないで置こうと思った。杉ちゃんだけ一人ニコニコしていた。
「そうですか。わかりました。じゃあ、無事に終わったんですね。あとは体力が戻ってくれば、こっちへ帰ってこれるというわけですね。」
ジョチさんは、受話器を持ち直しながら、そういった。
「本当にありがとうございました。お礼に、航空便でなにか送りましょうか?ああ、そうですか。そんな事言わないでと言っても、義理というものはしなければなりませんから。ええ、わかりました。はい。はい、そういうことで。」
その電話を眺めながら、蘭は、まだ心配していた顔であった。とりあえず、水穂さんの情報は、ジョチさんにかかってくる国際電話しかなかったので、蘭は、その内容を信じるしかなかった。
「水穂さんの臍帯血移植は無事に終わったそうですよ。あとは、体力的に戻ってくれば、大丈夫みたいです。」
ジョチさんは、受話器をおいて蘭に言った。
「まあ良かったじゃないですか。こうして、やってくれる人がいてくれたんですから、素直に喜べばいいでしょう。」
「そうだが、ちゃんと安全性とか、そういう事は確認してくれたんだろうかな?」
と、蘭は心配そうに言った。
「ええ。大丈夫ですよ。医療というのは、どこに行っても、同じことをするものですからね。違うのは、それに関する考え方だけですよ。何も怖いことありません。」
と、ジョチさんがそう言うと、蘭は、まあそうなんだがねえと、不安そうな顔を隠せなかった。
「僕は、どうも腑に落ちないことがあるよ。ちゃんとやれたかどうかも不安だし、、、。」
そういう蘭に、ジョチさんは、なんとかなりますよと言ったが、二人とも不安そうな顔をしていたのだった。
孫 増田朋美 @masubuchi4996
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