4-3
「只今買い出しから戻りました」
「ご苦労様。このレシピの通り、材料を調理台毎に分けておいて」
今日は料理教室の日だ。生徒だった頃は午後から来れば全てが完璧に整った状態で調理をスタートすることができた。ということは、時間に合わせてイチから準備している人がいるという現実を、当時は知ろうともしなかった。
レシピを確認しながら、グラムを測り、各種調味料を用意した。次に調理器具の準備。新品ではないけれど、誰の手にも馴染むようなこなれ感のあるピカピカ。ここに初めて来た時のことを思い出す。ピシッと整列した鍋やフライパンに包丁と色とりどりの材料たち。
「眺めていたって準備は進みませんよ。今日は授業前に初めての人が来ますから、急いでください」
思い出に浸って手が止まってしまっていた。佐久間さんに言われて慌てて他の調理台へ移り、順番に用意していく。
ピンポーーーン―――。
玄関のチャイムが鳴った。佐久間さんがすぐに立ち上がってインターホンを取る。
「ご連絡させていただいた高林なんですけど」
「どうぞお入りください」
インターホン越しに緊張している声が聞こえて来た。私もあんなに緊張した声で話していたんだろうか。
まもなく扉が開き、一人の女性が入ってきた。小柄で華奢な体つきの女性は、肌の白さも相まって儚さや薄幸さが動いているかのようだった。
「はじめまして。高林りんです」
「ここで料理を教えています、佐久間瞳です」
「アシスタントの二条紀子です。よろしくお願いします」
佐久間さんが高林さんに座るように促す。ぎこちない動作で机に腰掛けた高林さんに、私はほうじ茶を淹れて手渡した。
にっこり微笑んでみたけれど、まだまだ顔は強張っている。
「高林さんは料理が好きですか?」
なるべく柔らかい声色で聞いてみる。
「いえ、あまりにも料理が下手なので来ました」
「そうなの。一緒に料理を楽しんでいきましょうね」
「こんにちは」
ドアから優斗くんが顔を覗かせた。
「あれ? 今日、学校は?」
「今日は早帰りなんです」
私が聞くと、なぜだか照れ臭そうに頭をかいて優斗くんは答えた。
「息子さん、ですか?」
高林さんが困惑したように言う。
「いいえ。高林さんと同じく、ここに通う生徒さんですよ」
私がそう答えるともっとびっくりしたように優斗くんを見た。
「お料理、好きなの?」
「はい。とっても楽しいので」
「私もそう思えるようになるかしら……」
高林さんは考え込むような仕草でぼんやりとしていた。
「僕も一緒に料理しちゃだめですか?」
「今日は新しい人もいるし、この後授業があるから隣で宿題でもしてなさい」
「……はい」
少しだけしょんぼりとした様子で、優斗くんは部屋を出て行った。
「一緒に料理するんじゃないですか?」
「あの子は別の授業を受講している生徒ですので」
高林さんの質問に簡潔に答える佐久間さん。
アシスタントをするようになって知ったことだけど、優斗くんは授業以外にも頻繁に佐久間さんの家に遊びに来ている。それは今日みたいに早帰りの時もあるし、学校が終わってから立ち寄ることもあった。
祖母の家が近くにあれば、そうなのかもしれない。優斗くんはおばあちゃんが大好きなんだ。佐久間さんがおばあちゃんっていうのは、未だに違和感がある。そんな雰囲気も全く感じられないけれど、大切に思っているのは他人の私にも充分伝わってくる。
「こんにちはー」
「あ、新しい人、入ったんですね」
続々と生徒さんたちが集まってきて、部屋が急に賑やかになった。
「皆さんこんにちは。今日から新しく入った方がいるので自己紹介をお願いします」
佐久間さんが声を上げ、高林さんから順番に自己紹介をしていく。
新しい仲間が増えたワクワクとドキドキの時間。懐かしい気持ちになったけれど、自分の思い出にばかり浸っていられない。
「今日は菜の花の白和えとタケノコの煮物を作ります。それではペアに分かれて準備に取り掛かってください」
佐久間さんに促され、ざわざわと話し声が戻ってくる。
あとで優斗くんにも味見してもらおう。上手くできたら、来週の刺繍教室の時に母にも作って持って行こう。菜の花の白和えはテイクアウトではあんまりないから、喜んでくれるかな。そんなことを考えながら、私も料理に取り掛かった。
―完―
はじめましての料理教室 あるむ @kakutounorenkinjutushiR
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