あまねちゃん
遊月奈喩多
隣のうちの女の子
あまねちゃんは、隣の家に住んでいる女の子だ。あまねちゃんのことは知らないけれど、あまねちゃんの母親のことは知っている――うちの母の恩師で、名前は
子どもの頃は彼女に恋をしていたし、何度かプロポーズめいたものをしたこともあったが、そのときにいろいろなことを知らされて失恋したのは、今となってはもういい思い出だ。
そんな藤原さんに娘がいたなんて初耳だったが、まぁ母はともかく俺とはそういう話をするような間柄ではないし仕方ないといえば仕方ないことだった。
あまねちゃんと呼ばれているその子の存在を知ったのは、本当につい最近のこと。藤原さんが家を出るとき――仕事はもう定年で辞めたらしいから、きっとただの外出だったのだろう――、「行ってくるね」と後ろを振り返っていたことだった。
「あまねはいい子だから、ちゃんとお留守番しててね。ママすぐ帰ってくるから」
とてもいい笑顔でそう告げているのが、俺の部屋から見えた。詳しくはわからないが少なくとも還暦は経ているというその年齢で小さい子がいるのか? 軽く驚きながらもつい藤原さんの様子を眺めていると、玄関の鍵をかけたあとドアのところで
鍵はかけたみたいだけど、何をしているのだろう? その日はすぐに俺もバイトに出たから確かめたりなんてしなかったが、なんとなく気になった。
次に玄関先にいる藤原さんを見たのは、夜のジョギング帰りだった。こんばんは、そう声をかけようとして目をやったとき、ただ鍵を開けるだけにしてはやけに長くそこにいることに気付いた。
どうかしたんだろうか? 見ていると、何かをガチャガチャと動かしているようだった。その後ろ姿に何となく近寄りがたさを感じたけど、困ってるなら助けになりたいというのもないではない。だからほんの少し勇気を出して、声をかけた。
「藤原さん、大丈夫ですか?」
「――――っ!」
その瞬間に向けられた視線は、思い出しただけでも震えが止まらなくなるようなものだった。手負いの獣のようにも、追われて逃げてきた浪人のようにも思えるその眼差しは、どう言い
その夜は、とても眠れる気がしなかった――目を閉じた瞬間に藤原さんの今まで見たこともなかったような眼差しを思い出してしまうから。
何かが起きている、何かおかしなことが。そう思っても、俺には怖くてどうすることもできなかった……。
* * * * * * *
それでも、今日。
俺はとうとう好奇心に負けて、藤原さんが外に出ているタイミングを見計らって、彼女の家の玄関先に来て。そして、見てしまった――藤原さんがあれだけ玄関先でもたついていた理由、そして彼女が鍵をかけた後に何をしていたのかを。
「何だよ、これ……!?」
ドアノブには見るからに頑丈そうな鎖が取り付けられていた。それもただ力任せにやったのでは取り外せないように、知恵の輪みたいな結び方をされている。どうなってるんだ、これ!? それに、今日も言ってたじゃないか、出掛ける寸前に!!
『あまねはいい子だから、ちゃんとお留守番しててね。ママすぐ帰ってくるから』
返事は聞こえなかったけど、それってつまり、中に小さい子がいるってことだろ? それなのに入り口をこんな風にするか、普通!!? 藤原さんが出入りに手間取っていたのもこれなら頷ける、けどどうしてこんなことを?
「こんにちは、
「あっ……!」
すぐ後ろに立っていたのは、昼間とは思えないほど暗い影に顔を覆われ、仮面のような笑顔でこちらを見つめてくる藤原さんだった。
「もしかして、あまねと遊びたいの? 大輔くんはもう大人だからと思って遠慮してたんだけど、そういうことなら全然いいの。あまねに会ってあげて?」
呆然として動けずにいる俺のすぐ横を通り越して、慣れた手つきで鎖を外す藤原さん。そして、ほら、と手を伸ばしてくる。
「遊んでくれるんでしょう?」
そう言いながら開け放たれた玄関ドアの向こう側に広がっていたのは、昼間とは思えない暗闇で。その暗闇は、甘酸っぱいような生理的嫌悪感を煽られるような異臭と共に家屋の外にまで
暗闇の向こうで、何かが
あまねちゃん 遊月奈喩多 @vAN1-SHing
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