水生への回帰について … 人魚症候群(漓遠+葉矢瀬)
俺の周りで顔を覗き込むようにしてくる葉矢瀬に、かたくなに顔をそらして数回。しばらくするとあきらめたのか、まったく、と文句をこぼしながら、帰るぞ、と踵を返した。その後ろを二歩遅れについていく。どうして顔をみないのだと、常々言う彼に、素直に答えを言ったなら、……その顔を、みたくないのだと言ったらば、いったい。
「どんな顔を、するんだろうな」
どうせ、その
二年生に上がったときに、同じクラスに組み分けされた男子生徒。葉矢瀬。苗字は……なんだったか。すっかり忘れてしまった。最初の席が近くて、フレンドリーに声をかけてきた彼の顔を見た時、俺は悟った。これが、俺の運命なのだと。そして、俺もいずれ泡に還るのだと。二年目の初日に、あまりにもひどい顔で帰った俺に伯母がとても驚いていたのをよくおぼえている。同時に何があったかを打ち明けた時に伯母の覚悟の瞳も、しっかりと記憶に刻まれていた。必ず解明する、と重ねて言った伯母に、俺はうなづくしかできなくて。
「今日帰り寄ってくだろ?」
「ん、あぁ……そうだな」
彼、葉矢瀬に対するソレが、どういう感情なのか、俺はいまだにつかめずにいる。愛か恋か、執着か、嫉妬か、羨望か。プラスなのかマイナスなのかすらわからないそれを、けれどもそれ以上に育てないように、大事にしまいこんで蓋をした。うっかり彼の顔を、正確にはそのきれいな瞳をみたらきっとあふれてしまう気がして、どうしても目を合わすことができないまま、半年が経とうとしている。
今日なににするかな~とつぶやく声に、そうだな、と相槌を打つ。二人か、あるいはほかの友人と連れたって駅前のバーガーショップに寄るのが、最近の定番だった。一時間か、二時間か。適当に日が暮れるころまで日々のことを話して、雑に解散する。中にはバイトがあるからと先に抜けたり、補修があるからと途中から参加したりと自由気ままにやっているが、どうやら今日は二人だけの日らしかった。胸の奥、心臓のとなりあたりがジクジクとするのをごまかして、俺はチキンフィレオかな、と口にする。
「昨日はフィレオフィッシュがいいって言ってなかったか?」
「気分だろ」
「いやまぁ、そうだけど。お前のこだわりが弱いのか強いのかいまいちわからん……」
二年の共有の下駄箱で並んで靴を取り出して。俺のよりも一・五センチ大きいスニーカーが、先に地面を打った。パン、と景気のいい音がして右の靴が裏返る。雨か、なんてくだらないことを言いながらそれをつま先で直した彼は踵をつぶして外へと向かう。倣うように、けれども靴は投げずに地面に置いて、それに足をかけた。靴紐を緩めに結っているから、すっぽりと踵まで足が収まる。走る予定もないので、これくらいの緩さでちょうどよかった。いくぞ、と昇降口の外から声をかけてくるのに、今行く、と答えて、上履きを片付ける。
外に出ると、あたりはすっかり夕暮れで、夏の終わりを実感した。ついひと月前くらいまではまださんさんとした太陽の時間だったのに。これからどんどん冷えていくのだろう。楽しみなような、惜しいような。伯母が、若い時間はあっという間だと笑ったのを、何故だか思い出した。
「行こうぜ」
「あぁ。お前はなににするんだ?」
「うーん、悩むよな。なんか今日から新しいの出てるらしいんだよ」
「へえ」
どうせ性懲りもなくチーズバーガー食べるんだろうな、とは口にせず、あいまいに頷いた。葉矢瀬は、いつも散々迷ってチーズバーガーのセットを買うのだ。ほかの友人たちも、どうせお前はチーズだろ、とメニューをみせもせずにレジに連れていく。俺の人権! と叫ぶくせに、いざレジの順番がくると、ふてくされたようにチーズバーガーセット、と言うのだから面白いものだ。
「そういえば、今日のさぁ」
「うん」
「生物の小テスト、どうだった」
「あー、……まあまあかな」
つい数時間前、具体的に言うなら五限目にあった授業を思い出しながら口にする。横に並んで歩いているときは、顔をみなくて済むから気が楽だった。
「マジで? 俺二問目以外なんもわからなかった」
「むしろ二問目がなんだったかとか思い出せないんだけど……」
やばいかな、と全く気にしたそぶりもなく言う彼に、やばいんじゃないの、と同じ言葉を繰り返す。たぶん絶対気にしてないけど。逆にその一問に自信があふれていることがすごいんだが。そのあとに続いた、アレって『イ』だよな、と言う言葉に、考えなおした。すごいことなんか何もなかった。これあれだ、二問目だけが選択問題だったんだな、と。
「……大変申し訳ないけど」
「え、マジ?」
「俺は『エ』だったな…」
「やらかした~!」
やらかしたとか、やらかしていないとかの舞台にすら上がっていないことを伝えるべきかと考えて、面倒だからやめた。ちなみにほかの問いは、と尋ねれば、わからなかったから思いついた偉人の名前を書いたと言われた。いま生物の小テストの話してなかったかな。
「ちなみに誰とか」
「イノウタダタカとか」
「逆にそれ出てくるのすごくない?」
「昼前の授業でやったから…」
「あー、ね…」
やっぱだめか、と軽くためいきをついた葉矢瀬は、大きな口を開けてあくびを一つ。よくもまぁ、二年生に進級できたな、ということばかりをしでかすわりに、物覚えは悪くないものだから学期テストは平均点を微妙に前後して取得するのだ。もう少し真面目に取り組めば学年首位とまではいかずとも、それなりの点数はとれるだろうに、いかんせん興味がないものにはひとかけらのやる気も見せないのが葉矢瀬という男らしい。別に、彼の人生がどうなろうと俺には関係ないのだけれど。……じくり、と心臓のとなりがまた音を立てた気がした。
学校から十数分、そんなくだらないことばかりを話していれば、駅前の大通りにたどり着いた。夕方だからか、ほかの学校の生徒もちらほらと歩いている。駅に近くなればなるほど人通りが多くなり、横に並んで歩いているのも邪魔になるころには、お目当てのお店にたどり着いた。店内は思ったより混んでおらず、あっさりと空席を見つけて各々リュックを置いていく。
「うーん……」
「葉矢瀬はチーズバーガーセット、ナゲットと烏龍茶でしょ」
「うーーん……」
「俺、先買うよ」
「うーん……」
レジのわきに立てて置いてあるメニューを前に、腕を組んで首をかしげる葉矢瀬を追い抜いて、レジの前に立った。いらっしゃいませ、と人のいい笑顔を浮かべた、おそらくは同年代のアルバイトに、チキンフィレオを単品で、と注文する。家に帰ったら夕飯が待っているので、さすがにセットは食べられない。葉矢瀬や、他の友人は余裕でセットを平らげて家で夕飯もしっかり食べるらしいが、俺には到底まねできなかった。一度そそのかされてセットを食べた時は、夕飯がどうしても食べられなくて、伯母に泣く泣く謝ったのをおぼえている。伯母は伯母で、男子高校生らしい、と大笑いしていたけれど。
お席でお待ちください、と札を預かって踵を返す。葉矢瀬はまだメニューの前にいた。改めて隣に立って、決まったの? と問えば、やっぱりうなり声が返ってくる。
「漓遠はなににしたの」
「チキンフィレオ単品」
「うーーーーーん…」
「うるさ」
あまりにもずっと同じ仕草で悩んでいるものだから、思わず笑ってしまった。ごまかすように、先に席戻ってるから、と口にする。その言葉にもうなり声か相槌かわからないような返事をした葉矢瀬をおいて、リュックを置いておいた席に腰を落ち着けた。貸し出された番号のふられた札を指先でつつきながら、深く息をはく。
彼に対するソレが、愛か恋か、執着か、嫉妬か、羨望か。それは今なおハッキリしていない。愛でもあり、恋でもあり、執着でもあり、きっと嫉妬でも羨望でもある。国語辞典をひらいて定義を調べて、自分の彼に対する情をひとつひとつ紐解いていっても、一向にコレ、と明確なものは見つからない。たとえソレがなんなのか分かったところでどうにかなる気もしないから、結局はただうつむいて葉矢瀬から顔をそらすしかできなくて。毎日、ベッドの中で眠る前に思うのだ。こんなことなら、と。こんなことなら、感情なんて、知らなければよかったのに、と。そしているわけもない神様を恨みながら、波にのまれるように眠りについて、また朝を迎える。安堵か絶望か、はたまた。もやもやとした感情を抱えて、伯母の作った朝食を食べて登校すれば、教室には彼がいる。
チーズバーガーセットで、という耳なじんだ声が聞こえて、笑う。どれだけお前のことを知ったとしても、俺はこのままきっと泡に還るのだろう。遠くない未来の定めに、けれど恐ろしさは感じられない。お待たせ、と朗らかな声で対面に座った葉矢瀬に、うんと頷く。
「あ、そういえば髪の色かえた?」
「かえてませんけど???」
くだらないことをいって、振り回して、ちゃんとみろよと文句を言われて。はは、なんて適当な笑いでごまかして。ずっとこうしていられたらよかったのに。……今がずっと続かないのなら、最初から深い深い海の底でただ一人、希うだけの命であれたらよかったのに。
あの町に生まれた俺の運命はきっとこの男ではあるけれど、それは彼と共にあるということではなかった。ただ、それだけの話。
***
リオン(漓遠)
主人公。地元の奇病に罹患した。覚悟はできてる。
ハヤセ(葉矢瀬)
リオンの同級生の男子生徒。リオンの地元の話も、病気の話も知らない。チーズバーガーセット、ナゲットと烏龍茶がスタメン。
人ん家の創作キャラを勝手に使ったなにかたち。 仲山 @nkym
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