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◆八月十九日

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〈>>Dragо***12:このIDと同じです。シロアオです〉

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〈>>Dragо***12:これでお願いします〉

〈>>Siroao***5H:毎度〉



◆八月二十日

 僕がこんなことになったのに、理由は別に何もない。しいて言えば、憂さ晴らし。病気をやって会社をクビになり、僕は今や画像分析のバイト三昧の、知脳AIの養分となった。それでに走った。

 買うのは簡単だった。次間VRMETAVERSEメタバースダークウェブに潜って、売り子バイヤーと取引すればいい。その為には専用のインターフェースを使わなければならないのが少しめんどくさかったけど、僕はそれができないほど能無しじゃないんだ。

 そんなわけでブツはそろった。行こう。

「はあぁぁ」

 絶叫ではない。食道の奥の、奥の方からミミズが無限に湧き出るように声が漏れ出た。目に飛び込む刺激的な色の数々に翻弄され、また自分の頭ではないみたいにはっきりと、この今を取り巻く環境がすべて、完全に把握できていることへの驚きが声となっていた。世界は七色、僕は百色。全ての色が意味であると理解できた。

 今が今ではなく、過去の延長線上であり、未来の一部であることが明確に分かる。いや、それもそうだが、僕は自分の部屋に立ってるんじゃない。地球に立ってるんじゃない。暗黒の莫大空間の、宇宙にあるところの地に立っている。自分を客観視する視点が、自分の巨大な後頭部から始まって、次のシーンはもう宇宙から見た青い球体たる地球があった。

 そうして僕が宇宙の存在であることを常に実感しながら、もう一度目に見えるものをじっくりと見てみた。目の前の枕カバーやシーツはこんなにもフラクタルに満ちていて、コーヒーカップはまるで正三角形の集合体。それぞれが微妙に異なる色合いの幾何学模様の集合体で、万華鏡の具の世界に放り込まれたようだった。

 文面ではこうして一つ一つ書かなければならないけど、僕はこれらの現象が一瞬のうちに凝縮されてすべてを同時に浴びることになった。そしてそれがずっと持続する。頭を常に自然の理が巡り巡って、どんなに論証不可能な物事があったとしても、この頭脳を通り抜ければこの口から絶対答が出てくる気がする。全部が全部爽快感を伴っていた。風を感じたと思えばそれは知識の波で、いつの間にか水中に潜っていたと思ったら、それは聖母の胎盤にいて、羊水の中を浮かんでいたりする。

 体のすべての血流が脈打ち、毛細血管までも酸素で充実させている感覚すらわかってきた。特に脳と肝臓に対して血が多く通っていることが手に取るようにわかるし、どの筋肉がこれからどのような弛緩と収縮の規則に則って動こうとしているのかも予言できる。

 

 そんな、僕に大変化をもたらしたモノを、もう一度手に取ってみてみる。床に散乱した錠剤は、なぜか目が合うたびに部屋の床いっぱいに巨大化して掴み取りにくかったが、それに共鳴させて掌も膨らませて、ようやく掴んだ。今度は拳大になっている。鼓動に合わせて収縮と肥大を続けていく錠剤に無条件の愛に基づく口づけをして、僕は記憶をなくした。あとでわかったけど、僕はその時巨大な家電ぬいぐるみに圧迫されていたということだった。今は交響曲並みに耳鳴りが酷い。



◆八月二十二日

 「私」は慣れていた。この暦上での数日間(相対時間では約五十日間)で、薬物ではなく自分の拡張された意識に慣れていたのである。意識が拡張されるとはどのようなことかと? それは至極簡単な道理で、今まで思考が一本の管だったのに、今やカーボンファイバーの密集した束のようである。それが意識の拡張である。


 今や私は、ヨハン・セバスティアン・バッハの『大フーガ』をパイプオルガンで演奏しながらフェルディナン・ド・ソシュールの『一般言語学講義』を熟読し、同時に極上のフランス料理を味わってもなお、この拡張意識は臨界点に到達しない。なぜなら、どれもこれもが単純で仕方ないからだ。重旋律のオルガン曲を一つ一つの音符で考えるのはアホのやること。瞬間的にとらえるのではなく、常に持続的に、三次元と時間次元が共存する四次元世界の産物らしく時間を添えて捉えれば良い。それらはさながら、どんな時も止まることなく絶えず変体しながら蠢き続ける音の粘菌だ。その点では人体にもよく似ている。間違いもホメオスタシスが直してくれるのだ。ソシュールの『一般言語学講義』に至ってはいかにも訳者がもっともらしく書いていて、固くて場違いな文法の言葉たちが私たちを幻術にはめようとしてくるが、その大半は受講生の余分なゴミの意思であって、ソシュール自身の言いたい内容は十分の一にも満たない。フランス料理などは所詮スパイスの闇鍋で、日本のダシの調和に到底及ばないことがわかる。この単純な刺激物の混合品は、あらゆる組み合わせと無数に近いにおいの融合という仮面をかぶったところで、平均的排便時間でもって解読可能である。


 さて、私の頭には常にこの世を満たす自然哲学と数学的諸原理、そして厖大領域の宇宙構造から極限まで小さい粒子に至るまで、ありとあらゆるものへの問いと答えが渦巻いている。どの文献論文も、どの言語のサイトにも、この雄大野蛮な思考に比肩する情報が見当たらないばかりか、どれもこれも足元にすら及ばない、塵芥である。屑鉄拾いが回収しに来る程度のものである。

 ここで一つのきらびやかな提案。

 私はこの偉大なる思考を残さないわけにはいかないのだが、日本語、いやこの世界の言語は、この拡張意識に対しては蚤の目玉のように小さく、とるに足らない。文字表記が確立して文面を司るようになった我々が、その文面につられるあまり思考を純粋に置き換えることができないのはわかり切ったことだ。それは第一に、文字言語と音声言語の並行性が教えてくれる。なぜknifeはクナイフではないのか。なぜウォーターはヲーターではないのか。それは正書法が音声変化に対応することなく腰を据えてしまったからであり、それはここのところずっと、存在理由のない書法をいつまでも保全し続けてしまっている。

 第二に、そもそも音声と文字にすらこのような差異があるのだから、意識と言語の差異は、途轍もない。しかし、確実にそれらは影響し合っている。「ヤバイ」と言い続けた結果、今の中年層は語彙力を喪失し、心の内から表出する感情と評価すら「ヤバイもの」としてしか感じ得ない。多義語が思考を奪い、廃人にした。

 だから、低俗な意識から解放された今の私に対して迫る、最も差し迫った喫緊の課題とは、つまりこの意識に似つかわしい、分相応の言語体系を作り上げることだ。この同時並列思考をそのまま写すには、構築規則を意識状に縁どらねばなるまい。それには意味の同時性・関連性・並行性などを内包している必要がある。

「はっ、バイトごときが。お前は仕事もロクにできないでなにをほざいてやがる」

 勤め先の社員たるシゲ氏の声。普段の私であれば唯々諾々と従っていたが、今は違う。今や知性の拡張に成功した新人類のような私に、そんな悪口が通用するか。

「シゲさん。仕事の出来で勝負しましょうか」

 殴られはしなかった。賢明な判断である。



◆九月十五日

(暗転していたステージが晴れやかに明転する。私が姿を現せば、すぐ巻き起こるけたたましき入場の拍手)

「あれはいつだったか。とにかく絶対的な時間軸で考えれば二か月もたっていないはずだが、我にとっては千秋、つまり一光年の距離を徒歩で歩きぬくような相対時間として感じられた。そこで得たのは、生まれながらの盲者が突然開眼したかのような、ビッグバンにも似た超爆発的膨張。そんな爆発的な知性がいつの間にか人体を染め上げていた。そして我は、この頭脳をもってついに、一つの言語体系を作り上げたのだ。名前はまだない。しかしながら。見よこの紙面にえがかれた小宇宙を!」

(スクリーン一面を細密画のような図絵が埋め尽くす。観客は誰一人として息をのまない者はいない。私は低級知能に伝わるような言葉言い回しをもう一度構築し、改めて息を整える)

「どうであろうか。まるで小宇宙。この世のすべてを凝縮した曼荼羅のようだろう。ああ、今のは素晴らしいひらめきだ。よし。この言語を、我は今ここで、言語曼荼羅と名付けたい!」

(何が起きたのかわからない馬鹿な観客ども。その理解力の乏しさには呆れ返るほかない。下調べすらしていなかったのか)

「開いた口を見せるな。よろしいか。我がこのカンファレンスに登壇したのは、言うまでもなくこの新言語体系:言語曼荼羅を広めるためであるが、これは我の偉大なる思考はもちろん、超人的な発想を悉く補導しきり、それら知性をさらなる高みへと送り上げるツールだ。言語は思考のツールであるから、これはその思考を表出する言語をもう一段階高次元のものにする道具の道具ということになる。

 その表記方法と能記に関して言えば、これは意識の純粋性をとことん損なわないようにしたために、自然言語の文字表記などとは全然異なる。基盤となるのは言うまでもなく文字であるが、これは現代に伝わる中で非常に表意性の高いマヤ文字を用いることにした。表意性が直接理解に作用する可能性はその文字が表音的運用すらされることによって薄れてしまっているが、しかしこれが全くないものと比較すれば、思考回路に与える影響は少なからずあるといえる。だからこそ、表語文字でありながら表意性が極端に薄れた漢字などお呼びは無いし、ラテン文字などの単音文字は、なかんずく言語曼荼羅には不向きなのである。

 またマヤ文字を用いた上で思考を曼荼羅化するには、さらなる技法が介入する必要がある。その中核は、文字と文の「構造建築」。思考の同時性を保ちながらさらなる多面化を目論む言語曼荼羅では、諸君らが普段見る文章のように文字たちが整然と整列させるのではなく、文章同士が柔軟に、時に放射状に、時に並列し、時にテンソル的にぶつかり合うことで織りなされる構造が無くてはならない。その為に、我はキュビズム的記述を採用した。もともと我々は、無形ではあるが段階的で階層的な所記・思考をペラペラな紙面や画面に落とし込むなどという背伸びの無理をしている。二次元空間に三次元以上の高次空間を落とし込むのだ。そうであるから、言語曼荼羅は、思考を分析し、構造を緻密に解体した挙句、抽象化して多重記述されなければ、曼荼羅としての忠実な形となり得ない。

 さらに言えば、言語曼荼羅には文章などない。ここでは我々の言う文章のような意味の集合体が一つの曼荼羅であり、意味以上の句切れは一曼荼羅でしかないのである。それは意味集合が全体としてみなければ意味をなさないことによるものであり、幾つもの能記がそれぞれ独自の意味を互いにもたらすような構造をしていることによるからである。

 ここで誠に画期的だったのは、この表記方法と表意・表語文字としてのマヤ文字が組み合わさった言語曼荼羅によって、あらゆる新発想が生まれ続け、それがまた新たな謎を生み、謎が謎を解明する連鎖を生み出したことである。有理数であらわすことができなかった数字を√記号によって表出することができたように、今まで表出不可能だった物事が、変哲無く容易に表せる。だから数学的な公理すら、次の曼荼羅がしめすように、もはや仮説的前提とはならず、古典的な思考が正しいことを指し示す形で、自明な命題となることがわかる」


(ここで私の前置きが終わる。さらにこの後様々な言語曼荼羅の表記方法や細かな注意事項がスクリーンに映され、またこの超次元の表記方法によって解明された数々の未解決問題に対する画期的な解決証明をざっと流す。なにせ重大なものでさえいちいち解説しているとキリがないほどの分量である。なるべく非自明な事象に対する解説を中心に施した)

「どうであろうか。諸君らのうち大半がこの曼荼羅表記を行う利点を理解していないだろうが、とりあえずその利点を理解した少数派の秀才を寿ことほごう。おめでとう。あなた方はもはや霊長類の意識から超人の意識へと、まもなく相転移する。何となれば、利点理解がもたらす意識階層は、我の崇高たる頭脳と曼荼羅の道標を参照することができる示しであるからである!」

(知恵熱が冷めきらぬうちに、私は無事発表を終える。倒れ込みそうになるほどの倦怠感が大脳と腰椎を中心として襲うが、終わりを知らぬ観衆の拍手喝采が私の理性を未だ留め続ける)

「君の知性はもはや人間の領分を超えた神の域だ。私だけでは不毛と考えていたことすべてが有益であると知った。神の領分にすら足を踏み入れた点こそ評価できないが、この理解手段はいずれにせよ星となって、永遠を生き抜くであろう」

 日頃の鬱憤を晴らすかのように、大声でソークラテースが言う。

「あなたが私と同時代に生まれていれば、今頃世界に核兵器など皆無だっただろうに」

 この声はアルベルト・アインシュタインだ。さらにもう一つ、張りのない、それでいてよく通る声が聞こえる。その方を見ると、

「あなたの話は、ここの所不気味なほどに短絡的なことしか叫ばれていなかった現代社会にロンギヌスの槍を一突きしたようだ。エニグマ以上に、それは私の学術的好奇心を刺激した」

 アラン・チューリングだった。

 それで突然拍手が止んだ。いや、止んだのではない。元からなかっただけだ。観客の座る椅子もなければ観客の一人もいない。目の前の巨大空間はディスプレイ。彼が立つこの地は独壇場ではなく一軒家の床である。

 それでも彼の興奮は治まっていなかった。目の前の景色がどうとか妄想がどうととかはどうでもよい。現実と妄想が融合してしまえば問題はなかった。



◆九月二十日

 我の拡張意識は発端こそアシッドの微量投与マイクロドーズをして覚醒せしめたものではあるが、結局は自らの力でそれを押し広げた。故に我はもはや、断じてそれを服用してはいまい。我にかけられていた呪いの言葉は、すでに晴れ上がった。神に懸けて誓おう。青空の如き広大さと、自然体系の一部と化した知恵の数々を見よ。それらにも誓おうぞ。枕元に無造作に散らかる小袋に、もう用はないのだということを。

〈藤城さん。最近、様子がおかしいですよ? 大丈夫ですか?〉

大丈夫だな、にをいうかそれよりぼくにかまうな例の資料を見せてくれさんざんむししたくせに

 もはやくだらぬ貧民ごっこアルバイトとは縁を切ったのだから、今更どうでもよい。身分をわきまえたまえ。

 言語曼荼羅による思考はだれにも邪魔できぬ。解読もカオティック過ぎて不可能だ。それどころではない。これだけの文字種に複雑極まりない構造は、まさしく二次元の、漠然たる立体迷路。見入ったら最後、曼荼羅の虜になり、精神は多重のネットワーク空間を彷徨う。

 そう考えると、私を軸にして人類は新人類へ変貌を遂げることとなる。しかしここから人類が人間を超越するには、集積回路とか知脳AIとか外部装置に頼っていてはゆけない。もし大自然、大海原や大森林で生きてゆかねばならなくなってもいいように、あらゆる機能を人体そのものに入れ込まなければ意味がないではないか。となれば、ゲノムに変化をもたらそう。究極は栄養をも摂取しなくても生きていかれる体を目指さす。兎にも角にも変化による進化をもたらそう。葉緑体が人体に垂直感染し、安定した細胞内共生を隔世で実現できるかだが。これには少なくとも五世代分の時間はかかる。一から四世代はそのことを知れば反乱を起こす恐れがあるから、人に知られてはまずい。これほどの超変化などは、やはりこの堅牢たる我の知能と、言語曼荼羅しか成し得ないことは言うまでもない。

 知られるということなら、我は自分自身についてもこれ以上ないくらいに知っている。私の姿勢からして仙骨関節が硬いことはわかりやすいが、それに応じて骨盤が後ろに  引かれて胸の緊張が強い。つまり意図的にも無意識にも呼吸によるエネルギー補給が少々しづらい。だからその分を食料で補給すべきだ。

 いや、待つべし。我の思い描いている青写真は、人類の頭脳性能をとうに超えたものではないか。それは第三千曼荼羅のごく一部を見ただけで知れる。我は己を標準模型にしてしまうという初歩的な誤りを犯していたらしい。

 インターホンの音。鳴り響き続けるインターホンの音。通知音に次ぐ通知音。狂いそうだ。ああ、狂いそうだ! せっかく狂っていなかったのに。忌々しい音へ告ぐ。即刻鐘を打ち鳴らすのを止めよ。

「おはよう。藤城蒼真さんだね?」

 知らぬ。特徴がない男が手帳を見せたところで、知らぬ。青と紺の制服風情。権力の犬が、この偉大なる知能の家前をうろつくな。騒々しい。



 日の威光に燒かれながら外の空氣をふんだんに吸うのは何日ぶりなのか。もう忘れてしまった。圓錐が敷き詰められた街竝みを見ながら、彼はなお曼荼羅を描き續ける。もう既に特異點の存在は突き止めているのだ。あとはこの豫想を實證するのみ。ラーメン屋の赤い看板に、自らの人體を構成する血が巡っていることを實感し、また周圍の人々が恐ろしいほどにゆったりとした速さで移動しているかと思いきや、突然コンコルドのように音速を超える早さを出しているのを肌で感じながらここまできていた。そこはそんな交差點だった。

「ついに」

 ついに彼は見た。目の前の交差點に、紙面の曼荼羅と全く遜色なく生えそびえる巨大な世界樹イグドラシルを。彼はまた、見た。高層巨大集合住宅コンドミニアムの閒から垣閒見える、あの世界蛇ヨルムンガンドを。世界の中心ミズガルド、ここにあり。彼がいるここが中心であり、彼が中心である。

 步みを進めると、近づくたびに、その時閒的・空閒的な感覺を失うことになった。自然の秩序も理も、アルファからオメガまで逆さま無秩序なのである。エントロピーの增大量に極めてムラがある。それは現實世界がネゲントロピーであったことを、マイナスのエンタルピーという槪念であるとした敎えなのか。まるで現實世界から變に無限次元の別世界へ、是非とも連續性を保ちながら開かれた擴張の步道のようだ。ここではもちろんコーヒーカップがトーラスと同價のようで、位相空閒にとって有意義な連續變形を繰り返すから彼=私=それは距離も層も超越して一つになっている。なおのこと、電磁波などはその後の副次的なものに過ぎてしまう。卽ち闇黑。

 ところでここは自然に離散する次元なものだから、もう何もかも常識が役立つかは見くびりがちである。平行線原理が成り立たないながらもツーセメント的に成立する非ユークリッド状にして、常識が成り立ちながら一部で成り立たないからしょうがない。一部はすでに切り立った相對性の穴。見える見えないは別で、そうなると私は感じれば、觸れるも防禦も實感も同然と定義している。

「か」

 そのほか「ら、ふぁ」と、人によってはどれにも聞こえるであろう彼の奇妙な發聲によって、あらゆる足場が消えたらしい。彼はもといた道路の眞っただ中に放置されていた。

「おい! くそったれ」

「邪魔なんだよ、あぶねえな」

「大丈夫ですか」

 彼の周りには、怒號と助けの手が同時に集まってきた。しかしもう彼には外界のことなど取るに足らなかった。彼はただもう、樹狀細胞の樹狀突起が際限なく膨張することだけを考えていた。

「ひぃ!」

 世界樹に觸れてしまった。かの別世界では空閒が收縮膨張を自在に繰り返している。不規則に亂れた鼓動のようなそれは莫大なエネルギーを生み出し、また當然の樣に、負のエネルギーもあらゆる座標に存在していた。物理法則が破綻したその破けた空閒では距離がない。つまり段階的に入ろうが、關係がない。體を構成する一素粒子でもそこに有ったらダメなのだ。

「なあぁ!」

 激烈な擴張思考に擊たれたようだ。腦内で言語曼荼羅を書き續ける。つまり彼は、何もかもが破けた空閒に足を踏み入れた:無限大の重力を持つ世界樹と同じ位相にいた:ということで自身の體がスパゲッティ化することを實感していた。その矛先は、彼の體内で最も上部にあり、最も價値の高い腦神經。それが無限に細長く引き伸ばされることで引き起こされる慘事を想像している。

 曼荼羅を際限なく展開する。それによると、まず樹狀突起が無限に引き延ばされることで腦と頭蓋骨が貫かれ、さらに無數方向へ伸び進む突起は、天文學的距離を突き進むために全世界のあらゆる生物を貫く。彼の腦細胞が、あらゆる生命體を擊ち拔き、串刺しにする。すでに死んだ彼自身によって全てが彼に包まれる。それは彼も例外ではなく、死んだ後もなお自身の細胞は戀焦がれる戀人のように、彼をも貫き續ける。地球は彼の「灰色の腦細胞」に覆われ、まさしくグレイ・グーとなるのだ。

 彼は急いだ。自らの腦細胞がスパゲッティ樣に超高速で細分化されるよりも早くこの頭を處理しなければ。秒速一萬キロを超える早さで、彼はピットを見つけた。あそこには燃料がある。全てが赤、赤、ピンク、白、赤。さあライターを!


二十五日午前十時半頃、千葉県柏市の住宅街の交差点で、近くに住むフリーターの男(三二)が、突然発狂して交差点に這いつくばった後、しばらくして近くのクラフト用ピットで給油をしていた女性に突進した。女性が倒れると、男はノズルを奪い取り、燃料のような液体を自ら体にかけて火をつけた。火は瞬く間に女性をふくめた二人に燃え移り、間もなく二人は医療ドクター管翼ドローンで病院に運ばれたが、男は同日夜に死亡し、女も大やけどを負って意識不明の重体。警視庁柏署は男を異常な精神状態で自殺をしたとみて調査を進めている。

 二〇三九年九月三十日 文・藤城蒼真



 二人は駅から少し遠い、寂れたビルに訪れていた。ごくごく小さな精神科は、その最上階にこっそりと息をひそめる……。つたが壁一面を覆っていた。

 中は意外にも小綺麗で、十分に加湿もされた快適空間に仕上がっていた。しけった独特のにおいに、皆落ち着きを強制させられる。院長が書いたいかにも難しげな単行本と気軽な雑誌が同じ本棚に置かれている。不釣り合いだ。

 二人はもう、それぞれの精神状態があるから、そんなことしかやることが無い。それでようやく一人ずつ、診察室に通される。最後に二人同時の面接が始まった。

「息子は」

「うん、じゃあね、お母さん、心して聞いてください。まあ、あの状態ですから、少しはわかっているかとも思いますが、まず言えるのはね、確実に予後不良であるということです」

 院長は一息置いた。母親は必死に感情の氾濫を制御しているが、もうその決壊も時間の問題だった。院長はまだその整理がつかなそうだと判断して、意味もなく電子カルテに記入するふりをする。

「いいですか? 一応聞く限りでは統合失調症のような症状だとは思いましたが、実際はそんなものじゃないんですよね。それに加えて言語障害もありますよね。あと息子さんの言葉を注意深く聞いていると、頻繁に”薬の力は借りていない”とかいう言葉があったんですよ。それに関して心当たりは」

「ありません。うちの息子が、そんなもの」

「そうですか」

 医師が本当に電子カルテに文字を打ち込んでいる間、言語曼荼羅に脳を犯された彼は満足に話すことも出来ず、また思考も日本語を忘れたようで、何一つ理解しようとはしなかった。

「何の病気なんでしょうか」

 ちらりと視線をずらした母親の目に、『DSM-6 精神疾患の診断・統計マニュアル』の題名が移りこむ。院長の後ろに敷き詰められた本の集合から、それだけが突出して見えた。

「麻薬をやっているとすると……、その大半は精神科の面から説明がつきますが、まああくまでそうではないということでしたら、言語障害ということもあって、もしかしたら左大脳半球というですね、脳の一部に腫瘍ができているのかもしれません。それで言語中枢が圧迫されているとか」

 その間に、彼は何かを求めて視線を勢いよく泳がせた。それで机の上にある一枚の写真が目に止まった。手に取り眺める。壁にこびり付いた蔦。一般人なら、これはこの精神科の外観を少し前に取ったものと理解するが、彼は違った。彼はそこに、言語曼荼羅の片鱗を見た気がしたのだ。必死に、それらをマヤ文字表記に直そうとするが、それは失敗した。であれば、その逆を試す。頭に描いた曼荼羅を極端に単純化して、この蔦と葉に似た抽象表記を導く。相談をする二人が何やら話し込んでいるのが、彼には理解できない。全てを理解するために、言語曼荼羅を理解しているから。

「うぅん」

 人知れず導かれた蔦の曼荼羅は、こうだった。

 Y=xh+x=Wyモウソウ=ゲンジツ



 男は未だ、あらゆる物事を言語的に曼荼羅へと落とし込み、自らを中心としたこの世そのものを知ろうとしていた。世界樹は何だったのだろうか。自らの生や死に意味はあったのだろうか。一つの謎が、それ自体呼び出した謎を解明するが、解明に用いられた謎は解明されていないこともある。とにかくあらゆる事を解明するのが彼の仕事であり、やりがいであり、その体全体が、有象無象を解明するオートマトンだった。


 止めどなく、ひたすらに言語曼荼羅を書き続ける。やせ細り、顎は削れ、血豆が破裂し、手首と指が熱で自壊を起こそうとも、男は止めない。だからこそ、ここまでたどり着いたのだ。このあらゆる真の内の一つに。


私→彼→君→あなた→神→人→人々

↑---=第二十五万七千曼荼羅=---↓ 

人々←人←神←あなた←君←彼←私


 そう。無数の並行時空の先から、確実に彼は見ていた。彼女も見ていた。

 だから無数の目に見られていることを知った時、その男は、これで筆をおいた。自分もまた、燦然と輝く彼らを見てしまわないように。

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言語曼荼羅 凪常サツキ @sa-na-e

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