人生の果てに、今はただ貴女に会いたくて(宵闇機関車)【ショートショート900字未満】

蒹垂 篤梓

人生の果てに、今はただ貴女に会いたくて(宵闇機関車)

私の、人としての役割は総て全うした

近頃はそう思えてしかたがない

生きるとは何だろう

死ぬとは

それらを考えることに如何ほどの意味があろうか

死とは生きていないこと

生とは死んでいないこと

死ねば何もできなくなる

何かをするなら生きているうち

人の一生でできることなど高々しれている

人を愛し

子をなし

育て一人前になるのを見届ける

それ以上になにかすべきことがあるだろうか

私は私の人生に十分満足している

私はもう……

行きつけのパブで温いエールをちびちび舐めていると

どこからか噂をする声

あの廃駅に深夜、通るはずのない機関車が来る

真に悔いなく人生を生きた者だけが乗れて

誰にも知られず神の御許へ行けるのだと

真に悔いのない者だけが

その晩、

私は早速その廃駅へ向かうことにした

幸いなことに、私がまだ若い頃に使ったことのある駅で

場所もよく知っている

午前零時を前に、駅に着く

昔は活気もあったが、工場の閉鎖などで利用者が減り廃線になった

好い時代だった

私も若く、彼女――私の妻も若かった

貧しくはあったが、二人で仲睦まじく暮らしていた

三人の子供にも恵まれ

皆がそれぞれ巣立ち、家庭を持ち、子を生み、育てる

二人でそれを見守った

残念ながら、彼女は一足先に行ってしまったが

ぼんやり昔を懐かしんでいるうち

どれだけの時間が経ったのか

草が生えて荒れた線路が小刻みに揺れる

遠くで眩い光が灯り、段々と近付いてくる

ぼぉぉうという汽笛が鳴り響き

がたがたと地面が揺れる

ああ、懐かしい

そうだ、あの汽車に乗って通ったのだ

妻に見送られ、後にも小さい頃の子供たちにも

ほろりと泪が零れる

やはり私は立派に生きたのだ

なすべきことをなし、もはや、何も残すことはない

煙を吐き、ごとごとと空気を揺らしながら汽車が駅に入ってくる

客車の扉が目の前に

恐る恐るステップを登る

車内の様子を見渡す

私の他に乗客は一人だけのようだ

シートの背凭れの向こうに女性の帽子が見える

あの帽子、見覚えが

まさか、いや、まさか……

覚束ない足取りでそのシートの傍まで近寄り

意を決して

「あの……」

振り向いたその顔は、懐かしいあの頃の笑顔

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