第50話*ressentiment/ルサンチマン(9)
リキュアの丘に続く坂道を登り、台地に到達するとシンデレラのかぼちゃの馬車を模した金色の檻を両手で抱えた魔術師姿の少年がいた。
抱えている檻の中には、囚われのアヤがいるはずだ。
ヨミは少年に近づきながら躊躇いなく話しかける。
「君が作った脚本、用意した舞台の配役に則って、僕は君が望んだであろう役を演じてみたわけだけれど、果たして君の期待に応えられたのかな?キララくん」
いや、とふっと不敵に微笑み言い直す。
「キラーラビット」
隠していたプレイヤーネームを口にされ、キララは肩をびくりと肩を震わせた。
「キ、キラーラビット?え?キララさんの名前です?」
姿は見えないが戸惑うアヤの声にヨミは答える。
「やぁアヤさん、迎えが遅くなったね。窮屈な思いをさせてしまってごめんよ」
「いえそれがお兄様、意外と快適です」
虐げられているわけでもなく、閉じ込められているだけ。リアルでは花奏が用意してくれたお菓子で一応の空腹は癒せているわけなので、困ってはいない(でもお茶は飲みたい)。
「ふふ、さすがと言おうか。君はどんな状況でも動じないね」
微笑み、続ける。
「彼の正式なプレイヤーネームはキラーラビット。キラーラビットとは、本来狩らるだけの無力なウサギが人間……とくに貴族に対して悪逆非道を尽くすことで庶民が溜飲を下げるという、中世西洋で描かれてきた風刺画のひとつさ。その名を名乗ることで、君は溜飲を下げられたのかい?」
「……っ……」
まっすぐに問われて、キララは目を逸らす。
逃げ出したいのをキララは堪えていた。しかし、ここで逃げ出してしまったら、ここまでの努力は水泡に帰する。
押し黙るキララに対し、ヨミは構わず言った。
「僕はずっと待っていたよ。君がこうして僕に接触してくれるのを。僕から近づいても、君は逃げてしまうだろうからね。現実世界の煩わしさは、ゲームの中では瑣末だ。力を蓄えて、或いは僕を倒しに来てくれるのではないかと期待もしていた」
ヨミは腰に手を当てて軽く首を傾げる。
「だが、君は僕に近づいて来てはくれなかった。今回のように、時々悪質プレイヤーを僕に差し向けて、処理させるばかりでね」
「…………」
気づかれていたのか。いや、気づくか、こいつなら。
キララは唇を噛む。
「君は存外秩序を重んじる、ピースメーカーだ。傍若無人な悪質プレイヤーに近づき、言葉巧みに焚き付けて、嫌がらせがてら僕にぶつけている分には、誰にも角が立たない。それどころか、自分の手を汚さず悪質プレイヤーを排除できる上に、ゲーム内の秩序も保たれる。一石二鳥だ。君は賢いな」
皮肉られているようで、キララはムッとする。
「お前に……お前におれの何がわかるって言うんだよ……!力を蓄えてお前を倒すだって?!ふざけんなよ、お前はいつだって頭抜けてるんだ。何をやっても間違えない!そんなやつに、おれが正攻法で敵うわけないだろ!できるならとっくにやってた!おれにはこういうやり方しかできないんだよ!いつだってそうだ、いつだって……お前はおれの前にいて、誰もおれを見ないんだ!みんなお前ばかり褒め称えて!比較だけして!学校でも……父さんだって……!」
肚の中にあった黒いものを一気に吐き出して、キララは興奮気味に呼吸を繰り返す。
「……おれはそこにいても、いないようなものだ。お前にはわからないよ、俺の劣等感なんて……」
スポットライトを浴びるのはいつも彼、その陰に埋もれて認識もされない自分。存在している意味もわからない。何のために自分は生まれてきたのか、自問自答を繰り返す日々など。
最後はがっくりと肩を落としたキララの姿に、アヤは檻の中で挙動不審になる。
キララの口ぶりから、もしかしたらそうなのではないかと薄々感じてはいたが。
ヨミさんとキララさんって……現実世界の知り合い……?しかも、身内っぽい気が……。
こ、これ。わたしがこのまま聞いててもいい話なのかな……?耳を塞いだ方がいい?
迷っている間にも、会話は進む。
「わからないさ。子供の頃はそうでもなかったけれど、いつからは君は僕を避けるようになったからね。何をも語らずただ察してくれでは、僕も、叔父さんも君を理解はできないんだよ……ハルオミくん」
「……っ……」
アヤはいよいよ固まった。
ハルオミ……くん?こ、これ……キララさんの本名なんじゃ……。
名前を呼ばれたことで、キララは顔をあげてキッとヨミを睨みつける。
「うるさい!黙れよ、トオヤ!」
すっとアヤの息が止まる。
トオヤ。
今、キララさん、トオヤって呼んだ。ヨミさんのこと。
じゃあ、それが……ヨミさんの、本名……なの?
互いを隔て、閉じられていた秘密を耳にしてしまった気がして、アヤはいよいよ耳を塞ごうとしたのだが。
「……構わないよアヤさん。僕らの事情に巻き込んでしまった君には聞く権利がある。無関係な君がここにいるから、彼も僕と向き合えているのだろうからね」
「う……で、でも……」
「いいんだ」
ヨミは微笑んだ。
「彼と僕はいとこ同士でね。昔彼の家で世話になっていた。僕と違って彼は繊細な性分で、年齢が近い分比較もされ、随分と傷つくことが多かったようだ。だから何度か僕が家を出て独立することを提案したんだが、伯父になかなか聞き届けてもらえなかった」
「父さんは、お前を気に入ってるからな。優秀なお前の方が可愛いだよ、出来損ないのおれなんかより……」
「僕は単なる甥だからね、適当に可愛がれるのさ。だが君は違う、伯父さんは君に対して責任がある。君への厳しさは、同時に期待でもあるんだよ」
「……よく言うよ。会社にとって必要なのはおれじゃなくて、お前みたいな天才なんだ。おれはその器じゃない」
吐き捨てるキララにヨミはふっと笑った。
「何がおかしい?!」
「いや、本当に君は自分のことを何もわかっていないのだなと思ってね」
「どういう意味だよ!」
「君の才能について、君自身が無知なのだから困ったものだ」
「……バカにしてんのか、お前」
「いいや?〝優れたものの発見はもとより稀であるが、優れたものが認識され、それ相応に評価されるのは、なおそれ以上に稀だ〟と言っているのさ」
「ゲーテじゃ話が通じないんだよ!この天才バカが!」
「……そうか。平たく言おう」
天才バカと言われたことについては動じる様子もなく、ヨミは頷いて続ける。
「君は目的遂行のために時間をかけて、根気よく物事に当たることができる。今回もそうだ。僕をこの舞台に誘い込むために、まずアヤさんに目をつけた。彼女が僕の妹という設定を持たされてすぐにだ」
「え、そ、そうだったんですか?!」
かなり初期の段階でキララはアヤを認識していたということになる。
「そしてまず彼女の人格を見極めようとした。魔女たちに悪意を調合した薬を手渡したのは、君なんだろう?」
「…………」
アヤがヨミに執着する魔女たちとどう接するのか、そして件の毒薬を飲むのか、キララは影から息を潜めて観察をしていたのだ。アヤが安易な保身に走るかどうかを。
「ところが
さらに続ける。
「外側からアヤさんを観察しているだけは、彼女の利用価値がわからない。ゆえに君はアヤさんに直接接触することにしたわけだ。邪魔者のネット回線を落とすほどには、用意周到に仕掛けてね」
キララはカイトを介入させないために、彼の所在を特定し、回線に手心を加えていた。
「そう。ハルオミくんはあの日にアヤさんを見極めるつもりでいたんだろうね。そして僕の出方を見るために、キマイラの巣に突き落とすつもりでいたはずだ」
「……!……突き落とす?!」
ぎょっとしてアヤはキララを見やると、気まずげに顔をそむけた。
「で、でも、わたし、自分で落ちちゃいました!それに、あの時……キララさん、わたしを助けようと手を伸ばしてくれましたよ……?!」
焦ったように手を差し伸ばしてくれた姿を覚えている。
「あ、あれは……自分から落ちるなんて想定外だったから……咄嗟に手が出たんだよ……!」
キララはさらに気まずそうに呟く。
「……きみがあんまりも無防備でのほほんとしてるから、こっちが拍子抜けしちゃったよ。トオヤの影響力を利用してるでもないし、どちらかといえばいいように遊ばれてるみたいだったし……逆に可哀想になったっていうか……」
「……可哀想……」
がーんと少しショックを受ける。アヤ、実は利用価値なしだった模様。
「だから、君はそうやって檻に入れることで無頼の輩から彼女を守ったのだろう?その檻は内側から圧倒的な力で壊すか、術者を倒すかでしか解放されない。彼らが君を仲間だと思っている間は、必ず守られる」
「え、そ、そうだったんですか?!」
囚われていたと思っていたが、実際は守られていたようだ。
「……余計なことしか言わないやつだ……」
キララは舌打ちをした。
「状況や人間をコントロールすることは難しい。だが君は洞察と根気によってそれを成し遂げることができる。これは君の才能じゃないか。その才能の目に向けない者の評価など棄ておけばいい」
「……そ、それは……おれにはそれくらいしかできないから……」
「やれやれ。それくらい、か。……アヤさん、どう思う?」
納得できない表情のキララにヨミは軽く肩をすくめながら、アヤに話を振る。
「え、わ、わたしですか?!」
「ここまでの話を聞いて、君は彼をどう思った?」
「……そ、そうですねぇ……」
アヤは腕を組んでうーんと考える。
「それくらい、とは思わないです。逆に凄いことじゃないですか?全部を理解しているわけじゃありませんが、キララさんのひとつのことを成し遂げるための執念は、誰でもできることじゃないと思いました。お兄様が言ったように、物事を自分の思い通りに動かすことってすごく大変なはずだから」
キララの原動力は、複雑な感情を抱いているであろうヨミの存在が間違いなく大きい。
彼は、ヨミは誰にも負けないという信頼を担保にして、悪質プレイヤーを焚き付け続けたに違いなく、ヨミがそれで破れるのだとしたらそれはそれでキララは失望をしたかもしれないのだ。
一言でいえば、愛憎相半ばするである。
「なんとなく、キララさんはコンプレックスを拗らせてしまっているのかもしれませんが、」
「そうだよ、どうせおれはコンプレックス拗らせた面倒くさいやつなんだよ」
キララは口を尖らせた。
「貶してないですよ?!……あ、それで、思ったんですけど、コンプレックスのせいで、無いものばかりを見てしまっているのかなと感じました」
「え?」
「『有るを見る』ですよ。人って自分に足りないもの、持っていないものばかりに目が向いてしまうけど、無いものではなく、自分が持っているものに目を向けて、それを温めて育てることが大事だって……わたしのおじいちゃまが言ってました」
なるほど、こういうことなんだなぁとアヤは頷く。
「……有るを見る……」
「はい。キララさんの一つの物事を成し遂げるための根性は半端じゃないと思いました。きっかけがどんな感情であろうと、続けることは才能です。でもコンプレックスは武器にもなります。もういっそ、お兄様とは違う方向性で突き抜けちゃえばいいんじゃないでしょうか!レッツ、トライ!」
「…………。簡単に言うなぁ……」
こういうところは本当に呑気な子なんだなぁ……。怒りや毒気が抜けるよ。
はぁとキララは息をつく。
しかし不思議と彼女の言葉には反発心が湧かない。これがヨミなら素直に聞けないところだが……。
「おれが画策したことなんて、こいつは全部お見通しで、その上でこの筋書き通りに動いてたに過ぎないんだ。……まあ、この世界で出し抜けるなんて思ってなかったけどさ」
「だとしても、ちゃんとキララさんの思惑通りになりましたよね。お兄様もここに来ましたし」
「……そうだけど……。なんか釈然としないな……」
キララは眉を寄せる。
「ハルオミくん。一度しっかり、伯父さんと話をした方がいい。君からのアプローチが難しいなら、僕がお膳立てしようか。君の能力や優れた資質について、僕が伯父さんにプレゼンしても構わないしね」
「……えぇ……?」
パワーポイントで作られた資料がスライドされ、家族を前にジョブズ並みの弁論術でプレゼンテーションをするであろう従兄弟の姿を想像して、シュールすぎると思った。
「いいよ……そんなことしなくても。恥ずかしいし」
長年モヤモヤしてきた相手に対して、あっさりと打ち解けることはできないが、今ならアヤのおかげで少しは本音で話せそうだと思った。
「……トオヤ、おれはお前が残すものの尻拭いはごめんだ。そのために会社を継ぐのも嫌だ。……まぁどうせ、期待もされてないけど……。……お前が大きくした会社だ、父さんや俺に押し付けず、最後までお前が面倒を見ろ」
「なぜ?その気になれば、君は僕の生命を断つこともできる立場になれる。スイッチを切るだけで、全てを終わらせられるのに」
「そんなことしたって、おれのコンプレックスは解消されないだろ。優越感どころか、胸糞だ。お前はずっと、ムカつく目の上のタンコブでいろよ。あ、でも会社は継がないからな!」
盛大なため息をついた後、「ずっと……これが言いたかった」と最後は不貞腐れたように結ぶ。
現実世界では、彼に伝えることが難しかった。向かい合うと劣等感ばかりが刺激されてしまうからだ。
だからこそ、こんな回りくどいやり方で目的を果たそうと思った。面倒臭い性分なのは、重々承知の上。
しばらくヨミは沈黙したが「そうか」と呟いた。
「……それが、ここまでした君の望みか……。……無下にはできないな」
困った、とヨミは苦笑いを浮かべる。
「……それじゃあ」
と言いながら、キララは抱えていたかぼちゃの檻を少し離れたところへ置く。
「フィニッシュと行こうぜ。俺をキルしてあの子を解放しろよ。でないと、この舞台は終わらないし、おれが唆した連中が納得しないだろ」
ヨミに斬られる覚悟を持って、キララは前に出る。
だがヨミは動かない。
アヤが自由になるには、自力で檻から出るか、術者を倒すしか解放する手段はないと言っていた。だから自分を斬れとキララは言っているのだ。すなわち、初めてヨミがキルした人物としてキララの記録が残ることになる。
これは、ヨミにとって後悔になるのではないだろうか……?
両者の緊張感に耐えかねて、アヤは口を出す。
「ま、待ってください!ちょっと深刻になりすぎですよ?!」
ヨミとキララはアヤに視線を流す。
「……第一に、これは『ゲーム』じゃないですか!遊戯ですよ?!楽しくないのはゲームじゃありません!キララさんが斬られるのは楽しくないです!ダメです、ダメ絶対ですよ?!お兄様!」
必死に訴えかける。
すると、表情薄く彼女を見つめていたヨミは軽く吹き出した。
「ふ……そうだね。アヤさんの言う通り。楽しくないなら、それは
「……ちょ……!こいつがおれを斬らなきゃ、君は解放されないんだよ。わかるだろ?!」
「いや、そうでもないよ」
ヨミは確信的に微笑む。
「は?どういうこと?!」
キララが怪訝に問い返すと、ヨミはアヤに告げる。
「アヤさん、
「……ア、アレ?」
アレって、ドレ?
なんのことか意図がわからず、アヤか首を傾げた。
わたし、何か持ってたっけ?
アヤの思考を読んだように、ヨミは言う。
「持ってるじゃないか、そこから自力で解放される……
「……圧倒的な………………あっ!」
そこまで言われて、やっと思い至る。
アヤの地味なインベントリの中で、場違いに輝いているレジェンド武器の存在を。
そう、ヨミがアヤに預けた(押し付けた)ままになっているワールド最強武器ヴァルキリーシリーズの頂、『ブリュンヒルデ』をここで使えと促しているのだ。
「……で、でも……」
「僕が許す」
持ち主に許可されてしまったら、もう逆らえない。
仕方がなくアヤはインベントリを開いて、おずおずとブリュンヒルデを取り出すと、構える。
「やーーー!」
とくに技を出すでもなく、ブンと力任せに振るうと檻は鋭く裂けて弾け飛び、アヤの身柄を解放する。
「……や、やったー!出られた!さすがブリュンヒルデ!」
元のサイズ感に戻って安堵するアヤの手に握られている煌びやかな真紅の剣に、キララは目が釘付けになった。
唯一ヨミだけが手にしているワールド最強武器。てっきりヨミが所有していると思っていたキララは驚きを隠せない。
「えぇ?!な、なんできみがそれを持ってんのさ!」
聞いてないよ、そんなの。リサーチ不足だった?!このおれが?!
ショックを受けるキララにアヤは気まずく笑う。
「……この武器が何も知らないでお兄様に渡されて以来、ずっとわたしがお預かりしております……あはは」
「好きなように使っていいのに」
「いーえ!これはお兄様のものですからね!私用厳禁です!……あ、ちょうどいいから今お返します!」
ずいと差し出すも、ヨミは首を横に振るだけで受け取る気配はない。
設定上の兄妹のやりとりを前にして、キララは肩を振るわせる。
「きみがそれを持ってるなら、人質になるまでもなかったじゃない!何やっての?!バカなの?!」
力任せに振るうだけで、ヨミを待つまでもなく悪質プレイヤーの軍勢を蹴散らせたのではないだろうか。少なくとも、かなりの数は減らせたはずだ。
「そもそも、わたしのものじゃありませんから。それに……クソ雑魚のわたしが持ってるって他の人に知られたら、怖いプレイヤーさんに襲われちゃうじゃないですか」
そんなのヤダーとばかりにアヤは顔を顰めた。
「……呆れた……」
宝の持ち腐れとはまさにこのこと。とんだ隠し武器持ちだ。
「さて……これで、君をキルする必要はなくなったね」
「……終わり方がこれじゃ締まらないなぁ……。せっかくお前の記録に土がつくと思ったのに」
「ふふ、残念だったね」
「あーあ……」
キララはローブのフードを払うと、息をついた。
「帰るよ。焚き付けた奴らにおれが無事だと知られたら厄介だから、もうこのアカウントは使えないや」
起こした祭りの大きさと比較して、あまりにもあっさりとした幕引きに拍子抜けしながら、キララ……いや、キラーラビットはふたりに背を向ける。
「袋叩きにされる前に消えないと。……じゃあね」
言うが早いか、彼は駆け出して丘から去っていく。
アヤはブリュンヒルデを仕舞いながら見送った。
「行っちゃいましたね。……キララさん、言いたいこと言えたのかなぁ」
「たぶんね。こんなに彼と話したのは、子供の時以来だよ」
「そうなんですか?」
「うん」
ヨミを見上げると、彼はアヤに微笑みかけていた。
「お兄様にとっても、これはよかったことですか?」
「もちろん。君には、とても迷惑をかけたけどね。……さすがに、今回ばかりは僕に腹を立てたんじゃないかな」
「どうしてですか」
「ハルオミくんとの対話の機会を逃すことを惜しんで、意図的に君を泳がせ、餌にした。彼が君を守るだろうと踏んではいたけれど、絶対はないからね」
「…………。正直に言えば、ちょっと怖かったです。でも、お兄様の影響力を鑑みずに、フラフラしていたわたしの自己責任でもありますから、怒るのはお門違いです。……わたし、キララさんとあれこれお話ししてみて、
「饒舌に話を……そうか」
頬を緩ませるアヤを見つめて、ヨミは感慨深く告げる。
「彼に鎧を脱がせたのだね、君は」
「そ、そうでしょうか」
「うん。だから君の言葉は彼に響いた。凄いな、僕にはできない芸当だ」
「そ、そんなつもりはなかったです……」
照れるそぶりのアヤをヨミはじっと見つめる。
「君の器は広く、底も見えない」
「……え?」
「君の言った『有るを見る』はとてもよい思想だ。幸福は自己に満足する人のものである、というアリストテレスの言葉に通じるものがある。……だからこそ、興味深い」
彼女はすでに、足るを知る者なのだ。
君は受容性の塊なのか、それとも、実は全てにおいて無関心なのか……。
僕と君は、異なる概念だと思っていたけれど、もしかしたら紙一重なのかもしれないな。
黙り込んだヨミをアヤは不思議そうに見返す。
「……お兄様?」
「……いや、ごめんよ。つい君を哲学してしまいそうになる」
「て、哲学……」
そんな高尚な話をしてました?
大きく首を捻ったアヤだったが、ふと誓っておかねばならないことを思い出し、ヨミを改めて見上げる。
「お兄様、あの……言いませんから!」
「うん?何を?」
「お兄様の……その、お名前です!……もちろん、キララさんのお名前も!……わたし、言いませんから、誰にも!絶対!」
トオヤという、ヨミの本名は。秘めたままにするのだ。
(ふたりの込み入った会話の内容の意味はほとんどわからなかった。が、どうやら彼らの親族が?会社を経営しているらしいことはわかった。とはいえ、それで彼の身分や家庭事情がわかるわけでもない)
力強く告げると、彼は面食らう。
「……あ、ああ……?そういえば、お互い名前を出してしまっていたのだったね」
すっかり失念していたのだが。
「……そうだね。君は、言わないね」
これまでの関わりで、アヤの口の堅さは信用している。
彼女が貝になると誓うならば、それは弟にすら漏らさないということだ。
アヤが弟に秘め事を持つのはなぜだろう……それは少し、高揚する。
「そう。僕の名前は遠い矢と書いて、トオヤと読むんだ」
「?!……そこまで教えちゃっていいですか……?!」
アヤは狼狽えた。
「君は言わないのだろう?」
「も、もちろのろんです!」
うんうんと何度も頷く。
「なら問題ない。これで、君は僕の秘密をひとつ知ったことになるね」
君は僕の秘密を、どう扱うのかな……?
親しみと魅惑に満ちた微笑みをヨミはアヤに向けた。彼女は思わず見惚れて頬を赤らめる。
否応なく、意識してしまう。
……ぐっ!落ち着けわたしの心臓!お兄様の全力の微笑みは犯罪的すぎてリアルわたしのHP削られちゃう……!
遠い矢と書いて、トオヤ。遠矢さん、かぁ……。いいのかなぁ?知っちゃったけど、いいのかなぁ?
え?言わないよ、誰にも言わないけど!黙ってるけど!でもなんだか、嬉しい……かも?
ニコニコしているヨミにアヤがひとりでドギマギしていると、アヴァリスのクランたちが合流する。その手にヨミが放置した彼のレジェンド武器を携えて。
「よぉ、妹ちゃん無事か」
イツキは武器をヨミに押し付けながら話しかけてくる。
「はい、無事です!……よかった、みなさんが来てくださって……!」
危うく兄の笑顔で尊死するところだった。
「ヨミ、まさかアヤ嬢にセクハラをしたのではないだろうな」
イツキ同様に拾った武器を持ち主に押し付けながらツカサがあらぬ疑いをかける。
「……したのかな?記憶がないな」
「ハァ?!!アヤばっかりズルいわよヨミィ!!貧相なアヤじゃなくて、アタシにしなさいよ!!いくらでもセクハラし放題なんだから!!ウェルカムなんだから!!」
レジェンド武器を投げ出しながらエンジュはヨミにクネクネと絡みつく。
「……お前がセクハラしてんじゃねぇか。過度に」
「存在そのものがセクハラだな。絵面がアヤ嬢の教育によくない」
イツキとツカサの遠慮のない指摘を受けながら「うるさい!」とエンジュは喚いた。
一気に場が賑やかになった。
アヤは自然に笑顔になったが、その時、聞き覚えのある声が近づいてくる。
「コラーーー!!ヨミーー!!」
丘をよじ登ってきたらしい弟、花奏……いや、レイラスだった。
「今日という今日は本気で許さん!!」
レイラスはアヤにもアヴァリスのクランたちにも目をくれず、一直線にヨミに駆け寄ると感情のまま拳を振り上げる。
「一発喰らえ!!」
レイラスが繰り出した拳は、そのままヨミの頬に見事ヒットする。……が、強すぎる体幹で、びくともしなかったのだが。
避けるとばかり思っていた一同は、ぎょっとする。当のレイラスすら。
「……あ、当たった……?」
「いい打撃だ」
弟の拳がヨミのすっきりとした頬に食い込んでいる様にやっと我に返ったアヤは「ヒッ!」と小さく悲鳴をあげて弟を引き剥がし、その後なめらかな土下座へ移行する。
「も、申し訳ございません、お兄様!弟が、弟が大変失礼な真似を……!!お詫びいたします……!!」
なめらかな土下座はモグラたちに教わった。これを繰り出して、許されないことはないと言っていた(とくに現実社会では有用であると)。
「ギャーーー!!ヨミ、痛くない?!痛くない?!」
エンジュがヨミの頬を撫でる。
「うん?ああ、HPは1……未満減ったかな」
「なんてこと!ちょっとアヤ?!アンタ弟にどんな躾してんのよぉ!」
「め、面目もございません、エンジュお姉様!あとでしっかり叱っておきますので……!」
「1も減ってないとかムカつくな」
ほら、立って。とレイラスは姉を立たせる。
「謝罪は必要はないよ、アヤさん。君を危険に晒した。レイラスくんには当然の権利だ」
「……だな。これは許容される一発だ」
ヨミの言葉にイツキも同調する。
「むしろ、一発で済んで僥倖だったぞヨミ」
「そうだね」
ふふとヨミは笑った。
「気が済んだかい?」
「済んでない!でも時間も惜しい」
レイラスに尋ねるも、彼はそっぽを向く。
「夕飯の支度がしたいので、俺たちはログアウトしたんですが?誰かさんのせいでいつまでたっても支度が進まないですよね」
「生活感に満ちた話題を持ち込んでくるねぇ、弟くん」
イツキは苦笑する。
「……僕としても、彼女を解放したいのは山々なのだけれどね」
「?……まだ何があるんですか?だったら、とっとと解決してもらえませんか」
見たところ、すでに祭りは済んでいるようだったが。
「そうしたいのだけれど、予定が読めない」
告げながら、ヨミはすっと手の甲を皆に見せる。彼の指にはめられたオーレリアンの指輪が赤々と光を放っていた。
皆、指輪を凝視する。
「……え、ま、まさか……それって……」
アヤは息を呑む。
兄妹の証が赤く光を放つ時、彼のドラゴンは飛来する。
強制イベント『モルス・ヴァーミリオン襲来』の警鐘だ。
「え、来るのか?ドラゴンが?今から?ここに?」
さすがのイツキも戸惑いを見せる。
「ふふ、このタイミングで仕掛けてくるとは……趣味がいいじゃないか」
ヨミはニヤリと笑う。
「はー、まだ落ちれないのか……」
ため息混じりの弟の言葉に、アヤは少し絶望的な気分になっていた。だからつい、叫んでしまうのだ。
「……もーー!せめてご飯をべさせてよーーー!!またお腹空いてきちゃったのにーーー!!」
一難去ってまた一難。ドラゴンは彼らの都合など考えない。
アヤの嘆きを無視して、新たな戦いを前にリキュア平原には赤黒い雲が垂れ込め始めていた。
オンラインゲーム内で最強お兄様の妹になりました。 阪 美黎 @muika_no_ayame
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