「新しい学力」についてあれこれ言う前に読んでおくべき本。中村高康「暴走する能力主義」

西村洋平

「新しい学力」についてあれこれ言う前に読んでおくべき本。中村高康「暴走する能力主義」

これは大変面白い本でした。一気読み。教育界ではだいぶ前から「これからは新しい学力が必要だ」「ペーパーテストよりもコミュニケーションだ」「21世紀型能力だ」「非認知能力だ」みたいなことを主張する方がいますが、そういう議論に心から共感している人も、疑いつつも「…でもこれだけ多くの人が言っているしそうなのかな?」と思っている人も、うんざりしている人も、読んでおくと良いでしょう。


この本は、「なんで「新しい学力」をめぐる議論が起きているのか?」を説明してくれます。と言っても、「工業社会から知識基盤社会へ」といううんざりするテンプレの話ではありません。「能力を測定すること」や、前近代から現代への社会の移行そのものがはらむ問題が議論の対象です。


1いかなる抽象的能力も、厳密には測定できない。

2地位達成や教育選抜において問題化する能力は社会的に構成される

3メリトクラシー(能力主義)は反省的に常に問い直され、批判される性質をはじめから持っている

4後期近代ではメリトクラシーの再帰性はこれまで以上に高まる

5現代社会における「新しい能力」をめぐる論議は、メリトクラシーの再帰性の高まりを示す現象である

ざっくりいうと、(1)そもそも具体的な場面を離れた抽象的能力って厳密に測定できないし、(2)ある社会で選抜の材料として用いられる能力の指標は社会の都合で決められるので(例えば学歴)、(3)能力によって選抜するような考え方(メリトクラシー)は、常に批判的に再検討されるものだ(「メリトクラシーの再帰性」)。しかも、(4)大昔は地縁や血縁などの伝統が、近代においては学歴がこうした批判を封じこめる役割を持っていたのだけど、今は高学歴化が進んで、学歴自体も批判の対象になりつつある。(5)だから、信頼できる能力の指標がないように見え、人々に「能力不安」をもたらし、「新しい学力」を求めさせている。こんな内容です。


各章は、この構成に従って、一つ一つをきちんと論じています。改めて言われると「当たり前じゃん」と思うことも多いけど、「能力ってそもそも厳密に測定できないよね」という議論などは、当たり前のようで、測定することに慣れきっている人たち(たとえば僕たち教員)にはハッとする議論かもしれません。


冷静になるための一冊と言えるでしょう。


こうした議論を積み重ねて筆者が強調するのは「「新しい能力」論が盛り上がる背景を理解して、まずは落ち着こう」ということ。


メリトクラシーの再帰性という視座が確保されることで別の「新しい能力」が発見されるようになることはないけれども、この考え方をとれば、少なくとも私たちが「新しい能力」を求めて右往左往すること自体が、後期近代の再帰性に伴う麻薬的作用であるかもしれない可能性を察知し、冷静さを取り戻すのに多少は役立つはずである。


例えば、「新しい学力だ」「非認知能力だ」っていうけど、それってそんなに新しい? 特別なこと? 今までの教育で、それは本当にできなかったの? こういうことを教育関係者に問いかけている。迂闊に「これからの時代に必要なのは◯◯力だ」という言説に乗せられない冷静さを保つために、お薦めできる本です。









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