誰もいない静かな森

モグラ研二

誰もいない静かな森

《現代社会の闇》に追われた若者たちがこぞって都心から3時間ほど行ったところにある誰もいない静かな森を目指した。


誰もいない静かな森には多くの《疲れた感じのする若者》が現れた。


「誰もいないんじゃないのかよ!」

「お前いらねえんだよ!」


彼らは雄叫びをあげて殴り合いを開始した。体のなかで《現代社会の闇》がうずうずと広がっていくのを感じながら。


都会の生活には《現代社会の闇》が充満していて、だからぼくは誰もいない静かな森で深呼吸して冷たく澄んでいる爽やかな空気を味わいたかった。

それは何よりの癒しだから。ぼくには早急に癒しが必要だった。

みんながそう思っていたから《疲れた感じのする若者》は必死に殴り合い「死ね!」「殺してやる!」という言葉を連呼した。


森の管理官をしていると自称する、白髪、顔中を髭で覆われている老人が「みんな別に殺人犯になりたいわけではあるまい。ここは一つフェアにいこうじゃないか?」と提案をした。


《疲れた感じのする若者》はみんな素直に頷いた。《社会的に良い子》であることは非常に重要なことだし、と彼らのほとんどが考えた。


それ以来、危険な凶器の類を持参する者はなかった。

素手で殴り合い血を流し拳に付着した血をぺろぺろ舐めて休憩した。


不思議なことだが、彼らは、休憩しているときには持っている地元のお菓子を交換したり今までの失恋話で大いに盛り上がったりしていた。


時には笑顔さえ見せることがあった。


「ぐげ!」「ぎえー!」等々、いろんなタイプの叫び声がして激しく暴行を受けた《疲れた感じのする若者》が口やそれ以外の場所から血を流して地面に倒れた。


「痛い! 痛い!」と連呼しながら局部を手で押さえ走り回り、最終的に木に激突して倒れて泡を吹く者もいた。


そうした場面は何度も繰り返された。死んでいるのかな? と思われた者も、数分後には血まみれではあるが何事もなかったかのように《むくっと起き上がり》再び闘争心を剥き出しにした表情をして、自分の近くにいる自分と同じような《疲れた感じのする若者》に殴りかかった。


私がその喫茶店で働き始めてから3週間が過ぎた頃にあの人はお客様として「アメリカンコーヒーください」とはっきりした声で言った。


あの人の声は低くて、深い感じがしてどこか《温かみ》があった。


私はその声に大変惹かれて、それからあの人が毎日のように来るようになると、何も用事がないのに話しかけたりした。


最初の頃はそんなに話をしてくれなかったけど2か月くらい過ぎると「今度森に行くんだよ」とあの人は言い始めたりした。

でも私は森になんて大して興味がなかったから適当に「あ、そうなの! 素敵ですよね!」とかそんなことを言った。

あの人も私が森の話に興味を示さないのを知ると、そのことについては話さなくなった。

それまでは森における癒し、ヒーリングパワーとかそんな話を静かな声でずっと話していたのに。


私は彼にアメリカンコーヒーを提供した。


彼は紙コップに入ったアメリカンコーヒーを啜りながら《流行のポップバンドの最新曲》について話し出した。


大海を泳ぐ鯨の親子、その雄大な姿、圧倒的な生命エネルギー、爆発する潮吹き、そこには少しのエロチックなイメージも重ねられて。


そんな歌詞を実にキャッチーなメロディで歌い上げる《男なのか女なのかは定かではないがとても甘ったるいボイス》等々。


断然、森なんかよりも私にとっては興味深い話だった。


それに比べて森なんて。


私は森なんて死ねばいいと思った。


森に行く? なにそれ? 森に行って何をするの? 

森なんてネット環境さえないじゃないの! 

それって何もないに等しいことではないの? 

癒しを求めてとか言うけど本当なの? 

嘘くさい。

癒しを与えてくれる自然がある? 

森林浴を愛好するなんか優しい雰囲気の人々? 

空気がおいしい? 

はあ? 

空気がおいしいとか平気で言う人って絞め殺してやりたくなる!


「こんなの無意味よ! やめて!」

暴力の続くなかで一人の白いワンピースを着た少女が叫んだ。


《清潔な感じがする少女》だった。


そしてその甲高い良く通る叫びはヒロイックな感じを演出するのに合っていた。


少女は狙っていた?


わからないが何人かの若者は殴り合いをやめて少女に近づいてその辺で毟り取った小さな白い花を差し出して《親しい感じを演出するための笑顔》を浮かべた。


「パパを探しに来たの。3日前にお家でビールを飲んでいたパパはテレビでやっていた大海を泳ぐ鯨たちというドキュメンタリー番組を見ていて突然「違うんだ!」って叫ぶと何も持たないでお家を飛び出してしまったの。パパは《疲れた感じの若者》だったから、ここにいると思って」

少女が白いワンピースをひらひらと《魅力的な感じ》で揺らしながら言った。


「パパいないの? 帰ってきてよ。ママがずっと泣いているし私も悲しいよ。あの時「違うんだ!」って凄く大きな声で言っていたけど、何が違うのかちゃんとお話しして欲しい。家族なんだから《気持ち悪い秘密》を残していなくなるようなことしないで欲しいの」


若者たちは「きみのパパはぼくだよ!」と一斉に叫び少女に抱きついてキスをし始めた。


その若者たちのなかには《警察官の若者》や《教育者の若者》や《大多数の法律を遵守してきた若者》がいたのだが、彼らは何の躊躇いもなく猥褻行為に邁進した。


少女の悲劇的な響きを大いに含んだ悲鳴が響き渡った。


そうして《惨たらしい行為》が延々と続いた。


どうしてだろうか。


《現代社会の闇》がそうさせるのだろうか。検証が必要だ。


「森に行って癒されてくる」週に2回か3回はそんなことを言って、彼は出て行った。


「森って何かの隠語ではないの?」ってチナミが言った。


私は「それってどういうこと?」と言った。


チナミは少し躊躇いながら「だから、森って《本物の森》って意味ではなくて、女性のアレを意味するんじゃないかって」と言った。


そこは私たち二人が良く行くオシャレなカフェテラスだったけれど、そんなの関係ない。


あまりに下劣なことを平然と言うチナミの顔面を、私は殴りつけた。


チナミは殴られた頬を押さえて泣き始めた。

「心配して言っているだけなのに、酷い」そんなことを小さな声で、震える声で言った。


若くて背の高いハンサムなウェイターが走ってきて「すみませんが暴力行為はここでは推奨されていませんので」と控えめな声で言った。


「推奨されてない?」私は言った。

「どこでならば推奨されるわけ?」私はますます怒りが増幅した。

私はチナミの胸倉を掴んで揺さぶる。

「隠語とかそういう《政治的なこと》を言うあんたが圧倒的に悪い!」

私は怒鳴りつけてテーブルに千円札を置いてそのまま立ち去った。


チナミは反省したみたいで、その1週間後にメールをくれた。


「ごめんなさい。あのような場所で《政治的なこと》を言うべきではなかった。あなたを傷つけるつもりはなかった。そのことは信じて。あなたの一番の味方であり親友 チナミより」


1950年代にはすでに誰もいない静かな森は存在していたが、それはまだ小さなものだった。


1960年代からどこから連れてこられたのかわからないミリタリーファッションの子供たちが、ショスタコービッチ作曲の《ピオニールは木を植える》を熱唱しながら植林し始めたのだった。


「あの子たちはどこから来たのだろうか」


そのような疑問を持つ人間がたまにいた。

ミリタリーファッションの子供たちは歌いながらゆっくり行進した。

男はカメラとメモを手にして追跡を開始した。

薄暗い路地裏、国道の大きな道沿いや美しい田園風景等々を歩いた。


小さな森を巨大な癒し空間に変える事業をやっていた私とショスタコービッチとはその執拗にカメラとメモを手にして追跡してくる男に強い嫌悪を覚えた。


「あいつはクズだ! 人間に善意なんかなくて必ず裏で悪い企みをしているに違いないという妄想に取り憑かれて《ああいった愚行》に走るクズだ!」


ショスタコービッチは眉間に皺を寄せ、額には青筋を浮かべ《典型的な怒りの形相》で言った。眼鏡のフレームが震えていた。私も同じ気持ちだった。


まことくんが聞かせてくれたテープには

《凄く悲惨な目にあっている女の子の叫び声》が確かに入っていた。


確かに、というのはぼくの主観でしかないけど、その叫び声を聞いたときに凄く《ドキッとした感じ》があった。


こめかみから首筋にかけてなんかゾワゾワする感じがした。


まことくんはこれが森では毎日行われているんだという主旨の話をしていて、ぼくはとても驚いたし、実際に音だけでなく情景を目の当たりにしてみたいと心底思った。


でも部屋で何度もおおきな音量でその叫び声を聞いていたらお母さんが激しく怒って部屋に飛び込んできて「この糞ガキども!」と怒鳴って、それで、ぼくとまことくんのお尻を剥き出しにさせて布団たたきで思い切り叩き始めた。


凄く痛かった。

ひりひりした。

しばらく「ひいひい」言いながらぼくたちは苦しんだ。


そして、10分後くらいに、ぼくはまことくんのお尻を舐めて、まことくんはぼくのお尻を舐めた。


ぼくたちは泣いていたんだ。


森は数十年に渡る子供たちの植林行為により巨大化した。

社会的な評価が非常に高い行為として、その植林行為はいくつもの表彰を受けた。

森が最大の規模まで巨大化したときすでにショスタコービッチは亡くなっていた。

私はインタビューなどを受ける際には必ず、今日の森があるのはショスタコービッチ氏の存在が極めて大きなものだったと言うようにしていた。

そしてその場で《ピオニールは木を植える》を鼻歌でうたいこの歌をみなさんも覚えていろいろなところで紹介してください拡散してくださいと主張した。


まだ森が小さかった頃にカメラとメモを手にして執拗に植林する子供たちを追跡していたあの男は後悔していた。

「みんなが都会の生活から離れてあの森で大いなる癒しを得ている間、俺は《現代社会の闇》に心も身体も侵食されストレスで病気になり長い苦しみの後で凄絶な断末魔の叫び声をあげ苦悶の表情で死ぬんだ」

男はすでに頭髪が後退し皺も目立ち肌も弛んできていた。


 彼が森の入り口に立つとすかさずミリタリーファッションの屈強な男たちが出てくる。

「あんたはダメだ」

それだけ言って、すでに年老いて死を実感し続ける毎日を送る彼の胸を押す。

彼はバランスを崩して尻餅をつく。

「痛い!」

彼が言った。

「大袈裟なことは止めろ! 軽くタッチしただけだろうが!」


「それでも痛いものは痛いんだ! 痛覚なんて人によってその感度は違うんだ! 軽いタッチだとあんたが思っていても、相手からすればそれはかなりのダメージの場合だってあり得ることなんだ! それくらいの他人に対する想像力は持ってくれよ! こっちは年寄りで特に脆いんだからな!」


「糞野郎!」

ミリタリーファッションの男たちは袖を捲り上げて腕を剥き出しにする。毛深く太い腕が現れた。

「本当の暴力を味わうか?」


彼は項垂れ、諦めるしかなかった。涙が溢れていた。


こんなに年老いてから、まさかこんなことで泣くなんて思わなかった。


彼は帰り道、駅前のスーパーでいつもより少しだけ高い赤ワインを買って長い時間をかけてそれを飲んだ。


鯨の潮吹きにエロチックなイメージを重ねるなんて安易であると同時に下劣すぎるし僕は嫌だった。


僕は海底で鯨たちが静かに沈んでいき死んでいくその沈黙に至る過程を歌詞にしたかった。


鯨の潮吹きにエロチックなイメージを重ね、なおかつその後により具体的な猥褻な言葉を連呼する。


嫌だ。なんでそんな歌詞にしないといけないんだと何度も主張したがメンバーやマネージャーは「ノオオオオオオオ!」と猛烈な勢いで叫び僕の顔や体を殴るだけだった。


もはや言葉は通じない様子だった。


その後は僕が何を言っても彼らは猛烈な勢いで「ノオオオオオオオ!」と叫ぶだけだった。


最初の頃はこいつら全員病院に行けばいいと思っていたが、執拗にそのような態度を取られると、こちらに問題があるのかも知れないなどと、絶対にそうではないとわかりながらもそのように思わざるを得ない状況に追いやられてしまう。


結局その後10年くらい僕は彼らとそのポップバンドを続けたわけだけど、最後まで彼らと意思疎通をすることは叶わなかった。


「今までお世話になりました。ありがとう」

そう僕が言っても、彼らは顔を真っ赤にして歯を剥き出しにして「ノオオオオオオオ!」と叫ぶだけだった。


叫び声が響き渡るなかで、僕は深くお辞儀をして部屋を出た。


白髪頭、顔中を髭で覆われた老人が、ゆっくりと誰もいない静かな森を散策していた。深い緑色の葉が風に揺れている。

「さやー」という音をたてている。


薄暗い森の中で切り株に腰を下ろした老人はリュックサックのなかから水筒を取り出してコーヒーをカップに入れて飲み始めた。カップからは白い湯気が出ていた。


「静かだ。心が休まる。こういうのが《本当の癒し》なんだろうな」

老人は目を細めた。


目の前に大きな葉を付けている木があった。

その葉に《血のように見える液体》が付着していた。

老人は静かに歩いていきポケットから取り出した黒いハンカチでそれを拭い取った。


「そろそろ行くか。そんなに長居するような場所でもないし」


老人は《ピオニールは木を植える》を鼻歌でうたいながら誰もいない静かな森から立ち去った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誰もいない静かな森 モグラ研二 @murokimegumii

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ