蒼い宝石が、僕の体を包み込んだ
僕が僕である理由を、僕はまだ知らない。
僕の手には蒼い宝石が握られている。サファイアと言う名もある。
過去の記憶が蘇る。宝石が割れた、あの瞬間が―。
季節は冬。冷酷な寒さが日本中を覆っていた寒い、寒い、ある日のことだ。
「私と、付き合ってくれませんか?」
いきなり図書室で告白され、僕は困惑していた。
「え?告白⁉」
何ということだ。これは一体何の導きだろうか。否、少女の恋心だ。
中学二年も終盤に差し掛かり、いよいよ受験生として勉強を始めようと意気込んでいた頃だ。
テニス部の後輩の、
「えっと…もう少し考えてみるとかは?僕より良い人がいるかもしれないし―」
「いいんです。先輩がいいんです」
すごい圧だな。そこまで言われて振った時の方が恐ろしい。
冬の寒さより冷酷な何かによって心がやられそうだ。
「僕で良ければ?こういう時どう答えていいのか慣れてなくてね」
「いいんです。そんな先輩が好きなので」
円は「一緒に帰りましょうね」と言い残して図書室を後にした。
なんだか嵐みたいな子だったな。
僕が図書室を出るとすぐそこに階段に海琴が座っていた。
「どうしたんです?そんなところに座って。冷えますよ?」
海琴は寒がりなのか、結構厚着だった。
「君、告白されたんだね」
「聞いてたんですか。まぁ、未来予知可能な貴女ならここで何が起こるなんて簡単に分かるでしょうけど」
小学校、中学校と来て、彼女の能力についてはある程度理解してきた。
「まぁ、告白されたんだし、幸せにしてあげなよ?」
僕は成り行きで頷いたが―。
「それを言う為だけにここに来たんですか⁉」
「違うよ。ちょっと感傷に浸ってただけ」
何か嫌な事でもあったのだろうか。まぁ、僕には関係のないことか。
冬の廊下はとても寒く、さっさと暖房の効いている教室に戻りたかった。
「寒すぎだわ…凍死しちゃうって…」
そんな冗談を言いながら、僕は暖かい教室に駆け込んだ。
「おい、唯希、円と付き合ってるって本当か?」
うん、情報の伝達がお早いことで。
そう話しかけてきたのは小学校からの幼馴染の如月裕翔だ。
「あぁ、まぁそうだけど。どこでそれを?」
まだ円の告白から5分と経っていないが。
この学校にそんな情報通がいるのかな。新聞部でもこんなに早くはスクープを得られないはず。
「あぁ、円自身が言いふらしてた」
「そう来たか」
裕翔の口から紡がれた驚愕の答えに、僕は頭を抱えた。
「告白自慢ってやつだな。お前も大変な奴と結ばれったなちまったな」
裕翔に肩を叩かれてとても惨めな気持ちになった。
「まぁ、悪いのは相手を調べなかった自分であって、しょうがないことか」
彼女の存在こそ知っていたものの、その性格までは知らなかった。
「ってか、裕翔こそ春乃とはどうなんだよ」
先日、裕翔が告白の仕方について相談してきたが、相手は予想がついていた。
「なんで知ってんだよ⁉」
「日頃の生活を見てれば大体わかるから…」
顔に出るタイプというか、行動に出るタイプというか。
「私がどうかしたのぅ」
後ろから春乃が首を突っ込んできた。
「あぁ!いや、なんでもねぇっていうか。その、大したことでもないっていうか」
めちゃめちゃ動揺してるやんけ。
「あぁ、裕翔が春乃のこと好きなんだとよ」
僕は何の躊躇いもなくその事実を彼女に打ち明けた。
「お前何ちゃんと言っちゃってるんだよ⁉」
「ごめん裕翔、無理だよぅ」
「なんで勝手に振られてるんだよ⁉」
裕翔は怒涛の展開の追いつけずに振られたのだった。
そんなこんなで雨が降り出した。
こんなに寒いのに雪ではないなんて。雪であったらもっとロマンチックだっただろうに。
僕の隣には円がいた。これまで一人で帰っていたので違和感がある。そして、周りからの視線が鬼のようなのだが。
「にしても、なんで僕なの?別に、告白が嫌だったわけじゃないけど。葛城君とか、僕よりイケメンな子はたくさんいるよね?」
自分で言うのも哀しいが、僕には何の取り柄もないと思う。運動部のエースでもないし、テストで頂点を競う訳でもない。
一年でサッカー部のエースになった
「いえ、私は先輩が―」
「僕が好きだってことは分かった。なんで好きかを聞いてるんだよ」
少しきつい言い方になってしまったが、彼女の表情に変化はない。
そして、彼女は僕の言葉に対して何も返さなかった。
その後、彼女と口を利くこともないまま自宅へ到着した。
スマホを開けばLINEの未読が15件。全部、西紀海琴からのものだった。
『蒼い宝石、割られないように気を付けて』
最後の通知は20分前。この謎の文章で締め括られていた。
「蒼い宝石?なんですか、それ」
僕は宝石に興味がないし、海琴とここ数日でそんな話をした覚えもない。
蒼い宝石と言えば、サファイアが最初に思いつく。
他には、アクアマリンだろうか。あれは青というより水色に近い。
彼女が僕を好きになった理由を話さないのと何か関わりがあるのだろうか。
「まぁ、あの人のことだし、何か深いわけがあるんだろうな。直接伝えてくれればいいものを」
わざわざロマンチックな謎かけにしないでくれと毎回思う。
蒼い宝石で思い当たる節がない僕は、ただただ途方に暮れていた。
「あの人が『青』じゃなくて『蒼』を使ったことにもきっと意味があるんだろう」
ただの『青い』宝石じゃなくて、『蒼い』宝石と表現した理由。
蒼はくすんだ青色のことだ。つまり、その宝石は透き通ってはいない。
「謎に小学校のあの事件を思い出すな‥」
あの事件、とは。
僕の親友であった若崎大智がいじめられ、それの延長線上で彼が瀕死にされた事件だ。犯人は上田で、いつもの落ち着いた上田から狂人へと変貌した。
その帰り、西紀海琴はこう言った『歪な形の貝殻が、今も虚空を漂ってる』と。
あの言葉も、今回と同じように、彼女なりの謎かけだった。
『歪な形の貝殻が、今も虚空を漂ってる』。
『歪な形の性格だけが、彼の心を支配している』という意味らしい。
「無駄なことしてくれちゃって」
結局、『蒼い宝石』が何のことか分からずに、その日は眠ってしまった。
翌日、謎の文章の送り主である西紀海琴は欠席だった。担任によれば腹痛らしい。
僕は幼馴染の如月裕翔に例の件を相談することにした。
「んだよそれ。サファイアじゃね?」
「僕はサファイアなんて持ってないし、割られるってのも分からない」
如月にも思い当たる節は無いようで、結局、謎は謎のままだった。
全てが判明するのはその日の放課後だった。
僕は円に1年4組教室に呼び出された。
教室には夕陽が差し込み、そこには円だけが佇んでいた。
教室に入った途端、その場に在った空気が狂気へと豹変するのを察知した。
「ねぇ、先輩」
円の目は夕日に照らされて橙色に満たされている。
「どうしたの?今日も一緒に帰ろうってお誘い?」
今の彼女は明らかにおかしい。少しでも話題をずらそうとしたが―。
「—そんなことより」
ですよねー。話題のすり替えには失敗した。
彼女は僕に近づいて、僕の肩を思いっきり押した。
無論、僕はバランスを崩して倒れる。
そのまま彼女は僕の上に馬乗りになる。
「ここまで来たら、先輩でも分かりますよね?」
「円…お前ッ!」
これは、小学校の頃の上田の狂気とは違ったものだ。
どうでもいいことだが、今になってあの日の裕翔の言葉が蘇った。
『お前も大変な奴と結ばれちまったな』
『まぁ、悪いのは相手を調べなかった自分であって、しょうがないことか』
あの時は単純に円の告白自慢を惨めに思ってのことかと思ったが、どうやら違ったらしい。
「どいつもこいつもッ!」
―物事ははっきり言いやがれ。
「さぁ先輩。脱いでください」
彼女の目に恐ろしい『何か』が浮かび上がる。
殺意でもない、優しさでもない。
円は強引に僕のズボンに手をかけた。
「これで先輩も、私に種付けを―」
「—君、私のLINEに気が付いてくれなかったんだね」
「—物事ははっきり言ってくれ」
教室のドアが開けられ、休んでいたはずの海琴が姿を現した。
「あなた、誰ですか?私と先輩のイチャイチャを邪魔しなんでもらえますか?」
「学校で不純異性交遊とは良い御身分ですこと」
円を見下ろすように仁王立ちする海琴の鬼気迫る表情に、円は根負けしたらしい。
海琴から目を逸らし、僕から降りた。
「あなたは先輩と私が付き合っていることを知っていますよね?何故それを知っていながら仲を引き裂こうと?」
円は今までになく強い口調で海琴に楯突いた。そして続けた。
「私は先輩を愛している。先輩は私の物。何しようが私の勝手でしょ?なんなら、あなたの目の前でシてあげましょうか?」
おいおい、この女おっかねぇな。
海琴はそんな円のセリフを無視して、僕の元へとやってきた。
そして、ポケットから蒼い石を取り出して僕へ投げてきた。
「アイオライト。石言葉は、自分で調べて」
「蒼い石ってこれですか?名前もお初なんですけど」
普通に生活する中で、アイオライトなんて知る機会ないやろ。
「自分の身ぐらい自分で守りなよ」
今回に限っては不可抗力ってことで見過ごしてくれたり。そんなことはどうでもいい。
僕は立ち上がって円の方を見た。
「なんでこんな事をしたのか、聞かせて貰っても?」
海琴の言葉に、円は満面の笑みで答えた。
「こんなに可愛い私がヤってあげようって言ってるんだよ?それは先輩でも逆らえませんよねって話です。私にかかればどんな人でもイかせてあげられる。だから、その38人目の候補にたまたま、先輩が選ばれたってだけです!」
サラッととんでもないこと言ってくれるな。
ってか、38人目って。その37人がこの学校にいるんだとすれば、ご愁傷さまです。
「38人目。だそうですよ、校長先生」
その海琴の発言に、円は瞳孔を縮める。
なにせ、今までの全ての会話を校長先生に傍聴されていたというのだから。
教室に入ってきたのは校長以外にも、教頭だったり円のクラスの担任だったり。
挙句の果てに現れたのは、円の両親だった。
円は事情聴取のために、両親と共に職員室へと連行された。
教室には静けさが舞い戻り、そこにいるのは海琴と僕の二人きりだった。
「あの、どこから見抜いてたんです?」
「図書室で告白を盗み聞きした時から」
「ぐうの音も出ませんよ!」
最初っから忠告してくれれば…まぁ、最初に『蒼い宝石、割られないように気を付けて』なんて言われてもクエスチョンマークがつくだけだが。
「あの時、幸せにしてあげてって貴女は言ったじゃないですか。気づいてたなら言ってくれればいいものを」
「それじゃぁつまらない。私は彼女を通報したかっただけ」
「あっそう…」
彼女の言葉に、僕は苦笑するしかなかった。
「ってか、アイオライトの石言葉ってなんなんですか?」
「だから、自分で調べて。私は帰るから」
耳を真っ赤にした彼女は冷たくそう言い残して、踵を返して教室から姿を消した。
まさかあの人、これをするためだけに学校に来たの?腹痛は?突っ込みたいことは山ほどあった。
僕は帰宅してすぐにアイオライトの石言葉について調べた。
「貞操ねぇ」
耳を赤くした理由も今回の事件のあれこれも全部理解できたが―。
―言葉ってのは相手に伝えるためにあるんだよ。
わざわざ分からない書き方をしないでくれ。
僕は貴女のように、勘の利く人間じゃないんですわ。
時は進み、神月高等学園の教室に至る。
「ほぇ~。結局あの石にはそんな意味があったのか」
裕翔も納得したようだ。—というより、よく覚えてたじゃねぇか。
「でも、円ちゃんってそんな怖い子だったんだねぇ。突然姿を消した理由もそれっぽいねぇ」
春乃も納得気味だ。
彼女はこの事件を機に姿を晦ましていた。まぁ、両親沙汰になればそれもそうか。
しかし、海琴は一切口を開いてくれなかった。
怒ってます?と聞く勇気も出なかった。
そして―。例の行事がやってくる。
黒板に大きく書かれた文字。
「林間学校…か」
何かとてつもない不安が、僕の心を支配していた。
失われた恋物語 如月瑞悠 @nizinokanata2007
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