歪な形の貝殻が、今も虚空を漂ってる
僕が僕である理由を、僕はまだ知らない。
僕の手には、歪な形の貝殻が握られている。橙の色をした艶のある貝殻。
過去の記憶が蘇る。あの日、女の子と一緒に遊んだ日のことを。
季節は夏。カンカン照りの太陽の下で、僕はサッカーボールをゴール目がけて蹴り上げた。
「唯希、強く蹴りすぎだっての!」
同級生の男子にそう言われて、僕はゴールから外れたボールを取りに走る。
ボールはゴールの後ろにある茂みの中で簡単に見つかった。
「入ったと思ったんだけどなぁ…」
額から垂れてくる汗を拭いて、僕はみんなの下へ駆けた。
「おせぇよ唯希!昼休み終わっちまうだろ!」
声をかけられて走る速さを上げて、僕は皆の下へ駆け寄る。
「そう言えば、大智はまだ来ないの?」
僕の言葉に、友達の
「あいつ、どうせ中で勉強してんじゃね?ったく、友達より勉強とか頭どうかしてるって」
下野瀬の友人の一人がそう言う。
下野瀬はリフティングを華麗に決めて、僕達に「続きやろうぜ」と言いい、僕はボールを蹴ってゲームをスタートさせる。
やがて、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、生徒は校舎へと戻っていく。
「結局、大智来なかったなぁ」
下野瀬の友人の一人、上田もそう言った。
いつもなら喜んでサッカーをする大智が今日はどうしたのだろうか。
唯希と下野瀬、上田、大智はいつも一緒にサッカーをする仲だ。
「テストもまだだし、何か先生から頼まれてたんじゃない?」
大智は優等生で、先生からの頼まれごとは確実に引き受けるだろう。
「ま、教室に戻ってから話を聞こうぜ」
下野瀬に言われて、僕らは3階にある5年生の教室へと登っていく。
しかし、教室にも大智の姿は無かった。
「あっれぇ~…なんでだ?」
図書委員でもあるまいし、大智以外の生徒はほとんど席に着いている。
下野瀬はトイレに行ったんだろうと言って、僕らは5時間目の準備をした。
5時間目の授業は理科だ。しかし、教室に入ってきたのは理科担当の
「お前達はもう気が付いてるだろう、教室に
一部の生徒は関係なさそうに上の空、一部の生徒は先生の言葉に頷いた。僕は後者だった。
「なんで岩崎がいないか、心当たりのあるやつは?」
これは何かあるのだろう。忍田先生は普段、陽気で穏やかな先生だ。放任的な一面もあるが、優しい僕らの担任だ。それが今は、いつもより声のトーンも遥かに低い。
結局、先生も質問に答える生徒はいなかった。
「そうか。俺もこうなるだろうとは予想してた」
忍田先生の眼鏡の奥にある目が揺らいだ。一体、大智に何があったんだろうか。
「落ち着いて聞け、騒ぐな。先にそれだけ言っておく」
忍田先生はチョークを手に取り、綺麗な字で黒板に「いじめ」と大きく書いた。
「だ」
忍田は黒板の文字を指さして、一言そう言った。
「そんな訳あるかよ!」
声を荒げて立ち上がったのは大智と仲が良かった下野瀬だ。
「黙れ下野瀬。騒ぐなと言ったろ」
「でもッ!」
「気持ちは分からんでもない。だが、今のお前は冷静さを失っている」
焦るのも当然だろう。この教室の中に、大智をいじめた犯人がいるのだから。
「本来の学校なら犯人捜しはしないという展開になるだろう。だがな」
忍田先生は一枚の写真を僕達に見せた。そこには、大智の下駄箱が映っている。
しかし、その下駄箱には上履きが一足しかなかった。右足の上履きだけ。
「これだけじゃない。探そうと思えば山ほど出てきた」
忍田先生の手元には大量の写真がある。どれも全て、大智のいじめに関わったものだ。
「この中にやった奴がいるんだよ。俺はいじめは認めない、犯人は今すぐ名乗れ」
どうやら忍田先生の中で犯人の見当はついているらしい。ずっと窓側の席を睨んでいる。
「名乗らないか、そうか、残念だ」
忍田先生は教卓を拳で殴った。教室中にガシャンという音が響き渡り、生徒が驚く。
「
窓側の席の男子生徒、
「やってねぇし。なんで俺がアイツをいじめなきゃなんねぇんだよ」
成宮はすぐに忍田先生から目を話した。
「証拠はあるんだ。お前がどう抵抗しようと、『証拠』には抗えない。素直に言え」
それでも成宮は先生の方を向かなかった。ずっと窓の外の街を眺めている。
「成宮一希、その態度はどうかと思うぞ」
「別に、…だけど俺はやってねぇ!だから知らねぇよ」
成宮が机を蹴り上げた。ガシャンと、もう一度うるさい音が鳴った。
「いい加減にしろ、成宮」
忍田先生は黒板に三枚の写真を張った。
「成宮、説明してみろ。これでお前がやってないなら誰がやったんだ?」
それは今さっき撮られたのであろう写真。授業以外立ち入り禁止のプールサイドに3人の影がある。
1人は大智、1人は成宮だ。
「それは…」
それは紛れもない、いじめの瞬間。成宮が大智の首根っこを掴んで水に顔を沈めている。
「お前らはこの後逃げたんだろ?若崎をそのままにして!」
残り二枚の写真には、成宮と―。
もう一人の男、上田が映っていた。
確か、上田はサッカーに途中参加したはずだ。
「お前…上田、なんでこんなことしたんだよ!」
声を荒げる下野瀬の声に、上田は全く見向きもしなかった。
「下野瀬、落ち着け」
忍田先生の言葉を受けて。下野瀬は席に着いて顔を伏せた。
「若崎は呼吸困難の状態で今しがた緊急搬送された。成宮、上田、お前らのせいだぞ?」
二人は依然として黙ったままだった。
「忍田せんせー、多分埒開かないっすよ。これ」
静寂を破ったのは、如月裕翔だった。
「それは分かっている。だがな、なんで自分がやった行いも認めることが出来ないんだ?それはおかしいと思う。やったって証拠もあるのに、お前らはまだ否認する。それはおかしいだろ…聞いてんのか成宮!」
成宮はついに、先生の目を見た。上田は依然として上の空だ。
「スミ…すみませんでした…ごめんなさい…申し訳なかったです…」
成宮は拳を握りしめて、席を立ちあがりそう言った。
「俺が大智に悪戯をしました…それは認める…でもッ、靴隠すのは俺はやってない!」
成宮は昼休みでのイタズラを認め、上履きの件を否定した。
「それはおかしいよ」
声が上がった先は僕の魔後ろの席の女子。後の神月高校生徒会長になる―。なんてこの時は予想もしていなかったが。
立ち上がったのは、西紀海琴その人だった。
「誰も、この話し合いの中で『靴を隠した』なんて言っないよ。それを知ってるってことは、何かしらに関わっているんでしょ?多分、素直に言った方がいいと思う」
海琴の言葉によって、成宮は完全に敗北した。
「ク…あ」
間抜けとしか言いようがなかった。
「俺、後で職員室に行きます」
いきなり成宮は忍田先生にそう言い、先生もそれを承認した。
「上田、お前はどうなんだ?見てただけでも、成宮を止めなかったお前にも責任はある」
上田は先生の方を見たが、何も答えなかった。
真面目な上田が、真面目な大智のいじめを見過ごした?おかしくないか?
「フッ…ハハハ…」
上田はいきなり笑い出した。その様子に一同は怯える。
「成宮ぁ、全部罪を被ろうとしなくてもいんだぞ~?ハハハハッ、俺だよ、俺が成宮に命令してやったんだよ、これまでのいじめ、全部な!」
それは、これまでの文武両道な上田からはかけ離れた姿だった。
「いやぁ、いじめってさ、いじめられる側にも原因がある訳でさぁ。アイツが性質悪いのがいじめの原因だよね!皆もそう思うでしょ!」
「上田!」
初めてここまで迫力のある忍田先生の声を聞いた気がする。普段は喧嘩が起こっても平和的解決で治めるのに。
しかし、今回は訳が違うから―。
「教師として、お前にこれを言うのはあれだが…クズだ。お前はクズなんだよ。性格が」
上田と成宮は教室に入ってきた教頭と校長によって、職員室に連れていかれた。
ギスギスした雰囲気のまま、その日は下校ということになった、
「いやぁ、忍田せんせーがあそこまでキレるなんてな。まぁ、納得だけど」
如月裕翔は僕の隣でそう言って、石ころを蹴る。
「狂人だったものねぇ。あそこにいた上田君は偽物みたいだったよぅ」
裕翔の横を歩いていた東雲春乃もそう言う。
「あ…」
「どうかしたか?」
僕は足を止め、海岸の方を見た。ある人影を見つけたのだ。
「裕翔、春乃、僕は海岸に寄ってくよ。先に帰ってて」
裕翔と春乃は頷いて、僕は海岸に続く石階段を降りていく。
砂が靴の中に入ってもぞもぞする。
「こんなところで何してるんです?」
何故だろう、この人と喋る時は何故か敬語になっている気がする―。
「君は…私の前の席の子だよね?」
僕は頷いて、彼女の横に腰を下ろした。
夕日が水平線の奥へと沈んでいく。
「君は今日のこと、どういう気持ちで見ていたんだい?上田君は唯希君の友達だよね?」
この人の前でそんな友達っぽいそぶりを見せたことは無いが―。
「なんか、春乃も言ってたけど、偽物みたいだった…姿形は今までの上田だけど、あいつの心は偽物だったよ」
普段の上田があんな酷いことをしていたなんて思いもしなかった。
意外と近くに犯人はいたのだ。
「つまり、こういうことだよ。今日の彼が偽物なんじゃない。これまでの彼が偽物だった」
海琴はそう言って、海岸の砂に絵を描き始めた。
「じゃぁ、あいつは僕らの前では偽物を演じてたってこと?」
海琴は無心に絵を描きながら頷いた。
「―本当の自分は追い込まれたときにこそ現れるからね」
海琴は悪戯っぽく笑って、立ち上がった。
「彼は結局、歪んでたんだよ。心がね。内面はああいう人物だったんだ」
人は見かけによらない。その言葉を改めて実感した気がする。
信用がおける友達でも、本当は恐ろしい心を持つ人物かもしれない。
「君、疑心暗鬼になってない?」
「なんでそれが…」
時折この人は心の中を読んでいる気がする。俗に言う読心術というやつだろうか。
「―歪な形の貝殻が、今も虚空を漂ってる」
「なんですか、それ?名言か何かですか?」
海琴は首を横に振って―。
「彼の『心』は空っぽだった、歪んだ『性格』だけがその心に漂ってる。彼はそんな人だった」
歪な形の貝殻が、形を変えることは無いだろう。
―人間はそう簡単に、変われはしないのだから。
夏祭りが終わって、僕達はいつも通り高校に来ていた。
「ふぅ~ん。思い出したんだ。あの日のこと」
海琴にそのことを話したら、彼女は小さく笑った。
「全部思い出せる日も近いかも…」
今日は寝ただけで記憶のピースが埋まってきた。しかし、埋まる期間はバラバラのようだ。
「確かにあの時は大変だったねぇ。なんか上田君が怖かったもん」
その場にいた春乃と裕翔もその話を聞いて懐かしんでいた。
「林間学校、そろそろだよなぁ」
裕翔がスマホのカレンダーに目を通してそう言った。
「そうだねぇ、同じ班だから協力しないとねぇ」
春乃の言葉に3人は頷いた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
歪な形の貝殻は、今頃何をしているのだろう。
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