Ⅳ.かなどん ⑪
「ねえこれ、レベル上限にする前に進化させちゃっていいのかしら? キャップに到達してから進化させないと、最終的なステータスが下がったりしない? 進化前と進化後で成長率が変わるのって有り得そうよね? ねえ、朝希? 聞いてよ、朝希ったら。どう思う?」
そして奇妙な友人に新たな『有力所持エピソード』が追加された翌日。俺は日曜日の事務所の撮影部屋で三脚の後ろに立ちながら、ソファに座る小夜さんの不安げな声を聞いていた。企業側から貰った資料をチェックしてみるか。そこまで細かくは書かれていなかったはずだし、望み薄だが。
現在の俺たち三人は、スマートフォン向けソーシャルゲームのスポンサー案件動画を撮影中なのだ。運び込んだ応接用ソファにスマートフォンを持った小夜さんと朝希さんが並んで座り、そんな二人の姿を正面から固定カメラで映しつつ、ケーブルでスマートフォンとパソコンを繋いで画面も別に録画しているわけだが……やっぱりこういう撮影は複雑だな。小夜さんが率先してセットアップをしてくれたから何とかなったけど、俺はいまいち仕組みを理解し切れなかったぞ。
スポンサー側から渡されたゲームの資料を捲りつつ考えている間にも、朝希さんが小夜さんに返事を飛ばす。実に面倒くさそうな表情でだ。……家庭用ゲーム機だとキャプチャーボードが必要なのに、スマートフォンの画面は直接繋いで録画できるのも謎だな。どういうからくりなんだろう?
「何回聞くのさ、それ。大丈夫だよ。」
「でも、そういうゲームって多いじゃない。レベル四十で転職可能だけど、五十にしてからじゃないと最終的なスキルポイントが減るみたいな。知らなくてやっちゃって、育て直す羽目になったりするでしょ? ……先に低レアのキャラで実験してみましょうよ。被ってるので試してみるから、まだ進化させないでおいて。」
「いいけどさ、気にしすぎだよ。……じゃあ私、小夜ちが実験してる間に曜日ダンジョンいってみるね。ここはえっと、装備強化のためのマナが多く稼げるダンジョンみたいです。さっきのパーティーのままで挑戦してみます!」
カメラに向けて元気良く宣言した朝希さんは、スマートフォンを操作して曜日ダンジョンとやらを攻略し始めるが……小夜さん、無言になっちゃっているな。キャラクターのステータスを計算しているらしい。相変わらず個性の違いを出してくるじゃないか。
今彼女たちがプレイしているゲームは、一昨日リリースされたばかりの『ダンジョンコマンダー』というソーシャルゲームだ。最近増えてきた『ガチャ』でキャラクターを手に入れて、それを強化してイベントなどを攻略していくというシステムなのだが……このタイトルはまあ、比較的気合が入っている部類だと言えそうだな。
キャラクターのイラストやボイスに力を入れているみたいだし、UIやシナリオも中々しっかりしているから、素人目に見ても一定のヒットは約束されているように思えるぞ。モノクロシスターズ以外のゲーム実況系ライフストリーマーにも声をかけたそうなので、初期プロモーションにも金をかけているっぽいし。
ちなみに今回の動画ではチュートリアルの部分と最初の無料二十連ガチャ、それに基本的なシステム面を軽く触ってみる予定だ。そして一週間後にある程度進めたデータで、もう一度撮るという二段階の契約になっている。スポンサー契約としては間々ある形式だな。
しかし、向こうの会社から担当の人が派遣されてこないのはちょっと悲しいぞ。深読みしすぎなのかもしれないが、重要だと思っているなら一人くらいは説明役兼監視役の社員を撮影に同行させるはずだ。スポンサーになってくれる程度には期待しているけど、人を派遣するほどではないということか。現状の立ち位置を思い知るな。
まあいいさ、これはモノクロシスターズにとって一本目のスポンサー案件だ。きちんと価値を示していって、徐々に認めさせていけばいい。いつの日か社員を派遣してくるどころか、向こうが綺麗なスタジオを用意してくれるようになる……はず。マネージャーとしてそういう未来を掴み取ってみせるぞ。
野望を抱きながら二人の撮影を見守っていると、朝希さんが曜日ダンジョンをクリアしたタイミングで小夜さんが口を開いた。低レアのキャラを使用した『人体実験』の結果が出たらしい。
「朝希、朝希。レベル三十で進化させても五十で進化させても、進化後の六十レベルのステータスは同じみたいよ。要するにキャップが変わるだけで、ステータスの成長率は固定ってこと。……タイミングはいつでも大丈夫みたいです。親切なシステムのゲームらしいので、リスナーの皆さんも安心して進化させてください。」
「うわ、ストーリーダンジョンと全然違うよ。マナ、凄い貯まるじゃん。初級の曜日ダンジョンでこんだけ貰えるってことは、後々めちゃくちゃ使うのかも。……中級もやってみようかな。さすがに無理? 日曜日は三種類の曜日ダンジョンが全部解放されてて、マナダンジョンにはあと二回チャレンジできるみたいだから、試しに中級もやってみます!」
「けど、装備はどうなのかしら? これってランクアップさせると消えるのよね? 装備も強化してからランクを上げるべきなのか、未強化で上げていいのか……どう思う? 朝希。これも実験してみるべき? 聞いてよ、聞いてってば。」
「ちょっと小夜ち、邪魔しないで! ごちゃごちゃうるさいよ! ……あー、無理かも。中級はちゃんと強化してからじゃないとキツそう。よく考えたら経験値ダンジョンを先にすべきだったね。失敗しちゃった。」
うーむ、会話がドッジボールになっているぞ。編集の時はどうするつもりなんだろう? それぞれのゲーム画面を左右に表示させると混乱しそうだし、曜日ダンジョン攻略中の朝希さんの画面がメインかな?
調査と挑戦。各々の方向で楽しんでしまっている二人を見て心配していると、小夜さんがイラッとしている顔付きで文句を投げる。
「曜日ダンジョンよりもこっちの方が重要でしょ? 折角手に入れたSSRの最終ステが下がるなんて絶対嫌だし、みんな気にしてるはずよ。……するからね、実験。装備も試すから。朝希? 聞いてるの?」
「聞いてるってば! 勝手にやってて! ……スキル上手く使えばギリいけそう。ボス次第だけど、ギリギリで──」
「朝希、ステージ進んでもクールタイムは持ち越しなんだからね? ボス前に溜めとかないと困るわよ? はいほら、使った。何で今使うのよ。次のステージの初っ端で使えば──」
「これ食らったら死んじゃうの! この何か、固定砲台みたいな敵。こいつは早めに処理しとかないとダメなんだってば! 小夜ちは黙って実験してて!」
何とまあ、楽しんでいるな。微笑むか苦笑するかを迷うやり取りだけど、モノクロシスターズらしくて良いと捉えておこう。かなり集中している様子の朝希さんが、覗き込んでくる小夜さんを押し退けたところで……ダメだったか。パソコンの録画画面に『ミッション失敗』の文字が映った。ボスまでたどり着けなかったらしい。
「ね? そうなるでしょ? クールタイムを計算しないから、そうやって後が無い状況に──」
「小夜ちのバカ! 横からうるさく言ってくるから失敗しちゃったじゃん!」
「あの調子だとどうせボスでやられてたでしょ。こういうのはね、普通に強化しておけば簡単にクリアできるものなの。いきなり中級に行こうとするあんたがバカなのよ。焦らず順番にやっていけば──」
「小夜ち!」
おおっと、物理攻撃だ。小夜さんに飛びかかった朝希さんは、そのまま双子の片割れの首をホールドして頭をぺちぺち叩き始める。ぷんすか怒りながらだ。
「小夜ちの、所為で、挑戦権一回無駄になったじゃん! どうしてくれんのさ!」
「やめなさいよ! あんたが猪突猛進するおバカだからでしょうが!」
「バカじゃない! バカは小夜ちでしょ! ……いいよ、別に。私の方がSSR多く引いたもん。一週間後に痛い目見せるから。」
「ほざいてなさい、アマチュア朝希。こういうゲームはね、初期の頃は大体回復系のキャラが強いもんなのよ。人権なの、人権キャラ! あんたは人権を持ってないけど、私は引いたの! だから一週間後に勝つのは私なの!」
動画内では珍しく素の口調になっている小夜さんへと、朝希さんがムスッとしながら反論した。ダンジョンコマンダーには協力や対戦モードがあるので、一週間後にそれぞれの『成果』を競うことになっているのだ。あとはまあ、イベントが始まるからその日を二度目の撮影日に指定してきたというのもありそうだな。イベントの宣伝をイベント終了後に上げても仕方がないわけだし、投稿日にも気を使わなければ。
「絶対火力で押し切れるって。そういうシステムだって分かったもん。『人権キャラ』は回復じゃなくて火力だよ。あとバッファー。私はどっちも引いたけど、小夜ちは引いてないでしょ?」
「……何よその自信は。どうしてそう思ったの?」
「小夜ちは敵だから教えてあげない。……それじゃあ、一旦強化タイムに入ります! 出来るだけ強化した後で、さっき出来なかった一章の後半ステージにチャレンジしてみるから、ちょっとだけ待っててください!」
「あっ、えっ? ……あんた、何で急にそういうこと言うの? 勝手に切らないでよ!」
焦り半分、怒り半分の小夜さんに対して、編集点を作った朝希さんがスマートフォンをテーブルに置いてべーっと舌を出す。どうやらカットらしい。
「私、さくどんさんの動画見て勉強したんだもん。こういう風に切っておいて、『はい、それでは強化が終わったので後半ステージいってみましょう!』って繋げればいいんだよ。」
「それはいいけど、私が慌てちゃったでしょうが!」
「わたわた小夜ちの反応なんかカットだよ。私の台詞で切るからね。……駒場さん、録画止めちゃって大丈夫です。」
「了解しました、一度切りますね。」
まあ、悪くないタイミングだったと思うぞ。『作業画面』が長くなりすぎるのはあれだし、既に説明済みの地味な部分はカメラの外側でやってしまうべきだろう。朝希さんの指示に従って目の前のビデオカメラを弄っていると、小夜さんが机に歩み寄ってマウスを掴む。スマートフォン画面の録画も止めるらしい。
「まだスマホのケーブルは抜かないで。こっちを止めてからじゃないと……はい、抜いていいわ。」
「ここまでで何分撮ってる? 三十分くらい?」
「二十六分半ね。……あと二十分くらいは撮るはずだから、半分以上カットしないといけないわ。どこを切るか考えておかないと。」
「編集の時に適当に切っちゃえばいいじゃん。……小夜ち、昨日からずっと悩みすぎだよ。いつもの動画と大して変わんないんだから、もっと気楽にやればいいのに。」
スマートフォンのケーブルを抜いて意見した朝希さんに、小夜さんが鋭い語調で注意を送った。事前の話し合いの時もそうだったけど、『スポンサー動画』への姿勢の違いが出てしまっているようだ。
「スポンサーさんはね、お金を払って依頼してくれてるの。だったらいつもの動画とは大違いでしょうが。失敗したら私たちだけじゃなく、ホワイトノーツにもスポンサー側にも迷惑がかかるんだからね?」
「……でも、そうやって気を使いすぎてるとどんどん不自然になっていくじゃん。飛行機のシートベルトの動画みたいになっちゃうよ? そんなのやだ。楽しんで撮った方が、きっとスポンサーさんだって喜んで──」
「それだけじゃダメなの! ……あんた、ちゃんと分かってる? 私たちの目標のためには、スポンサー案件も沢山受けていく必要があるのよ? 私たちが楽しいかどうかなんて二の次でしょうが。先ずはしっかりスポンサー側の意図を汲んだ動画を作れるように──」
「けど、単なる『説明動画』なんて見てても面白くないじゃん! 雪丸さんが前に言ってたでしょ? そういうことを気にしすぎると、つまんない動画になっていくって。私はさくどん派だけど、そこは間違ってないと思う。小夜ち、考えすぎてダメな方向に進んでるよ。つまんない気分でカメラの前に立ったって、つまんない動画にしかならないもん。……ね? 駒場さん、ね?」
ぬう、唐突に言い争いが始まってしまったな。毎度の『じゃれ合い』とは少し空気が異なっていることを感じつつ、発言を求めてきた朝希さんへと返答を返す。ここは真面目に答えよう。
「どちらも正しいことを言っていると思います。朝希さんの柔軟さも、小夜さんの慎重さもスポンサー案件には必要なんです。なので小夜さんが大枠を組み立てて、朝希さんがその中で流れを作るのがベストなんじゃないでしょうか?」
「……よく分かんないです。」
「つまりですね、撮影全体の計画は慎重な小夜さんが立てるんですよ。今回だったら『オープニングシナリオを見る』とか、『一章を最後までプレイする』とか、『キャラクターの強化に関してを説明する』といったスポンサー側からの条件があるじゃないですか。仕事として受けた以上そこを取りこぼすわけにはいかないので、そういった絶対条件をきっちり回収できる『撮影ルート』を組んでもらうんです。勿論ここはマネージャーとして私も手伝います。」
「……じゃあじゃあ、私は?」
話を咀嚼している雰囲気で尋ねてきたソファの上の朝希さんに、頭の中で思考を回しつつ応答する。小夜さんも机の側で黙考しているな。考える空間になっているぞ。
「小夜さんが組んだルートの中で、朝希さんが自由に動き回ってモノクロシスターズの色を出していくんですよ。ルートから外れさえしなければ、どんなに柔軟に動いてもスポンサー側と意図を違えることはありませんから、朝希さんとしても気兼ねなく楽しめるはずです。……そういう方針でやっていくのはどうでしょう? それならお二人の良いところを両取りできると思うんですが。」
「……小夜ち、どう?」
「……大方針としては良いと思います。構成とか編集は私が主導して、カメラの前では朝希が前に立つってことですよね?」
「その通りです。要するに、今までの撮影の延長線ですよ。小夜さんが組み立ててくれたルートなら安心ですし、朝希さんが自由に動けば意外性も出せます。どちらがどこでリーダーシップを取るのかを決めておけば、揉めることもありませんしね。」
俺が思い付く中では、これが一番良い手法だぞ。計画立案を慎重な小夜さんがやって、実際の行動を柔軟な朝希さんが担う。そうすれば編集で取り返せないような致命的なミスはせずに済むし、堅すぎる『説明動画』になることも避けられるはず。
外側から観察していて行き着いた回答を提示した俺に、小夜さんと朝希さんはアイコンタクトを交わし合った後で……了承の頷きを寄越してきた。
「じゃあ、これからはそれを意識してやってみます。まあその、かなり納得の意見でしたし。」
「お姉ちゃんも言ってたもんね。役割分担していきなさいって。……駒場さん、教えてくれてありがとうございます!」
「お役に立てたなら何よりです。」
にぱっと笑ってハグしてきた朝希さんに微笑みかけていると、小夜さんがそれを引き剥がしながら言葉を飛ばしてくる。
「やめなさい、朝希。すぐ抱き着かないの。……打ち合わせ、付き合ってくださいね。私と駒場さんで考えていくことになるはずなので。」
「ええ、いくらでも付き合います。何でも相談してきてください。」
「えっ。……それ、ズルいよ。小夜ちばっかり駒場さんと仲良くするのは変じゃん! 私もやる!」
「あんたは実行役なんだから、私と駒場さんで立てた計画に従っておけばいいの。一瞬前にそう決まったでしょうが。……ほら、分かったらレベル上げするわよ。曜日ダンジョンを全部やってたら動画が長くなるし、裏でクリアしちゃいましょ。」
スマートフォンをタップしつつの小夜さんが、早速撮影計画を組み立てながら事務所スペースへのドアを開けると……あれ、夏目さん? デスクのモニターの前で、香月社長と話している夏目さんの姿が視界に映った。社長は監督役として最初から休日出勤してきていたけど、夏目さんは居なかったはずだぞ。いつ来たんだろう?
「夏目さん、おはようございます。どうしたんですか?」
「あっ、三人ともおはようございます。実はあの、動画が物凄く伸びちゃって。それでどうしたらいいかなって思って、慌てて来ちゃったんです。今日朝希ちゃんと小夜ちゃんの大事な撮影をやってることは知ってましたし、駒場さんに電話して音が入ったら大変なので……買い物ついでに直接来てみました。今の家からだと近いですし。」
動画が『物凄く』伸びた? 中々強めの表現じゃないか。モノクロシスターズの二人も挨拶をしているのを横目にしつつ、首を傾げて香月社長のパソコンのモニターを覗き込んでみれば……うわぁ、確かに伸びているな。三十万再生? これ、昨日上げた動画だったはずだぞ。
「……これはまた、凄いですね。何が切っ掛けなんですか?」
「君たちが撮影している間にコメントをチェックしてみたんだが、切っ掛けらしい切っ掛けは特に無さそうだよ。単純に伸びたらしいね。勢いを見るに、単品での百万再生も目指せるんじゃないかな。」
呆れと感心が綯い交ぜになった声色での香月社長の説明に、映っている動画を……包丁のレストア動画を見ながら応じる。まさかの伸びだし、まさかの動画だぞ。まさかまさかの展開だな。
「この調子なら行くかもしれませんね。予想外です。……夏目さんとしても期待していなかったんですよね?」
「全然してませんでしたし、嬉しさよりも微妙さが勝ってます。……私、センス無いんでしょうか? 何ならここ最近で一番期待してなかった動画が、歴代で一番伸びちゃいました。デスソースとか雪丸さんとのコラボとかも抜く勢いです。」
「諦めたまえ、夏目君。この訳の分からなさがライフストリームさ。……しかし、錆びた包丁を研いで綺麗にする動画か。私としても完璧に予想外だね。つくづく何が当たるか分からんもんだよ。」
お手上げの半笑いを浮かべた香月社長へと、俺も苦笑しながら声を投げた。伸るか反るかは上げてみなければ分からないわけか。全く以て難しい仕事だぞ。
「改めて難解さを思い知りますね。……何にせよ、おめでとうございます。時間をかけた動画ではあるわけですし、ここは努力が報われたと捉えておきましょう。夏目さんの頑張りの成果には違いありませんよ。」
「さくどんさん、おめでとうございます! 凄いです! ね? 小夜ち。」
「そうね、凄いわ。おめでとうございます。」
「あの、ありがとうございます。……まだちょっと複雑な気分ですけど、とりあえずは素直に喜んでおきます。百万再生に到達してくれるように願っておきますね。」
さくどんチャンネルで最も伸びたデスソースの動画は八十万後半で止まっているので、もしこれが百万まで行けば初のミリオンヒットになるな。……そう考えるとまあ、素直に喜べないのも理解できるぞ。然程期待していなかった動画が、これまで苦労して作ってきた全ての動画を超えてしまったわけなのだから。
思惑通りには行ってくれないなと首筋を掻いていると、パソコンの前に移動した小夜さんが香月社長に声をかける。
「最初から見ていいですか? 参考にしたいですし、普通に内容も気になりますから。昨日の夜は撮影の予習をしてたので、まだ見てないんです。」
「ん、いいよ。英語の字幕もオンにしてもらえるかい? もう一回通しで見て、見落としや間違いがないかをチェックしてみるよ。ここまで伸びた以上、慎重になるべきだしね。」
「私も! 私も見たいです! 駒場さんと風見さんの椅子、借ります!」
俺も後でゆっくり再チェックしてみよう。研ぐ前と研いだ後の包丁を並べたサムネイルが良かったのかな? 俺は研ぐ前のみのバージョンを推したのだが、やっぱり夏目さんの決定が正しかったらしい。すんなり引き下がって正解だったぞ。
お喋りしながら動画を見始めた三人を背に、飲み物でも用意するかと給湯室に向かってみれば……ついて来た夏目さんが話しかけてきた。苦い笑みでだ。
「難しいですね、ライフストリームって。だからこそ好きなんですけど、こういう時は少し困っちゃいます。」
「それだけやり甲斐があるということですよ。分析してみれば今後の活動に役立たせられるかもしれませんし、今回の経験を活かして次のヒットを目指していきましょう。」
「はい、まだまだ研究が必要みたいです。落ち着いた頃に見直してみて、何が良かったのかを調べておきます。……あとあの、叶のこと。色々相談に乗ってくれて本当にありがとうございました。昨日叶から話を聞いたので、そのお礼を駒場さんに直接伝えたいっていうのもあったんです。こういうのは電話じゃダメかなと思いまして。」
「……そうですか、叶さんと話したんですか。」
何をどこまで話したんだろう? ちょっぴり不安になりながら相槌を打った俺に、夏目さんは困ったような笑みで反応してくる。ここで出てくるのが『ドン引きの笑み』ではない以上、大半は黙秘してくれたらしい。
「昨日の夕ご飯の時、きちんと話し合ったんです。子供の頃のことは気にしてないから、家族としてもっと遠慮なく接して欲しいって言われちゃって。反省しました。気を使ってるつもりでしたけど、余計に距離を感じさせてたんですね。……叶、無理して『悪い妹』とか『良い妹』を演じるのはやめるそうです。代わりに私も『良い姉』を演じるのをやめることになりました。これからはこう、もうちょっと自然な姉妹になると思います。」
「……良かった、でいいんですよね?」
「ですね、やっと一段落したって感じです。慣れるまで少しかかりそうですけど、そういう状態で二人暮らしをしていこうって結論になりました。駒場さんが間に入ってくれたお陰で、久々に叶と真正面から話せた気がします。……ライフストリーマーを目指すって話もしてくれましたしね。暫くは私の撮影を手伝って勉強するつもりらしいです。」
「夏目さん的にはオーケーなんですか?」
少なくとも姉妹間では上手く纏まったらしいことにホッとしつつ尋ねると、夏目さんは悩ましそうに眉根を寄せて答えてきた。
「甘くないよとは言いましたけど、どうも本気っぽかったので……止めはしません。撮影とか編集とかの大変さを実際にやらせて伝えてみて、それでも高校生になった段階で意志が変わってないようなら、両親に説明する場での味方になろうと思ってます。『お姉と同じ仕事をしたい』って言われた時、正直凄く嬉しかったんです。私のこと、ちゃんと好きでいてくれてたんだなって。」
「そんなことを言っていたんですか。」
「だから、反対はしません。私が教えられる分は全部教えようと思ってます。『教える』って言っても叶は頭が良い子なので、私のことなんてすぐ追い抜いちゃうかもしれませんけどね。」
そこで一度区切った夏目さんは、ふにゃりと笑って言葉を繋げてくる。
「まああの、そんな感じになりました。すみません、家族の問題まで面倒見てもらっちゃって。」
「夏目さんと叶さんの関係が良好なものに戻ったなら、私としても嬉しいです。これからも何かあったら遠慮なく頼ってください。」
まあ、苦労した甲斐はあったようだ。そこは本心から嬉しく思っているぞ。人数分のコップにペットボトルのお茶を注ぎながら安心していると、夏目さんが優しく微笑んで話を締めてきた。
「今回はすっごくお世話になっちゃいましたし、やっぱり私は駒場さんが居ないとダメみたいです。……ずっと近くに居てくださいね?」
「勿論です、マネージャーですから。」
胸を張って返答してみれば、夏目さんは……んん? 何故か少しだけ不満げな表情を覗かせた後で、くるりと笑顔になって首肯してくる。何か失敗したかな? ベストな応じ方だと思ったんだが。
「はい、よろしくお願いします。……あっ、そう。それとこれを持っておいて欲しくて。叶も駒場さんだったらいいよって言ってました。」
「これは、何の鍵ですか?」
「家の合鍵です。何かあった時用に持っておいてください。」
「ああ、なるほど。了解しました、マネージャーとして大切に持っておきます。」
ホワイトノーツにはまだそういう仕組みがないが、緊急時に備えてマネージャーが担当の家の合鍵を持っておくのはそこまで珍しいことではない。芸能事務所なら間々ある話だろう。そんなわけで素直に受け取った俺へと、夏目さんは上目遣いでポツリと付け加えてきた。
「……これ、信頼の証ですから。誰より駒場さんを信じてるって証拠です。いつでも入ってきて大丈夫なので、好きに使ってください。」
「いえいえ、好き勝手に入ったりはしませんよ。あくまで緊急時にしか使わないので、そこは安心してください。」
病気の時とか、忘れ物を代わりに取りに行ったりとか、そういう時用じゃないのか? 謎の発言に首を捻りつつ応答してみれば、夏目さんはやや残念そうな顔付きで小さく頷く。どうしてそんな顔になるんだ。
「はい。……じゃああの、そういうことで。飲み物、私が持っていきますね。」
パッと飲み物が載ったプレートを取って事務所スペースに戻っていった夏目さんを見送りつつ、何だかよく分からないやり取りだったなと目を瞬かせる。……まあ、プラスに捉えておくか。信頼してくれているなら、誠実に応えるまでだぞ。
兎にも角にも夏目姉妹の問題は一段落したようだから、次なる課題に集中させてもらおう。モノクロシスターズの後半の撮影をサポートして、白鳥さんと太陽さんのマネジメント計画を立てて、ライフストリームのシステムの変化についてを社内で相談して、新入社員の採用活動や教育に関しても思案して……あー、そうだ。来週深雪さんと行く焼肉屋も決めておかねば。
それに豊田さんにもスポンサー案件の撮影が入っているし、その時名古屋に行くとなればランドスターの点検も撮るだろうから、今のうちからスケジュールを調整しておく必要があるな。月曜日に電話してみよう。加えて白鳥さんが直接対面しての打ち合わせを望んできた場合は、俺が仙台に赴くことになりそうだ。この前彼女がこっちに来てくれた以上、次回は俺の方が出向くべきだろうし。
まあうん、優先順位を整理して一つ一つ処理していくか。先ずはモノクロシスターズの撮影に全力を傾けよう。来春に大きな変化が待ち構えているのであれば、しっかりと土台を整えた状態で飛び込んでいくべきだ。『二年目』に向けて頑張っていかなければ。
手の中の鍵を一度見つめて気合を入れた後、駒場瑞稀は話し声が響いている事務所スペースへと歩き出すのだった。
ライフストリーム! 白月リタ @Rita_Shiratsuki
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