Ⅳ.かなどん ⑩
「それは解決ではなく棚上げです。棚上げの期間を『次に会った時』から、『六年後』にしただけじゃありませんか。パーセンテージで言えば十三パーセントくらいしか解決していませんよ。」
いいや、四十パーセントくらいは解決したはずだぞ。悪戯のエスカレートに歯止めをかけられたし、脅し脅されの関係には終止符を打てたのだから。助手席でプラスチック製の容器の蓋を開けつつ呆れ顔を向けてきている深雪さんに、俺は苦い表情で反論を放っていた。高速道路で愛車を走らせながらだ。
「では、深雪さんは六年後に私が賭けに敗北すると思いますか?」
「ほぼほぼ勝利できると思っていますが、しかし小娘が勝つパターンも可能性としては存在しています。言わば『当社調べ顧客満足度ナンバーワン』程度の信頼度ですね。つまり、『やや不安』です。」
「有り得ませんって。一年経てば『十四歳の頃の奇妙な思い出』になって、五年もすれば記憶から消えますよ。私への感情なんて一過性のものに過ぎません。」
自信を持って断言してやれば、淡いグレーのスキニーパンツに白いシャツ、そして黒いコート姿の深雪さんは……リンゴか? 容器に入っていたリンゴを食べながら応じてくる。
「高確率でそうなることには同意しましょう。貴方がどうこうではなく、『子供の頃の年上への恋』なんて大抵は時間と共に消え去るものですからね。……ですが、貫き通すという展開もあるにはありますよ。世には『中学時代の教え子とずっと付き合って、成人してから結婚しました』とかいう教師のドン引きエピソードだって存在しているわけでしょう? 万一そうなったらどうするつもりなんですか? どれだけ純愛だと主張されても私は引きますがね。ドン引きです。」
「……無いですよ。心配するだけ無駄です。」
「おやまあ、分かり易い目の背け方ですね。知りませんよ、私は。約束を信じて六年間も想い続けた小娘を、誠実な貴方が『やっぱごめん、無理だわ』と突き放せるわけがありません。責任感に苛まれて、たとえ嫌でも婚姻届にサインしてしまうでしょう。……そんな並行未来も存在していると理解しておくように。」
『うさぎさんカット』になっているリンゴを突き付けながら警告してきた友人へと、前を見たままで言い訳を返した。……叶さんと話し合ってから二日後の土曜日の午前中、俺は友人である深雪さんと二人で『海ほたるパーキングエリア』に行こうとしているのである。何でもそこで動画を撮りたいそうなので、ランドスターのお披露目や叶さん問題の一段落をざっくりと報告するために、運転役とカメラ役を買って出たわけだ。
「……大丈夫ですよ、この世界線の未来にはならないはずです。多分。」
「さて、どうでしょうね。人間とは自分に関係する物事を思案する際、無意識のうちに都合の良い方へと考えてしまうものです。『いやいや、大丈夫だろう』は大抵の場合大丈夫ではありません。それが世界の真実なんですよ。」
「リンゴを食べながら『世界の真実』を語らないでくださいよ。」
「世界の真実を語る場において、これほど相応しい食べ物は他に存在しないでしょうに。勝負になるのは無花果かバナナくらいですよ。」
何の話をしているんだ。香月社長並みの意味不明な発言に困惑しつつ、アクセルを緩く踏んで口を開く。……ちなみに叶さんの『凶行』に関してはぼんやりとしか伝えていないし、口にキスされた部分は一切喋っていない。そこだけは叶さんのためにも、俺のためにも黙秘しておくべきだろう。それこそドン引きされそうだし。
「言っている意味はよく分かりませんが、とにかく解決です。もうそういう結論にしておいてください。私は疲れました。」
「実際のところ私も『純愛ストーリー』が成立するとは思えませんから、貴方がいいなら別にいいんですが……根負けしたのは貴方なのか小娘なのか、押し切ったのはどちらなのか、勝者は誰なのか。そこは議論の余地がありそうですね。」
「揃って負けですよ。私は今負けて、妹さんは数年後に思い返して負けるというだけの話です。……リンゴ、好きなんですか? わざわざタッパーに入れて持ってくるのは相当だと思うんですが。」
「これは動画の企画です。『二週間リンゴだけ生活』をやっているんですよ。今日で一週間経過なんですが、今の私は世界中のリンゴ農家が憎くて仕方がありません。味も、香りも、食感も、色も、青森県のことも嫌いになりました。リンゴを見ると苛々してきます。」
絵に描いたような逆恨みじゃないか。深雪さんは地味に過酷な企画にチャレンジ中だったらしい。忌々しそうにリンゴを食べている助手席の『変な人』へと、ふと思い至った疑問を投げかけた。
「『一週間リンゴだけ』はどこかで聞いた覚えがありますが、二週間なことに理由はあるんですか?」
「ありません。単に一週間だとありきたりで気に食わなかっただけです。昨日の夜に一週間でやめようかと真剣に悩んだんですが、気力で初志貫徹することを選びました。」
「それ、健康に悪いと思うんですが。」
「勿論良くはないでしょうし、ダイエットをしたいわけでも、体質改善を目論んでいるわけでも、胃腸の調子を良くしたいわけでもありませんが……私はライフストリーマーですからね。動画のネタとして思い付いてしまった以上はやらざるを得ないんです。それにほら、達成すれば有力な『所持エピソード』の一つになるでしょう?」
エピソードトークの『鉄板ストック』にしようというわけか。同業者として大したもんだと思うけど、リンゴを食べている顔付きが炭を食べている時のそれになっているぞ。余程に美味しくない……というか、美味しく感じられないようだ。現時点で一週間もずっとリンゴだけだもんな。スティーブ・ジョブズじゃあるまいし、そりゃあうんざりしてくるだろうさ。
「……では、来週達成したらお祝いに好きな物を奢ります。色々と相談に乗ってもらいましたし、そのお礼も兼ねてということで。」
セルフ拷問みたいなことをしているストロベリーブロンドの髪の友人へと、ハンドルを固定しながら提案を飛ばしてやれば……深雪さんはニヤリと笑って頷いてくる。俺の案がお気に召したらしい。
「いいですね、さすがはマネージャーだけあってやる気を引き出してくれるじゃありませんか。焼肉が良いです。高い店の。」
「オーケーです。焼肉は前職の時に何度も連れて行ってもらったので、良い店を沢山知っていますよ。」
「おや、そういうところは『業界』のイメージ通りなんですね。焼肉、寿司、うな重あたりですか?」
「うな重はあまりピンと来ませんが、焼肉や寿司は多かったですね。恐らくそれぞれに『人を連れて行く定番の店』があったんじゃないでしょうか? 民放業界は付き合いが大切なので、連れて行く側も苦労していたんだと思いますよ。」
『打ち上げ』だの『何ちゃら会』だのを思い出しながら苦笑したところで、深雪さんが容器をこちらに差し出して相槌を打ってきた。俺はアルコールが得意ではないから苦労したぞ。ウコンやら漢方やらトマトジュースやらで完全武装して、どうにかこうにかやり過ごしていたっけ。
「瑞稀さんもどうぞ。……ホワイトノーツにも『飲みに行こう』の文化はあるんですか?」
「一つ頂きます。……うちはありませんね。思い返せば一度も無いかもしれません。毎日事務所で無駄話をしていますし、私はモノクロシスターズを送ってそのまま帰宅する日が殆どですから。」
「飲み会が無いのは年齢層からして理解できますが、無駄話というのは少々意外ですね。『事務所』は基本的に黙々と仕事をする空間だと思っていました。」
「唐突に一、二時間くらいの『集中タイム』が始まることもありますけど、ホワイトノーツでは割と雑談していますよ。三人とも会話しながら仕事が出来るタイプなんです。」
そこは職場次第かなと思考しながら答えてみれば、深雪さんは容器に蓋をして肩を竦めてくる。ちなみに高速に乗る前にコンビニでリンゴジュースを買っていたので、飲み物もリンゴ縛りなようだ。徹底しているな。
「楽しそうな職場で何よりです。……そういえば、髑髏男爵さんが正式に所属したようですね。所属報告の動画を見ましたよ。」
「ええ、何と言うか……独特な人でした。」
「ということは、彼女は動画外でもああなんですか。……まあ、良いチャンネルに目を付けたと言えそうです。あの人は伸びるでしょうからね。正直将来的な脅威に感じているほどですよ。」
「脅威には思っていないようでしたが、さくどんさんも伸びそうだと言っていましたね。あとは『アポロンくん』も所属しましたよ。これ以上増やすとオーバーワークなので、暫くはこの体制で行くことになりそうです。」
深雪さんに返事をしたタイミングで……おっと、渋滞か? 前方のセダン車がハザードを焚いたのを見て、こっちもハザードスイッチを押してから減速した。場所的に事故渋滞っぽいな。厄介な事態に巻き込まれてしまったらしい。
クラッチとブレーキを踏みながら参ったなと眉根を寄せていると、深雪さんが疲れたような半笑いで目の前の光景に言及してくる。
「渋滞ですか。微動だにしていませんし、これは長くかかるかもしれませんね。……『アポロンくん』なるライフストリーマーの存在は初耳です。今度動画を見ておきます。」
「チャンネル名は『アポロンくんの家』です。アポロンさんはまだ方向性を思案中なので、アドバイスをもらえると助かります。……時間、大丈夫ですか?」
「時間は平気ですよ。どう頑張っても打開できる状況ではありませんし、潔く進むのを待ちましょう。」
座席に深く座り直しながらの深雪さんの返答を耳にして、ギアをニュートラルに入れてサイドブレーキを引く。全く動いていないし、ペダル操作をサボらせてもらおう。マニュアル車はこういう時にキツいな。
そのまま救急車が来た時のために窓を少しだけ開けていると、深雪さんがリンゴジュースを一口飲んでから新たな話題を振ってきた。
「しかしまあ、走行距離のことを考えると随分と調子が良い車ですね。助手席に乗っている分にはえらくスムーズに感じられます。」
「運転していてもスムーズですよ。天下のオオカワのオフロード車だけあって、中々頑丈に作ってあるみたいです。」
「いくらオオカワ製でも二十二万キロは厳しいと思ったんですが……予想が外れましたね、これは。良い買い物をしたようじゃありませんか。」
「前の持ち主が丁寧に使っていたというのもあるんでしょうけどね。何にせよ、ロータリーさんに診てもらうまでは問題なく使っていけそうです。」
俺もきちんと可愛がるつもりだぞ。ぽんぽんとダッシュボードを叩いて言ってやれば、深雪さんは窓を開けて前方を覗き込みながら応答してくる。渋滞の状況をチェックしているらしい。
「そのロータリーマンさんもそろそろ二十万人が見えてきましたね。この前見た時にロータリーチャンネルの登録者数が十八万人になっていましたよ。」
「そして雪丸スタジオは二十七万、さくどんチャンネルは二十三万、モノクロシスターズが十四万、髑髏男爵さんが六万で、アポロンくんの家が四万ですから……どうなんですかね? 伸び率。深雪さんとしては期待通りですか?」
「春の時点では年内に二十五万を突破できれば上々だと考えていたので、私からすると予想以上ですよ。……昔はクォーターミリオンなんて夢のまた夢だったんですけどね。身近になっていくのが嬉しいやら悲しいやらで複雑な気分です。」
「悲しいんですか? 良いことだと思いますけど。」
ドリンクホルダーの缶コーヒーを飲みながら尋ねてみると、深雪さんはやれやれと首を振って説明してきた。
「過去の私たちにとっての大きな壁が、未来のライフストリーマーたちの『低めのハードル』になってしまうのが物悲しいんですよ。一、二年後には二十五万なんて単なる通過点になっているでしょうから。」
「あー……なるほど、ちょっと分かります。インフレーションの葛藤ですね。」
「そういうことです。ライフストリームが成長していくのは素直に嬉しいんですが、後発が軽々と二十五万を突破する未来を思うと何だか妬ましいんですよ。……我ながら偏屈な『先輩』ですね。自分が苦労したからといって、後輩にも苦労させたがるタイプです。これがさくどんさんなら『自分は苦労したから、改善して次世代には楽をさせてあげよう』と考えるんでしょう。」
そうだろうか? この人は若干『さくどん』を美化する節があるけど……ふむ、確かに夏目さんはそう考えるかもしれないな。優しい笑顔で語っている姿を想像している俺に、深雪さんは気を取り直すように話を続けてくる。
「まあ、私は私でハーフミリオンを目指すことにします。さくどんさんに抜かれるその日まで、着実に記録を更新していきますよ。」
「こうなってくると、いよいよ他の事務所が出てくるかもしれませんね。……深雪さんの場合、個人でやっていくに当たっての不安とかはありますか? 個人代表の意見として参考にしたいんですが。」
「大きなものが一つあります。税金の計算です。」
うわぁ、即答してきたな。……そうか、税金か。言われてみれば、そこは個人でやっていく上での障害の一つかもしれない。然もありなんと納得している俺へと、深雪さんは眉間に皺を寄せて税金問題についてを語ってきた。
「先ず、ライフストリーマーはどこからどこまでが経費なのかが曖昧すぎます。カメラやパソコンといった機材は当然経費でしょうが、例えば私がさっき食べたリンゴは微妙なラインです。服もそうですしね。衣装と考えるか、私服と考えるか。捉え方次第でどうにだって出来てしまうんですよ。要するに法律が『ライフストリーマー』という職業に追いついていないんでしょう。」
「その辺は殆ど個人事業主ですね。」
「殆どというか、事実としてそうです。無駄に損をするのは避けたいので、今年からは税理士に頼もうと思っています。……税金の問題で事務所に所属したり、個人事務所を設立する人も出てきそうですね。計算の煩雑さを抜きにしても、個人でやるよりは法人でやる方が対策になるはずですから。」
「個人事務所は出てくるかもしれませんね。スケジュールやスポンサー案件を管理する代理人を一人雇えば、全然やっていける仕事ですし。」
だからまあ、うちは大人数なりのメリットを示していかないとだな。大掛かりな案件を処理したり、自前のスタジオを持ったり、イベントの運営を行ったりとかか? 今からだと遠い目標だけど、そういうことが出来なければ『個人事務所でいいや』になってしまう。悩ましい問題だぞ。
事務所が進むべき道に関してを思案していると、深雪さんが悪戯げに微笑んで声をかけてくる。
「となれば、そのうち瑞稀さんをヘッドハンティングしてみるのも悪くありませんね。」
「雪丸スタジオの専属マネージャーとしてですか? ありがたい話ですね。ホワイトノーツをクビになったらお願いします。」
「おや、クビになるまでは頷いてくれませんか。残念です。」
「香月社長に拾ってもらった身ですからね。最低限の義理は果たしますよ。……深雪さんは編集を別の人に任せるつもりは無いんですか? そうすれば投稿頻度を上げられると思うんですが。」
前の車が僅かに進んだのを目にして、サイドを下げて一速に入れてクラッチ操作だけで車を動かしながら問いかけてみれば……深雪さんは難しい面持ちで回答してきた。
「様々なデータを見る限り投稿頻度は非常に重要ですし、そういうやり方を否定はしませんが、私はやりません。他の誰かが編集したとして、それは『雪丸スタジオの雪丸の動画』ですからね。責任を持つという意味でも、動画内の発言や行動の意図を正確に伝えるという意味でも、他人に自分の動画を弄らせるつもりはありませんよ。……自分で企画して、構成して、撮影して、編集する。故に意図を違えない一貫した動画が完成するんです。」
「……別の人が別の視点から見れば、新たな発見や改善を得られるかもしれませんよ?」
「それも勿論重要ですが、私の好みではないんですよ。ここはもう実利というか、主義や美学の領分なのかもしれません。どれだけ信頼している相手だろうと、動画を預けるのは不安になりますしね。……察するにさくどんさんもそのタイプでしょう? 彼女はどちらかと言えば編集屋ですから、他人に編集の部分を預けるのを嫌うはずです。」
「よく分かりましたね、その通りです。さくどんさんもずっと自分で編集していくと言っていました。……『編集屋』というのは?」
耳慣れない言葉を聞き返してみると、深雪さんは細い足を組んで解説してくる。
「ライフストリーマーとして、強いて言えば何を得意としているかですよ。さくどんさんは動画の編集が上手いライフストリーマーなんです。さくどんチャンネルの魅力は細やかで丁寧な編集ですから。」
「そういう意味ですか。」
「企画や演者としても一流だからこそ、さくどんチャンネルは人気なわけですが……突出しているのはやはり編集の腕だと思いますよ。もしこれが演者寄りだったり企画寄りだったりするなら、編集を誰かに任せるのも選択肢の一つかもしれませんが、編集屋な以上は他人に任せたりしないでしょう。」
「さくどんさんが編集屋だとして、深雪さんはどうなんですか?」
またじりじりと車を前進させながら質問してみれば、深雪さんは自信満々の顔で応じてきた。からかうような雰囲気だ。
「私は全てやれます。企画も構成も演者も編集も一流のジェネラリストです。……とまでは言いませんが、『バランス型』なのは確かですよ。良く言えば安定していて、悪く言えば光るものが無いタイプですね。」
「まあ……そうですね、企画にしたって編集にしたって『雪丸色』が強い動画になっていると思います。」
「この辺は動画に向いているか、生配信に向いているかにも関わってくるんでしょうね。さくどんさんは圧倒的に動画向きで、私は中間、そしてモノクロシスターズさんあたりはやや生配信向きなんじゃありませんか? 来春正式に開始されるそうですし、試してみることをお勧めしますよ。」
「……ライブ配信機能がですか?」
初耳の情報に驚いている俺に、深雪さんは足を揺すりながら肯定してくる。とうとう正式にスタートするのか。知らなかったぞ。
「海外のリーク情報なので正式発表はまだですが、ほぼ確実に来春実装だそうです。生配信した映像を、そのままチャンネルの投稿動画として残せる形式らしいですね。」
「広告はどうなるんでしょう?」
「収益化済みかつ設定でオンにすれば、視聴開始時に一度だけ再生されるようです。……動画の広告システムも変わるらしいですよ。これまでは勝手に五分毎にインストリーム、オーバーレイの順で挿入されていましたが、三分毎や十分毎も設定可能になるんだとか。」
「……微妙な変化ですね。」
欲を言えば、こっちで自由に設定させて欲しいぞ。そしたら動画の切れ目のタイミングで広告を流せるのに。システム的に実現できないのかなと唸っていると、深雪さんは何とも言えない顔付きで反応してきた。
「まあ、徐々に徐々に改良されていくんじゃないでしょうか? 記事には不人気なインストリーム広告の割合を減らして、オーバーレイ広告を微増させるとも書いてありましたよ。将来的な生配信ではそっちをメインの広告にする考えらしいです。」
「あー、なるほど。動画だとインストリーム広告を挟み込んでも困りませんけど、ライブ配信だと『邪魔』じゃ済みませんもんね。」
インストリーム広告というのは、『五秒後にスキップ可能』みたいな形式の動画を停止して挟み込まれる映像タイプの広告だ。現在のライフストリームではスキップ不可能な五秒から十秒ときっちり十五秒のショートバージョン、スキップ可能な十五秒から二十秒と三十秒のロングバージョンが存在しているはず。細かく分けられているのは広告を出すための値段が違うからなのだろう。
対するオーバーレイ広告は、動画の下側にひょこっと出てくるあれ……端っこの小さい『閉じるボタン』をクリックしないと消えない画像タイプの広告だ。動画の下部二十パーセントに表示できるミニバージョンと、四十パーセントに表示できる大きめバージョンの二種類が存在しており、いちいち動画が止まらないからインストリーム広告と比較すると『こっちの方がマシ』と判断されているらしい。
あとはまあ、ライフストリームのサイトそのものに載っているディスプレイ広告なんてのもあるな。ページの右上に常時表示されている、大きめの画像広告だ。それで食っているのだから文句を言える立場ではないけど、『邪魔』と思ってしまう視聴者の気持ちも理解できるぞ。民放のコマーシャルと一緒で、こういうのは妥協点を探すのが重要なのだろう。
恐らくこの先ずっと付き纏うのであろう広告問題に考えを巡らせていると、助手席から涼やかな声での相槌が飛んでくる。
「大切な部分を見逃すことになりかねませんし、かといってその分のディレイをかければどんどん配信者と視聴者のタイムラグが大きくなっていきます。リアルタイムでコメントを書き込めるのが生配信の売りである以上、映像を止めないオーバーレイ形式にする他ないんでしょう。……何れにせよ、公開されてから暫くはテスト扱いになると思いますよ。そもキネマリード自体がゴタゴタしているようですしね。」
「キネマリードが?」
コーヒーを手に取りながら聞いてみれば、深雪さんは皮肉げな笑みで返事を放つ。情報通だな。どこで見つけ出してくるんだろう? そういうの。
「ライフストリーム部門をですね、傘下企業として独立させたいらしいんですよ。今後の成長を見据えての選択でしょうから、決して悪いことではないんですが……あれだけの大企業が『細胞分裂』をするのは容易くないはずです。絶対にトラブルが起きるでしょうね。」
「それはまた、大きな動きですね。」
「ただ、こちらも今すぐにではないはずです。恐らく一年がかりとか、そういうレベルの話でしょう。……つまり、キネマリード社は色々と並行してやっているんですよ。スマートフォン事業に新規参入したり、アニメーション関係で大規模な買収を行ったりもしているようですから、来年ゴタついて再来年に安定するってところでしょうね。」
「『下請け』のホワイトノーツとしては困りものですよ。キネマリードが荒れればライフストリームが荒れて、そうすると我々も静観していられませんから。」
困った気分で呟いた俺に、深雪さんはクスクス笑いながら慰めを寄越してきた。
「『親会社』が拡大する衝撃は甘んじて受け入れるべきですよ。後々利益になるはずなんですから。……あとはライフストリームのスマートフォン用アプリの改善や、規制強化の情報も載っていましたね。著作権問題や動画内での危険行為に対する罰則が重くなるようです。」
「まあ、そこは当然の流れだと思います。段階的に規制されていくでしょうね。……深雪さんは反対ですか?」
「瑞稀さん? 私は自由な動画を愛しているだけであって、危険な動画を好んでいるわけではありませんよ。最低限のルールは許容しますし、必要だとも思っています。」
「『ルール無用であるべき』とかって言っていたじゃないですか。」
数ヶ月前の発言を引用してやれば、深雪さんは半眼で抗弁してくる。
「あれは表現として言っただけです。ポリシー無しでやれという意味ではありません。……ただし、過度な規制には反対ですよ。人や社会に迷惑をかけない分には、何をしようが構わないと思っています。極論それで死んだらそいつの所為であって、別にライフストリームが悪いわけではありませんしね。」
「分からなくもない意見ですが、世間は無責任だとライフストリームを叩くでしょうね。」
「うんざりする話ですよ。そんなものは首吊り自殺があれば使われた縄のメーカーを叩き、信号無視の事故で車のメーカーを叩く。そういうレベルの行動じゃありませんか。」
「んー、どうでしょうね。問題なのは、危険な動画で収入を得ていた場合だと思いますよ。そうなると危険行為を『教唆』したことになりますし、ライフストリーム側にもある程度の責任は生じるんじゃないでしょうか?」
完全に非営利だったら『勝手にやって、勝手にアップロードした』で済むかもしれないが、ライフストリームは営利プラットフォームだ。危険な動画で誰かが大怪我をした際、さすがに無関係ですとはいかないはず。誰でも自由に投稿できるシステムである以上、そういう動画を完璧にシャットアウトするのは不可能だろうけど、最低でも『対策していますよアピール』はする必要があるんじゃないか?
頭の中で思考を回しながら返答してみると、深雪さんは一瞬だけ黙考した後で応答してきた。
「……なるほど、同意しましょう。そういった観点から見れば無関係とは言えませんね。難しい問題です。」
「ライフストリームは複雑な形式のプラットフォームですからね。コンプライアンスに関する問題はどうしたって付いて回りますよ。運営元と投稿者がそれぞれ気を付けていくしかなさそうです。……私たちって、ライフストリームが閉鎖されたらどうなるんでしょう?」
揃って路頭に迷うのかな。ちょびっとだけ不安になりつつ口にした俺に、深雪さんは強気な笑みで答えてくる。
「その問いはライフストリーマーに『ご意見』をしたがる連中の常套句ですね。そこから将来性が無いだの何だのと繋げるのが彼らの主張なわけですが……答えてあげましょう、ライフストリームが消えたら別のプラットフォームに移るだけですよ。ライフストリームがどうなろうと、『動画配信』という職業自体は暫く潰れません。故にそういう文句は木を見て森を見ない連中の戯言です。」
「……なら、私はライフストリームが潰れても再就職活動をせずに済みそうですね。」
「それ以前にそもそも潰れないと思いますけどね。万が一そうなったら香月社長は『次』に目を付けるでしょうから、貴方は恐らく安泰ですよ。無論、ホワイトノーツが潰れるかどうかはまた別の話ですが。……ラジオスターをテレビが殺した時、真の勝者だったのはテレビではありません。最も利益を得たのはラジオからテレビへと活動の場をシフトさせた人間たちです。拘泥して古い船と共に沈むのではなく、拘らずに動いて新たな豪華客船に乗り込む。節操なく勝ち馬に乗り換えるのが勝者の行動なんですよ。」
「身も蓋も無い結論じゃないですか。」
夏のフォーラムで聞いたパーカー氏の演説。それを思い出しながら突っ込んでやれば、深雪さんは苦い笑みで肩を竦めてきた。
「私はライフストリームと心中するのも美しい選択だと思いますけどね。……まあ、もしもの話に意味などありません。大丈夫ですよ、瑞稀さん。キネマリードは『マジで世界を支配しかねない』と心配されているほどの大企業なんですから、ライフストリームがいきなり潰れることは無いでしょう。何十年後かに新たな『発信の形式』が現れた際、そこに移るか引退するかを選べばいいだけです。その頃の貴方は成功してそこそこの金持ちになっているはずですし、マンションの高層階で下界を見下ろしながら余生を過ごすのも良いんじゃありませんか?」
「『そこそこの金持ち』というのは夢がありますね。そうなれるといいんですが。」
「香月社長が然るべき報酬を社員に払う人物であれば、割と現実的な未来だと思いますよ。……もし小娘の『ドン引きラブストーリー』が達成されれば、そこに一回り若くて美人で一途な妻も追加されます。夢いっぱいですね。もはや妄想の中の世界です。」
何故か若干棘がある口調で言ってくる深雪さんだが……いやいや、大丈夫だろう。妄想は頭の中だけで終わるから妄想なんだぞ。そんな都合の良い展開にはならないはず。そこそこの金持ちにもなれなくて、仕事にかまけ過ぎて独身で、無理して買った車のローンに苦しんでいる。俺の何十年後かなんてそんな具合だろうさ。
……でも、それはちょっと悲しすぎるな。『理想の結婚』はここからだとやや厳しそうだから、せめて『そこそこの金持ち』の部分だけは目指してみよう。俺が自らの将来を悲観して怖くなってきたところで、深雪さんがポツリと声を送ってきた。非常にバツが悪そうな表情でだ。
「時に瑞稀さん、話の流れをぶった切るようで悪いんですが……良い知らせと悪い知らせがあります。どっちから聞きたいですか?」
「映画の台詞みたいですね。……じゃあ、定番通り良い知らせからで。」
「では報告しますが、私は今トイレに行きたいと思っています。」
「……悪い知らせは?」
どうして高速に乗る前に行っておかなかったんだ。コンビニに寄ったじゃないか。どこが良い知らせなのかと困惑しながら続きを促してやれば、深雪さんは毎度お馴染みの誤魔化しの笑みを浮かべて回答してくる。
「そろそろ我慢の限界になりそうなことです。」
「……一応ですね、災害用の備えとして携帯トイレはトランクに積んであります。一応言いました。一応。」
「……まだ我慢しますが、一応取り出しておきましょう。一応です。」
この人、本当にタイミングが悪いな。そういう運命の下に生まれてしまったんだろうか? 渋滞はまだまだ動きそうにないぞ。シートベルトを外して後部座席に移動した深雪さんのことを、何だか可哀想に思っていると……彼女はラゲッジスペースに身を乗り出しながら呼びかけてきた。
「赤いバッグですか?」
「それです。水やら保存食やらが一式入っているので、その中から探してください。」
「……万が一ですよ? 万が一使うことになっても、渋滞でトラブルを起こす『厄介女』として嫌わないでください。お願いします。」
「いや、別に嫌いにはなりませんが……ひょっとして、もうダメそうなんですか?」
深雪さんの声色から切羽詰まっていることを感じ取って問いかけてみれば、彼女は再びフッと笑いながら曖昧に応じてくる。
「まだいけます。希望を捨てないでください。」
「……はい。」
ダメっぽいな、これは。防災バッグから出した携帯トイレの袋をひしと握り締めているし、何かもう絶望的な雰囲気が伝わってくるぞ。……いやはや、頼りになるんだかならないんだかさっぱり分からない人だ。
今度深雪さんと遠出する時は無理にでもトイレに行かせようと決意しつつ、眼前の渋滞が魔法のように解消されることを願うのだった。
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