あの大きな背中を追って

おっさん三人は電車に揺られていた。

今朝のおっさん伊達メガネの母親からの電話の後、おっさん野球帽とおっさんも里帰りに付いて行くと言って聞かなかったからだ。

おっさん伊達メガネの実家は電車で一駅の所にあったが、父親と喧嘩別れしてからと言うもの、近い場所にあるにも関わらず、一度も家の前を通る事すら無かった。

実家は築50年の庭付きの一軒家であった。

久し振りの実家を目の当たりにして、おっさん伊達メガネは出て行く前と変わりない風景に安堵の表情を浮かべた。

「おっさん伊達メガネの実家には昔何度か行った事があるが、全然変わらないな。」

「本当だな。お前が昔乗ってた自転車も綺麗な状態でそのまま置いてあるしなぁ。」

ここでおっさん伊達メガネは庭のある変化に気付いた。


「盆栽が枯れてる・・・」


有ろう事か、父親が大切にしていた盆栽が全て枯れていたのだ。

人付き合いが苦手で、趣味と呼べる物が殆ど何も無い父親にとって盆栽だけは唯一の楽しみだった。

毎日手入れをしていた盆栽を枯らすなど、昔の父親からは想像もつかなかった。

そこで、おっさ伊達メガネは父親が盆栽に変わる何か新しい趣味を見つけたのではないかと推察した。

あの堅物の父親が新たに興味を持つ物とは一体何だろうかと段々と気になって来た。


おっさん伊達メガネは、いくら母親の頼みと言えども、家の敷居を跨ぐ事は父親が許さないのでは無いかと思っていた。

しかし、おっさん伊達メガネはこうとも考えていた。

母親は父親の居ない日を見計らって自分に電話したのではないのかと。

そう思うと少しばかり気は楽になった。

玄関の引き戸は不用心にも少し開けられていた。

チャイムを鳴らして入るべきか、そのまま開けて下駄箱の所まで入って良いものか悩み、二人に相談した。

「自分の家だからこの場合はそのままチャイムを鳴らさずに入っていいのだろうか?」

「いや、僕はおっさん伊達メガネは勘当された身だから、家族にとっては、その辺のウーバーイーツの人と変わらないと思うな。

寧ろ手ぶらで来ている分、ウーバーイーツよりも身分はかなり下だと思うぞ。」

「何言ってるんだ!おっさんチョコレート!家族なんだからそんなに遜る事は無いだろ!」

三人がそうこう話していると、家の奥から声が聞こえた。


「どちら様ですか?」


昨日電話では少し話したが、直接母親の声を聞くと感慨深いものがあった。

おっさんチョコレートがウケを狙って"クリリンの事かー!"って応えるのはどうだと言った。

しかし、おっさん伊達メガネは下らないボケに突っ込む事を忘れる程、緊張して何も言葉が出なかった。


奥の部屋から玄関に向かう足音が徐々に大きくなって来た。

その音に連れておっさん伊達メガネの心臓の鼓動も早くなった。

そして引き戸に手が掛けられ、ゆっくりと開かれた。


そこには、とても懐かしい顔があった。

十年以上も会っていなかった母親は、おっさん伊達メガネが家を出てから色々と気苦労があったのか、白髪も増え、皺も増えていた。

しかし、優しさに溢れた眼差しはあの時のままだった。


「あんた・・・ちゃんと来てくれたのね・・・」

母親はおっさん伊達メガネの手を強く握り締め、涙を流しながら擦れた声で言った。

「ああ・・・」

おっさん伊達メガネは頭を搔きながら照れ臭そうに応えた。

「野球帽君とチョコレート君が連れて来てくれたのね。ありがとう。」

母親はおっさん野球帽とおっさんチョコレートの手を握って二人に感謝を伝えた。

「おばさん、電話で直ぐに帰って来てくれって言ってたみたいだけど何かあったんですか?」

おっさん野球帽が不安気な表情で訊ねた。

「ええ・・・玄関先では何だから家に上がって頂戴。」

家の中に入るとひんやりと冷たい空気を感じた。

母親に居間に案内され、三人は出された座布団の上に座った。

おっさん伊達メガネは部屋の中の大きな変化に直ぐに気付いた。


「何で親父の写真がこんなとこに飾られてるんだ?」


仏壇の横にはしかめっ面の親父の遺影が置かれていたのだ。

おっさん伊達メガネの言葉を聞いて、母親の頬から涙が伝った。

「ごめんなさい。あなたに報告するのが遅れちゃって。お父さんから口止めされてたの。」

「親父は本当に死んだのか・・・?」

母親は静かに頷いた。

「何でそんな大事な事、息子の俺に言わなかったんだよ!」

おっさん伊達メガネは突然突き付けられた事実を受け入れる事が出来なかった。

そして、そんな大切な事を知らせられない状況を作っていた自分への怒りを何処にぶつけたら良いか分からず、目の前のテーブルを拳で何度も何度も叩き付けた。

「おっさん伊達メガネ落ち着いてくれ。」

その様子を見て居られなかったおっさん野球帽がおっさん伊達メガネの肩をそっと支えた。

「これが落ち着いてられるかよ!うぅぅ・・・・・」

おっさん伊達メガネは泣きながら苦しそうに呻き声を上げた。

「俺は何て親不孝なんだ・・・」

「それは違うわ。あなたは立派に親孝行してくれたわ。」

「親父は俺を勘当して、馬鹿な俺を恨みながら死んで行ったんだ!それなのに何でそんな事が言えるんだよ!」


不意に母親は父親の遺影に目を向けて呟いた。

「あなた・・・もういいわよね。あの子に本当の事を話しても。」

「本当の事・・・?」

「あの人はね、寡黙で本心を表に出さない人なの。

あなたも知ってるでしょう?

本当はね、誰よりもあなたの俳優になるって夢を応援してたのよ。」

「それなら何で、俺が俳優になるって言った時に猛反対して出て行けなんて言ったんだよ。」

「これもあなたの為なの。

前にね、普段は口数の少ないあの人が、酔った勢いで珍しく私に自分の思いを話してくれたの。


『時が経つってのは案外早いもんだな。

あんなに小さかったあいつも、いつの間にか今では有名な俳優になるって立派な目標を持つようになったし。

これは何をやっても長続きしなかったあいつが初めて自分で見つけた夢だ。

全力で応援してやるのが親ってもんだと思う。

だけど、もしここで俺達が甘えさせてしまったら、失敗しても帰る家があると思うっちゃうだろ。

そうなると、何か嫌な事があれば、あいつは折角見つけた夢を直ぐに諦めるかもしれない。

俳優になるって夢がどんなに険しい道かってのは俺が一番良く知っている。

お前も本当は、こんな父と子の喧嘩別れに付き合わずに、あいつの事を目の前でちゃんと応援してやりたかったんだろ?

何時もお前には苦労ばかり掛けてるな。

俺にはそんな素振りは全く見せないが、息子と会えなくなって本当はずっと辛かっただろ?

こんな我儘な俺とずっと一緒に居てくれてありがとう。本当にありがとう。』


私もあの人からそんな言葉が出るなんて思わなかったから思わず泣いちゃったの。

そんな私を見て、目に涙を溜めちゃって、あの人なりの照れ隠しなのか、何度も何度も頷きながら、泣くのを堪えてたのよ。


結果として、あなたは私達をいつか絶対に見返してやろうと思って、少なからずその反骨心がエネルギーになってるんじゃない?」

おっさん伊達メガネは自分自身の弱い部分を理解していた。

しかし、何時も眉間に皺を寄せて、普段は全く言葉を交わす事の無かった父親が自分の事をちゃんと見ていてくれた事が今更ながら嬉しく感じた。

「実はね、お父さんが亡くなる前に何回か二人であなたの劇団の公演を見に行った事があるのよ。」

「えっ!?」

「私達が見に行く時は何時も広い劇場の最後列だったわ。

後ろの席だし、あなたには絶対バレないから変装なんかしなくたって良いって私が言うのに、あいつは俺の息子だから、洞察力に優れてる。油断していたら確実に気付かれるって言うのよ。

付け髭やカツラを何種類も買って来て変装するの。

でも、どんなに変装しても、どこからどう見てもお父さんだって一目で分かっちゃう程だったわ。

あなたの顔が遠くからでも良く見える様にって言って、双眼鏡だけは絶対に忘れちゃいけないから、前日の晩から首に掛けて布団に入るのよ。笑っちゃうでしょ?」

「見に来てくれるって知ってたら、一番良い席のチケットを用意したのに・・・」

「あなたの出演時間が短い時なんかは、あいつはちゃんとした役さえ与えられれば、良い演技をするんだ!どうして誰も分かって無いんだって憤ってたわ。

小さな劇場であなたが出演する舞台がある時は、自分達が行けば正体がバレるからって言って、チケットを何枚も買って近所の人達に配ってたわ。

そして舞台を見終わった人達から、あなたの活躍振りを聞くのを毎回楽しみにしていたのよ。本当、誰よりも親バカよね。」

「そんな事全然知らなかった。親子らしい会話もした事無かったし、てっきり、ずっと銀行員の弟と比べられて嫌われてるって思ってた。」

「あの人は頑固で、それでいて人一倍不器用で、愛情表現が下手な人だったから、あなたもそんな風に誤解してたのね。」


「信じられないかもしれないけど、あの人もね、昔は俳優を目指していた時期があったのよ。

前に若い頃のお父さんが出演した舞台の映像を見たんだけど、その頃のお父さん、希望と自信に満ち溢れて輝いて見えたわ。

演技力には定評があるのにずっとチャンスに恵まれなくて、芽が出なかったんだけど、35歳にしてやっと、こつこつと頑張って来た事が実を結んだの。

ある日、偶然舞台を見に来ていた世界的に有名な舞台監督の目に留まって、次の舞台の準主役のオファーを受けたの。」

「35年前って・・・」

「そう。あなたが生まれた年。

丁度その時、私のお腹の中にはあなたが居たの。

私はお父さんが苦しんで来た不遇の時代を知ってたから、こんなチャンス二度と無いから絶対にオファーを受けてって言ったわ。

舞台監督に返事をしなきゃいけない期日まで、お父さんはずっと悩んでた。

そして、悩み抜いた末、答えを出したの。


『監督のオファーを受けて舞台が成功しても、次にまた仕事を貰える保証は何処にも無い。

今までの俺だったら、僅かな望みに懸けて、演劇の世界に必死に食らいつこうとしてたかもしれない。

大きな舞台に立って、誰もが羨むスポットライトを浴びる事が、小さい頃からの夢だった。

だけど、今は違う。俺とお前でこれから生まれて来る子供を立派に育てたいって言う新たな夢が出来た。

俺は不器用で一つの事しかやれないから、これから増える家族3人で笑顔で幸せな家庭を築く道を選ぶよ。』


お父さんはそう言って、演劇の世界から足を洗って、会社員になる事を選んだの。

だけど、世間はそう甘くなかったわ。

演劇一筋で35歳になるまでアルバイトしかした事の無かったお父さんを正社員で雇ってくれる会社は中々見つからなかった。

やっと入った会社でも社会人経験が全く無い35歳のお父さんにとっては辛い事が沢山あったと思うの。

元々プライドが高くて、演劇に関しても、どんなに偉い人であっても、意に沿わない指示をされてると、後先考えずに歯向かって行く様な人だったから。

私達に愚痴も一切零さず、一人で大きなストレスを抱えてったと思うの。

次第にお父さんは口数も減って、いつも険しい顔をする様になったわ。

あなたが物心つく頃には、不愛想で全く笑わない気難しいお父さんになってたのかもね。」


おっさん伊達メガネは子供の頃の父親の姿を思い出していた。



『違う・・・。俺は一度だけ親父が笑った姿を見た事がある・・・

どうして今まで思い出さなかったんだろう・・・』



それは俺がまだ小学生の頃。

その日は、親父と二人だけで、手を繋いで、電車を乗り継いで演劇を見に行ったんだった。

どうして二人だけで行く事になったかは覚えていない。

それまで、俺は親父と手を繋いだ事も無かった。

二人だけで出掛けるなんて経験も、35年の人生の中で、この日だけだった。


普段無口で家族にさえ笑った顔を見せなかった親父が、演劇を見ている時は、子供の様に笑ってたんだ。

演劇が終わってからは二人でファミレスに入って、ずっと親父と演劇の感想を言い合ってたんだ。

お互い話に夢中で、グラスに入った氷も解け、冷たかった水もすっかり温くなってた。

後にも先にも、こんなに長い時間、親父と会話した経験なんて無かった。

それは、他の人から見れば、ほんの些細な出来事だけど、俺にとっては、とてもとても嬉しくて、大きな出来事だった。

こんなに楽しそうに笑う親父を初めて見たし、そんな親父を笑顔に変えた演劇と言う物に興味が湧いた。



そうか・・・

俺が役者を志そうと思ったのは、あの日の役者達の様に、親父を笑顔にしたかったからなんだ・・・

そして他の誰よりも、親父に認めて欲しかったんだ・・・



親父は人生という舞台上で立派に父親役を演じ切った。

そして70年掛けた親父の物語は静かに幕を下ろした。

そんな親父に俺はスタンディングオベーションを送りたい。

素敵な物語、生き様を見せてくれてありがとう。



次は俺の番だ。

親父があの世で見てるんだから恥ずかしい演技は出来ない。

天国の特等席でこれから始まる俺のサクセスストーリを見ててくれ。

そしていつかその時が訪れたら、あの日のファミレスに行った時みたいに、酒でも飲み交わしながら、お互いの物語の感想を語り合おう。



帰りの電車の中で、おっさん伊達メガネは、今までずっと心に圧し掛かっていた重りが取れ、前向きな気持ちになっていた。

おっさん野球帽は、父親の死を急に知らされたおっさん伊達メガネの精神状態を心配していたので、その様子を見て、安心する事が出来た。



しかし、おっさんチョコレートだけは一人、浮かない表情をしていた。



おっさんチョコレートは、これまで美少女フィギアが娘で、ダッチワイフが妻だと自分に言い聞かせ、父親として沢山の愛情を注いで来た。

おっさん伊達メガネの本物の家族の絆を目の当たりにし、自分の紛い物の家族が、堪らなく惨めで情けなく感じたからだった・・・



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この世の全てが詰まった物語 佳樹 @DiCaprio

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