帰らざる日々

その日はいつもと変わり無く、おっさん三人はおっさんチョコレートの部屋に集まり、それぞれの時間を過ごしていた。

おっさん野球帽はおっさんチョコレートが収集した漫画を読み、おっさんチョコレートはアニメのDVDを観ていた。

おっさん伊達メガネはと言えば、おっさんチョコレートが命の次に大切にしているガラスケースに入った女の子のフィギアを取り出し、その胸を乱暴に触っていた。

「なんだ、この人形の胸。全然柔らかく無いじゃないか。」

おっさん伊達メガネがポツリと呟いた。

おっさんチョコレートはアニメに集中していた為、おっさん伊達メガネのこの悪魔の様な所業に気付くのが遅れてしまっていた。

「ぎゃーーーーー!」

おっさんチョコレートは声にならない声を上げた。

「こんな胸の固い人形のどこがいいんだ?」

「なに穢れた手で触ってるんだ!今すぐ、この子に謝罪しろ!」

「誰が人形なんかに謝ったりするかよ!」

「この子は、僕の大切な300人娘の60女なんだよぉ!」

「こんな人形が娘だなんて気でも狂ったのか?」

「狂ってるのはおっさん伊達メガネの方だ!娘がこんな辱めを受けたんだ!パパはもう怒ったぞ!」

「お前、いつからこんな人形の父親になったんだ?お前の遺伝子何て一切入ってないだろ!」

「血は繋がって無くても心で通じ合っているんだ!ねえママもそう思うだろ?」

おっさんチョコレートが押し入れの方に顔を向け言った。

「ママ?」

おっさん伊達メガネがおっさんチョコレートの振り向いた先を辿ると、襖の中から激しい憎しみの籠った視線を感じた。

おっさん伊達メガネは恐怖に駆られ、立ち上がり、恐る恐る襖を開けた。

すると、大きなダッチワイフが鎮座し、こちらを見つめていたのだ。

その表情は初めは娘を侮辱された事への怒りが籠っているのだと感じたが、暫く見つめる内にダッチワイフの心の奥底にある憂いをおっさん伊達メガネは感じ取った。

おっさん伊達メガネはその表情を見ていると、自分のこれまでの行いが恥ずかしくなり、悔い改め始めた。

「お母様、申し訳御座いません!僕は間違ってました!こんな素晴らしい娘さんに穢れた手で触れてしまいました。」

おっさん伊達メガネは深々とダッチワイフに頭を下げた。

すると、おっさん伊達メガネの心に、そっと優しくダッチワイフが語り掛けた。


"あなたの罪を赦しましょう"


聖母の様なダッチワイフの幻聴を聞き、おっさん伊達メガネは涙を流した。

「私の罪は赦されたのですね。聖母様!ありがとう御座います!」

おっさん伊達メガネは床に頭を擦り付け何度も何度も祈りを捧げた。

「おい、おっさん伊達メガネまでどうしたんだ!こんな気持ち悪い人形に頭なんか下げなくていいんだよ!」

おっさん野球帽はおっさん伊達メガネを無理矢理立たせようとした。

しかし、おっさん伊達メガネは祈りを決して止めようとしなかった。

「おっさん野球帽!僕の妻を気持ち悪いって言ったな!」

おっさんチョコレートがおっさん野球帽に詰め寄った。

「お前も聖母様に謝れ!誠心誠意謝れば、きっとお赦しになられるから!俺も一緒に頭を下げてやる。」

おっさん伊達メガネは最早、熱心な信者へと化していた。

「妻も僕の言う事なら聞いてくれるから三人で頭を下げよう。」

おっさん三人はダッチワイフに向かって深々と土下座をした。


そして、全ての罪は赦された。


おっさん三人は罪が赦された事を感じ、一息ついていた。

すると突然おっさん伊達メガネの携帯の着信音が鳴り響いた。

おっさん伊達メガネは慌ててポケットから携帯を取り出した。

しかし、ディスプレーに表示された名前を見て再びポケットに仕舞った。

鳴り止まない着信音に躊躇いを見せた後に、一度唾を飲み込み電話を取った。

電話の向こうの相手に対しておっさん伊達メガネは素っ気ない返事をするだけで、直ぐに電話を切った。

「一体誰からの電話だったんだ?」

おっさん野球帽が怪訝な表情で訊ねた。

「お袋からだった。理由は何も言わなかったから分からないけど、今すぐ実家に帰って来いって・・・」

「実家に帰って来いって余程の理由があるからじゃないのか?

だってお前、俳優になるって言って、それを親父さんから猛反対されて、二度と家の敷居を跨ぐなって言われたんだろ?

それからは、ずっと実家に帰らずに、家族とは縁を切ってたんだろ?」

「だからって、今更どの面下げて帰れって言うんだよ。あんな家二度と戻るかってんだ。」

「おっさん伊達メガネ・・・つまらない意地を張るのは止めろよ。

このままずっと父親さんと喧嘩したままだと、きっと一生後悔するぞ。」

「お前に何が分かるってんだよ!」

おっさん伊達メガネは怒りに任せて、おっさん野球帽に強く当たった。

そして、自分の言った言葉にはっと気付き、おっさん野球帽にだけは、絶対にこの言葉は言ってはいけなかったと、激しく後悔した。

「すまない・・・」

「いいんだ。気にするな。それより、お前も少し冷静になってくれて良かったよ。」


おっさん野球帽がおっさん伊達メガネと言い争いになる事も承知で、この親子喧嘩に口出しするのには理由があった。

おっさん野球帽は幼い頃に両親を事故で無くしており、祖父母の手で育てられたのだった。

祖父母は愛情を持っておっさん野球帽を育てた。

おっさん野球帽も勿論その愛情を感じていたので、二人に対しては感謝と申し訳なさをずっと感じていた。

おっさん野球帽がいつも思い出すのは父親と母親が生きていて、三人で幸せに暮らしていた頃の思い出。

そして、もう一つは大きな後悔。

それは、両親と最後に交わした言葉と、その時の二人の悲しそうな表情だった。

その事を思い出す度にいつも、堪らなく胸が苦しくなった。


その日は空に雲一つ無い、日曜日の朝だった。

小学校低学年のおっさん野球帽の両親は共働きで中々三人で過ごす時間が無かった。

日曜日に一家の休みが重なるなんて、何年振りだっただろうか。

両親はこの日に合わせて、おっさん野球帽がずっと行きたがっていた遊園地に家族三人で行く計画を立てていた。

おっさん野球帽は遊園地に行ける事も勿論楽しみだったが、それよりも、何よりも、パパとママと一緒に居られる事が何より嬉しくてずっと楽しみにしていた。

前日には、てるてる坊主を100個作って晴れになる事を神様に祈っていた。

おっさん野球帽の願いが通じたのか、当日は見事な快晴であった。

日差しが強かったので、おっさん野球帽の父は、日射病になるといけないからと言って、家を出る前に帽子を被るのが大嫌いな、おっさん野球帽に自分の野球帽を被せた。

一家が家を出ようとしたその時、一本の電話が鳴り響いた。

その電話はおっさん野球帽の父親が勤める会社からだった。

トラブルが起き、どうしても父親の力が必要だと言うのだ。

父は今日だけは勘弁して欲しいと食い下がったが、結局は会社の人に根負けしてしまった。

母は父を駅まで車で送るから、今日は遊園地は中止にして、後で二人で近くの公園で遊ぼうとおっさん野球帽に言った。

おっさん野球帽は、ずっと心待ちにしてたのに、三人一緒じゃ無くなった事に落胆し、涙が込み上げて来た。

「パパもママも大嫌いだ!僕の事なんかより仕事の方がずっと大事なんだ!二人なんか居なくなっちゃえ!」

そう言っておっさん野球帽は目を擦りながら泣きじゃくった。

「ごめんな。この埋め合わせは、いつか必ずするから。今日は本当にごめんな。」

二人はおっさん野球帽に申し訳なさそうに、悲しい表情を見せて家を出て行った。


そして、それがおっさん野球帽と両親が交わした最期の言葉となった。


両親は駅に向かう途中で事故に巻き込まれ、そのまま命を落としたのだった。


おっさん野球帽は何であんな事を言ってしまったのか、ずっと後悔して来た。

もしそうなる事が分かっていたら、二人を苦しめる言葉なんて絶対に言わなかった。

"二人の子供で良かった""ありがとう"と、そう言いたかった。

時が経つに連れてその後悔は小さくなるどころか、より大きくなっていた。

父の勤めていた会社は、仕事量は多いが、給料は安く、母との共働きで何とか生計を立てられる程だった。

家族を支える為にどれだけ苦労していたか、おっさん野球帽も自分が働く側になって知った。

父は職場での信用を得る為に、朝から晩まで、休みの日も仕事漬けで、ずっとずっと頑張って来た。

今なら仕事を優先させるのも、あの時は仕方が無かったと理解出来る。

そんな後悔をずっと引きずって来たからこそ、尚更、おっさん伊達メガネと父親との関係修復を誰よりも強く願っていた。


「おっさん伊達メガネ、一度実家に帰ってくれ。これは俺の一生のお願いだ。」

おっさん野球帽は長い付き合いでおっさん伊達メガネの性格を良く知っていた。

このまま抑え付ける様な言い方をすれば、頑固なおっさん伊達メガネは反発して後に引けず、実家に帰らないの一点張りになると思った。

母親からの電話を取らない選択肢もあったのに、取ったと言う事はおっさん伊達メガネ自身にも迷いがあると感じた。

だからこそ、友達からお願いされたのであれば、迷いのあるおっさん伊達メガネもこの要求を素直に受け入れやすいと思ったのだ。

「僕からもお願いするよ。」

おっさんチョコレートもおっさん野球帽の思いを感じ取った。

おっさん伊達メガネも自分の為に、ここまでしてくれる二人の思いを十分に理解していた。

それに、人に頭を下げるのが大嫌いなおっさん野球帽がこんなにも必死になっていたから。

その思いに応えない訳にはいかないと思った。


「二人がそこまで言うんだったら仕方ないな。」

おっさん伊達メガネは照れ臭そうに言った。

「ありがとう!それは良かった!本当に良かった!」

「なんで、お前達が俺に礼を言うんだよ。礼を言うのは俺の方だ。」

「ははは、それもそうだな!」

「俺には出来なかった分、お前はまだ両親に親孝行も出来るんだから幸せだよ。」

「僕も父上と母上に今すぐ感謝を伝えたくなったよ。」

おっさんチョコレートは二人に触発されて、父親と母親に感謝の気持ちを伝えたいと言う思いが抑え切れなくなっていた。

そして、一階に居る父と母に向かって叫んだ。


「父上~!母上~!」


おっさんチョコレートの次の声を待たずに父親の怒鳴り声が聞こえた。

「おい!豚!いつまでくっちゃべってんだ!うるさいぞ!今すぐ静かにしねぇと豚の丸焼きにするからな!」

「何て事言うんだよ!死んでしまえ!クソおやじ!」

おっさんチョコレートは顔を真っ赤にして怒鳴り返した。


さっきまで親子関係の在り方を熱く激しく言い合っていたおっさん野球帽とおっさん伊達メガネは、一番間近で見ていた筈のおっさんチョコレートのこのセリフに唖然とした。

彼は本当に自分達の知るオッサンチョコレートなのだろうか?

さっきまでここにいたおっさんチョコレートの脳内は別次元のおっさんチョコレートと入れ替わってしまったのでは無いかと思わざるを得ない程であった。


暫く無言の時が流れ、おっさんチョコレートがぽつりと呟いた。


「なんかゴメン。すっかり台無しにしてしまって・・・」



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