一章・初任務
舗装されていない乾いた砂利道。大の男二人並んで、時折つま先で石を蹴りながら背の低い男が一方的に話している。話していることは他愛無いものだ。隣を歩く大柄な男は分かっているのか分かっていないのか、曖昧に頷きつつのそりと大股で歩く。
「半日近く着てるが、違和感はないか?」
首を振る。
「よかった。任務中は毎回これを着ることになる。不満点があればなんでも言ってくれ」
乾燥した風が上等な外套と上着の裾をはためかせた。砂を纏い黄土に濁った風が通り過ぎると、視界が晴れ目の前には村の入り口を示すぼろぼろの看板が立っている。ほぼ掠れて読めなくなっているが、指でなぞればかつての名残が伝わってくる。目的地で間違いない。
連れの大柄な男に待機を伝えてから、おもむろに携帯型の通信機器を取り出す。迷いのない指運びで番号をタップした。
しばらくして画面が切り替わったのを目視で確認し口を開く。
「
『開始報告受領。良い報告を待つ』
毎度の定型的なやりとりを交わし通信装置を切断した。隣でやりとりを聞いていた
今回強欲達に与えられた任務は訪れた商人や旅人が行方不明になる村の調査。及び解決だ。
事前に付近の街を訪れたものの、めぼしい情報はなく人が消えた噂が広まっているくらいである。元々閉鎖的な村であった為に、近辺の住人はまず近づかないのだ。
結局現地で情報を手に入れる他ない。ただ、六人で固まってうろつくのは効率が悪く、何より狭い村内では目立つ。その為四手に分かれて情報収集を行うことになっていた。
まず
次に
しかし残念なことにどこも大きな動きがなく、ただの観光客のようになっていた。
「イラ、このお菓子美味しいね!」
「ふふ。それはポン菓子って言ってね、お米だけで出来てるのよ」
憤怒と嫉妬は旅の兄弟を装い、出店を中心に話を聞いていたがろくな情報がない。
また出店を回る中で聞くだけと言うのも失礼かと、買い食いが多発し一つの店で長く立ち止まってしまっていた。二人も二人でおしゃべりが好きな部類なのも一因である。
現に今も口にした菓子に興味を持った憤怒が、若干興奮気味に初老の店主に話しかけていた。
「米だけで出来るんですか!?」
「そうそう。だから原価は安いんだけど作る為の機械がねぇ。あたしは祖母から受け継いだから半ば趣味でやってるよ。作ってる所を見てくかい?」
「ぜひ!…あ、ヴィディもいい?」
「いいよ!」
店内へ招かれ、機械から少々離れた位置の椅子に腰掛ける。一つしかなかったので、憤怒の膝上に嫉妬が座る形だ。心なしか落ち着きがなく、頰を赤く染めてそわそわしている。
だが数分後には二人が機械の轟音に叫びながら肩を跳ねさせたので、店主は愉快そうに笑っていた。
一方、単独行動をしている傲慢。先程まで他の者同様に聞き込みをしていたものの、収穫はない。当たり障りない話で探ろうとしても、のらりくらりかわされてしまうのだ。ならばいっそ裏路地で自ら探った方が早いのではと、人気のないところを恐れることなく一人歩いていた。
その中で、一見して変哲のないバケツが傲慢の視線を惹きつける。
「……?……灰か?」
ざっと見た限りでも二十を超えるバケツ全てに灰と思われるものがいっぱいに詰まっていたのだ。手で拾えば引っかかることなくさらさら滑り落ちる。
村全体で何かに使うのなら不思議ではない量かもしれないが、傲慢の直感は今回の案件に関わりがあると告げている。それも
付近を確認してから、持っていた保存袋に少量の灰を入れて口を閉めた。
強欲かやけに物知りな暴食にでも聞けば何の灰かくらいは分かるだろう。多分、簡易調査キットくらいは持ち歩いている。聞いてないが妙な自信があった。
参考に違うバケツからもいくつか採集し、立ち去ろうとした時だ。
足音が迫って来ている。ゆっくりではあるがこちらに確実に近づいていた。
逃走経路を組み立てようとするも地理に明るくない身では厳しい。着々と近づく足音に焦燥を覚えつつも、努めて冷静に一度物陰に隠れるかと思案した時だった。
ぶぅん
「っ!!?」
生理的な悪寒を煽る耳障りな羽音。だが状況の打開となりえるものだ。羽音が去った方へ足音を抑えつつ走る。近づく足音から確実に遠ざかっていた。
小さな虫を、時折わざとらしく耳元を掠める音を、必死に追って何度目かの角を曲がる。途端に光が視界を覆う。薄暗い路地に慣れた目には少々厳しいものがあった。
耐えきれず目を擦っていると、不意に腕を引かれてどこかへ誘導される。滲んだ視界に映るのは見慣れた白銀の髪。引かれるがまま歩いていると、何かに座るよう押された。多分何かの箱だろう。素直に座って一言礼だけ告げた。
「逃げれたようで良かった。向こうも気づいていなかったみたいだね」
声の主は暴食。先程傲慢の逃走ルートを導いたのは彼の能力から生まれる蠅だ。気づいたからこそ傲慢も迷わず走ってこれた。
「助かった…まだ地形把握もしていないのにやることじゃなかったな」
握らされた目薬を大人しく差しつつ、反省を口にする傲慢の言葉を肯定しながらも否定する。
「確かにそうだけどこっちも助かったよ」
「…巡回でもいたか?」
やっと息の整った傲慢の質問に親指を上向きに立てた。
「ビンゴ。村民でも体格がいい男が二人組で何度か交代しつつ巡回してた。スペルが行くから止めようと思ったけど、運よく交代時間で巡回ルートと鉢合わない回り方してたからサポートだけにした。囮にする形になってごめんね」
「妥当な判断だろ。サポートがあって充分助かった。……これの調査もある。早めに宿を取って確認しないか?」
性格や行動指針は揃わないが、思考回路は似通っている二人だ。自分がまさに今口にしようとしたことを言われて、仏頂面が不敵な笑みに変わる。
「そうだね。場所も変えたいし、俺の方でもいくつか情報が集まったから一緒にすり合わせしよう」
「ん。…その前に腹が減った」
朝の街で聞き込みからおやつの時間の今まで水分以外摂取していない身体は空腹を訴えている。素直に口にすれば、じゃあと一つの出店を指差した。
「あっちにリゾットより薄い…お粥か雑炊だっけ。売ってるお店あったよ」
「ああ、いいな」
別々に行動をしていた二人も合流し、緩やかな人並みに紛れていく。
他の面子も陽が沈むまで調査を続けたがそれ以上の収穫はないまま、村滞在初日夜を迎えることになった。
「……情報ありがとう。こっちはグラ達が手に入れた以上の情報はない。明日は多少強引にはなるが朝に件の家屋前で合流、突入したいところだな。…ああ。とりあえず今日は休もう。おやすみ」
支給の通信機器を切ると、ドア付近に膝を抱えて座っていた怠惰が近づいてくる。ふるふると首を振る様子を見て、強欲がありがとうと告げた。
「……」
「ああ、イラ達にはスペルから報告しているって言ってたから今日は休んで大丈夫だ。…初の任務だがどうだ?その、疲れてたり気がかりなことがあれば言ってほしい」
「………」
問いかけに、またも首を振って隣に座る。男二人の体重を受け止めることを考慮していないベッドが悲鳴を上げたので、強欲が慌てて立ち上がった。目の前に立った強欲に怯えた様子を見せたことに、あ、と手を打つ。
「見下ろすのは駄目だったな。イス…イス…よし。ディア、……これは医者というよりは仲間として聞きたいんだが、今日本当に大丈夫か?気のせいかもしれないが、人とすれ違う際にたまに怖がっているように見えた」
「……」
今度は首を傾げる。一つ唸ってから再度口を開いた。
「大人」
「……」
「子ども」
「……」
「男」
「……」
「女」
「…!」
最後の単語に明確な反応を見せる。
シーツを指が白くなるまで握りしめ、身体を小刻みに震わせている。それは誰がどう見ても怯えているとしか言えない。表情筋は動いていないが顔は血の気が引いて真っ青になり、言葉を紡げない唇は陸にあげられた魚のようにはくはくと動かしていた。
極度の拒絶反応に、安物の椅子を蹴飛ばす勢いで近寄り、膝立ちのまま怠惰を抱きしめる。
「ごめん。気軽に触れていいことじゃなかった。大丈夫だ、ここには俺しかいない」
鼓動と同じリズムで背を叩く。震えが治まるまで辛抱強く何度も。
やがてシーツを握りしめていた手をゆっくりと持ち上げて、一回り細い強欲へ助けを求めるようにしがみついた。力強さに息が詰まるも何も言わずただ背を叩き、時々さすってやる。
半刻も過ぎた頃には震えもすっかり止まり、落ち着きを見せていた。だが力が強かった自覚があったらしく落ち込んだように頭を下げている。
まるで主人に叱られた犬のようで垂れた尻尾や耳が見えるようだ。つい出そうになる笑いを堪えて、先日の傲慢を真似して頬から手を滑らせ頭を撫でる。
「気にしないでくれ。これは俺が悪かったんだ。…明日は人通りを避けて移動しよう」
「……」
意味がわかっているか定かではないが、許されたのは伝わったらしく嬉しそうに頷いた。
「今日は寝ようか。そのベッドを使ってくれ」
「……」
「いや、二人は流石に……」
上目遣いで共寝を迫ってくる怠惰を払いのける事は、身内に甘い強欲にはできなかった。だが寝ている間にベッドが崩れるのは怖いので、ベッドをくっつけて眠るという譲歩案に着地した。
傲慢から一緒に寝たがる報告を聞いてはいたので、断る言葉はあらかじめいくつも列挙していた。が、邪気のない純真な瞳には勝てず、無駄に終わったのである。
「ヴィディ、そろそろ寝よう。今日は一緒に寝る?」
暴食との報告と情報共有を終えた憤怒が、船を漕いでいる嫉妬に話しかける。眠気と葛藤しながらも、話しかけられたことには舌ったらずに返事をした。
「う、うー…いっしょが、いい…」
ぎゅっと服の裾を掴む姿に、
「うん、俺もヴィディと一緒が良かったから嬉しいな。…おやすみ」
眠りの挨拶前に倒れ込んだ嫉妬に布団を被せ、憤怒も彼を抱きかかえて眠りについた。
「添い寝してあげようか?」
合流してから調査結果の突き合わせやら討論を続けていた暴食と傲慢も眠りにつこうとしていたが、暴食の冗談にあからさまに嫌そうな顔をする。
「蹴り飛ばすぞ。……いやでもベッドはくっつけろ」
入ってくるなとは言うが、暴食のベッドを引く動作をする。彼の寝床は窓側に位置していた。
「それはこっちからもお願いするつもりだったから、じゃあ失礼しまーす」
「入っては来んなよ」
再三の釘差しを笑って受け流しつつ、二人もそれぞれのベッドで就寝したのだった。
何事もなく終わる一日。そうなるはずだったのだ。
夜の眷属にとっての絶好の時間、彼らが泊まる宿へいくつもの影が這い寄ってきていた。
宿周辺で蠢く気配にいち早く反応を示したのは怠惰だ。勢いよく身を起こして辺りを注意深く警戒している。きっと声が出ていれば唸り声が聞こえただろう。未だ眠ったままの強欲を揺さぶりって覚醒に促すも、唯一の出入り口になる扉から視線を外さない。
少し遅れて目覚めた傲慢と暴食も、何か言う前に背中合わせになって窓と扉を凝視していた。
「……どっちの方が手薄だ」
「どっちかと言えば扉。でもどんどん集まってるし宿自体が狭い。ご丁寧に相手している内に窓から入られるのがオチじゃない?」
「蠅出せるか」
「いいよ。撹乱は任せて、先導よろしく」
簡単な作戦会議は終了し、暴食がスリーカウントを始める。ゼロの言葉が終わるが先か、手にした鉄の杖で勢いよく窓を叩き殴る。その横を真っ黒な塊が走り抜けていく。
仲間を助けるのは後。今は無事を信じて彼らに向かう敵を分散させるのも必要なことだ。蠅に纏わりつかれただろう者から上がる悲鳴を他所に、屋根を迷わず飛び降りる。いくらか引きつけるため、声を張り上げようと振り返った時だった。二人は異様な光景に揃って息を呑む。
月明かりに照らされた村人の姿に昼の面影はない。
物音をよく拾いそうな、頭頂部から後ろへ流れるように生えた三角形の耳。長く伸びたマズルからは月光を反射して鈍く光る牙がのぞく。突き立てられれば人間の薄い皮膚なんて簡単に食い破られることだろう。
そして何よりも色の差はあれど、全身を覆う豊かな毛。揺れる尻尾の影が、陽炎であればどんなに良かったか。
「っ、開かない!!」
「ま、窓も開かなくなってる!!」
外で鉄を擦り合わせる音が響き渡るようになった頃、憤怒達がようやく目を覚ました。しかし、出入り口となる窓と扉が封鎖されてしまい閉じ込められてしまっている。窓は御丁寧にも黒塗りされていた。
隣でも扉を蹴破る音が聞こえたので、おそらく両隣はとっくに空だろう。つまり助けは騒ぎが収まるまで望めない。
「ど、どうしよう!?」
「…ヴィディ、俺のアンカーで扉を壊すから下がっていて」
「分かった!あ、でも今なら窓の方がいいかも……外の気配とか音がだいぶ遠くなってるの。扉の前誰かいる気がする」
「や、屋根から飛び降りることになるけど大丈夫?」
「平気だよ!イラが怪我しないよう守るんだから!!」
自信満々に胸を張る弟分の様子に、この状況下だが自然と笑みが溢れる。握りしめている拳を取り、自信に応えるように柔い手を力強く繋ぐ。
「ヴィディは本当に頼もしいね。それじゃあ窓を割るから、すぐ出れるよう手を繋ごうか」
「うん!」
嫉妬の返事とほぼ同時に出現させた鎖を空いた手で掴む。手首のスナップを効かせて、鎖の先のアンカーを勢いよく叩きつけた。鋼鉄製の物も突き破るそれには強化ガラスも薄膜に過ぎない。
破片が突き刺さらないよう、もう一度鎖を振ってから憤怒が先頭で飛び出す。窓枠に付いたままの硝子が肌を滑った感覚があったが痛みはない。宣言通り嫉妬が守ってくれたのだろう。少しもたつきつつも嫉妬も無事に脱出し、合流しようと音の発生地に行こうとした時だ。
二人の前に人影が立ち塞がる。即座に腰を屈めた二人だったが、すぐに体勢を解くことになった。
「あんた達!出てきたら危ないじゃないか!!」
「え、あ……」
「ぽん、がし。売ってくれたおばちゃん?」
姿形こそ昼間出会った姿の面影すらないが、声は確かに出店でポン菓子を売っていた初老の女性店主のものだ。姿を認識できない嫉妬までもそう判断したのだから間違いない。
鉈なんて物騒な物を手にしているが、二人へ向ける言葉や視線は本当に心配しているように思える。第一手にかけるのだったら降りた時に呼びかけず、無言で手にしている獲物を振るえばいいだけだ。
「早く宿にお戻り、盗賊が出たんだ。今は宿から離れた広場に追い込んでる。ここには一歩も近づかせないからさ!騒がしいのは勘弁しておくれ」
「そ、その俺達は……」
茶目っ気たっぷりに笑う女性に、憤怒の目が困惑に揺れる。
今まで憤怒が任務や日常で相対した者など敵意を持ったものばかりだ。ましてや任務対象になり得る者から親しげに話しかけられることなどなかった。
任務では優しい彼らにつけ込まれない様に世話焼きな大人が手を回し、先んじて処理していたのだから当然だろう。
憤怒へ手を伸ばす女性との間に、嫉妬が両手を広げて割り込んだ。戸惑ったままの憤怒とは違い、嫉妬は女性へ明確な敵意を剥き出しにしている。
女性は心底不思議そうに戸惑っていた。
「?どうしたんだい?ここに来ないとも限らないんだからせめて室内に「盗賊じゃない!僕らの大切な人だ!!イラ、こっちがきっと広場だよ!」
「ちょ、ヴィディ!?」
「お前さん達、危ないよ!」
女性の制止させようとする声も嫉妬の枷にはならない。瓦礫と人波の隙間を縫い、二人はあっという間に姿を消してしまった。
「右、来てる!」
「っ、ぐ…くそ……っ!」
「一度、どこ、かっ…゛っが…!?」
広場では暴食と傲慢が引きつけた村人の相手をしていたが、状況は明らかに劣勢であった。
自ら呼び寄せた分、村人の大半が集まっておりすっかり囲まれてしまっていた。二人の意趣が違う軍服もどきの任務服は所々破れ、見る影もない。裂けた傷口からは絶えず血が滴り、傲慢は大きく引き裂かれた腹部から肉を覗かせている。傷の大小の差はあれど、少なくない出血にどちらも倒れるのは時間の問題だ。
目の前に迫っていた村民を杖で振り払うも打ち倒すまでは行かない。視界の隙を庇い合うように戦っていた暴食も無数に襲いかかってくる腕に脇腹を殴られ吹き飛ばされる。戦場での喧騒にも関わらず、骨が軋んだ音は二人の耳にいやに届く。
倒した村民の背後から伸びてきた爪がそれぞれの眼前に迫った時だ。
「ぎゃぁああああああっ!!!?」
耳をつんざくような悲鳴が二人からではなく、村民から上がったのだ。死を覚悟して目をつむっていた二人がおそるおそる開けると、花畑なぞは広がっておらず、一様に目を抑えて悲鳴を上げる人狼を見下ろしていた。
呆けた顔で周囲を見渡せば、隣に全く同じ表情を浮かべた相手が。また人狼達からは遠ざかっている。
「っぐ、いてぇ…」
「いたた…ディア、そっちも無事?」
「いいから走れ!!あんなもの唐辛子を混ぜただけの水だ!!!」
二人を窮地から救ったのは強欲と怠惰だった。本人が言った通り唐辛子を混ぜた水で目潰しをし、地面に転がっていたのを怠惰が回収したのだ。今は手当てをする場所を求めて逃げ回っている。
怠惰は流石の体格と言うべきか、成人男性二人抱えてても息を乱さず、速度も全く落とさない。むしろ強欲が置いていきかれない勢いだ。
「そこの細い道入って右。廃屋が連なってるから二番目の家。そこは物が多かったから身を隠すにもドアを塞ぐにも使えると思う」
怠惰に揺さぶられて声を震わせながらも的確な指示を出す。昨日の偵察が役に立ったわけだ。
飛び込む勢いで駆け込めば、幸い村人は追いついて来ておらず怒号が遠くで聞こえるのみである。
「げほっ…先にスペルの手当てをして。傷が深い」
気持ち多めにひかれている藁へ若干乱雑に降ろされる。咳き込む暴食の横で呻き声一つ上げない傲慢は既に気絶しているようだ。一仕事果たした怠惰は、強欲の指示を受けて空の棚や箱をドアの前に積み重ねている。
「グラは悪いがこの薬を自分で塗っててくれ。すぐに診る」
「ん」
言葉通りにすぐさま傲慢の手当てに取り掛かる。余力のある暴食は受け取った軟膏を、顔を顰めながら傷口に塗っていく。適切な処置さえ受ければ大抵の病気や怪我を治療できるこの時代。切り傷どころか骨折までも治癒できる薬の開発技術も生まれている。
強欲は医者ではないが研究の一端で医療に触れた経験があり、特に薬の調合はなんであろうが得意としていた。
「ぅ……」
「いたた……はー…だるいけどこれなら動けるかな」
ただ傷を塞ぐことが出来ても失った血はすぐに戻ってこない。こればかりは仕方ないだろう。意識を取り戻した傲慢はゆっくりと起き上がり、軽く頭を振った。状況は覚えているらしく、短く礼を言って現状を問う。
「あまり急に動くないでくれ。今は廃屋の一つに身を隠している。ヴィディとイラの安否確認が取れてないのが気がかりだ」
「通信は?」
「合流する前に何度か試したが応答なしだ」
「ならさっさと動くか。もう行ける」
「いや、休めるうちに休んだ方が…」
「俺も動けるし、一番ひどい怪我だったスペルが動けるなら行こうよ。連絡取れない仲間の安否確認が最優先だと思うけど」
常日頃から保守寄りの考え方をする強欲の考え方はすっぱりと切り捨てられてしまった。周囲の警戒を続ける怠惰は結論をじっと待つ。
沈黙はそう長くなかった。
「ああ、もう!無理はするなよ」
「ヴァリがな」
元々二体一の頑固者相手では諦めざるを得ない。チーム内のリーダーとして仲間を慮っているのは分かるが、守りに入りすぎなのだ。
「グラ、どこからの脱出が囲まれない?」
言われて指先から生み出した蠅を飛ばして、数秒の間を置き彼の眉間に皺が寄った。良い報告ではないことを如実に語っている。
「……これ目星つけられている。人狼なだけあって嗅覚が鋭いのかな」
「早く出るに越したことないな。窓から出るぞ」
「いや、ちょっと待て。普通に入り口から…」
「棚や箱を一々またどかすのか?それに出入り口側は狭い路地だろ。気付かれても突っ切る方がこの人数なら楽だ」
傲慢の言葉にうんうんと暴食が頷いて、一歩横に引く。強欲が反論する前に傲慢が再度出現させた杖を振って窓を割る。
飛散した破片からは、怠惰が羽織っていたマントを広げて庇う。足音が一斉にこちらに向かってくるように聞こえる。事実そうだろう。
「またか…!!もう少し大人しく…!」
「……」
「ディアはスペルやグラみたいになるなよ…」
文句や願望は全く聞き入れられることはなく、体力の劣る強欲は怠惰に抱えられていた。もう何かを言う気力もないのか、されるがままだ。
「俺が広場まで先導するからグラは殿を頼む」
「任せて。周囲の偵察に蠅も出すから、イラ達の場所がわかったら最優先」
「了解。アケディアはヴァリのサポートに専念してくれ」
「…、……」
怠惰も承知とばかりに、強欲を抱え直して傲慢の後ろをぴったりと追いかける。
「…二時の方向からイラとヴィディが走ってきてる。このまま広場に向かえば合流できるはず。…?」
道を塞ぐ最低限の相手のみ倒していく。正直今のメンバーでは一網打尽にするには少々厳しい。
道中飛ばした蠅で姿を発見できたらしいが疑問混じりの声を上げる。
「どうした」
「んん…。いやさっきから二人とも追われてないというか…正確には一人ずっと追いかけてるんだけどどうにも殺そうってわけじゃなそうで…」
「無事ならいいだろ。ヴァリ、一応聞くが今回の事件のあたりは付いてるか」
「今話すのか!?…まあ付いてはいる」
「合流する前にここにいる全員は少なくとも全貌を知るべきだろ」
わざわざ疑問をぶつけるような形で話しているが、怠惰はともかく傲慢と暴食はとっくに察しが付いているだろう。あの灰の正体が分かった時点で。
追ってくる敵もそう多くはない。怠惰および強欲まで参戦する必要がない今が話すチャンスであろう。
「前提から話す。まずこの土地は相当痩せてて、ちょっとやそっとの肥料じゃ作物も実らない。村付近の荒野にはかつての畑の跡、さらに元々は森があったんだろう。
いわゆる焼畑農業だな。それが限界を迎え始めていた。
ここで行方不明の人達が関わってくる。あの灰はグラと俺で確認した通り、人間の灰だった。…土地が限界を迎えたから大量の肥料が必要になった。だから手当たり次第殺して燃やしたんだろう」
「俺達にもそうしようとしたようにな。
なあ、そうだろ」
いつの間にか追っ手の足音はなく、立ち止まるものばかりだ。当然聴こえていたのだろう。
強欲も走っている者へ聞こえるように大声で話していた。きっと人間よりも聴覚も優れているだろう彼らへはもちろんだ。
村人全員に語りかけるような傲慢の声に、誰もが沈黙を守る。やがて、有象無象の誰かが口を開いた。
「…し、仕方がなかった!この村は社会から追い出されたものしかいない!!嘆願届けだって何度も出したさ!だが領主からは見放された!」
誰かの声に呼応するように誰もが恨み、悲哀、怒りを口にする。きっかけでもあればまた武器を振りかざして襲ってくるに違いない。
悲鳴に圧倒されている強欲と怠惰を囲うべく、二人が前に出る。迫る足音に武器を握る手を強めた。
「ヴァリー!スペルー!みんなー!!」
しかし、迫ってた足音は嫉妬達だ。場に走っている緊張などものともせずに、憤怒の手を引く嫉妬が四人に駆け寄る。その後ろからは鉈を握る、息を切らした人狼がいた。
「ヴィディ、イラ。怪我は?」
「全然平気!スペルとグラは??やな匂いする!!」
止血もしたというのにお見通しらしい。傲慢は頭を撫でて誤魔化し、憤る嫉妬と何やら憔悴しきっている憤怒を後ろに下げて杖を地面に突き立てる。
「言いたいことは終わりか?」
彼の周囲を風が走る。
「悪いがお前達の事情はどうでもいい。俺達は原因の解決が任務なんでな」
「っ、だめ、スペル…!!!」
「全て水に還れ。文明に潰れろ」
憤怒の悲痛な静止は届かないまま、傲慢の杖が眩いほどの輝きを放つ。人狼達が反応するよりも早く、暴力的なまでの質量の水が村を流す。いや違う。村の建造物そのものが水に変わっていく。
傲慢達も水に浸かってはいたが流されることもなく、ただ村の終わりを見ているだけだ。不思議と水は村の外に溢れることはなく、渦を巻いて一人また一人と人狼の命を飲み込む。
やがて水は壁を失ったように弾け、荒野に雨のごとく降り注いだ。力尽きて意識を失った暴食と嫉妬を怠惰が抱え、何も無くなった土地を歩く。唯一意識を保った人狼が諦観を纏って見上げていた。残りは息絶えたか虫の囁きの如き呻き声を上げるばかり。
ポン菓子を嫉妬と憤怒へ売っていた人狼が、ごぽりと水音を鳴らして口を開く。
「…罰が、当たったんだろう、ね」
身体を覆う白の毛は所々赤く濡れており、今も血を滴らせている。先は長くないのが一目で伝わってきた。
息も絶え絶えの言葉に、憤怒が小さく息を飲む。強欲は出来るだけ彼を遠ざけようとしていたが、震える足に反して動こうとはしない。
何より住宅や小さな箱に至るまで水に帰した今、遮蔽物などない。
「…私の、むす、こも…病気でね、…燃やした、のさ……ごぷっ、…」
吹きすさぶ風が容赦なく最期の言葉を全員の鼓膜を揺らしていた。
「私達の村は……支援が、受けれられず……作物も、育たない。ごほ、っ、、年に二、三人が、……しだ、いにふえ、て……」
「も、もう話さないで!!ゔぁ、ヴァリ!お、お願い!薬出して!!!」
「…イラ、彼女は致命傷だ」
「ま、まだいき、生きてる!!」
半狂乱の憤怒に言い聞かせても無駄だと分かっていても、強欲は諭すがやはり支離滅裂な言葉しか返らない。残りは黙ったまま、村の終わりをただ待っていた。
「おち、落ちて、ない。て、て、手が、届く、まだ、まだ、いき、生きて…!?」
強欲へ懇願の言葉を募る憤怒の腕を弱々しい力で掴むけむじゃくらの手。下げた視線の先には慈愛に満ちた笑みを浮かべる店主が。これから死にゆく者とは思えないほど穏やかである。
「ぽん、菓子…美味しかったか、かい……?」
「え、ぁ……、おいし、かった……」
「そ、…りゃ、ぁ………よか、った…。何も、ない……むら…だ、けど…また、おいで、ね……」
「ぁ、だ、だめ、目、め…とじ、たら……」
細腕を力なく手が滑り落ちる。それは幼子を慰める為に撫でるような手だった。
「あ、あ……」
憤怒が何度揺さぶっても、呼吸の一つもかえらない。嗚咽混じりの呟きを漏らして何度も何度も。
傲慢が少し汚れた布を上着内ポケットから取り出し、店主だった女性にそっと羽織らせる。全身を覆うには不十分だったが野ざらしよりはマシという程度だ。
その傍らで強欲が通信用の携帯機器を取り出し、昨日来た時と同じ番号を叩く。
「…
幾つもの亡骸をから風が撫ぜてく。乾いた風は憤怒の慟哭を乗せて、静かに寂しく閑散とした荒野を過ぎていった。
報告
人の消える村は立ち寄った旅人や商人を殺害し、燃やした灰を肥料として扱っていた。また働けなくなった村民も同様に燃やし肥料として扱っていた。村民は全てが人狼と思われる。
村は領地に属しているにも関わらず援助がないとの証言有。領主への事実確認及び場合により相応の処罰対応を求める。
滞在初日深夜に村民より奇襲。交戦の後に傲慢の能力によって村を消滅。村民も大方死亡と見られた。後日、調査隊派遣予定。
研究所側の被害は傲慢及び暴食が重傷。現場での応急処置済。念の為研究所で検査予定。憤怒が精神錯乱状態。カウンセリングにより過去のトラウマによるものと思われる。当面は経過観察担当として強欲が着任。投薬は経過観察により判断。現状は不要とする。
以上
「ふぅ…」
エンターキーを一際強く押して、背もたれに倒れかかる。それを待っていたかのようなタイミングで、背後から伸びた手がコップをテーブルに置いた。暴食である。
「お疲れ様」
「そっちこそお疲れ様。怪我の調子はどうだ」
「あんたの薬のおかげで後遺症もなくすっかり元気だよ。骨もしっかり繋がったし。
スペルは貧血で眠そうだけど嫉妬と遊べるくらいには復活してる」
調子良く話す暴食の声は明るく、少しわざとらしいまでもあった。強欲も分かっていながら答えを尋ねる。
「…イラは?」
「ご飯は食べてくれているけど部屋から出て来てないね」
トーンが若干落ちて珍しく困った声音になった。
やはりか、と。両肘を机につけて、額を組んだ手に乗せて息を吐いた。面倒というよりは悩んでいる風である。
「この報告書が終わったら改めて話をしてくるよ。ありがとう。
ちなみにディアはどうしてる?来たばかりなのに突然の任務に加えて放ったらかしで様子が見れてなくてな…」
「ディアならスペルに付いて行ったり、ヴィディとおしゃべりしてるよ。緊張もすっかり抜けて、なぜなに期の子供見てる気分」
また声のトーンが上がり楽しげに語る。その光景が脳裏にしっかり浮かんだようで、強欲もつい笑みをこぼした。
「ふはっ、馴染んでるようでよかった」
「報告書は出してあげるから、身体ほぐしがてら行っといでよ。ヴィディもあまり顔には出してなかったけど寂しがってたしね」
書き終わったばかりの報告書を素早く抜き去り、さらっと内容に目を通す。誤字脱字がないのを確認して、強欲が止めるより早く立ち去っていった。
「あ、入館許可証も……きっちり持っていったな」
報告書の側に置いてあった研究所への入館許可証もちゃっかり姿を消している。マイペースで自由奔放ではあるが、こんなところは存外守る男なのだ。抜け目がないとも言える。
「お言葉に甘えて、ヴィディ達の様子を見てからイラの所に行くか」
一夜を共にした椅子から立ち上がり、部屋を後にする。
廊下に差し込む明かりは赤く染まり、今回の任務での光景を彷彿とさせた。頭を振っても昨日の今日の鮮烈な光景は到底忘れられそうにない。自分がかつて行おうとしたことの末路にも思えてしまったのだ。
「…ヴィディはだいじょうぶだ」
大丈夫と、まるで自分に言い聞かせるように、不安から逃げるように、彼は無機質な金属質で出来た廊下を走っていった。
一章・人狼の村 終幕
原罪の唄 かかお犬 @choco_wowwow
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