原罪の唄
かかお犬
序章:六つ目の罪状
人工の灯りが見えないほど街から遠く離れた草原。そこに隣接した森の奥深く。普通の人ならまず立ち入らない開けた場所にかつて天体観測研究所として使われていた建物があった。
今となっては蔦が壁のひび割れた部分を覆うように伸び、窓枠にはガラスが僅かにつくばかりで室内と外を遮るものはすっかりなくなっている。誰も住んでいないのが一目瞭然だろう。
しかし、今その廃墟からは人の声が絶え間なく響き渡り、時折銃声や爆発音が廃墟を揺らしていた。最も、人の流れから外れた場所から聞こえる音など、善良な人間には届かない。
「っ、くそ!!なんで計画がバレたんだ!」
「知らねぇよ!!誰かがチクっ、っが!?」
「ぉい!、ぐぇ、げ、ぼぉ…っ!」
ローブを纏ったいかにも怪しい風貌の男達が慌てふためく。
逃げ惑う男共を一人一人確実に追い詰め、仕留める影が三つ。その中の一つである杖を持った細身の男は、的確に頭や腹を杖で殴打し戦闘不能にしていた。
「っ、なんで鎖が、「えいっ!」っ、ご、ぶっ……」
少し遅れて追う影は、運よく細身の男から逃れ道を塞ぐ鎖に狼狽える者を捉えている。
逃亡者が戸惑ってる隙に子供が全力でタックルを仕掛けていた。道を塞いでた鎖は少年の手の中へ一人でに戻る。
子供といえど、全身でぶつかられてはたまったものではないのか、ローブの男は呻き声を上げながら力尽きた。緊迫した空気に合わない無邪気さで子供が「やったぁ」とはしゃぐ。少年は諌めつつも頰を緩めて子供の頭を撫でた。
上階にたどり着く頃には物音や気配が自分達以外感じられない。登ってきた階段から中央が吹き抜けの廊下を右回りに歩けば、ちょうど階段の反対に当たる場所に扉がぽつんとあった。
なんの部屋か示していたプレートの文字は掠れて読めない。青年が先導して扉を躊躇いなく開けた。
「ん、ここはブリーフィングルームか…?少し中を見るからヴィディとイラは警戒しながら休んどけ」
三人で部屋に入ると人は誰もおらず、他の部屋より乱雑に紙やら本が散らかっている。ただ書類は建物と比べて新しめのものが多く、先のローブの男らが持ち込んだ物と思われる。青年が自ら調査を引き受け、後続の二人に休めの指示を出した。
少年がその場にへたり込み、床に目を落とす。
子供は二、三歩離れた場所でその場でくるくる回り、たまたま蹴り上げた欠片に意識を向けた。きょろきょろと辺りを見渡してから、欠片が飛んでいった方向とは見当違いのところに歩く。離れてく気配を察した少年が声をかけようと顔を上げた。
それと同時に鼓膜をつんざくような爆音が轟く。
階下での爆発に、見た目以上に丈夫な廃墟は建物ごと崩壊ということは無かったが、あちこちがぴしりと嫌な音を立ててる。
青年は幾つかの紙束を、乱暴にウエストポーチにしまい二人に出るぞと声をかける。
少年が爆発による震動の余韻でふらつくもしっかり立ち上がった。部屋から大分離れてしまっていた子供も、慌ただしく青年に駆け寄る。だが瓦礫に足をとられなかなか合流できない。少年が助けに向かおうとした時だった。
ばきっ、がら、がらがら!!
子供の頭上が崩れてきたのだ。
「ヴィディ!上!!」
「ふぇ?」
少年が悲鳴じみた声を上げるも、崩れた天井は容赦なく子供に迫る。少年が容易く想像できる未来を前に目を閉じた。
ぱしゃり。
だがいつまで経っても瓦礫が落ちた音は聞こえず、水の弾ける音が聞こえただけだ。少年がおそるおそる目を開けると、びしょ濡れになった子供がぷるぷると頭を振って水気を払っている。なんとも暢気な光景だ。崩れていた瓦礫などどこにも見当たらない。代わりに水たまりが広がるだけである。
少年の横に立っていた青年に目を向けても、とうにおらず濡れ鼠になった子供を迎えに行っていた。
彼の手には泡のように消えてく鉄の杖。何があったのかを理解すると共に、子供が無事だったことに少年が長く息を吐いた。
「ヴィディ、あまり離れるなって言っただろ。ヴィディの勘がいいのはわかってるが目が見えないのをもう少し自覚しろ」
「ごめんなさい…。助けてくれてありがと!」
怪我の有無を確認してからぴしゃりと叱りつける。ぐうの音も出ない正確な指摘に、子供はしゅんと項垂れて素直に謝る。そして、一転して表情を輝かせて礼の言葉を口にした。
青年もそれ以上は叱らず、微笑んでから頭を人撫でして、表情を硬いものに切り替える。
「よし、下に残りがいそうだ。まだ動けるか?」
「全然平気!イラも、声かけてくれてありがとう!」
「無事で良かった。下までは手繋ごうか」
「うん!」
駆け寄ってきた少年にも礼を言い、眩いばかりの笑顔を向ける。少年は面映そうな笑みを返して子供の手を取った。
「イラは大丈夫か?今日大分能力を使ってるが」
「…えっと、ちょっとふらつくけど、大丈夫。やれる」
状態を尋ねられ少し迷いつつも、正直に口にした。しかし一緒に行くと青年を目を見てはっきり宣言する。
青年は何か言いたそうに口を動かしたが、結局音にはならず、釘を刺す程度に留めた。
「無理するなよ」
「はい!」
元気のいい返事を背中で受けて、青年が先頭を務める。少年と子供も遅れないように付いていき、割れた階段を下っていった。
かつて世界には神がおり、天使と悪魔が一つの世界にいた。しかし神が地上を去ったのを機に、天使は天界に悪魔は地獄に住むようになった。そして人は神のいた痕跡とわずかばかりの庇護が残った地上にて暮らしていた。
西暦三xxx年までは。
ある時信心深い信徒の祈りを聞き届けた神が再び常世へ降り立ち、多大なる加護を降り注がせた。それはネットの発達した世界にすぐさま知れ渡り、おなじく加護を求めた人が殺到した。だが人全てに慈悲が与えられたわけではない。多くは降臨した地に踏み入ることすら叶わず、現在はごく少数の人間のみが神の地にての生活を許され過ごしている。
だが時折まことしやかに囁かれる噂。それは神の地には研究施設があり、恐れ多くも神を研究しているとのこと。しかし真実を確かめるにも土地に立ち入ることは許されず、噂だけが民衆に流れるだけだった。
件の神が降臨した地にある研究所。幾つにも分かれている棟の一つ。
特別監視居住棟にて。
「
「おかえり。早速だけどヴァリから呼び出しだよ」
光に包まれた扉から任務に出ていた三名が姿を現す。衣服が些か破れ汚れているが、怪我は細かな擦り傷や切り傷以外見あたらない。五体満足と言っていいだろう。
傲慢が任務の終わりを告げる言葉を上げれば、出迎えた白髪の青年がひらりと手を振って出迎えの言葉を返す。
「グラか。ヴァリはどこにいるんだ?」
「今日は食堂。そうそう、新入りが来たからそれについてじゃないかな、…わ」
「ただいま!」
飛びつかれた暴食は嫌な顔一つせず、嫉妬を枝のような細腕で軽々と抱き上げた。
「おかえり…びしょ濡れだね。ヴィディはお風呂に先に入らないと風邪引くんじゃない?」
指摘通り嫉妬は先の任務にて瓦礫の代わりに水を被ったのだ。怪我こそなかったにせよ、放置すれば風邪を引くのは間違いないだろう。
しかし施設に帰ってきたのが三日ぶりとなる嫉妬は不満げに頰を膨らませた。
「えー…でもヴァリに会いたい」
「会ってもスペルと話があるからしばらくは構ってもらえないんじゃないかな。新しい人がせっかく来たから綺麗な姿で会おうよ」
「う〜…」
説得の口ぶりではあるが、足は既に共用の浴場に向いている。盲目の嫉妬は気づいておらず、まだ反論しているがほぼ負けも同然だろう。
傲慢は場所が聞けたからいいかと、何も言わず見送り、肩から顔半分だけ覗かせている憤怒に声をかける。
「イラはどうする?報告は俺がするから先に休んでていいぞ」
「お、俺も一緒に行っていい?新しい人に会ってみたいな」
控えめにだがしっかりと主張をすれば、否定はすることなく裾を握ったままの手を取った。
「えへへ…。食堂、だよね?」
「ああ。そういえば最近は調子大丈夫か?」
「あ、うん。…平気だよ。どうしても寝れないかもって思うと、ヴィディかグラがいつのまにか来てくれるんだ。スペルも」
「出来るだけ自分で言えよ。他人が気づけるのにも限界がある」
「いつもありがとう…あ、ヴァリの声が聞こえる」
他愛ない話を交わしているうちに食堂に着いたようだ。ミーティングにも使われるそこからは、一人の淡々とした声が聞こえてくる。
特に何も言わずに入口を潜れば、体を向けていた
「任務後すぐで悪いな」
「仕方ないだろ。それで、新人はそいつか?」
今まさにこちらに背を向けている人物を示す。机を挟んで今の今まで強欲と話していたのだろう。
背中しか見えていないが筋肉質で大柄なようだ。下手すれば痩せた成人男性よりも一回り大きい。先程から僅かに身動ぎするだけでも椅子がぎしぎしと悲鳴をあげてる。
既に在住している仲間は細身の者が多いからなのか、あのような悲鳴は聞いたことがない。
せいぜい暴食がふざけて椅子を座ったまま傾けさせていた時くらいか。
背中を向けたままの新人に強欲が話しかける。
「アケディア、あっちの…あー……テルグム」
何故か突然言い淀み簡潔な単語だけ話すと、そこで初めて新人は明確な反応を示し振り向いた。
ビターチョコレート色の長い前髪から見え隠れするシルバーグレイはどこか虚ろで、ぼんやりと憤怒と傲慢を見ている。いや見ているのかすら怪しい。
言われたから振り向いているだけで、見る気は全くないような。まるで人形のように思える動作だった。
強欲が立ち上がって新人の手を取り、同じように立たせる。そして黙ったままの彼の代わりに紹介を始めた。
「色々説明はしたいが、とりあえず先に名前を。彼は
その、言語が読み書き話すほぼ全て習ってないみたいでな。日常動作に関しても一人でこなすのが難しそうなんだ」
強欲の説明に二人は納得する。どうりで先から不明瞭な行動が多かったわけだ。
肝心の紹介をされている怠惰は名前を呼ばれた時こそ反応したものの、それ以降は視線をふらつかせて落ち着きがない。
ふと、口を動かしたのを傲慢が目敏く見つけ、音にならなかった言葉を口にする。
「やめて…?」
「!!!」
読み取ったままに口にすれば、先ほどまで虚無だった怠惰が勢いよく顔を上げて、傲慢を目を見開き注視する。瞬きすら惜しまれ穴が開かんばかりに見つめられていた。
あまりに真剣な眼差しに全員黙ってしまい、視線を向けられている傲慢は強い目力に思わず一歩引く。だがその一歩が地面につくことは無かった。
「ぐぇっ!?」
「スペル!?」「アケディア!?」
二メートル近い巨体からは予想しえなかった俊敏さで傲慢に飛びついたのだ。そんな大男の勢いが乗った体重を、一回り細く小さい傲慢が受け止められるはずない。二人揃って床に転がってくのを、横にいた憤怒と強欲は名前を呼ぶしかできなかった。
「もー!ずるいよー!」
思わない奇行を前に目を白黒させていると、廊下から話し声が聞こえてきた。お風呂に入っていた二人が上がったのだろう。
「ごめんって。でも風邪引いたら強欲が一番心配する、……お邪魔かな」
のんびりとした調子で話していた暴食が言葉と動きを止める。出入り口で床に転がる男二人。それは押し倒しているようにも見えなくない。
一瞬沈黙が流れてから、すっといつものマイペースに戻った暴食がない扉を閉める仕草をして引き返そうとする。
「え、なになに!?」
「っ〜〜〜!助けろ!!」
すかさず嫉妬から困惑の声が上がり、潰されている傲慢から必死な怒声が食堂を震わせた。
「…これどういう状況なの。ヴァリ、毒薬と間違えて媚薬でも作った?」
「いや…俺も分からなくてな……。さっきスペルがやめてって言ったら突然こうなったんだ」
「あ、アケディア。スペルが苦しそうだから一回起きよう?」
憤怒が救出すべく声をかけるも、聞こえてないのか伝わってないのか。怠惰は動こうとせず、大切な宝物を隠すか如く自分の身体で覆って隠してしまった。
もちろん傲慢はたまったものではない。今日二度目の怒声が食堂を揺らした。
「コンサルジェ!!」
「!!」
短くはっきりと言われた単語は伝わったのか、勢いよく身体を起こして眼下の傲慢をぼうっと見つめる。それはまるで熱に浮かされているよう。
息も絶え絶えで肩を押せば、今度は素直に従う。やっと怠惰と傲慢は座りつつも向き合う形となった。
「スペル、新しい人は?」
いつの間にか暴食の腕から抜け出していた嫉妬が、間延びした声で今更な質問を投げかける。場にそぐわないものではあったが、傲慢の怒りを削ぐのには一役買い、長い長い溜息を吐いてからようやく紹介に至った。
「怠惰だ。ほら」
嫉妬の手を取り、怠惰の手に当てさせる。
「わ…!大きいしごつごつしてる…!」
初めての感触に、若干興奮気味に怠惰の手を握ったり腕を掌で撫でていた。対して怠惰は不思議そうに見ており、傲慢からすっかり気が逸れたようだ。
今のうちにと傲慢が立ち上がり、放置して会話していた強欲達のとこに向かう。
「お疲れ。風呂に入る前でよかったね」
「お疲れ様…さっきの“やめて”はなんだったんだ?」
恨みがましそうな目には気づかないふりで強欲が会話を投げかける。スルーされているのに気づいてはいるが、突いても泥沼だとさっさと切り替えて会話に答えた。
「アケディアがそうやって口を動かしていたんだよ。…言語の読み書き話す全てが危ういって言ったよな。読み書きは分かるが話すのが駄目なのはどういうことだ」
「本人が知っている語彙の少なさもあるが、長年発声自体してなかったらしくてな。だから声がうまく出ないんだ。練習すれば普通に会話できると思うんだが…」
「その為に言葉を覚えないといけないってこと?」
「そうだ。……それでここからがスペルへの頼みなんだが「世話役だろ。折角グラのが外れたのによ」
分かっているとばかりに言葉の続きを掻っ攫う。苦笑する強欲は正解だと言ったようなものだ。
本日何度目かの溜息を漏らす。
「御愁傷様」
「お前が言うな」
軽い茶々入れに突っ込みを返しつつ、体を伸ばした。
「話はそれだけか?なら口頭報告だけして一旦風呂だけ入りたいんだが」
「あ、悪いな。結果だけ先に言ってくれ。風呂に入っている間に最低限書いておく」
「助かる。今回の任務結果は対象は最初の指令通りの人数は全滅。それと幾つか資料を手に入れた。旧神教の今後の計画が記載されてる紙と記録媒体。
記録媒体はデータ解析頼む」
「ん」
「ありがとう。……連絡か」
鍵型の記録媒体を暴食に、紙束を強欲に渡す。紙束はぐしゃぐしゃになっているが内容を読み取るにはなんら問題ない。
礼を言って受け取ると、強欲の携帯端末がけたたましく鳴る。画面を見て顔を顰めたのは一瞬。すぐに出て、場に残っていた傲慢と憤怒へは風呂のある方を指さす。
「ご飯の準備は進めとくから、ゆっくり入ってきて」
暴食からも若干声を抑えた行ってこいが投げかけられ、二人は軽く頭を下げる。
会話から外れっぱなしの嫉妬と怠惰に目を見やれば先ほどと何も変わっていない。何が楽しいのか、いまだにお互いの手を触り合いっこしていた。
「じゃあ行くか。共同にするか?自室にするか?」
「共同がいいな。今日のこと少し話したい」
「ん、じゃあこのまま行くか」
「うん!」
少し長く賑やかになった帰りと新人の歓迎。
だがそれも長くは続かない。ご飯終わり、強欲が申し訳なそうに重々しい口を開くのが新たな騒乱の始まりとなった。
「二日後に調査任務!?」
「スペル達には申し訳ない…しかも初の全員出撃だ」
「みんな一緒?」
「いくらなんでも早すぎないか?」
新しい任務が間を置かず舞い込んでくるのはそう珍しくない。しかし、それならば前回任務に出ていない面子が出るのが通例だ。
だが今回は異例の全員出撃任務。かつ出撃まで時間がないと来た。
強欲にごちゃごちゃ言っても仕方ないとはいえ、任務を終えたばかりでは言いたくなってしまうだろう。
「反論はしたんだがな、被害数の増加が見過ごせないレベルになってる。一週間に数十人、対象の村に立ち寄ったものや近辺の街に寄ったものが行方不明になっている」
「原因は?」
「それも含めての調査だそうだ。グラ、近辺の情報収集ネットで拾える限り集めてもらえるか?」
「……その村の情報が位置すら出てこない。街で直接聞くしかないね」
食事の準備をしていた暴食はあらかじめ情報をもらっていたらしく、食事中ずっとタブレットをいじっていた。その間検索かけても一切ヒットしなかったらしい。
ネット社会になって久しいと言うのに、存在するという情報すらないのか。
「とにかく今夜は休養、明日いつも通り地下の訓練室で武器の確認と怠惰へのレクチャーをしようと思う。他に質問は?」
「はーい!ディアの任務服は?」
「発注済みだ。明朝には届けられるから着心地確認も兼ねてる」
「急げって言ってるんだから当然の対応だろうな。任務期間は?」
「一週間。できれば解決までしてほしいとのことだが、最悪情報収集止まりだな。一週間で進展がなければ帰還になる」
「進捗次第では期間延長もありってこと」
「…そうなる」
過去似たような事例があり、その時は丸二ヶ月かかったのだ。任務帰りの三人にはきついものがあるだろうと、強欲の口調も重苦しいものだ。
嫉妬と怠惰は不思議そうに周囲を見渡すが、沈黙に飲まれ二人も口を閉ざしていた。
重い雰囲気の中、再び強欲が口を開く。
「……とりあえず、今夜は解散しよう。これ以上の質問は明日のミーティング時に回答する形でいいか?」
「いいと思うよ。ゆっくり休みな」
決まったことは今更覆せない。最優先は少しでも休息を得ること。
異論は上がらず各々解散していく。最後に怠惰と傲慢が残されていた。
「…部屋の案内は受けてるか…通じてるか?」
「……」
怠惰に話しかけるが、相手は不思議そうに首を傾げて傲慢を見上げる。おそらく通じていないだろう。
端から期待はしていない。そうなると取れる選択肢は自然と絞られてくる。
「……俺も聞いてないからな。狭いだろうが俺の部屋に連れていくぞ。ほら」
頭上から手を差し出す。しかしその手が取られることはなかった。
「ぅ、………」
飛びかかってきた時と同様、いやそれよりも早く両手で頭を覆っていたのだ。大きな身体を縮こまらせて、怯えているように思える。
この反応を傲慢は過去何度か見たことがあった。日常的に暴力を振るわれるものが取ることが多い行動だ。
伸ばした手を引っ込めて視線を合わせるためにしゃがむ。そして幼子に説くみたいにゆっくり抑揚を意識した声で語りかけた。
「理解できないだろうが…俺を始めここにいる者はアケディアを傷つけない。だがそう言われたからってアケディアが受けた仕打ちをなかったことに出来ないのも分かる。
だから思っていることを抑えなくていい。嫌だったら嫌と言え。嬉しかったら素直に喜べばいい。そうやって自分を少しずつ取り戻すんだ。…ここにいるやつはそんなやつばっかだ。俺もな」
言葉のわからない怠惰に届いたかどうかは分からない。だが本当に僅かに目尻を下ろした彼は垂れ下がった手を今度は自分からそっと取った。
「………行くか」
手を繋いだまま揃って立ち上がり、廊下の方を指さす。頷いた怠惰を引き連れ、食堂を後にするのだった。
翌朝、朝食を摂った面子達は朝風呂に行く嫉妬と傲慢を除き訓練室に向かっていた。とはいえ、共同浴場と訓練室は隣り合っているために途中までは一緒だ。階段を降りたところで分かれ、怠惰の説明役は一時的に憤怒の約目になっている。
「ここが訓練室だよ。任務前は任務人員でミーティングしたりもするんだ」
説明するも怠惰はただ訓練室を見渡すだけだ。
「見せた方が早いかもね。俺が話し相手交代するから、いつも通りのことしておいで」
対応に困った憤怒を見かねたのか、暴食が助け舟を出す。怠惰は声を上げた暴食に反応し、傍に寄って首をかしげた。
「あ、ありがとう。それじゃあ俺はアンカーの練習してくる」
「悪い…俺も薬の調合するから向こうの小部屋にいる。入る前はノックしてくれ」
「はいはい。じゃあこっちおいで」
二人の言葉に適当に返事をして、怠惰の手を引く。そしておもむろにその場に座り、腰に差していたナイフを抜く。
「訓練室でやることは人によって変わるけど、ヴァリは傷薬や鎮痛剤…劇薬毒薬。そういうのを作ってる。イラはああやって、」
がぁんっ!!!
「うう…」
「鎖の先についてるやつ見える?アンカーって言うんだけどあれで敵を刺したり床に刺して鎖を固定させるんだ…ちょっとコントロールが下手だけど」
指を差して一つずつ説明してく。
的を避けて天井に刺さってしまったアンカーを一瞬で消した憤怒は、視線に気付いたのか決まりが悪そうに手を振る。
その間自身は手にしているサバイバルナイフを乾布で拭き、光に当てて具合を確かめていた。
「俺はこうして護身用のナイフの手入れ。…そうだ。ここに来たってことは何かしらの特殊能力を持ってると思うんだけど自覚ある?」
「………?」
「今イラがアンカー消してたでしょ?あれがイラの特殊能力。アンカーと付随した鎖を自在に使える。ヴァリは身体を幽体にして物理攻撃から身をよける。俺なんかはこう」
怠惰の前に手を掲げた。何の変哲もないはずの掌に風が渦巻く。まるで台風のような風が姿を消した跡には無数の虫が耳障りな羽音を立てて密集している。
「…!?」
「ちょっと疲れるけどこうやって蝿を出して周囲の状況を確かめるのに使えるんだ。数はもっと多くできるし一匹でもできる」
流石の怠惰も露骨に嫌そうな顔をしたので、解説を終えて即座に消す。空気に溶けるように消えたそれを、嫌悪はどこに行ったのか。掌を不思議そうに見ていた。
「まぁ、それはスペル達が来てから確かめればいいか。…お、噂をすれば」
実演付きの解説を終えたところで、暴食の背後にある扉から嫉妬と傲慢が姿を表す。二人ともスウェットに Tシャツと、訓練するとは思えないほどラフな格好だ。怠惰を見つけるなり一目散に駆け寄ってくる。
「グラ、ありがとうな」
「どういたしまして。説明と言ってもろくに出来てないけど。特殊能力の確認はよろしく」
言葉少なな引継ぎだが傲慢には充分で、もう一度感謝を述べてから怠惰に話しかけた。
「さっき届いた任務衣装だ。まずこれを着用して着心地を確認してくれ」
手に持っていた膨みのある紙袋を渡す。それを受け取り、ひっくり返して中のものを全て床にぶち撒けた。
「雑だな…」
「………?」
「どんな服?着て着て!」
黙って様子を伺っていた嫉妬が音に反応して、興味津々に話しかける。怠惰はビニールに包まれた服を一つ持って首を傾げてしまった。
「これじゃなくてまずはこっちだな。インナーはそのままでほら、このタンクトップから」
着る順番に右から点々と並べる。待っていたら日が暮れかねない勢いだったのだ。
完全に幼児の世話である。ナイフを洗いに行っていた暴食はその光景に、無表情で震えていた。分かりにくいが笑っているのである。
「ほら、ばんざい」
「チャックは僕がする!」
約十分程が経過後、着せ替え人形になっていた怠惰が任務衣装を身に纏っていた。一部光景を見た、強欲はぎょっとした表情をしつつ、何も見なかったことにして通り過ぎている。
一見するとファー付きのマントを羽織っただけなのだが、中は上からミリタリージャケットにカーゴパンツ。軍用ブーツを身につけており、積極的に動いて戦うのが察せられる。
「どうだ、動きにくくないか?」
「………」
傲慢の仕草を真似して手を上げたり走ったりするが不快そうには見えない。そして的として置いてあるマネキンに拳を振るうよう指示を出した時だった。
「は……」
「わぉ」
「え」
「すごい音したよ!!どうしたの!?」
訓練室にいた全員がそれぞれ驚愕の声をあげる。ステンレス製の物すら貫く憤怒のアンカーでも傷をつけるのがやっとだったマネキンは、拳が当たった胸部がものの見事に砕けていた。
破壊した怠惰と言えば、少し痛かったのか手をだらりと振るだけで当然のようにしている。つまり特殊能力ではなく、彼自身の筋力だけで成したのだ。
「馬鹿力だね。今度から部屋の模様替えする時手伝ってもらおうかな」
ナイフの手入れが終わって近づいてきた暴食が冗談交じりに言って背を叩く。
「また備品代がかかるってヴァリが怒りそうだな」
「ヴィディ、断面が危ないから手は突っ込まないでね」
「すごいすごい!!マネキンが壊れてる!!」
それを皮切りに訓練室に会話が戻ってくる。壊した当の怠惰といえば少し背を折って、どう?と言わんばかりに傲慢を見る。
「すごいな。だけどこれが特殊能力じゃないなら何の力を持っているんだ…?」
昨日の経験を生かし、頰に触れてから滑らせて頭を撫でる。今度は怯えることなく、手に頭を擦り寄せていた。
「来た当初って暴走させがちなんだけどね、もしかして人には効果がないとか?」
「無意識に発動してるとかもあるかもな」
「ディア、う〜〜!ってやってぱんっ!て感じでできない?」
「……!……!」
身振り手振り交えた抽象的な嫉妬の説明通りにやっているものの、怠惰の能力が表出した様子はない。ただ妙に息切れしているだけだ。
「能力を使ってるけど効果が出てないのかな…?」
「なら特殊能力の確認は、怖いが実戦で確かめるしかないな…なんだよ」
出来ないなら仕方ないと、戦闘より最低限の言語の説明しようと思考を巡らせる傲慢の腕を怠惰が引く。じっと見つめるシルバーグレイの目は何を考えているか読み取れそうにない。
「ヴィディとスペルの特殊能力も見せてあげたら?ヴァリはともかく、俺達は見せてたから興味を覚えたんじゃない?」
「…大して面白くもないぞ」
暴食の発言通りと解釈して、手を突き出す。すると手中に水がうねり、先端だけが大きく丸まった細い一本の棒の形を作る。掴めるようになったそれは、黄金が巻きついただけの何の変哲もないように見える鉄の杖だ。怠惰も出現する瞬間こそ目を輝かせていたが出てきた物へは怪訝そうな顔である。
決して短くない杖を軽く振って、先ほど怠惰が壊したマネキンに球体部分をこつんとぶつける。するとどうだろうか。
硬く丈夫なマネキンは一瞬で水となり、後には水たまりが残るだけだ。
怪訝だった瞳を白黒させて水たまりと傲慢を交互に見る。
「こうして物を水にすることが出来る。制限はあるけどな」
杖の尻で床を叩けば、鉄の杖は泡のように消えていく。先日の任務で迫る瓦礫から嫉妬を救ったのも同様の能力だ。嫉妬と憤怒は分かっているからこそ一連の行動に笑顔を浮かべている。
嫉妬なんかは小さくありがとうと囁いて、皆の前に躍り出るようにして大仰に異能力の紹介を始めた。
「僕はねー!ぶーって火吹けるんだよ!それと身体がかちこちになるの!」
「!!!」
「こら、危ない」
突然タネもなしに嫉妬の口から青白い炎が吹き出るものだから、初見の怠惰は目に見えて肩が跳ねる。しかし、不安定に揺らめきつつも煌々と燃える火に手が伸びた。あと僅かで手を業火がつつむといったところだった。
「ご、ごめん…」
怠惰の手にはアンカーがついた鎖が巻きつき、端を憤怒が握っている。残りも止めようとしていたが、間に合う距離ではなかったから彼の行動は間違っていない。それに、鎖が巻きついているとはいえ、食い込むほどではなく驚かせる程度だ。
「いや助かったよ。ディア、ヴィディのに限らず火は熱い。触ったら怪我する。
触っちゃダメだよ」
要点だけを告げてけば、やってはいけない事というのが伝わったのか戸惑いつつも頷いた。一人言えば充分だろうと、傲慢は能力による室内での火気厳禁を嫉妬に強く言いつけている。
「よしよし。そしたら施設の案内してきたら?戦闘訓練も必要ないだろうし能力確認も出来ないでしょ」
「ごめんなさぁい…」
「もうするなよ。…案内か、そっちの方がいいかもな。ヴィディもくるか?」
「うん!」
体一つで任務に挑める傲慢と嫉妬は正直訓練室での時間を持て余しがちだ。怠惰への個人指導も必要ないとなると、どうしようか悩んでいたため暴食の発言は良案であった。
一応本人に伺いを立てれば、一緒に歩くのは理解したらしく、何度も首を縦に振った。
「じゃあ行ってくる」
「いってらっしゃい。またお昼に」
「はーい!行って来ます!」
着ていた任務衣装をまた二人がかりで脱がせてから、訓練室を去っていく。残された暴食は見当違いの方に飛んできてしまったアンカーをナイフで受け止め、愉快そうに笑った。
泣きそうな大声での謝罪が部屋に響き、強欲が出てくるまで残り十秒。
作戦決行日時は明日に迫っていた。
序章 終幕
単語意味(両方ともラテン語)
・テルグム(Tergum)…後ろ
・コンサルジェ(Consurge)…立ちなさい
※ネットでちょっと調べただけなので、読み方や意味間違ってたらすみません。読みは読み上げ機能を聞いて起こしてます。
みんなが共通で使ってる言語は英語想定
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