第60話 リスタート

 四月末。

 株式会社オストマルクにも新入社員達が入社式を経て配属されて一ヶ月が経過し、現場は活気づいている。

 だが、それどころではないプロジェクトチームもあった。

 蓮沼はすぬま佐衣子さいこをディレクターとして開発中のスマホのRPG『ファンタズマル・フォース』が、クライアントにアルファ版を提出する期限が近いというのに、戦闘がまだ実装されていないという状況なのである。


 オストマルクでは、ここ数年、ディレクターによってプロジェクトの進捗の差が激しく、炎上するプロジェクトはひどく炎上し、そうでないプロジェクトは期間内にきちんと終わる、の二極化が続いていた。

 これは、プロジェクトの進め方がディレクターによって異なるためである。

 若手のディレクターを積極登用する方針を採っているオストマルクであるが、その方針がデメリットとして顕わになった問題だった。


「なんで戦闘の実装がまだなの? 『FGR』と同じシステムでいいって先方も言ってるんだから簡単でしょ!」


 蓮沼はすぬまはそう言って、二年目のプランナーである佐久間さくま史彦ふみひこに怒鳴った。

 佐久間さくまは慌てて謝罪して逃げるように自席へ戻った。

 周囲の誰も、何もしゃべらず、ただキーボードの打鍵音が静かな空間の中で響いてる。


『FGR』とは、スマホゲーム『Foot Greate Request』の略で、現在月額の売り上げが、百億を超えると言われている大人気タイトルだった。

 それに乗じて、類似の企画を打ち立てたクライアントより受託した開発案件が、『ファンタズマル・フォース』である。

 シナリオは、クライアントが外部の有名なクリエイターに依頼したのだが、それらを改めて蓮沼がフロー化し、個別のイベントに切り分け、現場に下ろしている。

 その作業負荷が大きいため、蓮沼が楽をしているとは言えないし、クライアントが「戦闘システムは『FGR』と同じでいい」と明言してくれたので、どうにかなるのではないかという空気がチーム内にもあった。


 佐久間は同僚の先輩プランナー二人を呪った。

 彼らは戦闘の仕様を佐久間に押しつけ、それ以外のところを請け負っている。

 もっとも、佐久間自身、戦闘の仕様といっても既存のゲームの戦闘仕様と同じでいいなら簡単だとタカをくくっていたのだが、プラグラマーの渋谷しぶや浩一こういちからは「仕様書をちゃんと作ってくれ」と言われ、途方に暮れてしまった。


 そのゲームを見ながら、四苦八苦して仕様書を作ったものの、それは読みづらい上に穴だらけで使い物にならないと突き返されてしまったのだった。

 改めてゲームをプレイしながら要素をリストアップしてその仕組みとデータを見ていくと、自分の仕様書が確かに穴だらけであることが理解できた。


「これは、ボリュームがすごい。とても一人じゃ裁ききれない」


 そう思った佐久間は蓮沼に相談に来たのだが、結局怒鳴られて終わってしまった。

 蓮沼はシナリオの実装に力を入れ、それ以外の仕事は軒並み下のスタッフに丸投げしている有様である。

 渋谷しぶやも、すぐにヒステリックに怒鳴る蓮沼は苦手らしく、停滞気味であるプロジェクト状況に、直接苦言と改善を呈する者は今のところいなかった。

 それでも、渋谷は『FGR』を参考にしながら少しずつ実装を進めていってはくれるようになったのだが、どうしても時間がかかる。


 蓮沼からは既存のゲームと同じなのだから簡単なはずだ、早く戦闘を実装させろと怒鳴られ、プログラマー陣、サーバー陣からは仕様書を出せと怒られ、デザイナー陣からは必要なアニメーションリストを出せとせっつかれ、佐久間自身、おぼつかない形でしか仕様書を作れず、途方に暮れているのが今の状況だった。


 (なんで俺だけがこんな目にあうんだ)


 佐久間は視線を落とした。

 もう胃が痛くてしょうがない。

 一年前一緒に入社した、他の同期のプランナー二人は、共に北浜きたはましょう市ヶ谷いちがや祐一ゆういちという社内の敏腕ディレクターやプランナーの元で仕事をこなし、傍目で見ても順調に成長しているという手応えを感じさせている。

 自分一人、蓮沼の下で放置され、右往左往している有様だ。

 悔しさとどう動いたらいいのかわからない不安とで、胸が押しつぶされそうだった。


 (もう辞めてしまおうか)


 プロジェクトにアサインされて三ヶ月、鬱屈うっくつとした日々を過ごしてきた佐久間は、そう考えるようになってきた。


 大学生時代の悪戦苦闘の就職活動の末、やっと入った憧れのゲーム業界のはずであった。

 オストマルクで経験を積んでディレクターとなり、将来は大手のゲームメーカーに転職して、家庭用ゲーム機で自分の企画したゲームをリリースするのが夢だった。

 この一年は、デバッグや雑用、データ作成といった仕事が主で、それは無難にこなしてきている。

 それが、仕様書作成という仕事を振られるべくこのプロジェクトにアサインされた途端に、何もかもがうまくいかなくなってしまった。

 ゲームを構成する要素をかみくだき、その仕組みを可視化することの難しさは、佐久間の想像をはるかに上回っている。


 悔しさと惨めさで拳を握りしめていたところへ、ぽん、と肩を叩かれた。

 振り向くと、見覚えのある中年プランナーの先輩がいる。

 確か、矢切やぎりたけしという人だ。

 だが、同じチームではないし、一緒に仕事をしたこともない。

「使えないプランナーだ、あんな風にはなるな」と、同じチームの先輩プランナーが飲み会の席で言っていたことを、佐久間は思いだした。


「ちょっといいか」


 矢切は佐久間にそう声をかけ、会議室で話そうと誘ってくれた。

 会議室で、矢切は佐久間に最近仕事はどうだと聞いてくれ、佐久間はせきを切ったように話し始める。

 時折、矢切が自販機で買ってくれた水を飲みながら、自分の置かれた現状を訴えた。

 矢切は途中で何を言うでもなく、ただ黙ってうなずき、相づちを打ちながら話を聞き続けている。


「わかった」


 一通り佐久間が言いたいことをすべて吐露し終えると、矢切はそう言った。


「俺が手伝うよ。一緒に戦闘仕様を作ろう」

「えっ、で、でも、矢切さんは違うチームです」

「今、俺のいるチームはぶっちゃけ、俺がいなくても問題ない。もちろん市ヶ谷いちがや君、田無たなしさん、蓮沼さんには話を通すさ。ウチの会社は、人のアサインについちゃまあまあどんぶり勘定だから、そう難しくはないはずだ」

「……そうしていただけると助かります」


 矢切はそれから、佐久間が作った戦闘の仕様書を、会議室にあるパソコンで確認して、「これは概要書の一歩前、といったところだな」と言った。

 それから、概要書と仕様書の違いや、不足している情報について説明してくれた。


「とにかく、プログラマー陣と話をして、今後どう進めていくかについて打合せをしよう。あと三週間の間にどこまでできるか。蓮沼さんにも当然、参加してもらう」


 矢切は、まず田無に内線をかけ、事情を説明すると、すぐにこの会議室に来るよう頼んだ。

 続いて蓮沼に内線をかけ、同様にプログラマーの渋谷を連れてこの会議室に来てくれるよう告げたが、蓮沼のヒステリックな声が受話器から漏れ、彼女がそれを拒絶しているらしいことが、佐久間にも伝わってきた。

 矢切は蓮沼の言うことをじっと聞いてたが、それが一息つくと、「うるせえなぁ」と静かに言ってから、語気を強めた。


「部下の面倒一つロクに見れてねえくせに何がディレクターだ! いいから渋谷を連れて早く来い!」


 受話器を置いてから、矢切はこういうことはゲーム開発じゃよくあることだと言った。

 今の佐久間の状況のことなのか、今の電話のやりとりのことなのか佐久間自身には分からなかったが、矢切の言葉に胃が少し、軽くなっていく感覚を覚えた。


 その後、田無、蓮沼、渋谷が会議室に現れ、改めて『ファンタズマル・フォース』の現状について確認が行われ、特に実装の進捗が芳しくない戦闘についてテコ入れが必要という点で田無は当然、渋谷も蓮沼もしぶしぶ、という形で納得し、市ヶ谷に許可を得た上で、矢切が『ファンタズマル・フォース』チームに移籍し、戦闘を担当することに決まった。


 続いて今後の進め方が話し合われ、戦闘の実装を、残り三週間でどこまでできるかが検討された。


「デザイン素材は比較的あるので、基本的なゲーム性が確認できることを目標として、今実装中の戦闘のコア部分の進行はそのまま最後まで進めてもらって、カード選択部分までは実装。アイテム、スキル、開始とリザルト演出周りは全部今回見送る」という方針をすり合わせた。

 それを、事前にクライアントに説明し、了承を得るのは、プロジェクト・マネージャーに頼むことになった。


 佐久間は、矢切の指示の下で、改めて必要なアニメーションリストを作成する。

 矢切は戦闘の仕様書として、全体フローと不明瞭な要素の仕様書の作成に入ることになった。


 二時間を超す打合せがようやく終わるころには、目が吊り上がっていた蓮沼の表情もやわらぎ、市ヶ谷に話を通してくると言って田無らと共に会議室を出ていった。

 矢切は今決まったことを、パソコンのテキストエディタでまとめながら、今後は、定期的に集まって現状を確認する場を設けた方がいいだろうと考えていた。

 他のプランナー二人が何をやって、それが現状どうなっているのか、さっぱり分からないからだ。

 伏野ふしの誠太郎せいたろうがやっていた、朝礼や進捗確認のやり方が参考になると矢切は思った。


「矢切さん、ありがとうございます。ほんとに助かります……」


 佐久間が、神妙な声と表情で礼を言ってきたが、矢切は首を振った。


「礼を言うのはまだ早い。これからが大変だからな。でも、まあプランナーが地道に考えて手を動かして打合せすりゃなんとか前には進むよ」

「はい。僕、プランナーの仕事って、もっとサクサク進められるものだと思ってました」


 俺もそうだったよと、矢切は苦笑した。


「大変なことは多いけど、ゲームが完成したらやっぱりそのうれしさは格別さ。このゲームがその充実感を味わえる一作になるといいな」

「はい」


 佐久間はやっと元気を取り戻したようで、顔にも生気が蘇っている。

 そして、矢切さんはこの仕事何年目なんですかと尋ねた。


「何年……。そうだなあ」


 この業界に入って何年になるのか、矢切は視線を会議室の窓に移して思案した。

 この業界に入って。ゲームプランナーになって……。


「二年……、ってとこかな」

「えっ」


 佐久間は驚いた様子だったが、矢切は、「まあ、余計な回り道が長かったからな」とだけ付け加え、オフィスに戻って早速アニメーションリストのフォーマットを作成してくれるよう頼んだ。


「は、はい」


 佐久間は得心してない様子だったが、素直に会議室を出ていった。

 一通り、打合せの内容をテキストでまとめ終えると、矢切はパソコンの電源を落として席を立ったが、この会議室の広さは、ちょうどトリグラフの二階の倉庫の中に作られた、あの狭いオフィスと同じくらいなのだと気づいた。


 ブラインドが半分ほど上げられた窓から机に、暖かい陽光が差し込んでいる。

 その窓から空を見あげると、抜けるような青空が広がり、白い蝶がひらひらと飛んでいくのが見えた。


 ――春が来たのだな。


 矢切はパソコンを片付けると、会議室を後にして、自分の席のある広いオフィスへと戻っていった。


(『六畳間の聖戦』完)

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六畳間の聖戦 安 幸村 @yasu_yukimura

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