第59話 矢切武

「出向、お疲れ様でした。とりあえず、出向先でやった仕事についてのレポートを出してください」


 矢切やぎりたけしが出向から戻って再びオストマルクに出社した時、企画課の課長、田無たなし忠敏ただとしからはそう言われただけであった。

 次の仕事は、既存のプロジェクトのどこかにヘルプとして入ってもらう予定だが、正式には来週の頭に伝えるとだけ言われ、数分で田無たなしとの面談は終わった。


 トリグラフの、あの倉庫の中に作られたオフィスとはまるで違う、元々自分がいたはずの広いオフィス。

 だが矢切やぎりは、その中を歩く自分に違和感を感じた。

 さらに出向中に席替えがあったため、席が移動させられていた。

 オフィスの奥の隅で、正面は窓、右手には壁という位置は好ましかったが、机の島とは少し距離が取られている。


 (まあ、気楽でいいさ)


 矢切は、机の上に私物と共に電源コンセントもさされないまま無造作に置かれたパソコンとモニタをセッティングし始めた。

 他のスタッフは、皆忙しそうに仕事をしていて、矢切に声をかける者は誰もいない。

 出向以前から、あまり他のスタッフと仲が良かったわけでもなかったが、出向に行っている間に矢切の存在は完全に空気になったようであった。

 だが、また仕事をするようになれば話をする機会もあるだろう。

 矢切は、出向の時の話をしたくて仕方なかった。


 自分はディレクターを努めたのだと。

 自分のディレクションで、ゲームシステムはできあがったのだと。

 特に、『放浪モード』は初めて大きなシステムの仕様を作成したということもあり、そのことを誰かに話したかった。


 だが、その機会はなかなか訪れず、やむなく矢切は出向報告のレポートにその欲求をぶつけた。

 自分のやった仕事を列挙し、その詳細をことごとく文章化していく。

 時間もあったことからレポートは膨大な量になり、週末に田無に提出したが、彼からは何の反応も無い。

 チャットで来週からは追い込み期に入っているスマホのアクションRPG『ファイナル・イデオロギス』、通称『ファイナル』のプロジェクトの手伝いに入る様指示されただけだった。


 そのプロジェクトのリードプランナーである市ヶ谷いちがや祐一ゆういちは、二十八歳の中堅のプランナーであるが、大きなシステムの仕様や打合せをハンドリングすることができる堅実な仕事ぶりが評価されており、ディレクター北浜きたはましょうの下で腕を振るっている。

 プランナーとしての評価は、矢切とは比べものにならない。

 それだけに、矢切に対するプロジェクトの説明も作業についての説明も明確だった。


「以上がゲーム内容です。スケジュール的には一応順調で、次のマイルストーンは来月末のオールインですね。矢切さんには、クエストのデータ作成をお願いします。詳細は、運営チームの戸部とべ君に聞いてください」

「わかった」


 矢切は、そこから市ヶ谷いちがやに「いやあ、出向先は大変な現場で」と、トリグラフでの経験を話す機会にやっと恵まれたのだが、肝心の彼の反応は「そうですか」「すごいですね」「大変でしたね」の三語以外出てこず、最後は「そろそろ、仕事があるので」と、五分で話を遮られてしまったのだった。


『ファイナル』のチームにアサインされてから他のスタッフとも話をする機会はあったものの、皆反応は市ヶ谷と大同小異である。

 そしてそれは、出向から戻って一ヶ月の間変わることなく、矢切はもう出向先での経験を話さなくなった。

 淡々と仕事上でのやりとりをチャットでするだけで、誰とも直接口をきかない日すら珍しくない。


 三月末に発売された『週刊ゲーム通信』の『クロスレビューコーナー』。

 翌週発売されるゲームソフトのレビューと点数が掲載される名物コーナーの中で、『放浪戦記ガンファルコン』が取り上げられた。

 結果は、レビュワー四人による点数が『八・八・八・八』の合計三十二点で、『ゴールド殿堂入り』を果たした。

 そのページを眺める矢切の表情はゆるむ。

 事前に、点数は嵯峨さがを通してトリグラフに伝えられ、前戸まえとが矢切にチャットアプリで教えてくれていたのだが、こうして活字であらためて読むと、特別な感慨が浮かぶ。


 レビュワーは、いずれも「3Dシューティングとして爽快感と考えどころのバランスが良く原作の雰囲気も感じ取れる、放浪モードでボリュームもあり、ファンならおすすめの佳作」と評していた。

 矢切は、出勤途中のコンビニで買った『週刊ゲーム通信』のクロスレビューコーナーのページを何度も眺めた。


 (これで、きっと潮目が変わる。何せゴールド殿堂入りを果たしたんだ。皆、そこでの経験を聞きにくるだろう)


 矢切はそう思っていたが、その思惑は外れた。

 クロスレビュー掲載号の『週刊ゲーム通信』が発売されても、『放浪戦記ガンファルコン』は、社内でも『ファイナル』のスタッフの間でもまったく話題に上がらず、矢切に話題を振ってくる者は誰もいない。


 よくよく考えれば、矢切が出向に出て、あのゲームを開発したということを知っている者が、そもそも少ないのかもしれない。

 矢切は、自分の会社内での立ち位置というものを思い知らされた、というよりは、思い出したのだった。

 今までの自分の仕事ぶりを思い返せば、こうなって当然なのである。


 いつからか、できるだけ楽なプロジェクト、楽な仕事ばかりを選り好みするように立ち回り、同僚の仕事を自ら進んで助けようともせず、上司には文句を言い、後輩には先輩面をして偉そうな態度を取る。

 それでいて仕事はお世辞にも及第点とも言いがたい質と精度。

 人間的にも能力的にも、自分自身が会社内で気にかけてもらえるような人間でないことは、自覚があったはずではないか。

 矢切は、自嘲じちょうした。


 (そりゃそうだ。今までが今までだし)


 だが、トリグラフでは、初めて、と言っていいくらい精力的に、意欲的に仕事に取り組んだのだ。

 それを、誰かに話したかった。認めて欲しかった。

 自分自身が、仲間達と精魂こめて作ったゲームを見て欲しかった。


 伏野ふしのら共に開発をしたスタッフの皆も、今は次の仕事に忙しく立ち回っており、集まる機会はなかなか設けられそうになく、矢切は結局一人、空虚な気持ちを自分の心の中でなだめ続けるほかなかった。

 せめてもの慰めは、発売日前日の木曜日に、嵯峨さがが気を利かせてオストマルクの矢切宛てとして、『放浪戦記ガンファルコン』のソフトを送ってくれたことである。

 総務課に呼ばれてその荷を渡された矢切は、自席に戻ってから開封した。


 商品となったゲームソフト。

 自分が初めてディレクターを努めた作品。

 仲間達と苦労して作り上げた努力の結晶――。

 矢切は一人でその感慨に改めてふけり、じっとパッケージを見つめ続けた。


 翌日、ニンテンドースイッチ用ソフト『放浪戦記ガンファルコン』の正式な発売日。

 オストマルクの始業時間は十時のため、出勤前に家電量販店に寄って新作ソフトを買ってから出勤してくる者もいるのだが、『ガンファルコン』を買った者は誰もいないようだった。

 ネットのゲームファンが集まる匿名掲示板やSNSではぽつぽつと感想が書き込まれ、矢切は仕事中も小まめにチェックする。


「ストーリーモードはまあ二時間もあればクリアできるかな。爽快感はあるけど、劣化版エアーコンバットって感じ。でも放浪モードはいいね」

「放浪モードなんてつけるくらいなら対戦モードを実装すべきだった。このアクションで今時オンライン非対応とか馬鹿なの?」

「アクションよく出来ているし、UIもシャレててカッコいい。オフラインでもいいから対戦つけてほしかったなあ。あと、アウラ・ハントの種類が少ない」

「俺は楽しめてるな。これ絶対開発ポシャッたって思ってたもの。出来も想像よりずっといいよ」


 批判されているポイントは概ね納得のいくものではあったが、それでも矢切は感想をもらえることそのものがうれしくて、何度も何度も感想のコメントを探しては読みふけった。

 今まで開発に携わってきたゲームとは、思い入れ度合いが断然に違う。

 今、この場に、伏野が、前戸が、金矢かなやが、鳥羽とばが、はらが、真上まかみが、堀倉ほりくらが、林田はやしだが、そして嵯峨もいてくれたらどれだけ話がはずんだことだろう。


 皆で、製品版のユーザーからの感想について色々と語りあいたかった。

 もし続編ができるとしたら、次はこうしようという話をしたかった。

 結局、矢切はその日も、誰とも話すことの無いまま、キリのよいところまで一時間ほど残業をしてから仕事を終えた。

 パソコンで退勤の記録をつけると、もうじき四月であることに気がつく。


 また新入社員が入ってくる。矢切自身は、何も変わらない。

 いや、と矢切は思った。

 自分はやっと、ゲームを作る人になるというその夢を叶えたのではないか。


 これまでと異なる仕事への取り組み方を通して、やっと、本当の意味で、「ゲームを作った」と言えるようになったのではないか。

 だが、その結末は、矢切が望んでいたものではなかった。

 誰を恨みようもない。これまでの自分の所行のせいなのだ。

 オフィスを出て駅への道を歩いて行きながら、ゲームクリエイターになることを決意したゲームを思い出す。


 ――子どものころ一番好きだったゲームは、『ドラグーン・クエスト4』。

 ラスボスを仲間達と協力して倒し、世界を救った。

 他の仲間たちは皆それぞれ帰るべき場所、待ってくれている人がいる。

 でも、主人公の勇者は何もない。

 故郷は壊され、待つ人もいない。

 だが、そこへ光があふれ、物語の最初に勇者を逃がすために身代わりになった幼なじみが蘇り、抱きあったところで仲間達が集まって――。

 

 けれど自分には、あの勇者のようなエンディングは訪れないのだと、昨日、偶然に瀬野木せのぎ明日香あすかを見かけた時のことを思い出す。

 退勤して駅への道を歩いている最中のことだ。


 美しい容貌はそのままに、春を先取りしたかのような、清楚で暖かみのあるフレアースカートに薄紫のジャケット姿で、男と手をつなぎ、笑顔で歩いていた。

 相手の男も笑っていて――そしてそれは、いつか見た彼女の夫だった。

 自らの手で幕を下ろした恋路でありながら、その姿を見た矢切は胸が締め付けられた。

 漫画や映画の主人公の様に、彼女の幸せこそが望み、などといったかっこいい心情にはなれそうにない。

 湧き起こるのは未練と嫉妬である。

 そのことを思い出し、また一度だけ抱きしめた彼女の感触を思い出し、矢切はいっそう悶々とした。


 煮え切らない気持ちを抱え、視線を落としたまま駅の改札を通り、帰宅のための電車に乗ると、人混みの中で一席だけ空いている席に座った。

 周囲は皆人連れで乗っているらしく、一人だけ座るのを遠慮してできた空席の様である。

 電車が動き出してから、矢切は周囲の人間の会話をなんとなく、という体で聞いていた。

 誰も彼も、飲み会や仕事帰りらしく、仕事のこと、週末のデートの予定のこと、給料のこと、会社のことなどをとりとめもなく語り合っている。


 (俺だって二ヶ月前までは、仕事もプライベートも、充実感があったのに……)


 矢切にとって、オストマルクに戻ってからの日々は、また灰色一色に塗り替えられた世界と言ってよかった。

 開発の仲間たちも、瀬野木明日香もいない。

 トリグラフへ出向していた日々が、プライベートも含めて充実していた分その反動は大きく、毎日の仕事こそ真面目にやるようになってはいたものの、矢切はもう心理的に「いじけた」状態にあるといってよかった。


 (結局、いくらがんばったって、俺なんてこんなもんだ)


 矢切は苦笑する。

 そうだ、俺は「使えない」プランナーなのだ。

 使えないプランナーは使えないプランナーらしく、また前のように、自分の手に負えるだけの楽な仕事をして、定年までゲーム開発に携わっていければそれでいい……。


 半ば捨て鉢のようにそんな考えに行き着き、思考することにも疲れてリュックを胸に抱えこんだ時に、電車はトンネルの中でスピードをゆるめ、やがて止まった。

 電車内が、人の話声だけになる。


「停止信号です。しばらくお待ち下さい」


 その車掌のアナウンスの次に、矢切の耳に聞き覚えのある「音」が響いた。


 ――ビームライフルの発射音?


 それは、『放浪戦記ガンファルコン』を開発中、何千回と耳にしたはずの効果音だった。

 音がしたのは隣の席。

 そこには、いつも朝電車で席を取り合う、禿げた頭のくたびれた中年サラリーマンが座っていた。

 スーツ姿にイヤホンをつけ、その手に持っているのは、ニンテンドースイッチだった。

 また、ビームライフルの発射音に爆発音。

 安物のイヤホンなのだろう、ひどく音漏れしている。


 (まさか)


 矢切はそっと男のニンテンドースイッチの画面を盗み見る。

 携帯モード本体の画面に映っているのは、『放浪戦記ガンファルコン』のゲーム画面だった。


 目を疑う。だが何度見ても間違いは無い。

 自分たちの作ったゲーム。ステージ3。

 使用しているアウラ・ハントはガンファルコン。

 ステージ中のセリフが次々と画面に表示され、ボイスも流れる。


『六時の方向に機影! IFF照合、敵です!』

『畜生! フィンガー、新手を任せる! 歩兵部隊をやらせるな!』


 ジャンプして変形、加速して飛行形態となり敵の出現した方向へ加速するガンファルコン。

 新手を視認すると空中で人型へ変形して落下しながらビームライフルを撃ち、次の瞬間、特殊技である「フルファイアー」で敵を一気に破壊。


 男は、真剣な目で、夢中で、ゲームをプレイしていた。

 両手が忙しく動いている。


 矢切は口元を手で覆った。胸が詰まった。


 男は、自分と同じくらいの歳だろう。

 ならば、昔のアニメ放送当時からの『放浪戦記ガンファルコン』のファンであっても何ら不思議ではない。

 発売日に買ってくれたのだ。

 そして待ちきれずに仕事帰りの電車の中でプレイを始めた――。

 このためにニンテンドースイッチも用意したのだろうか、本体はまだ真新しい。


 口元を抑えながら男を見ていた矢切だったが、限界だった。

 こらえきれず、抱えていたリュックに頭を押しつける。

 咳をするフリをしてこみあげる嗚咽おえつをごまかすが、涙が流れるのをもはや止めようが無かった。

 頭の中で、あの狭いオフィスの中でゲームを開発していた日々の記憶が次々と流れていく。


「お待たせいたしました。発車します」


 車掌のアナウンスが流れ、電車が音を立ててまた動き出し、矢切は口元を抑えながら、身体を揺らされるままに肩をふるわせ続けた。

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