第58話 ニューゲーム
その会社には、かつて彼が以前勤めていたケーニヒスティーゲル時代の先輩である
公平を期すためということか、面接の際にその二人は出てこず、ディレクターとベテランプランナー二人が、
面接時、前に在籍していたケーニヒスティーゲル退職の理由は当然尋ねられる。
その時の出向で味わった苦い経験について、伏野はその表層を淡々と伝えただけで、今振り返れば、こうすれば良かったのではないかということを述べた。
課長である
伏野は三十歳を超えた彼女の美貌がより一層輝きを増していることに驚き、その左手の薬指に指輪がはめられていることに気がついたが、その場では世間話をして終わった。
ビルを出る時に後ろから呼び止められ、声の主である
そして、その最初の場として『放浪戦記ガンファルコン』というタイトルにスタッフとして加われたことが、再び中途採用で、ゲーム会社に応募しようという活力を自分に取り戻させてくれたのだと、天を仰いだ。
伏野には恐れがあった。
――また以前と同じようなことがあったら。
だから、契約期間さえ終われば、現場を離れられる派遣社員を選んだ。
その恐れを、打合せの前にはいつも医者から処方された薬を飲みつつ、あの狭いオフィスに集った開発スタッフの仲間達が、徐々に取り除いていってくれた。
それは、言うなれば欠けていたピースとして自分の持っているスキルが、現場の需要と一致してはまった幸運な結果に過ぎないという見方もできるかもしれない。
だが、自分の提案を受け入れてくれた矢切たちスタッフがいたからこそ、自分は心折れることなく、最後まで居続けることができたのだと伏野は思った。
――いつか、みんなとまた会う機会を作りたいな。
奈南士と別れ、春が近づく風を心地よく受け止めながら、伏野誠太郎は駅への道を軽やかな足取りで歩いて行く。
「
「かしこまりでーす」
同僚の女性の依頼に、
現在、林田は株式会社トリグラフの総務課の一員として働いているのだった。
総務課の、会社のホームページ運営も担当していた女性社員が結婚退職することになり、後任を求人サイトを通じて公募しようとしていたことを知った
会社としても、人柄も知れて、職業適性とスキルがあるのなら、ゼロから人を採用するコストとリスクを減らせるということもあり、本人にその気があるのならと了承が得られ、話はとんとん拍子に進んで林田は新たな職を得られた。
直接ゲーム開発に関わるわけではないが、大好きなゲーム会社での仕事は、それが雑用であれ、労務管理であれ、林田にとっては喜びだった。
会社のホームページ管理運営などはお手のものだ。
デザイナーとしての仕事は一通りオペレーションをこなせるということもあり、繁忙期に入ったプロジェクトの手伝いをすることもある。
自社の開発実績に新たに加えるスマホゲームに必要な素材をリストアップしながら、林田は傍らのクリアファイルに入れた、『週刊ゲーム通信』のクロスレビューコーナーの切り抜きページを何度も見やった。
自分の果たした役割としては小さい。
だが、それでも林田は、このゲームは自分たちが作ったのだと胸を張れる。
そしてこれからは、そんなゲームを作るスタッフたちを、陰から支える仕事をしていくのだ。
来週の『放浪戦記ガンファルコン』の発売日に、自社開発実績としての公表が解禁され、自社開発実績ページにも追加される。
そのページは、林田が作ったものだった。
「うしっ!」
林田はやる気を声に出すと、さっそく『ド外道戦記』の紹介ページの作成作業を始めた。
株式会社トリグラフのプログラマー、
その仕様書は、現在開発中のあるSRPGの、ステージ中のメニュー画面についての仕様書だった。
作成したのはプランナーの
当初、プログラマーのリーダーからは、「あいつはノリだけで仕事をしてる、ろくに仕様書を作らないし、口頭でなんとかこっち主導で実装をやらせようとしてくるって噂だ。気をつけろ」と言われていたが、蓋を開ければ、
特に、フローや画面構成はつっこみどころはあるものの、伝えるという点で見れば何の問題も無い。
いや、フローや画面構成仕様があるからこそ、
(チームのプランナーも、これくらいちゃんと仕様書を作ってくれたらなあ)
ヘルプで入ってきた前戸の仕様書と比べると、彼よりも先輩であるはずのプランナー陣の作った仕様書は、いずれも精度において劣る。
何がやりたいのかも把握できないことがあった。
特に、「明確に持っているタスクがない」として、プロジェクトマネージャーではなく、前戸と同じくヘルプでアサインされたプランナーの
どうしても口頭で内容を根掘り葉掘り確認し、内容を修正し、それを自分でかみくだいて整理し、フロー化する必要がある。
プログラムを組む以前にやらなければならないことが多い。
「寺本さーん」
その前戸が、話しかけてきた。
「ちょっと今イイスかー? 相談なんスけど、さっきアップしたメニュー画面の仕様書について、デザイナーさん交えてすりあわせをしたいッス。午後イチで一時間ほど、打合せイイッスか?」
「あー、はい、かまいません」
「じゃ、よろしくどうぞッスー」
前戸が口笛を吹きながら自席へ戻っていく。
彼はどんな時でも明るく、会議の空気が柔らかくなるので、最近はクライアントとの打合せの席にも同席しているとも聞いている。
(噂って当てにならないなァ)
寺本は仕様書のつっこみどころをリストアップしながら、この仕様は早く実装にかかれそうだと、胸をなで下ろした。
評価面談で、
同時に、炎上中のこのプロジェクトにアサインされた。
大会議室にほぼ全スタッフ、二十数名が集まっている。
開発中のゲームは、開発実績のないジャンルで、コアの部分が面白くないとクライアントから苦言を呈されており、すにで二ヶ月の遅延が発生していた。
今後どう進めていくかというのが打合せの議題らしいのだが、議事進行者であるディレクターの表情はやつれ、憔悴した表情で現状を説明し、それに対してリードプログラマーはひたすらディレクターとプランナーのせいにするばかりで、具体的に今後どう進めていくかという点で、建設的な意見はまったく出ない。
大体、ディレクターとリードプログラマー以外、誰も発言しておらず、空気が重い。とにかく仕様書を早くあげろとリードプログラマーが怒鳴った時、鳥羽は手を挙げた。
「未実装項目のうち、メニュー周りは手をつけられそうですよね。それに着手して、その間にそれ以外のゲーム本編に関わるものの仕様をどう変更するか、じっくり考えてもらっていったらどうでしょう」
鳥羽の穏やかな物言いに対して、リードプログラマーは口をとがらせた。
「メニュー周りはまだ仕様書がないんだ」
「メニュー関係は内容が推測しやすいですし、特別なことが不要なら、こちらで仕様を策定してもいいと思います。デザイナーさんの力は借りなければなりませんが」
「いや、それはプランナーの仕事だろ。プログラマの中で誰が」
「僕がやりますよ」
鳥羽は、これまでの経験から、こちらで仕様を策定して、ディレクターに確認をとりながらであれば進めていけると思うと、自分の見解を述べた。
「残りの仕様についても、まずはテキストでいいので、プランナー側でこうしたいと考えてるものをまとめて、そこから相談してもらえれば、仕様書を詳細に作る手間を後に回せると思います」
そして、それらの窓口は、面倒なら自分が請け負うと鳥羽は付け加えた。
「イメージでもいいので、プランナー側のやりたいことをまず伝えてもらえれば、お互いの知恵をすりあわせてどうにか前に進められると思います。仕様書は最悪、後から実装されたものを見ながら作るのでもいいと思いますよ」
鳥羽の冷静な口調に、プログラマーの一人がおずおずと手を挙げた。
彼もまた、途中からこのプロジェクトにアサインされたのだった。
「UIが中心の仕様なら、僕がやります。鳥羽さんがその他の部分を請け負ってくれた方が効率が良いと思います」
「これで様子を見てみませんか。この間に、実装が進められるところは進めて、決まっていないところの仕様が、大枠でも決めていければプロジェクトは前に進む」
鳥羽は、ディレクターとプランナー陣に向かって言った。
「遠慮無く、やりたいと思うことを相談してください。何もビジョンが描けないようであれば、一緒に考えましょう。ウチの会社で開発経験のないジャンルなんです。障害が多々あって当たり前ですよ」
その鳥羽の発言に、ディレクターやプランナー陣の表情に、やっと生気が差したようだった。
だが、リードプラグラマーは不満の様子で甘やかしすぎでは無いかと鳥羽に言った。
「前例の無い開発ですから。ゼロを一にするのは一を二にするのとは段違いに難易度が高い。知恵を出し合うほかないですよ」
鳥羽は、あくまでおだやかに言った。
すると、しばしの沈黙の後、他のスタッフからも、現状の課題に対するアイデアや意見がぽつぽつと出始めた。
原が席を立ち、それらの意見をホワイトボードに書き始めてくれる。
彼もまた評価面談で評価され、昇給を果たしていた。
一年間の自信の結果が立ち振る舞いにも現れるようになっている。
憮然とした表情のリードプログラマーを見ながら、鳥羽は思った。
――彼は、以前の自分だ。
彼にもきっと、他者が敵に見えてしまうような、辛い出来事があったに違いない。
それでプランナーを敵視し、『完璧』を求めてしまうようになった。
他者を攻撃することで、自分に非がないことを主張するようになったのだ。
それだけではプロジェクトは一向に進展しないことが分かっているのに、自分を守ることが目的になってしまい、そのことに気がつけない。
自分が彼やプランナー陣を、つまりは他人を変えられるとは、鳥羽は考えていない。
できることは、チームとしてゲームを作るため、自分に何ができるかを考え、実践していくことだった。
(僕はゲームプログラマーなんだから。ゲームを作るだけだ)
忙しくなる。
恋人である
それでも鳥羽は、原と視線を交わしあい、がんばろうとうなずきあった。
同社が作成中の、大型RPGのプロジェクトに協力会社としての参加を打診されている話を会社から振られた時、
業界でも人気のシリーズもの案件であって、社内の中核を担ってきた他のベテランにでも譲った方が良いのではないかと考えていた。
だが、
井出野はスキールニルに戻ってから冨和と仕事をするようになったのだが、周囲の人間から冨和が歩んできた苦難の道を聞かされたという。
冨和の開発経験は、自分自身の手に負える範囲でしか仕事をしないのではなく、常に自分というものの器を超える課題との闘争と言ってよかった。
そのことについて、冨和にその時の事を聞くと、彼はしばらく考えてから、「自分の思い通りにならないことばかりやったけど、だから考えることは多かったなァ」とだけ答えたという。
その話を聞いて、金矢は出向を受けることを決意したのである。
自分自身も大きなプロジェクトの中で、思い通りにならないことをもっと経験すべきだと思ったのだ。
元々スキールニルで働いていたことも幸いして知人も多い。
金矢は気後れしがちな他のトリグラフのスタッフを知人に紹介しては叱咤激励して出向組を引っ張るのみならず、プロジェクトの中でも頼れる兄貴分として、その評価はスキールニルの中でも急上昇している。
「えーっとぉ……そのぉ……」
ある仕様の技術的課題についての打合せで、部下のプログラマーからのたどたどしい報告を、金矢は何度もうなずきながら聞き続ける。
話を聞き終えてから、今の話はこういうことかと整理する。
すぐに責めたり、これみよがしに自分の正解をひけらかすことは極力控えた。
以前の金矢ならば、途中で話を
今の金矢は、「待つ」ということを自らに課していた。
ゲームが商品として完成していくにも、人が成長していくのにも、時間というものが必要なのだということを、金矢はようやく理解できたのだった。
そして、自分自身も勉強が必要であるということを、スキールニルのプログラマーたちと接していて悟った。
(やるぞ、いいRPGにしてみせる)
金矢は、課題について、スキールニルのテクニカルディレクター、テクニカルアーティストと議論を続ける。
かつての金矢を知るスキールニルのスタッフたちは首をかしげた。
金矢拳は、あんなに話しやすい人間だっただろうか。
出向先から株式会社シヴァへと戻った
期末の評価面談でも特に何を言われるでもなかった二人だったが、『週刊ゲーム通信』で『放浪戦記ガンファルコン』のクロスレビューが公になると、事態が変わった。
自社のスタッフが開発に参加したゲームが殿堂入りしたことを知った開発部の部長が、そのスタッフが具体的に何をやったのかを、デザイン課の課長に確認したのである。
「んん?
二人の出向報告に記載されている作業内容を見た部長の質問に、
真上が淡々と、堀倉はつっかえながらも経緯を説明すると、軽部は「なるほど」と言って、出向の作業報告書を細かく見なかった点について、二人に詫びた。
真上は、部長の前だからそんな
開発部の部長は、話を聞きながら、ニンテンドースイッチで、『放浪戦記ガンファルコン』をプレイしていた。
その過程で、ゲームにポーズをかけ、登場するアウラ・ハントのモデルやモーション、UIについて、真上や堀倉に、これはどういう作業工程を経て作ったのか、これはどういう意図でこうしたのかと、いくつも質問を浴びせた。
二人が一通り答え終えると、部長は端末を机の上に置く。
「うん、すばらしい。今期の評価を見直さないとな。それから配置を換えた方がいいね。君たちが望むならだが、真上君は3D班に、堀倉君は2D班に入ってもらったらいいと思うんだが、どうだろう」
真上と堀倉は顔を見合わせてからうなずきあい、是非お願いしますと頭を下げた。
「軽部君の意見は?」
「二人が希望するなら、問題ないと思います」
軽部のその意見は、真上に驚きを与えた。
絶対に反対されると思ったからである。
「実は、出向から戻られてから、真上さんも堀倉さんも、アサインされたプロジェクトでの仕事ぶりの評価が高い。真上さんは問題が生じた時に積極的に前に出て解決に向けて動いてくれる、堀倉さんも他の人の遅れをどんどん吸収していってくれていて助けられていると、リーダーから報告を受けています」
「ふむ」
部長は満足そうに頷いて、なら決まりだな、正式な配置換えはプロジェクトが一段落ついてからになると思うがと付け加えた。
「ただお二人には、スキールニルの、例の大型RPGプロジェクトへの出向をお願いしたいと考えています」
「ああ、あの案件、希望者が多いから人選に困ってるって言ってたね」
「ちょうど3Dと2Dで一名ずつ欲しいって言われてますし、出向経験はもちろん、今の作業報告内容から見て、業務に支障もないでしょう。適格だと考えました」
もちろん二人が希望すればだが、と軽部は付け加えた。
スキールニルの大型RPGプロジェクトのタイトルを聞いて、真上も堀倉も二つ返事で了承した。
「それじゃあ、そういうことで。今後は、各スタッフの希望や適正はきちんとチェックしないといけないな」
部長の言葉に軽部も頭を下げ、今後改善を図ることを約束した。
真上は会議室を出てから、堀倉の背中をポンと叩いて、ビッグタイトルに関われるチャンスですねと言うと、堀倉も頷いて、楽しみですと笑顔になった。
「良かったら今晩飲みにでも行きませんか」
真上の誘いを、堀倉はごめんなさいと断った。
「実は、妻がおめでたでして」
「おおーっ! それはおめでとうございます」
真上は御祝いの言葉と共に、そりゃ飲みに行ってる場合じゃないですねえと笑った。
「ありがとうございます」
先ほどよりも更にうれしそうに、堀倉は笑った。
真上自身にも嬉しいことがある。
朝の散歩が功を奏したのか、同棲している
焦ってはいけないが、良い出来事には違いない。
最近、香織は食事を作ってくれるようになったし、今度、映画を観に行きたいとも言ってくれた。
そして真上は、苦楽をこれからも共にしていきたいと思える彼女に、いつ結婚指輪を渡そうか、そのタイミングを推し量っている。
真上と堀倉は並んで歩きながら、今のプロジェクトでの課題を話し合いながら、オフィスへと戻っていくのだった。
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