【本当に神様がいるのなら】

 長い夢からさめた望美はまるで遠い異国の世界からいきなり連れ戻されたかのような不思議な感覚にとらわれていた。


 夢の中で事細かに再現された自分の過去を受け止めつつも、全てにおいて素直とまではいかない。


 いつものように気怠く重たい身体をベットの上から起こしては仕事に向かうべく用意を始めていった。


 洗面所で顔を洗いながら鏡を見た望美は驚いた。


 自分の顔が二十年は経ったかのように老け込んで見えたからだ。


(気のせい……よね?)


 ゴシゴシと目を擦りながら頭の中で呟き、またまた鏡を見た。


(疲れてるのよね、私)


 さっきと変わらない自分のオバサン面に戸惑うが、日々の疲れで顔の表情がそう見えるだけだと気持ちを改めた。


 それから着替えを済ませて、朝食は食べずに家を出ていった。


 バス停へと向かう途中、望美は思う。


(ああ、お母さんと今も一緒に住んでれば朝ごはんも食べるんだけどな)


 ペットショップに勤めることになり、一人暮らしをしている望美にとって、母親の作る朝食は今となれば懐かしくもあった。


(また食べれる機会があったら、ちゃんとごちそうさまを言おう)


 小さく優しい笑みを浮かべながら、望美はアイスピックの入っているバッグを肩に掛けながら歩いていった。




 金曜日。とうとう美那子との約束の飲み会の日になってしまった。


 この日、望美は仕事を完璧なくらいにテキパキとこなしていった。


 今までお世話になった職場に感謝の意を伝えるかのように一日を頑張った。


 そして約束の時間、待ち合わせの夜の七時に望美は郡山駅にある噴水の前で静かに立っていた。


(あと少し、あと少しで)


 噴水のしぶきの水音に耳を傾けながら腕時計を見た。


(この先、私はなすがままに……)


 時間は過ぎ、時計の針は七時半になっていた。


(なすがままに、なすがままに)


 それから少しして、念仏のように頭の中で言葉を繰り返している望美に、耳障りな声が聞こえてきた。


「おまたせ! 待たせたわね」


「あ、ううん、大丈夫」


「あらそう。どの服を着るか悩んでたら遅れたわ」


 美那子は女豹の姿を周りの人間に思わせるかのような黒地のドレス風の服に身を包み、髪はアイロンでセットしたのか両サイドで巻いていた。


「大丈夫。私も来たばかりだから」


「そう。なら問題ないわね。それじゃ行きましょうよ」


「どこのお店で飲み会するの?」


「すぐそこの居酒屋よ。個室があってくつろげるわ」


「そうなんだ。ところで他に誰か来るんだっけ?」


「来るわよ。当然じゃない。女二人で飲んでもつまらないわ」


「どんな人が来るの?」


「男二人よ。まぁ、私のタイプな感じの二人かな。この前、駅を歩いてたらナンパされちゃってね」


「そういうこと……」


 望美は男二人の性格と見た目をなんとなく想像し気分が沈んだ。


「まぁ、その時に今日の飲み会の約束をしたのよ」


「それで数合わせに私を?」


「そうよ。当たり前じゃない」


「そうよね」


「なんでもいいから早く行くわよ」


「うん」


 美那子は駅前の繁華街に向かい歩いていく。その後ろ姿を見詰めながら、望美は殺意を携えて後を追った。


 ほんの二、三分歩き飲み会をする店に到着。望美は美那子に続き店内へと入り、カウンター席を横ぎって奥にある個室席の前まできた。


 障子で作られている戸の向こうには二人の人影が見えている。なにやら男同士で談笑しているのか、笑い声が漏れてくる。


「望美、入るわよ。なにを突っ立ってんのよ」


「あ、うん、ごめん」


「なに、もしかして緊張してんのかしら?」


「緊張ってわけじゃないけど、なんか私の苦手なタイプの人達かなって」


「考えすぎよ。いいから入るわよ。飲み会が始まれば気にならないわ」


 美那子はピシャっと音がなるくらいに勢いよく戸を開け、女二人と男二人は対面した。


「よう、美那子ちゃん! 遅かったけどなにかあったのかい?」


 口を開きそう言った男は、髪を金髪に染め、襟足の長さが二十センチはあり、眉と口にピアスをつけていて、まさに今更のギャル男といった見た目である。


「待ちくたびれたぜ。てか、遅いから心配してたんだぜ」


 次にそう言ったもう一人の男は、頭をボウズにしており、左側にギザギザ模様のラインを入れ、鼻にはピアスと両腕にはトライバル柄のタトゥーが入っている。


「ごめんねぇ。服を選んでたら遅れちゃったの」


 美那子は悪びれたように両手を合わせて腰をくねらせながら言った。


「ハハハ、可愛いから許しちゃう」


「だな。んじゃ、飲み会やろうぜ!」


「はーい。それじゃ、お邪魔しまーす」


 おちゃらけた感じに言い、美那子はヒールを脱いで六畳半はある個室の中へと入り、畳の上で脚を伸ばした。


「ん? 彼女が美那子ちゃんの友達かい?」


 ギャル男が戸の外で隠れるようにしている望美を見て言った。


「そうよ。中に入りなさいよ望美」


「ほらほら暗いぜ。パーッといこうぜ!」


 ボウズは腕を大振りに動かして望美を招き入れようとする。


「あ、はい。それじゃ失礼します」


 望美は丁寧にお辞儀をしてから中に入った。


「そんなにかしこまらなくていいよ。楽に楽にさ」


「んだ。気を遣う必要ないんだぜ」


「は、はい、わかりました」


「望美、自己紹介しときなよ」


「うん。そうだよね」


 美那子に言われるがままに、望美は男二人と自己紹介を済ませた。それから美那子の隣に腰を下ろす。


 みんなはメニューを見ては指差しで注文を決めていった。少ししてから酒と食べ物が運ばれてきてテーブルの上は飲み会の舞台になった。


「それじゃあ乾杯しましょう!」


 美那子の一声で飲み会は開始され、男二人のテンションは上がりに上がり、一杯目の酒を美那子を含めた三人は一気に飲み干した。


 望美は酒には手をつけず、ただ静かに三人の乱れ具合を傍観している。そもそものこと、殺害したい憎い相手がいるうえ、男二人も望美の苦手なタイプの人間であり、楽しめる環境であるはずもない。


 ものの数分の絡みでしかないが、見た目だけでなく中身も嫌で堪らない。まさに人生に「足を使ってない」や「足の浸かってない」といった輩であり、望美の大嫌いな人種であった。


 すぐにでも席を外したく、なにかいいアイデアがないかと考えたのだが、なにも見つからずに座り続けるしかなかった。時折、三人が望美に話を振ってくるが軽く相槌をうったり話を合わせるだけである。苦痛でしかないこの時間、憎しみが爆発しそうなこの時間を我慢するしかなかった。


 やがて時間は過ぎていき、飲み会が始まってから三時間ほどが経過した時に美那子が言った。


「望美ったら、なにを人形みたいにしてんのよ。楽しみなさいよ」


「ごめんなさい。こういう場が苦手なの」


「なにを今さらになって言ってんのよ。相変わらず暗いわね」


「ごめんなさい」


「もう、いちいち謝らないでよ。本当にそういうところはイジメられてた昔と変わらないわねー」


「そんなこと言わないで」


「相変わらずイジメられキャラよねー」


 その美那子の言葉で、望美の中にある渦巻く感情がうねり始めた。


「へぇ、望美ちゃんてイジメられてたのかい?」


 ギャル男が言った。


「マジかよ。そりゃあ痛い過去だぜ」


 ボウズも興味津々といった様子せ話に入ってきた。


「い、いや、別に私は……」


「望美ったら、なにを隠そうとしてんのよー。誤魔化しても望美はイジメられてた感じがするわよー。そんなキャラをしてるものー」


 美那子は強く酒に酔っている状態で、望美の感情を逆撫でしていった。


「もう……そんな話はやめてよ」


「いいじゃないの。今は笑い話みたいなものよー」


「笑い話……?」


「そうよ! 楽しく話しましょ」


 それから美那子は男二人に過去を話していった。


 自分がイジメの主犯であったこと。不良グループ「咲乱華」のリーダーであったこと。


 望美を陥れ、演劇部を退部にさせて、青春の舞台を台無しにしたこと。


 全ての事実を赤裸々な笑い話に変えて三人は笑いに笑った。


 そして遂に我慢が出来なくなった望美は立ち上がり席を離れようとする。


「ちょっと! 望美ったらどこに行くのよ?」


「もう限界……」


「は? もしかしてトイレ?」


「違う。そろそろおさえきれない」


「なに? 具合が悪いのかしら?」


「あと少しで終わり」


「はい? なに?」


「全てが終わるの。解放されるの」


「美那子と男二人はキョトンとした顔で望美を見ている。


「なすがままに……」


「どうしたのよ?」


「なすがままに……」


「なんだかわからないけど望美が変になっちゃったし、そろそろお開きにしましょう」


 男二人は残念そうに仕方ないといった様子で頷き従い、美那子は会計を男二人に払ってもらい、それから四人は居酒屋から出ていった。


 ざわめき止まない夜の繁華街を、望美はヨタヨタと、他の三人は体を左右に揺らせながら歩く。


 男二人は完全に酔いがまわっているらしく、最高潮のテンションで卑猥な言葉を言っている。美那子もアルコールの力で相変わらず気分は最高。酔った男の扱いに慣れているためか、美那子は酒が入っているときに男が考えている下心を見透かしたように話を合わせていた。


 その時、望美はアルコールの力ではしゃぐ三人を他所に黙ってそばを歩きながら頭の中で葛藤と闘っていた。


 おさえきれない殺意と、人殺しにはなりたくないという人の心。その葛藤で望美のストレスは破裂寸前まで達していた。


 高校時代から始まり、かつての同級生である美那子と再会してからのこれまでの間、自分の感情をおさえ、なんとか堪えてきた望美だった。しかし、今夜の飲み会の席での出来事で自分の中に佇んでいる人の心というモノはどこか遠くに消えかかっている。


 雨粒がポツリ、ポツリと消え入りそうなほどに儚く小さな音をたてて望美の肩に当たり始めた。小雨程度で、酔っぱらい三人は雨が降り始めたことに気がつかない。


 それから数分が経過した時、雨足がいきなり強くなった。神様が今の望美の気持ちを汲んでくれたのか周辺に雨が降り注ぐ。


 酔った三人はようやく雨が降っていることに気がついた。男二人は雨で濡れた顔を袖で拭いながら濁った夜空を見上げてため息を吐く。美那子は雨で化粧が崩れるのを嫌ってか、両手を眉の上辺りで平行に開き小さな傘を作った。


 三人のテンションは少し下がり大人しくなっていた。そこで望美はここぞとばかりに口を開いた。


「もうサヨナラしましょう……」


 望美の言葉を聞いた美那子は雨が降っているんだから仕方ないとでも言いたそうな表情で残念ながら頷いた。男二人は素直には賛成出来ない様子ではあったが、美那子が上手く言いくるめ渋々と受け入れた。


 そして四人は足早に歩を進めて、お互いの分かれ道へと着いた。


 帰り道が分かれる繁華街の場末にある十字路で、男二人はサヨナラをしてから立ち去っていった。それから望美と美那子は自宅のある富田町方面まで徒歩で帰り始めた。


 帰り道である「新さくら通り」を進んで行く途中、美那子はひたすら口を開いては望美に言葉を投げる。しかし、望美の頭には美那子の言葉は入ってこない。破裂しそうな感情をおさえることで一杯一杯な望美の頭には、もうなにも入り込む余地がないから。


 自分の話にただ返事をするだけの望美の態度に苛立った美那子は、雨で濡れた髪の毛を後ろに掻きあげてから言った。


 それは望美にとって、トドメになる一言だった。


「本当に望美って『役無し』よね」


 その言葉で望美の中で繰り広げられていた葛藤との闘いに決着がついた。


「うん……私は役無し……」


 そう言ってからバッグに手を入れた。


「さっきから台詞のない役みたいにボーっとしちゃってさ。役無しと同じよね」


 そう言いながら、そそくさと先を歩いていく美那子の後ろで、望美はアイスピックをバッグの中で握りしめながら願いを込める。


「ねぇ、美那子さん。もし本当に神様がいたら一体なにをお願いする?」


 平常な顔の表情を保ちながら訊いた。


「え、なにを言ってんの? てか、『さん』で呼ぶなって言ったよね! 台本を憶えられないバカみたいに何度も言ってんじゃないわよ!」


 足を止めて苛立ちながら言葉を返した。


「もしもの話。本当に神様がいたらどうする?」


「神様なんていないわよ! ま、本当にいるんだったら沢山するわね! なんでもお願いするわ!」


「私は――」


 望美は小さく呟き、握ったままのアイスピックをバッグから取り出して美那子の視界に入れさせた。


「な、なに?」


 驚き恐怖する美那子を尻目に、望美は夜空を見上げて願う。


 それは神様への最後のお願い。


(本当に神様がいるのなら……)


 腕を目一杯に伸ばして両手に固く握られたアイスピックの先端を自分の方に向けた。


(信じることで憎しみを消してください……)


 望美は自分の喉元にアイスピックを深々と突き刺した。

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