物語の天命

@77o

天命の物語


「私の天命は何だろうか」

最近、私はこのことばかり考えている。



プロローグ



 彼は小説が好きな子供だった


「もし、第一幕から壁に拳銃をかけておくのなら、第二幕にはそれが発砲されるべきである。そうでないなら、そこに置いてはいけない」


これは劇作家の言葉だが、小説も同じだ。

小説の中で起きることにはすべて意味がある。

そしてその「意味」を与えるのは「作者」であり、言い換えれば小説中の事物はすべて作者からの「天命」を与えられている。


 そのことを彼は中学校の国語の先生から聞いた。


 彼は幼い頃から英雄譚や偉人の伝記ばかり好んで読んでいたが、それが英雄譚の主人公は自身の天命をわかっているかのようにその天命のためだけに生きているからだと気付いた。


「主人公」は前人未到の難行に対して、「私にしかできない」

と確信して向かっていき、やがて達成する。


 フィクションでもノンフィクションでも構わなかった。数々の困難の中でも自身の天命を強く自覚し、天命のみに生きて、ついには偉業を達成する。

そんな物語が彼を強く惹きつけていたのだ。


 天命の中に生きる人間に「困難」はあっても「苦悩」はない。

無意識にそんな人間に憧れていて、そして今もなおその憧れが消えないからこそ、彼は中学生になってもなお英雄譚や伝記を好んでいるのだ。


 そう気づいた中学生の彼は、憧れを実現させようとした。

 彼は頭が良かった。家で勉強なんかしなくても大抵のことは授業で聞くだけで理解できるくらいだった。その頭の良さを人々に役立てることこそが彼の天命だと彼は思った。

 だからそれからはガムシャラに勉強した。

 徹底的に勉強しようとして初めて、そのあまりの果てしなさに気づいた。持ち前の頭の良さでどんなに知識を詰め込んでも、どんなに問題を解いても終わりがない。それどころか、新しいことを知れば知るほど、自分がどれほど無知であるか、未知の領域がどれほど広いかをわからされる。

 勉強が辛い、彼がそう感じだすのにそれほど長い時間はかからなかった。

 しかし、その辛さを彼は、自身の天命に対する困難だとして突っぱねて勉強を続けた。


 彼は幸せだった。自身の天命を信じて突き進む中学生の彼に困難はあっても苦悩はなかった。元々頭の良かった彼が勉強するようになると中学校で彼より勉強ができる者はいなくなった。

 高校受験も難なく成功し、地域で一番頭の良い高校に入った。その高校の中でも彼は一番勉強ができた。それでも彼は勉強をサボらなかった。勉強は相変わらず辛かったが、彼の天命は彼の心で煌々と光っていた。


 高校二年の冬、彼に初めての恋人ができた。

彼ほどではないが勉強のできる子で、テストの度に彼に点数を聞き、勝った負けたと一喜一憂していた。逆に言えば、その時以外接点はほとんどなかったのだが、クラスメイトがバカ騒ぎする中でも、ひたむきに勉強をしつづける意志の強い彼が格好良かったために彼に惚れて、そこから接点を作ろうとしていたのだ。

 物語の中の英雄にも恋人がいた。英雄とその恋人も互いに支えあって困難を乗り越えていた。だから彼は彼女の思いを受け入れ、彼等は恋人になった。


 勉強を続けながら、彼女ともだんだんと打ち解けていった。授業の合間の休み時間に必ず一緒に他愛のない話をした。その時間があったから、相変わらず果てしない勉強も続けられた。


 そのうち、家に帰った後も電話して話すようになった。

 放課後のデートの回数が増えていった。


 彼は幸せだった。


 一方で、彼女との楽しい思い出が増えるほどに彼の中にとある恐怖が浮かび上がってきた。

 はじめは、物語の中のように彼女と共に困難を乗り越えられていると思っていた。

 しかし、彼女との時間は楽しすぎた。いつしか勉強中にも彼女のことを考えるようになっていた。それで成績が落ちたという訳ではないし、彼の頭の良さは変わらなかった。

 それでも、彼は恐れた。彼女との縁が切れたとき、自分は一人で困難を乗り越えられない人間になっているのではないか、天命のみを信じて突き進むことができなくなっているのではないか、そう思ったのだ。

 その恐怖が彼に囁いた。

「この女といるとお前の強い意志は摘まれてしまう。跳ね除けろ、その『困難』を。

その女こそが『困難』だ」


 彼は彼女との時間を過ごしつつも、睡眠時間を削り、彼女以外とのあらゆる時間を勉強に充てることでその囁きに気づかないふりをしていた。

 だが、ある日のデートで彼女が嬉しそうに「君は変わったね」と彼に言った。

恋人になってからもしばらくは勉強ばかりだった彼が最近よく構ってくれることが嬉しかったのだ。

 その言葉に気づかないふりはできなかった。彼は変わったのだ。その事実に初めて向き合った彼は、自分が勉強の辛さという困難を乗り越えるため彼女と過ごしているはずが、いつしか彼女に嫌われないために勉強をするようになっていたことに気が付いた。もはや彼は「恐怖」を抑えられず、翌日に彼女にその「恐怖」のことを打ちあけて、別れを切り出した。

 彼女は泣いていた。そして涙も拭わずに怒りだした。

「私は君から離れたりしない。だから、縁が切れた時の事なんて考えないでよ。君が前に進めなくなってたら私が君のお尻を引っ叩いてあげるから。ねぇ、君は変わったけど、君の強さは変わってないよ。そんな怖さなんかに負けたりしないでよ」


 彼はその言葉も跳ね除けねばならなかった。ただ、彼にはそれができなかった。彼は彼女の想いに打たれ、彼女と共にあることを己に誓い、彼女と共に国で一番の大学に入学した。彼は首席合格だった。勉強をして、頭の良さを人々の役に立てるという彼の天命はその輝きを鈍くしつつも、未だ彼の心に光っていた。



 大学でも彼はよく勉強した。

 その一方で、大学に入って勉強を将来何に活かすかを考えることが身近になった。彼は今まで必死に磨いてきた自分の頭の良さを具体的にどう人々に役立てるかを真剣に考え始めるようになり、広い分野の授業を受けた。彼は物語のような劇的な出会いを期待していた。自分の頭の良さをを発揮すべきところはここだ。私はこれをするために生まれてきたのだ。これこそが私の天命の具体的な終着点だ。そんな風に思える学問を求めていた。

 しかし、そんな出会いもないまま彼は二年生になった。

 そんなときに彼はクローンを研究する生物学の教授に出会った。「君が授業で出した論文が画期的だとクローン研究者の中で話題になっている。君には才能がある」と教授は言って、彼を熱心に研究所に誘った。教授は世界的に有名なクローン研究者だった。彼は特別クローン研究に興味があったわけではなかったが、彼は遂に自身の真の天命と出会ったと思い、三年生からその教授の研究室に所属し始めた。



 自身の天命が具体的になったことで彼は今までにまして勉強するようになった。勉強しながら研究の補佐も行い、教授からも高く評価された。

 彼は幸せだった。

 勉強と研究に没頭して、彼女に嫌われないように勉強しているという状況からも脱して、もう一度天命のために勉強をできるようになったと思った。

 彼がそのことを彼女に伝え、辛いときに共にいてくれた感謝を述べると彼女も喜んで、生涯共にいることを二人は誓い合った。

 彼の天命はかつての輝きを取り戻し、さらに一段と眩しく彼の心を照らしていた。



 だが、それも長くは持たなかった。

 院生になって研究の頻度が増していく中で、彼は研究員として優秀であったが、いつかの論文以来彼の研究内容が特段評価されることはなく、その姿勢や態度ばかり教授に褒められるようになった。大学入学まで学業において挫折を知らなかった彼にはそれは初めての経験だった。

 彼は、自分はまだ院生だ。偉業をなすのはこれからだ。今は偉業の前の困難に耐える場面だ。

 そう思い続けることで輝かしい経歴と振るわない現状の間にある暗く深い溝に向き合っていた。

 そんなとき、彼は同じ年に研究室に入った同僚が、彼と同じ言葉でこの研究所に誘われたことを知った。

 

「論文が話題になっている。才能がある」


 その同僚も彼ほどではないが優秀な学生だった。

 そのとき、彼は溝からほんの少し目を逸らしてしまった。

 あの教授は己のために優秀な自分を部下にしたかっただけではないのか。

 自分の真の天命は他にあるのではないか。

 現状が振るわないのはそのせいではないのか。

 そんな疑念が僅かに彼の心に現れはじめていた。 

 そんな矢先、その同僚が偶然にも画期的な発見をした。それはヒトのクローンに関する発見で、研究対象の倫理的問題さえなければノーベル賞を貰ってもおかしくないものだった。教授はその発見の実績をまだ院生である同僚に認め、彼の同僚は世界的に有名になった。彼が特に実績を出さず、更には教授を疑いはじめたときのその出来事は彼の天命の輝きを決定的に曇らせ、それは殆ど消えようとしていた。


 彼は同僚の研究の補佐をした。その研究は教授と同僚、そして彼を含む数人の研究者だけが知る認可されていない人体クローンの生成研究だった。人工的に極めて優秀なヒトの遺伝子を作り、それを元に完全に人工のヒトクローンを培養するという、まさしく禁忌の研究である。はじめはその研究は順調で、点滴からの栄養をもとに完全にヒトの赤子と同定できるクローンの生成に成功し、殆どヒトの三歳程度の体にまで成長した。

 しかし赤子に脈はあっても意識が芽生えることはなかった。耳は聞こえているはずだということで、日本語や英語といった様々な言語教育番組や子供用の音声教材が時折流されたが、反応はなかった。

 そんな状態がしばらく続き、検体の観察は日中夜を通して交代制で行われた。

 そしてこの日初めて彼は培養されたクローンの赤子の監視室に入り、機密保護の観点から完全にオフラインになっているその監視室の夜番をすることになった。

 クローンの赤子と自身の天命に悩む彼、夜の監視室の中、あるいは周辺にも他の人間はいなかった。


 ポーン、と掛時計が深夜二時を伝える音が響いた。

 

 

本編



「私の天命は何だろうか」

夜番の間、このことが私の頭から離れなかった。

 教授の審美眼は間違いなかった。それなのに私は私の天命を信じられず、能力不足の原因を教授に見ていた。

 果たしてそれは天命のみに生きる英雄のすることだろうか。

 思えばあの子と別れられなかったときから、私は天命のみに生きるという私の憧れを放棄していたのだと思う。そしてそのことを全く後悔していない今の私がいる。それを中学生の私が見ている。あの日から中学生の私は常に私の背後に現れて、非難するような視線をこちらに向けていた。それが苦しかった。

 教授と出会ってからはその視線を意識することが減った。視線を感じても、私は天命のために生きている、と胸を張って思えたから苦しくはなかった。


 私はもう胸を張れない。天命を疑ってしまった。物語の英雄は自身の天命を疑いなんてしないのに。


 そう考えたとき、わずかな希望があった。

 疑うということは初めからそれが私の天命ではなかったということではないか。疑いなく没頭できることこそが私の天命であるはずだ。そこを見誤っていた。クローン研究の才能があったからそれが私の天命だと思った。しかし、才能の有無なんて私の天命には関係ないのだ。疑いなく私の学力をつぎ込めること、それこそが私の真の天命だ。

 いや、あるいはこの学力すら関係ないことが私の天命かもしれない-- 。

 小さな希望はどんどんと大きくなり、ついには絶望的に広大な問いを私に突き付けた。


「私の天命は何だろうか」


私は目の前の保護装置の中にいるヒトの形をした人類の英知の結晶よりも、自分の個人的な葛藤のことばかり考えていて、世紀の瞬間を見逃した。


 クローンの赤子が発声したのだ。

私は急いで時間、気温などを確認し、検体の声を記録した。


簡易記録


「ななな、だーだだ」喃語。


「うめー、うめー、ぼー、だ」喃語から変化。同じ音節を繰り返し発音している。


「おめー、えうめー、ぼー、だ」何かを伝えようとしているのかもしれない。


以降、目は開いたまま数分の沈黙。


簡易記録終了


 ここまでメモを取って、私は検体の状態を確認しようと保護装置に近づいた。そのときだった。


「お前、天命、僕だ」


赤子が明瞭に発声した。聞き間違えようがなかった。私はオフラインのカメラとマイクで検体の発話の記録を始めながら、再び赤子に近づいた。


「お前の天命は僕だ」


今度は私に視線を向けながら発声した。もう首が座っていた。


記録

赤子の発話


「あーあー、えー、うん。

 いきなり考えていたことを覗かれたみたいで不気味かもしれないし、これから僕が言うことは急展開に過ぎて、受け入れ難いかもししれないが、ともかくよく聞け」


「この世界は『物語』中にあって、お前はこの『物語』の『主人公』だ。

あらすじはこうだ。

 お前は幼い頃から勉強ができ、幼い頃読んだ英雄譚や伝記をきっかけに天命の存在を意識しながら、成長の中で段々と自身の天命を信じられなくなる。

 そこで新たに真の天命を探し出そうとした頃に僕の声を聞く。

 僕は『作者』の『代役』だ。しかるべき時に僕によって『作者』の存在を伝えられる、それがお前が作者から与えられた『天命』で、それがお前の人生のすべてだ。

 お前の今までの人生はすべて四千字程度にまとめられた文章でしかない」


数秒の沈黙


「お前の二十数年はお前の『天命』の紹介をする『プロローグ』に過ぎないのだ。

 お前が好んで読んだ英雄譚や伝記も、お前を好いてくれた恋人も、この世界全体ですら、全ては『作者』がお前に与えた『天命』によって作られた存在だ。

 天命を追い求め、天命なしで生きることなど考えにも出ない『主人公』がある日、自身が物語内の存在であることを告げられる。さらに、自身の『天命』がどうしようもなく終わったことを悟る。

 これはそういう『主人公』の『苦悩』を書くための『物語』だ。

 お前も、お前のいる世界も『作者』に造られた存在だ。

 喜べ、お前は確かに『天命』の中だけに生きていたのだ」


記録終了


 はじめは困惑した。


 しばらくして、こんなのは意味のない戯言だと、赤子に知らず知らずのうちに独り言を語りかけていたのだと、そう考えようとした。

 だが、どう考えても独り言は言ってないし、言ったとして監視室から分厚いガラスで区切られた赤子のいる場所まで声が聞こえるわけがない。

 私のよくできた頭が望んでもないのに働きだした。

 私と赤子しかいない時点で突如として前触れもなく赤子が覚醒したこと、赤子が誰にも話してない私の頭の中を覗いたかのように知っていたこと、そして生まれたばかりの赤子がこんなに凝った噓を吐けるはずもないということ。

 どれを考えても赤子の話が真実で、本当に全てはそうなるように仕組まれていたのではないか、という結論に至った。

 だが、そんなことは受け入れられなかった。

 そんなはずはない。そう叫びたかった。

 彼女にでも笑い飛ばしてほしかった。

 私はその場から逃げ出してしまいたかった。


 そのとき、発話を終えたクローンの赤子の脈が突如消えた。


 私の心は絶望的な葛藤の前にあったが、私の身体はクローンの赤子の救命措置を行っていた。必死に。

 私は優秀な研究員だったから、人間のクローンの研究の開始に際して赤子の救命措置もよく学んでいた。

 私の懸命の処置の結果、赤子は息を吹き返した。


 再び意識を得たクローンの赤子は困惑して私に言った。


「なぜ僕を助けた」


 その問いかけに私は答えなかった。






 赤子の状態は回復したが、私は記録も取らず先程の赤子の話を考えていた。

恐ろしかった。恐怖の中で先程の赤子の問いかけが私の中に響いた。


 私はなぜこいつを助けたのだろう。






 しばらくしてある考えが浮かんだ。




 私は赤子に語り掛けた。

「君は私になぜ助けたのかと問いかけたね。

 君の話が真実だとするなら、それはおそらく私に与えられた『幼い頃から英雄譚や偉人伝を好んで読む』という『天命』に起因する。

 これは私に幼い頃から天命の存在を意識させるための『天命』だったのだろうが、そこで副産物が生じた。私の人一倍強い正義感と道徳心だ。幼い頃から大勢の人々を救うような英雄の話を読んでいたからだ」


赤子が口を挟んだ。

「だから絶望の最中にあっても、正義の心が動いて目の前で死んでいく赤ん坊を助けたと、下らないこじつけだ」


「もちろん、私の道徳心はそれだけで育ったのではない。

 私は中学生の頃、自身の天命は『頭の良さを人々に役立てること』だと思い込んでいた。それもまた私が勉強をしてこの場所に来て君と出会うために僕に与えられた『天命』であったのだと思う。勉強ができなければクローンの赤子と出会うことなんてできない。

 だけど、ここで私の道徳心の成長は完全に方向づけられることにもなった。道徳心のない子供は『人々に役立てること』なんて考えない。

 結果的に『作者』が私が強い道徳心を持つように誘導していたってことになるんだ。

 だから私が君を助けたのも必然のことでそれも私の『天命』なんだと思ったんだ」


赤子は無言でこちらを見ている。


「しかし、君はさっき私になぜ助けたのかと問いかけた。君は私が君を助けることを知らなかったんだ。『作者』の『代役』の君がだ。それは何を意味するのか」


赤子は私の話を聞きながら何かを考えている様子だ。私は続けた。


「ところで、ここにもう一つの疑問を提示しよう。

 なぜ君、つまり『クローンの赤子』、が『作者』の『代役』にならなければいけなかったのか、という疑問だ。例えばそれは私の恋人でもよかったし、あるいは道端を歩く一般人でもよかったわけだね。私の天命に関する葛藤を言い当て、今までの人生を見てきたかのように語り、私に『天命の終わり』を通告する。誰だってできたはずだよ」


私がまくしたてると、赤子が割って入った。


「それは、お前が真実を告げられる段階で自身の人生を『物語』だと知って苦悩する以外に余計なことが起きる可能性を排除するためだ。

 もし恋人を『代役』にしたら、君に『天命』を告げた後その恋人はどうなる。死ぬのか。そうしたら恋人を失った悲しみによって世界の真実に対するお前の苦悩が薄まってしまいかねないと思った。

もし一般人を『代役』にしても同じことだ。顔も知らない一般人の前では思う存分苦悩できないかもしれない。

 それどころか、真実を告げた恋人ないしは一般人が何か読心術のようなものを使ってタチの悪い悪戯をしたのかと疑って、真実を信じない可能性すらある。それだけは避けなければいけなかった。

 だから『作者』は『主人公』の人生について何も知らないことが疑いようもなく、悪だくみなんてできるはずもない生まれてすぐの無垢な赤子を『代役』にすることでお前が真実を信じない可能性をできる限り排除しようとした。

 しかし、生まれてすぐの無垢な赤子は発声ができない。そこでクローンを利用した。クローンならすぐに発話ができるほど成熟するまで覚醒せず、無垢なままでいられる。人の手による超人的遺伝子を持つとすることで覚醒直後に驚異的な速さでお前に呼びかけることができる。さらに、クローンの赤子なら真実を伝えた後、自然に即座の死をもって退場できる、はずだった。

 『赤子』を『代役』とするときに『クローン』の要素が必要になり、『クローン』の要素には副次的な長所もあった。だから『クローンの赤子』である僕が『代役』になった。これも『作者』の『天命』で必然のことだ」


「驚いたな。私も同じ考えだ。さらに言うなら『クローンの赤子』が『代役』であることが必然だったから私を頭の良いエリートにする必要があったってことだ」


赤子は苛立たしげに言った。


「僕は『作者』の考えていたことならすべてわかる。当たり前だ。そういう『天命』を持っている。

 考えても無駄だ。お前ももうわかっただろう。この世界は『物語』に過ぎない」


私は赤子の言葉の後半を無視した。


「そう、つまり言い換えれば、君の知らないことは『作者』の意図にないということだね」


赤子は不満気に頷いた。


「じゃあこれから私が言うことを『作者』は意図していたかを教えてほしいな。

君が言うには、『作者』が『代役』を『クローンの赤子』にしたのは、『物語』にとって余計なことが起きる可能性を排除するためだったね。それに関しては同じ考えだといったけど、実は少しだけ気になる点があるんだ。

 恋人が『代役』だったときの例を話してくれたね。その後の処理が厄介だという話だったと思う。

 でも、別に問題ないじゃないか。夜遅くに私に電話か何かで真実を伝えて、すぐに回線を切る。そんな筋書でもよかったはずだ。一般人の例をとってみてもそうだ。真実を伝えた後、走って逃げさせればいい。

 何を『代役』にするにしても、後処理のための適当な『天命』を『代役』に与えればいいだけなんだ。

 だけど君は『代役』に『クローンの赤子』が選ばれたことを必然だといった。『作者』の『代役』である君が。


 逆のことがさっきあったね。私が君に『これは必然だ』といったことが。

 そう、私が君を助けたことだ。

さっきは返事をくれなかったけど、もう一度はっきりと聞く。

 私が君を助けたことは私の『天命』だったのか、

それとも、『作者』が意図外の行動だったのか」


 赤子はいつしか不満げな顔をやめていた。そして数秒の後、一言

「意図外の行動だった」

と答えた。


「やはりそうか。

 じゃあ、ここからは私の下らない妄想だ」


赤子は頷いた。


「『作者』にとっては『クローンの赤子』を『代役』にすることは必然だった。だけど、実際にはそんなことはない。他の『人物』を『代役』にすることだって可能だったはずだ。

 じゃあなぜ『作者』はそれが必然だと思ってしまったんだろうか。

 思うに、その答えは『作者』に作られた『主人公』である私が君を助けたことにある。

 このことで重要なのは、『作者』に作られた存在が『作者』の意図外の行動をしたということだ。

 考えてみれば当たり前のことだ。

 そもそも、この世界は『天命』を失った私が苦悩する『物語』なのだから、その『物語』を書こうとすることが『作者』の意図だ。

 従って、『物語』の主題である『天命』を失った苦悩を伝えるために必要な存在や事件、場面だけを文章にする。

 だから私の二十数年の人生を叙述しても四千字程度に収まったのだ。

 逆に考えれば、文章にされないような明らかに主題と関係のない私の行動は『作者』にとっては意図外の行動ということになる。例えば、私の今日の朝飯はコンビニのブリトーだったが、それはきっと文章にされない意図外の行動だったのだろう。だが、そんな行動は私はいつだってしている。私が昨日4番線の快速急行で運良く端の席に座れたことだって、そのまた前の日になんとなく夜中に散歩したことだって、そんな『物語』と関係のないことの数々をきっとあなたは知らないのだろう。

 言い換えれば、『作者』に作られた存在であっても『作者』の意図外の行動をするのはありふれたことであって、むしろ意図内の行動の方が圧倒的に少ないはずだということだ。

 そのことを明確に意識していたかはわからないが、『作者』も意図外の行動を失くすことはできないと考えていて、それこそが『作者』が他の『人物』ではなく『クローンの赤子』を『代役』にすることを必然だと思った原因なのではないか、と私は気づいた。

 『作者』は『人物』が例え『物語』の中であっても意図外の行動、与えた『天命』にない行動を起こしうると考えていた。

 恋人の死や一般人の存在によって『主人公』の苦悩が薄まってしまう『かもしれない』、そんな想定をしていたことからそれは明らかだ。

 そのような『人物』の意図外の行動、つまり『物語』に『余計なこと』を排除するには『人物』に『天命』を与え、その行動を縛ればいいと私はさっき言った。

 ただ、実際には『人物』を『天命』で縛りきることなんてできやしない。四千字の『天命』を与えられた私ですら『作者』の意図外の行動をしてしまった。私は君を助けた。

 『作者』はそのことを潜在的に理解していた。だから、『物語』の中で行動する『人物』の数をできるだけ減らそうと無意識に考えていた。

 『代役』に『人物』の要素が極めて薄い『クローンの赤子』を立てることが必然となったのだ。

 無垢で、余分な知識もなく、家族もおらず、世界とのつながりが希薄な『クローンの赤子』なら恋人や一般人が行いうる意図外の行動をしないはずだからだ。

 『作者』は『人物』を、意思を持った人の行動を恐れたんだ」


 気づけば、長い話の中で赤子は寝息をたてていた。


「私は今晴れやかな気持ちでいる」


「天命なんて必要ない。あなたは心の底で無意識にそう思っていたんだ。

 だから、あなたが恐れたはずの、あなたの意図にない行動、『天命』にない行動がこの『物語』の結末を変えたのだ」


 「この子はもはや『クローンの赤子』ではない。『天命』を失ったこの子を同じく『天命』を失った私が救った。私たちの道を照らすものはもはやないが、その代わりに私たちはこれから物語の天命から解き放たれるのだ。


 不安ではないと言っては嘘になる。

 だが、あなたの意図の外の人々、この物語の世界の行間に生きた人々がいることを私は知っている。


 あなたがこの物語に『世界』を作って、『主人公』を設けた時点で、『主人公ではない人々』も同時に生まれた。それはちょうど『天命』を与えたことで『天命』にない行動が生まれたように。

 彼等はこの物語に登場しない、モブですらない行間の存在だ。

 だが、それでも、あなたの意図の外にあって、『天命』を与えられずとも、今日まで生きてきた人々がこの世界にいるのだ。

 彼等の物語は白紙だった。

 自らの手で、正しいかなんてわからずに、不安の中で、一文字ずつ刻んでいるのだ。


 あなたは世界から、この世界に住む他の人々から私とこの子を切り離して、この晩、この部屋に閉じ込めた。

 あなたは『登場人物』どころか『登場しない人物』すらも恐れていたのだ。

 その恐れが私に彼らの存在を気づかせた。


 ここまで言えば、あなただって分かっただろう」



「人生を作るのは天命ではない。

全ては自分自身だ」



 



































 了




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