死刑論

村野一太

死刑論

 ○×中学校の昼休みのことだ。

「ダッダッダッダッダッダッダッダッダッ」

 たったったっ。

 はあ、はあ、はあ。

 ひゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅう、ボーンッ!!

「くそっ」

 佐々木は一旦教室内に飛び込み、肩で息をつき、呼吸を整えた。

「本部、どうぞ。チー」

「コチラ本部、どうぞ。チ―」

「ただいま、三階、一年三組の教室にいる。武装勢力タンバリンの戦闘員三名は、一年一組の教室を占拠中、どうぞ。チー」

 佐々木は教室の扉から右の目玉だけ出し、敵の動向を探った。

「タンバリン、機関銃と手榴弾を持っている、どうぞ、チー」

 銃声は鳴りやんでいる。佐々木は今のうちに男子トイレまで進みたかった。

 呼吸を整え、機関銃を持ち直し、今だッ、と床を蹴ろうとした時だ。

「佐々木、佐々木、うるさいッ!」

 佐々木が銃口と一緒に振り返ると、そこには、篠崎君がメガネを光らせて立っていた。

「何やってんだッ、うるさいッ!」

「なにって、見りゃわかんだろッ、闘ってんだよッ!」

「そんな子供の遊び、外でやるんだッ」

 校庭には五月の雨が黄土色の水たまりを無数に作っていた。篠崎君は、こんなに蒸し暑いのに、学ランのホックまでピシャリと閉めきっていたが、真っ赤になった首筋は隠れきっていない。

 佐々木は箒の柄の先を、とりあえず、篠崎君の顔面からそらした。

 篠崎君の鼻の穴が広がっていた。

「キミ、明日、何の日か知っているのか?」

「明日?あー、部活、休みらしいな」

「馬鹿だ、キミは……、明日は、中間テストの日なんだッ。見てみろッ、みんな勉強してるだろッ」

 学級委員長に立候補して落ちた、普段は無口な篠崎君。佐々木とは小学校が違ったのでまだ一か月半の付き合いだが、二人を結びつける共通項は、男、という以外に見いだせていなかった。

「いいか、中学最初のテストで人生が決まるんだぞッ」

 篠崎君の目が釣り上がっていた。しゃべり慣れていないからか、それともキレているからか、口角がギシギシとこわばっていた。そのこわばりが、何をしでかすかわからない迫力を作り出していた。佐々木が「落選者、落選者」とチンパンジーのように騒いでも、いつもは冷静な篠崎君だが、この日の篠崎君はなにかが違った。

「テストの点なんかで人生が決まるわけねーだろ」

 佐々木は、女子の目線もあるのでひるまなかった。右手には機関銃を握ったままだ。

「決まるんだよ、それが。キミは馬鹿だからいいけど、僕の場合は、東大に入るか、死ぬか、二択しかないんだ」

 トーダイ……、佐々木は何のことかわからなかったが、知ったかぶりをした。

「なんでトーダイに入んなきゃ死んじゃうんだ?」

 佐々木の無邪気な質問に篠崎君の鼻の穴がしぼんでいった。

「だから、つまり、その……、生きる意味が……、消滅してしまうんだ」

「ふーん。ショーメツ、ねえ……、よくわからないけど……、篠崎君は、死んじゃうのか……」

 佐々木の頭は混乱した。トーダイというところに入れなかったら死ぬ、それはタンバリン政権の世界でしか起こりえない話ではなかったのか。一見平和を装っているここ日本においてもそんなにも惨いシステムがぬめぬめとうごめいているのか。

「おいッ、なにやってんだよ」

 佐々木が振り返ると、吉田が大粒の汗つぶを垂らしながら教室の入口にいた。先ほどハンドサインで、トイレに入れ、と命令したところだったのを佐々木は思い出した。吉田のピチピチの体操着からチョリソーのような肉が四本飛び出していた。

「おい、吉田、トーダイ、って知ってるか?」

「知らねえ、喰いもん、それ?」

「馬鹿か、トーダイは喰うもんじゃなくて、入るもんだぞ、オマエ、ははは」

 篠崎君は、彼らと話すことは何もない、と知りつつ、なぜか問題集が積まれている机にもどれなかった。

「なあ、篠崎君、トーダイに入れなかったら、殺されるんだよな。らしいぞ、吉田。そんでもってだな、中学最初のテストで、その、死刑かどうかが決まるんだってよ、おもしれーだろ」

「えー、わかんねえよ、オイラはムズカシイことはわかんないよ、それより、続きやろうぜ、タンバリンの奴等、もう二組まで占領したぞ」

「なんでわかんねえんだよ、いいか、吉田。明日のテストの結果次第では死刑なんだぞ、一応、知っておいた方がいいぞ。死ぬんだからな」

 吉田は首に巻いているタオルで脂っこい顔面を拭うが、汗は次から次へと噴き出していた。

「バーンッ」

「ウッ」

 吉田が撃たれた。

 吉田は右肩を抑えたまま、勉強中の女子生徒の裏に隠れた。

「だ、大丈夫か、吉田?」

 佐々木は何発かタンバリンの戦闘員に打ち込んだが、一発も命中しなかった。吉田の顔面はあぶら汗で光っていた。

「大丈夫だ、弾は貫通したようだ。おい、オマエ、あと何個手榴弾持ってる、オレに二個くれ、ちくしょー、二組の中にぶち込んでやるッ」

「待て」

 しゃがみ込んだ佐々木と吉田が顔をあげると、そこには篠崎君がいた。先生の百センチの茶色いモノサシを持っていた。

「アイツらは僕に任せてくれ。僕は狙撃用ライフルを持っている。スコープとサイレンサー搭載だ。女子トイレは二組の教室の真ん前だ。そこから奴等を仕留めてみる」

「…………」

「…………」

「キミたちは、僕が廊下を横切るときに援護射撃をしてくれ、たのむ」

「…………」

「…………」

「時間がない。トランシーバーを一つ貸してくれ」

 佐々木は、ポカンとしたまま、トランシーバーを篠崎君に投げて渡した。篠崎君はそれを両手で受け取ると学ランを床に脱ぎ捨てた。そして、パリッとしたワイシャツの第一ボタンをはずした。そして、緑色のハンカチを頭に巻きつけた。

 篠崎君は緊張した顔で、こくりと、二人に頷くと、ライフルを抱えたまま、中腰で、女子トイレに走っていった。

「ダッダッダッダッダッダッダッダッダッ」

「ダッダッダッダッダッダッダッダッダッ」

 篠崎君の背中を見ながら、佐々木と吉田は撃ちまくった。弾はきれない。そういうものなのだ。

 篠崎君は肩から女子トイレのドアにぶつかっていき、中へ転がりこんだ。

「よし、いいぞ、いいぞ」

 佐々木は乾いた唇を舐めた。

 女子トイレのドアが少しだけ開き、その隙間から、茶色の銃口がぬくっと現れた。

「よし、いいぞ、いいぞ」

 気付くと、篠崎君のプランCを観戦しているのは、佐々木と吉田だけではなかった。一年三組、みんなが勉強を放り出して、観戦している。

「プシューん」

 静かだが、大きな声が廊下に響いた。

「え、あー、そうなの、あいつ、そうなの……、ウッ」

 二組の入口から、タンバリンの戦闘員が一人廊下に転がった。出血はない。ただ、すでに死んでいることは明らかだった。

「プシューん」

「ウッ」

 もう一人転がった。

「よし、行け行け、あと一人だッ」

 一年三組の教室内の時は停まり、音も消えた。

 その時だ……

 キーンコーンカーンコーン……

 五時限目を告げるチャイムが、ずっしりと鳴り響いた。それは、現実と理想とを明確に引き裂いた。

 どちらが現実でどちらが理想なのか、佐々木にはわからない。

 しかし、女子トイレのドアが開き、女子生徒が出てくるのを見た時、佐々木は連帯責任で「死刑」になることを、本能的に、悟ったのであった。

 窓の外は五月の雨が降り続いていた。

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死刑論 村野一太 @muranoichita

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