第55話 序曲

 東通用門を抜けて関係者居住区画に入ると、直ぐに南北に警備隊宿舎がある。警備隊舎はその一角だ。


「俺とフレディはこれから事情聴取です。状況説明をすれば済むとは思いますが、レイモンドは?」

「僕は実際に捕物をした訳じゃないし、この後は昨日話した通りだよ」


 言いながら流した視線の先にあるのは郵便局。警備隊舎の正面にあって、局の前には何台かの郵便馬車メールコーチが並んでいる。


「今から離宮へ? もう四時を回ってますよ」

「馬で行けば門限には戻れるさ。何も皇女殿下に会おうって訳じゃない。ユーイン兄さんに会って話を聞くだけだから、向こうで待たされることもないと思う」

「なら気を付けて。秋の陽は落ちるのが早いですから」


 門限までに戻る場合、外出許可は簡単に下りる。馬は管轄林の厩舎から貸し出して貰うことが可能だ。

 レイモンドは馬上の人となって居住区の北門へ去って行った。

 少し不安だな。レイモンドが離宮へ出向くことは予定していたことだが、あのスパイがどんな情報を握っているか分からない内に行かせてしまってよかったのか……。


「おい、ケネス。そろそろ始まるみてーだぞ」

「ああ、今行く」


 どうやら簀巻きにした女の体に北のスパイを示す刺青が確認されたようだ。

 俺たちは隣室で取り調べに立ち会い、経緯について説明することになる。とは言っても昨日今日巻き込まれた俺が知ることは少ない。大方はフレディが話すだろう。余り長引かないでくれるといいんだが。




 ***




 持てるだけの情報を吐き出すと、チャロの飄々とした面持ちもスニーの落ち着いた物腰も一気に吹き飛んで、使用人部屋は一種、異様な雰囲気に包まれた。


交感邪霊ドッペルゲンガー? しかも二体? それを倒して来たって?」

「そう言ったでしょ! とにかくダルシーさんが行方不明! そうなると今小宮殿にいるナディーン様も偽物かもしれなくて、離宮ではきっと何かか起こってる。どこから手を付けたらいい? 何でもいいから急がないと」

「よし分かった、とにかく落ち着け。おい、スニー」


 部屋にたむろしていた風精霊シルフィードたちを送り出して、スニーは閉じた窓に鍵を掛けた。


「そのドッペルゲンガーはガラテアの言う通り、使用人を石にした何者かが残して行ったものでしょうね」


 曰くドッペルゲンガーは悪意の塊りで、誰かの振りをして歩き回り、人と人を負の感情で繋げて騒ぎを広げて行くと言う。じっとしてることはないんだと。


「それが大人しく部屋に籠っていた時点で、より上位の存在に従っていたことは明らかよ」

「ならサイモンさんの見た青い髪の魔女がそうだ」

「そうね」

「だけどそいつは魔女じゃない」


 チャロはスニーの肯定をひっくり返して続けた。いつになく真剣な表情かおをしてる。


「魔女は邪霊を使ったりしない。やっつけるだけさ。ドッペルゲンガーはバンダースナッチよりも遥かに手の焼ける邪霊だ。そんなのを使役できるヤツは限られてる。背後に潜んでるのは間違いなく魔女邪霊ハグだ」

「はぐ?」

「ハグは精霊を捩じる。捩じって裏返せば邪霊が生まれる。ハグに生み出された邪霊は自然とハグに従うようになるんだ」


 魔女邪霊ハグの存在を私は初めて聞かされた。魔女の天敵で魔女を付け狙う妖変。魔女を排除した後はその土地の人間にも被害を撒き散らすと言う。

 スニーの顔も強張ったところを見ると、どうも本当にまずい相手みたい。


「ハグってのは世間に紛れ込んで簡単には見分けがつかない」

「風の噂を幾ら浚っても梨のつぶてだったのはそのせいね。でもハグだと分かれば切り捨てた噂にも意味のある物が出て来るわ」


 スニーはそこら中に散乱してるメモの中から幾つかを摘まみ取った。


「例えば貴女がゴルフ場で影芝居シャレードを使ったことや、精霊塔に入ったことも風精霊シルフィードたちは噂レベルで把握してた。誰かが精霊塔でスパイを殺して、その誰かが何度となくアカデミーを出入りしていたことも」

「誰かって?」

「精霊塔を調べたて見たけど分からない。噂を分析した限りでは魔法を移動手段にしていたようね。空を飛んだり、突然出没したり。それがどうやら複数なのよ」


 的が絞れない、とスニーは眉根を寄せた。けれど私には思い当たる節があった。


「ねぇ、ウッドチップの話に出て来たスニーの仲間。狐火の幻影だっけ? その人たちに青い髪の人はいた?」

「いいえ、パレ団長もスリルも髪は青くないわ」

「そこ。サイモンさんは青い髪の誰かに石に変えられた。ウッドチップの魔女とは別人!」

「なるほど。そういうことね。なら私の仲間は青い髪のハグを追っていたんだと思う」


 仲間への疑念が晴れたからか、スニーの表情は明るくなった。けれどその隣りでチャロは小首を傾げる。


「ハグを単独で追うなんて危なっかしい真似、何か理由がなきゃしないけどなー」

「そうなの?」

「ソロでハグを倒せるのなんてかーちゃんくらいだぞ? でもそのことは今はいーや。ついさっき風精霊シルフィードから聞いたんだけど、警備隊がスパイを拘束したってさー。だから今から様子を見に行こう。メクセラに言えば上手いこと割り込ませてくれるかも」


 スパイが捕まった? それって、ひょっとしてフレディが関わって……。

 チャロとスニーはジト目を四つ、奇麗に揃えて私を見た。


「フレディ・カーブラックのお手柄だよなー。やんややんや」

「あれだけ巻き込むなって言っておいたのに、誰かさんと来たら」

「今はそれどころじゃないでしょ! それに結果オーライじゃない! とにかく急ごう」




 ***




 交感邪霊ドッペルゲンガーがまた倒された。

 昨日はダルシー・ハイペリオンを追わせた一体。今日はそのダルシーの不在をカムフラージュする為に残して来た二体。


「私の計画を誰かが食い破ろうとしている……」


 ダルシー・ハイペリオンはどうやって追手を――。まさか外套の魔女ハイドインシャドーが生きていたなんてことが?

 いいえ、そうは思わない。スリルには致命傷を与えたし、外套ワンドも確実に焼き捨てた。つまりダルシー自身にドッペルゲンガーを倒すだけの力があったということ。


「まさかの展開になって来たわね」


 それにしても部屋に残して来た二体は誰が? 戻ったダルシーが自ら?

 さすがにそこまでの力はないと思いたい。それに、彼女が戻れば離宮の状況は明るみに出て、アカデミーは騒然となるはず。そうなっていないのは、ダルシーがまだどこかを彷徨っている証拠よ。


「ご主人様」

「今忙しいのよ、後にして頂戴」


 側仕えの光精邪霊ウィルオウィスプがそれでも離れず辺りを舞う。


「いいわ、何事なの?」

風精邪霊モスマンからです。王国暗部の者が警備隊に捕まったと」

「捕まった? こっちは地下の鼠一匹すら捕まえられずにいるって言うのに?」

「…………。それで風精邪霊モスマンが――」

「黙って! いいから、おまえは奥殿へ行ってコーディリアを見張りなさい。風精邪霊モスマンとは私が直接話すわ」


 まったく次から次へと。着々と進んでいた準備が見る間に崩れてしまいそう。


「アカデミーへ行くわ。鉱石邪霊ゴルゴーンに言って見張りを強化させなさい。誰が来ても魔女以外なら招き入れて交感邪霊ドッペルゲンガーと挿げ替えること」

「魔女が来たら?」

「聞くまでもないことでしょう。速やかに始末なさい」

「承知しました」


 魔女の日の夜会を待っていたのでは間に合わないかもしれない。その場合、前倒しするとして、ガラテアをどうするか。上手いこと離宮に誘き寄せることができるかしら?

 ガラテアがコーディリアを殺害した事実さえ広まれば、それだけで目的は達せられる。その他諸々、人目を引く為の演出はこの際捨ててしまって構わない。

 けれどガラテアの側には絵筆の魔女カトゥーンナイツ煙管の魔女スモーキースプーキーがいる。更には蛇紋石の魔女ラトルスネークシェイクも連携の輪に加わっていると見た方がいいわね。

 中でも絵筆の魔女カトゥーンナイツが手強い。戦わないという不屈の信念が、彼女を影のように捉え難き者にしてしまっている。こちらから出て行って逃がしたとなれば、次に来るのは魔女の大軍団。チャロが警鐘を鳴らせばステラが乗り出して来る可能性すらあるわ。


天空飛翔フライハイ――」


 中庭から舞い上がって日の傾いた空へ。アカデミーまでは直線距離で五キロ。高度を取れば離宮からでも天文台の影か見える。


「ナディーン・カーブラックを餌にどうにかガラテアを釣り上げましょう」


 方法はあるわ。

 王国暗部の小班は計画初期から私の魔法で骨抜き。適当に口を割らせて離宮に引き込む流れを作ればいい。

 警備隊が動こくことは構わない。寧ろ現場に居合わせてくれた方が、噂でなく事実として即座に事件が広まってくれる。

 さあ、今から仕切り直しよ。




 ***




 魔女邪霊ハグが出たんですって。

 団長が名だたる魔女たちを指名してカルデネに送り込んだけど、どうして私にはお呼びがかからないの? 失礼しちゃうじゃない。


「団長ー。ちょっと直談判に来たんですけどー。って、どこ行ったのよ。お出かけならお出かけの札を下げといてよね」


 相変わらず雑然としてカオスな団長の仕事部屋。いっつもパナイースと二人でいるのに、どこへ行っちゃったのかしら?


 パラパラパラ――。


 ? 書斎机の上で本が捲れてる。


「何だ、魔女の日記帳か。びっくりさせて。どれどれ――」


 ああ、これは団長がチャロたちとやり取りしてる日記帳ね。奇麗な字だから今書き込んでるのはスニーだわ。

 ふむふむ。北のスパイが捕まって? 

 ほうほう、交感邪霊ドッペルゲンガーが出たのねー。

 …………。


「えっ!? ドッペルゲンガーが出たの? アカデミーに?」


 随分とまたコワモテなのが出たじゃないの。

 そう言えば以前は憤怒邪霊バンダースナッチが出たなんて話もあったみたいだし、近頃のアカデミーは過激傾向にあるみたいね。


「にしてもスニーったらまだ書き込んでる。長いわねぇ。もっと簡潔に書きっ、くけっ、こぉぉぉおっおっおっ!!?」


 凄いこと書いてあるぅぅ!

 ハグゥ!!? はい? アカデミーにもハグが出たの? え、読み間違いじゃないわよね?


「待って待って。マジで書いてあるんですけど。……ん? これってまだ確認した訳じゃないのね。状況からしてそうってことか。なら早いとこ団長に――」


 ……待って。ひょっとしてこれって私の出番じゃない?

 ぽいわよね?

 ぽくない?

 みんなカルデネ方面のハグにかかりっきりだし、そこに私が指名されなかった事実は限りなく不当。よってアカデミー方面のハグ疑惑に関して、私が事実の裏付けに当たることに文句なんか言わせない。寧ろ妥当でありそうするべきだわ。


「おけ、任せて。このルルー様がキッスの魔法で根こそぎ解決! ウルトラハッピー、ラッキガール! うっふふ!」


 そうと決まったらレッツゴー。


 ガチャ、ドン――。


口紅の魔女キスキスマシーン? 団長の部屋で何やってんの?」

「ん? ナンデモナイヨー?」


 部屋を出た途端、魔女さんと魔女さんがこっつんこ。


「ロザリンドこそ何しに来たのよ? 団長ならいないわよ」

「そう。塔で作ってた精霊石の卸先が決まったから、その報告に来たんだけど、いないなら出直すか」


 そう言えば団長の冗談を真に受けて何年も塔に籠ってたって話だったわ。団長も団長ならロザリンドもロザリンドよ。ホントおバカさん。


「それで、どこに決まったの?」

「精霊鉄道。全部引き取ってくれるって。あそこは大量に消費するから」

「へぇー、よかったじゃない。じゃあ私はこれで」

「あ、ちょっと」


 ぎくっ。


「ナニカシラー?」

「その小脇に抱えてるの、魔女の日記帳でしょ? どうしてあんたが?」

「チガウチガウ、これはね? そのー、そう! 団長に取って来てって頼まれたの。そーゆー訳でごめん、悪いけど私急いでるからー!」


 あっぶぶ! 思い立った次の瞬間にバレるところだったじゃない!

 でも切り抜けた。それって天が私に味方したってことよね。汝、成すべきを成せ。そう言って追い風を吹かしてくれているんだわ。

 あー、もうアカデミー行くの超、超、超楽しみー!

 若い子が大勢いて、誰も彼も選り取り見取りだわぁ。

 私の魅力にメロメロになっちゃう男子が続出ね。魅惑のキッスでルルー旋風を巻き起こしちゃうわよー! しーゆー!




 ***




 目が覚めると太陽は既に中天を過ぎようとしていた。

 地面に転がったせいで体の節々は痛かったけど、滾々こんこんと眠った分、体力は回復したみたい。とは言え食うや食わず。水は氷を溶かせばいいけれど、秋だからと齧った木の実はまだ渋かったわ。


「ダルシー、森が終わるよー」

「本当に? 道は?」


 何時間か歩いて今は夕方。まばらになった木々の向こうに段々と麦畑が見えて来たわ。ここまで来れば街道も間近。障害物のない道なら氷床滑走ロウフリクションを使えるから、アカデミーには陽のある内に着けそうね。

 黄金色の麦を掻き分けて行くと、少し先に盛り土をした道が見えて来たわ。


「やったわヌーラ! これでアカデミーに帰れる」

「ダルシー、向こうから何か来てるー」

「えっ!?」


 まさかまた追手?

 思わず身を固くしたけれど、そうじゃなかった。耳に捉えたのはアカデミー方面からやって来る蹄の音。


「走るわよ」


 助かった。という思いもそうだけれど、同時にこのまま行かせてはならないとの焦りも生じて、何度ももつれそうになる足を叱咤したわ。

 あの騎馬を何も知らないまま離宮へ行かせてはいけない。その為には駒の前に出て止めなくては――。


「ダメダメ! ダルシー、今飛び出したら――」


 畑を飛び出し、荒い息のまま街道に駆け上がると、迫る駒影が真横から覆い被さって来た。


「ホーッ、ホーッ! 止まれっ」


 騎手が手綱を引いて馬は竿立ち。それでも勢いを殺しきれず、後ろ足で斜めにたたら・・・を踏んで、横倒しになった。

 騎手は硬い地面に投げ出されて、弾んだ体が偶然にも立ち上がる。


「貴方、大丈夫?」


 駆け寄ろうとしたら転倒した馬が立ち上がって、興奮したまま走り去っていったわ。騎手の方は二度三度と頭を振っていたけど、怪我らしい怪我はしていないみたい。


「貴方、レイモンド?」

「何? そういう君は……、ダルシー。ダルシー・ハイペリオンか。どうしてこんな場所に君が。風邪で休んでいたんじゃなかったのか?」


 言いながらもフラつく彼を一先ず道の脇に座らせた。こっちは頭から爪先まで泥を被ったような状態だから、今更地ベタでも気にしないわ。


「レイモンド。貴方離宮へ向かっていたの? 何故?」

「ユーイン兄さんに会いに――。いや、実の兄ではなくて親戚なんだが、今アカデミーで北のスパイが問題になっていて、その件で離宮にも問題が飛び火していないかと、話を聞きに行くところだった」


 スパイ? アカデミーでも騒ぎが起きているということ?

 だとしても離宮で起きている事態よりはましでしょうね。


「今は離宮に行ってはダメ。戻るわよ」

「どうしてだい?」

「どうしても何も、私は離宮から逃げ帰って来たのよ! 見なさいよこの格好を。水路から抜け出して、追手はかかるし道には迷うしっ、……ようやくっ」

「ああ、ダルシー。もう大丈夫だ。君が言うなら離宮は危険なんだろう。僕と一緒にアカデミーへ戻ろう」


 相手は北部貴族なのに、震える肩を抱かれると安堵の涙が止まらなかった。


「馬は行ってしまった。歩きになるけど大丈夫かい? 背負おうか?」

「ん……。もう平気よ。自分の足で歩けるわ」

「そうか。一つ聞くけど、ミランダ様とナディーンはアカデミーにいて、君は風邪で休んでることになってる。一体どういう訳なんだ?」

「偽物よ。二人は姿を奪われたの。私はどうにか逃げたから、それで風邪だなんて嘘で誤魔化したんでしょうね」


 二人を置き去りにした。仕方なかったとは言え、スリルの命を奪ったハグの下に残して来てしまった。


「よし、詳しい事情は戻ってから聞こう。さあ――」


 レイモンドの手を取って立ち上がると、夕闇の空が茜色から紫に移ろい始めていた。振り返れば西の果て、離宮の遥か先に沈み行く太陽。

 ナディーンのことを知ればガラテアは必ず離宮へ乗り込む。その時は私も一緒に責任を果たす。

 逃げやしないわ。待っていなさい。

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