一分後に息が切れる僕の走馬灯

月瀬るい

走馬灯

――ゴポッ

気づけば僕は海の中へと引き込まれていた。


 なんてことだ。六年前までは水泳部のエースだった僕が溺れて死にそうなんて。もう見なれた水の中で必死に空へと手を伸ばす。


 そんな抵抗も虚しく体はどんどんと沈み続ける。傷心旅行のため一人バイクで海が見える崖に来て、足を滑らせるなんて。ダサすぎる。こんなことなら、崖のギリギリで写真なんて撮るんじゃなかった。急に落ちたもんだから息も一分ほどしか持たないだろう。その間に誰かが助けに来るなんて奇跡が起きないだろうか。

 まぁないだろうな。ここの辺りは人も居なきゃ家もない。そのおかげで海は綺麗に透き通っていて、空がくっきりだ。僕の吐いた息の泡がシャボン玉のように見えた。


 こんな綺麗な海で死ねるなら幸せなのかもしれない。どうせ僕の死を悲しんでくれる人は居ないのだから。


 あぁ、まずい視界が霞んできた。その時、僕の頭の中に今までの記憶がすごい速さで流れてきたのだ。

 これは走馬灯というものだろうか。走馬灯とは死を回避する為の方法を過去の出来事から探し出すための現象と聞いたことがある。あるのか、僕の今までにこの状況から脱する手段が。自分で言うのもあれだが、僕の人生にそんなものがあるとは思えない。


 今にも死にそうな水の中で、人生を振り返ることになるなんて――


「やだぁぁ、こわぃこわいよ」


 僕が初めて海に触れたのは四歳の頃だった。半強制的に父に抱っこされ海に浸かった。あの頃は波が自分を飲み込んで連れ去ってしまうのではないかと本気で思っていた。


「ぼくのゆめは、すいえいせんしゅになってオリンピックにでることです!」


 スイミングスクールに通い始め、夢ができたのは五歳。スイミングスクールの先生がとにかくイケメンでチラシを見た母が直ぐに電話していた。この時は、泳ぐことよりも母との帰り道に買ってもらうジュースが楽しみだった気がする。


「ぼくとけっこんしよー!」


 僕の初めての彼女は隣の席の女の子。二つ結びが印象的な小さな子。小学校低学年にして結婚を願う彼女が居たなんて。その子とはいつの間にか別れていたようで、小学生にして自然消滅を経験した。まぁ、小学生なんてそんなものか。


「おとうと!」


 僕が七歳となると年の離れた弟が出来た。小さい頃はずっと一緒にいるほど仲が良かったのに、いつからか喧嘩ばかりするようになった。その原因は、運動も勉強も人並み以上にできた僕が運動も勉強も下の上ほどの弟をどこか見下していたからだと今になって思う。


「僕、水泳部に入りたい」


 中学に入り、僕はスイミングスクールを辞め水泳部に入部した。同級生とは頭一つ抜けた存在だったが、部活で一番速い先輩には追いつくことが出来なかった。


「うっさい。部屋入ってこないで」


 十三歳の僕は絶賛反抗期に入っていた。暴言を吐くのは当たり前で母の作ってくれた料理には手をつけず、父が出かけようと誘ってくれたのもひたすら無視をしていた。弟とはいつも通り喧嘩ばかり。この時の僕は本当にクソ野郎だと思う。


「っよっしゃぁぁぁぁ!」


 中学時代に多くの大会でメダルを取っていた僕はスポーツ推薦で高校に入学した。流石は水泳強豪校。同級生にも先輩にも凄い実力の人がゴロゴロといた。その中で行われた新人大会。僕は練習で一度も勝てなかったライバルを抜き、見事金メダルを手にした。あの時は、勉強、遊び、彼女、全てを捨てひたすらに水泳に打ち込んでいた。


「ーーえっ」


 十七歳の夏、僕は練習中、左足に大怪我をおった。手術をして成功したら再び水泳が出来るだろう、が成功確率は二十%。もし、失敗したら歩くのも困難になる。病院でそう言われた時僕は頭が真っ白になった。そして悩んだ。泳ぎたい。片足を失うリスクを伴うほどか。夢を叶えていない。歩けなくなってもいいのか。そして、僕が選んだ道は"手術しない"。それを選んだおかげで激しい運動は出来ないが歩くことは普通にできている。


「今日はオールで遊ぼう〜」


 泳げず、他の人の泳ぎを見るだけというのに耐えられなかった僕は水泳部を退部した。そこからは堕落しまくった生活。彼女は取っかえ引っ変え、朝帰りも当たり前。煙草や酒にも手を出していた。


「好きです。付き合って下さい」


 高校卒業後、大学に行かなかった僕は一人暮らしをしながら製造業をしていた。大好きだった海から遠く離れた地域、そこで出会った女性に僕は一目惚れをした。その女性は見た目だけではなく内面も美しく、僕が困った時は毎回相談にのってくれた。ドキドキしながら電話番号を入力して、恐る恐るコールする。顔を見て告白する勇気の無かったヘタレの僕は電話越しに想いを伝え、見事両思いになった。今考えればこの頃が一番青春をしていたのかもしれない。


「言うべきだろうか」


 彼女と付き合い始めてから三年。結婚を視野に入れ始めた頃僕は電話の前で頭を抱えていた。堕落しまくった高校時代から口を聞いていない家族に結婚したいと思える人に会えましたと報告すべきなのか。両親に愛想を尽かされたとは思っていない。僕が引っ越す際もひたすらに心配してくれて、僕の車が見えなくなるまで手を振ってくれていたことも知っている。変なプライドが電話をかけることの邪魔をする。電話を出来なかった僕は弱虫だ。


「……そっか」


 別れは突然だった。結婚指輪も予約して、どうプロポーズをしようか悩んでいた時に彼女から好きな人が出来たと言われた。そう彼女は言ったが恐らく僕との進展のない関係に嫌気がさしたのであろう。最後の最後まで優しい彼女。あんなに大好きな人だったのに僕はそれをすんなりと受け入れてしまった。それはどこか彼女の人生を背負う心構えが出来ていなかったからだろう。彼女が家から出ていった後に頷いてしまったことを後悔しても後の祭り。声を出さずに僕は泣いていた。


「なんでここなんだろ」


 そして今日。僕は傷心旅行としてここに来た。ここに来たのは初めてだが見たのは初めてでは無かった。母、父、弟、元カノ、みんな揃って好きだった一本の映画。家族全員で見たり、弟とポップコーンをつまみながら見たり、元カノと一本のイヤホンでスマホから見たりと何回見たのか分からない。その映画の中盤で出てくる崖の撮影場所がここなのだ。あの時、僕は映画の主人公の気分だった。写った人は過去にタイムスリップできるという魔法のカメラを使って冒険をする主人公。そんな主人公が初めてカメラを使った場所で写真を撮ったら僕も過去に行けるのだろうかと願った――


 ――ッカハ

 何分ほど走馬灯を見ていたのか。体感だと長く感じられたが実際は一分にも満たないのであろう。


 あぁ、僕はなんて男だろう。クズでどうしようもない。走馬灯を見て後悔するなんて。


 僕の死を悲しんでくれる人は居ない?何を言ってる。どんなに道が反れたって見ててくれた、支えてくれた人達がいるだろう。


 もしあの時僕が手術をしていたら。拗ねくれず他の選手のサポートをしていたら。今ほど過去に戻りたいと思うことは無かった。


 両親にありがとうと言ってない。弟にごめんと言ってない。元カノにもう一度やり直したいと言ってない。夢を叶えていない。涙が出ているのかいないのか分からない状況で僕は泣いた。


 走馬灯を見たんだ、助かる方法が見つかったかもしれない、微かに残る力で空へと手を伸ばす。


 頼む。俺にはまだやることがある。言わなくちゃいけないことがある。まだ死にたくない。まだ生きないと。届け。体よ浮いてくれ。頼む。

















 僕の手は空に届かなかった。

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一分後に息が切れる僕の走馬灯 月瀬るい @nightsky-moon

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