終章

終章



 三奈は、六年ぶりの宗家屋敷の廊下を、音を立てないよう慎重に歩いていた。


 もう二度と踏み入る事のない場所だと思っていたが、どうしても一目唯真に会いたくて、できるだけ人に会わぬようにと、夜中を待って屋敷へと来た。


 実家からの連絡で、織哉達の行方が判明し、輝明自らが『身内の不祥事の始末』を着けたことを知った。


 唯真の遺体が宗家屋敷に運ばれたと聞き、居ても立ってもいられず、三奈はアルバイトを放り出し新幹線に飛び乗った



 正直、何かの間違いであって欲しいと願いながら、三奈は勝手知ったる檜張りの廊下を歩いていた。


 六年ぶりに来た宗家屋敷は、よく見ると床板すら一枚一枚丁寧に削り出されたことが分かる、非常に高級な造りであるのに気が付いた。


 それは、六年前の三奈には分からない事だった。一般社会で暮らし様々な比較対象を得て、改めて正確に、御乙神家の持つ財や権力といった力の大きさを感じていた。


 『落日』の扉は、板の引き戸だった。胸がかきむしられるような苦しさを耐えながら、静かに扉を開く。扉を引く手は、上手く力が入らず、少し震えていた。


 室内を見て、三奈の目は大きく見開かれた。呼吸を忘れて、畳一〇畳ほどの室内を凝視した。驚き過ぎて、口が開いてしまっていた。




 真夜中に騒々しい足音がして、輝に添い寝していたちとせは布団から頭を上げる。宗家屋敷ではあまり聞かない騒音に、思わず眉根を寄せる。


 しかし瞬時に音の主の気配を察して、怪訝な顔をする。何故ここに、と不思議に思いながら、足音と同じく騒々しく開いた扉に目をやった。



「三奈。あんた、何でここに」



 怒りや非難ではなく、純粋に不思議そうに声を掛けてきたちとせに、三奈は呼吸困難ばりの荒い息使いでようやっと言う。



「ちとせさん!来て、早く、来てください!」



「来てってどこに」



「『落日』です!大変です!美鈴様が倒れて、それと、それとっ」



 言葉を出す前に、輝に添い寝していたちとせをむりやり引っ張り立たせ、三奈はそのままちとせを引きずって廊下を走っていく。


 長い黒髪だった以前と真逆に、暗めベージュのショートボブとなっていた三奈にひっぱられ、ちとせは『落日』に強引に連れてこられる。


 少し空いたままの扉から室内に入り、正にちとせは仰天した。


 安置された佐藤唯真の遺体の手前に、美鈴は顔色無く倒れていた。周囲に残る、重く冷たい空気は、黄泉のものに間違いなかった。


 そしてちとせは、佐藤唯真の遺体の向こうから、目が離せずにいた。


 母親と共に寝かされていた滅亡の子は、起き上がっていた。織哉と瓜二つの面立ちで、浮足立つ大人達を見ていた。


 ちとせは、輝明と共に呪術を教えていたやんちゃな織哉を思い出し、懐かしさと潰れるような胸の痛みを同時に感じていた。驚愕の表情が、泣き出しそうにぎゅっと歪んだ。


 しかし幼子は、見知らぬ大人達を、凍るような目で睨みつけていた。


 その目は、闊達かったつな織哉とは真逆の、それこそまだ『落日』に漂う黄泉の気配の様な、冷たく重い眼差しだった。


 幼子は何も言わない。けれどその眼差しは、幼子の思いを雄弁に語っていた。


 許さない―――小さな体にはまるで似合わない、壮絶な怒りを幼子は内包していた。燃えるマグマの様な怒りが、幼い眼差しに映っていた。


 睨まれて、大人達は立ちすくむ。幼子にはありえない、憎しみが煮えたぎった眼差しに、二人は動けなかった。




 滅亡の予言が、どんなに足搔いても、結局は成就へと向かっている事を、ちとせは感じていた。

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 蒼月  咲屋安希 @aki_sakiya

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