第11話 不可視の怪物【2】

「よし。始めよう」

「わかった。みんな、位置についてくれ」

 ヒタカの言葉とともに、テンカが、建物の影に潜んだ烏賊型夜光生物クラーケンに気がつかれないよう、遠巻きに待機している町人たちに静かに声をかけた。それを受け、彼らはヒタカとテンカが立てた作戦に必要なものだけを持ち、それぞれが指示された役割に着くべく、天頂を横切りかけている月の明かりだけを頼りに消えていく。

 ヒタカとテンカは、すべての準備が整うまではクラーケンを監視する係だ。いくら音を立てぬよう動いたとて、クラーケンの能力が人より遥かに優れているのは明白である。ここでクラーケンに新たな餌として、一人でも認識されたならば、作戦は白紙と化す。

 街の奥では、作戦に加わらない人々が何人か待機しており、彼らには、怪我人が出た場合の医療や補助を担当してもらうことになっている。その中にはイルやクマも混ざっていた。それ以外の人々は巻き込まれぬよう、再び現場以外の郊外などへ非難してもらっている。西の町はずれにあるヒタカの診療所や灯台も含め、北の郊外ここ以外にある安全と思われるすべての建物は戦えない者のために使われていることだろう。

「この作戦、本当に大丈夫か?」

 すべての準備が整ったサインが出るのを待つ間に、テンカはヒタカに尋ねた。

「成功率なんてわからん。ただ今あるものを使ってやれることをやるだけだ」

「その通りだが、さすがに先生の負担がでかくないか?軍に要請した方が……」

「他の人間で俺の案に対応できる奴はいないだろう」

 適材適所だと、影の中でうごめく気配を睨み付けながらヒタカは言った。うすらとクラーケンの皮膚が青緑に光り消える。

「……」

 これにはテンカも返す言葉がなかった。

「それに、来るかどうかもわからない軍を待っていたら、あっという間に街は烏賊の巣だ」

 そうやって住めなくなった街は夜に深く沈み、廃墟となる。そうして、夜光生物の漁礁となった街や建造物を、ヒタカは夜光案内をする傍らで何度も見ていた。今、ここで対処しなければ、町の人間全員が路頭に迷うことになるのは間違いない。

「なに、照明弾は心許ないが、武器は代表のおかげで十分だ」

「いざという時のとっておきだったんだがな~」

 できれば使いたくなかった。緊迫感をほぐすようにテンカは軽口を叩いた。しかし、ヒタカの主張や懸念は正しく、作戦に不安はあるもののやらざるをえないところまで追い詰められているのは事実だった。

「じゃ、皆が配置に着いたら、クラーケンの真上を照明弾で照す」

「クラーケンは習性上、影に隠れようとするから、この先……北の谷まで光を利用して俺が奴を誘導。配置した武器で谷の淵まで追い詰める。そこで倒せるなら倒す。倒せないとしても、谷に必ず落とす。この町には脅威があることを思い知らせれば、当分寄ってこないだろう」

 テンカが自分に言いきかせるように作戦を浚うとヒタカが続けた。

「そもそも、あの谷底の夜を伝って連中はノクティスに来たのだから、お帰りいただくだけの話だ」

 淡々とヒタカが述べる間にも、暗い中でずるりずるりと、本来なら微弱で聞こえないはずの生物特有の筋肉が不気味にうごめく音がした。テンカが彼の言葉に続ける。

「しかし、照明弾の数は限られているし、クラーケンが街側の影に逃げ込まないようしないといけないが……」

 彼女はちらりと彼の隣に立つ人物を見た。

「そこで私が光を誘導すれば良いのだな」

 いたのは、先刻ヒタカに助けられた光人の青年だった。淡い金髪を襟足で短くそろえたカッソク姿の彼は、平時ならどこにでもいる二十代後半の男だった。だが、金の髪はぼさぼさ、黒い服はクラーケンに散々引きずり回されたせいで、あちこちが擦れて砂埃まみれ、クラーケンに掴まれていた右足のズボンはちぎれ、太股から靴を履いた踝までがすっかり見えている。そして、暗い中でも分かるほどに白い皮膚には円型の赤紫のうっ血痕がまだらについており、ひどく痛々しかった。血も出ている。

「光人が光を操ることができるって聞いたことはあるけど、本当にできるのか?あんた?」

 二人の会話に、自信ありげに混ざってきた光人にテンカは懐疑的だった。

 クラーケンを追い出す作戦がヒタカから上がった時、側で聞いていたこの男は率先して手伝うと言ってきたのだ。今は猫の手も借りたい気持ちはあったが、事態の元凶とも言うべき光人たちの内の一人の発言だけあって、その場にいた者誰もが疑いの目を向けた。しかし、

「本来は中人に見せるべき術じゃないが、緊急事態だ。それに助けられた恩がわからないほど、私は阿呆ではない」

 と、彼は作戦会議時と同じことを繰り返した。そう話す彼の視線の先には常にヒタカがおり、彼がヒタカに恩を感じていることを二人を含め町人たちはすぐに認識した。故に光人への反発はあるものの、理由が理由なだけに、テンカはこれ以上言い返すことができなかった。

「まあ、俺としては恩をだらだらと引きずられるよりは、さっさと返してくれた方が気楽だ。それに猫も杓子も嫌いな光人でも使えるなら使わないと損だ。な、代表」

 ヒタカは被ったままになっていたフードを外すとテンカに目配せをした。

「もう、好きにしてくれ。だが、」

 テンカはため息をつくと、負け惜しみのように光人へと続けた。

「今回は先生に免じて大目にみるが、しっかり働けよ!あんたの働きで、作戦の成功率が変わるんだからな」

「わかっている。ちゃんとやる」

「失敗したら、あんたのことイカの人って、一生呼ぶからな」

「なんだ、その不名誉かつ間抜けなあだ名は。失礼な!」

「失礼だからつけるんだろ」

 テンカは意地悪な笑みを浮かべた。これには、代表のテンカをはじめノクティスの町人と彼が所属する朝の星教会ノクティス支部との普段の関係を踏まえると、彼には反論の余地がなかった。ヒタカに至っては、失敗を不名誉な呼び名で済ませようとしているテンカが寛容な人物だと評価するぐらいであった。

「……とにかく、私は裏切らない。光人の長に誓って、アラインはあなたたちの町を守ろう。特に、ヒタカ殿に助けられた恩は仲間の分も返したい」

 テンカに睨まれながらも、アラインは気丈に述べた。その時、彼の後方で等間隔の緑光がチカチカと灯った。

「先生、用意ができたみたいだ」

「ん」

 ヒタカは軽く伸びをすると、剥き身の懐刀を構え、街の外、谷がある方を向いた。緑の光はすべて、すぐに消えてしまったが、その灯一つ一つがクラーケンを郊外から谷に追い込むために待機している人々であることを、ヒタカは意識する。

 準備ができたら、手持ちの懐中電灯などで光を灯すことになっているのだ。

 一番遠く、渓谷に近い者は五度、光を明滅させることになっている。その光が五回点いては消えた。それの返答として、テンカが手元の緑光のランプを五回明滅させる。作戦開始の合図である。

 複数の照明弾が夜空に上がった。

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夜光案内人 -明けない夜と緑の標- 双 平良 @TairaH

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