第31話 貴方は俺の神様。


 咄嗟に距離を取って剣を構える。

 ほぅ、と息を吐いて、ざわつく心を落ち着かせた。

 

 シミュレーションは何度もした。

 想定外ではあったが、何も無策という訳ではない。タイミングは違えど戦うことは分かっていたんだ。

 

 ……むしろ、探す手間が省けた分ラッキーだ。

 なんていくら思ったって、ビビってるのは誤魔化せそうにないんだけど。

 

「まあ、落ち着けよ」のどかに、優しい声色で白髪が言う。「まずはさ、落ち着いて話し合おうぜ? 殺し合うには、俺達はお互いのことを知らなさすぎる」 


 ぴよぴよ。

 緊迫した状況にそぐわない、鳥の鳴き声。

 

 優雅さと剣呑さの入り混じる空気感の中、僕は真っ直ぐに白髪を見つめて吐き捨てた。

 

「殺さなければいけない相手のことなんて、知りたくない……」

 

 それに対して、飄々とした態度で白髪は言う。

 

「もしかしたら、俺にとてつもなく悲しい過去があって、助けたい誰かが居て……助けて欲しいって、人知れず誰かに願っているかもしれないんだぜ?」

 

 なあ、そうだろ?

 言って、白髪はすぐそばの岩場で腰を下ろした。横を流れる小川の音が、妙に大きな音に聞こえる。

 

 ……確かに、【裏切り者】ってだけで白髪を殺すのは、あまりにも利己主義すぎると自分でも思う。

 天菜や久太郎は助けたくせに、相手が【裏切り者】だからって差別して殺すのは……なんか、違う。

 

 でも、そんなことは何度だって考えた。

 考えた上で、戦うことを決めたんだ。罪悪感なんて、今更ない。

 

 それに。

 

「……【裏切り者】は、誰かを殺したいという願いを叶えるためにここに来た人間がなる。……誰かを殺すために来たアンタに思うことなんて、何もない」 


 ……本心を言えば、違う。

 それならだって、天菜もこいつと同じことになる。なのに天菜だけ助けたのは、彼女が仲間で、裏切り者じゃなくなかったからだ。

 

 だから今のは、あくまで建前。

 こいつを納得させるためだけの、自分の罪悪感に嘘をつくためだけの、仮初の言葉だ。

 

 しかし、白髪は「そうか。知っていたのか。……そりゃ残念だ」と悲しそうに俯いた。


 一言で表せば、異様な雰囲気、だった。

 

 今にも殺し合いが起きてもおかしくない状況なのに、どこまでも平和的な空気感が漂っている。なのに、常に肌にピリリとした殺気を感じて。

 白髪の男から滲み出る底のしれない狂気に、思わず息を飲んだ。

 

 白髪が、ぽつぽつと語り始める。

 それを邪魔する気にはなれなかった。いいや、邪魔をすれば殺される。そんな確信が、なぜかあった。

 

「俺にはさ……いるんだよ。どうしても、助けたい人ってやつが。そいつはきっと、今も俺の助けを願ってる……」

 

 どこまでも真面目な声色。ただただ悲しげで、寂しげな。

 嘘は……ついてない? 本当に? 本当にこいつには、助けたい人がいるのか?


「でも、いや……」罪悪感に飲まれないようにと、必死に声を振り絞った。「なら、誰かを殺す願いじゃなくて、そいつを救う願いを叶えればよかっただろ……」 


「無理だったんだ」目に涙を滲ませながら、白髪は言った。「俺だって、そうしたかった。でも、それは叶えられる願いじゃなかった」 


 少しずつ、少しずつ。

 白髪の勢いが増していく。彼の周囲から、黒々としたオーラが溢れ出し始める。


 背筋を舐めあげる嫌な予感に、思わず一歩後ずさった。

 白髪が、わざとらしく両手で顔を覆い隠す。

 

「その人は……俺がずっと尊敬していた人だった。心の底から、愛していた人だった。六年前に起きた事件のこと……お前も、知っているはずだろう?」

 

 ざわり、ざわり。

 静けさの中で、胸騒ぎだけがずっとしている。

 

「六年前の、事件……」

 ぽつりと呟けば、鳥肌が立った。 


 恐怖に、足が絡め取られる。

 手足が拘束される。喉が、息が詰まっていく。 


 白髪の男は、更に続けた。


「当時、彼は小学5年生だった……。彼は実の父親と、クラスメートを二人殺した。更に三人を重症にした。当時のニュースは、彼のことで持ちきりだった……。加害者の少年は……父の性的虐待とクラスメートのイジメから、たった一人の妹を守るためだけに、三人を殺したのだ……そう発覚してから、世間はさらに騒いだ。少年Aは、正義か悪か、と」

 

 訥々と、白髪は事件のことを羅列していく。

 それを聞くたびに、胸がキュッとなった。瞳孔が開いて、体から力が抜けた。

 

 知らないはずなのに。無関係のはずなのに……なんで、こんな……。 


 やばい、やばいやばいやばい。

 焦りが、胸の内側で募っていく。

 

「な、なんで……」口から漏れた声は、妙に震えていた。「なんで今……僕の前で、そんな話を……っ」


 構わずに、白髪は続けた。


「妹を守るために……。そんな彼をヒーローだと言う人もいれば、殺人鬼だと騒ぎ立てる人もいた。でも俺にとっては……全部違った」

 

 頭痛とめまいに、立ち眩みがする。

 ジジッ、と視界にノイズが走った。 

 

 息が乱れて、その場で膝をつく。

 両手を地面について、震える視界で泥を睨んだ。 

 

 頭の中で、不可思議な光景が流れ始める。 

 

 誰かの怒号に、少女の悲鳴。泣き叫び、助けを乞う誰かの姿。

 ジリリを肌を焼き焦がす陽の光と、蝉の鳴き声。

 手にまとわりつく不快な感触と、腐った血肉の生臭い香り。 

 

 ――そして、それを草むらから怯えるように見ていた、名前も知らないキノコ頭の少年。


 咄嗟に口元に手を当てた。

 夢? 違う。現実だ。……いや、まさか。 


 震える両手を、じっと見つめた。

 ……今の、僕の記憶? 

 

 白髪の男が、恍惚の声で告げる。


「俺にとって……彼はヒーローでも殺人鬼でもなく――神だった」

 

 彼は楽しげに笑いながら、叫んだ。

 

「彼は、いじめられっ子だった俺に教えてくれたッ!!」と。


「俺を縛る存在は、理不尽は、全て殺してしまえばいいと。その快感を、教えてくれた。神様は……あの時俺を救ってくれなかった。俺を救ってくれたのは、あの人だったんだ。不都合は殺せば何もかも上手く行くいく。あの人が、そう教えてくれたんだ」

 

 吐息が漏れた。

 呆然とその場にへたり込む僕を見て、白髪の男が「ぁあ……」と蕩けた声を溢す。そして、両手で顔を覆い隠して、指と指の間から目を覗かせる彼は、言った。


「なぁ、そうでしょう?」と。「あなたが、あの日……俺に教えてくれたんだ」


「……僕が?」

 

 そんな覚えは、ない。

 ない、はずだ。……ないのか? 

 

 ジリジリ、ジリジリ。

 耳元で蝉の鳴き声がする。

 

 医者の声が、漠然と耳朶を打った。 


「――君の中には、君を守ろうとする、もう一つの人格があるんだよ」

 

 恐怖と混乱で足を絡め取られる僕の頭の中で、誰かが囁いた。

「ああ、だから言ったんだ」と。「お前じゃ、俺の変わりにはなれない」 

 

 思考がまとまらない。意味が分からない。

 僕が……殺した? 三人も? 父さんも? 

 違う、違う違う違う。父さんも母さんも、事故で死んだはずで。それで、僕と結花は施設に預けられて。 


 あれ? そうだっけ?

 ……あれ? 


 すっぽりと、記憶が抜け落ちているかのような、違和感。

 冷や汗が頬を伝って、胸を滑り落ちて、腹のあたりでじわりと服に染みた。

 

 幸せだった、はずで。

 父さんと、母さんと、結花で、誕生日ケーキを囲んで、笑い合って。

 

 あ、あれ。

 ――本当に・・・

 

 へにゃりと、体から力が抜けた。

 ……なんで、思い出せないんだよ。

 

「なぁ、だから俺は……許せないんだ」

 白髪がどこからともなく現れた日本刀を握りしめ、ニィ、と笑った。

 

 怒りとも笑顔ともつかぬ、狂気的な笑み。 


 戦いが始まる。

 そんな予感がしているのに、足が思うように動かない。

 

 ずり、と尻を引きずって後ずさる僕に、じりじりと白髪は近づいてきた。

 動揺と焦燥に溺れて雁字搦めになる僕に、呆れたとでも言うように鼻で笑うと、ゆっくりと彼はこちらに手をかざした。


「お前のような無能が……俺の神様を奪うのはッ!! 許せないんだよッ!! 炎魔法【炎球】ッ!!」

 

 炎の球が、一直線に僕に飛んでくる。

 ……避けなきゃ、死ぬ。

 

 奥歯を噛み締めて地面を蹴った。直撃は免れるが、衝撃に体が吹っ飛んでいく。

 上がる砂埃の中で、影が揺らめくのがちらりと見えた。 


 ……来るッ!!

 砂埃を一刀両断して、間髪入れず白髪がぶっ飛んでくる。 


 すかさず宙で姿勢を直して、ダガーを構えた。

 ガキンッ!! ギリギリの所で、なんとか振るわれた日本刀を防ぐ。 

 

 はぁ、と息が漏れた。

 考えている場合じゃない。やらなきゃ。集中しなきゃ。じゃなきゃ、死ぬ。


 神経を研ぎ澄ませて、じゃないと。

 なのに。 

 

 ぐらぐら、ぐらぐら。

 頭の中で、思い出が揺れている。 

 揺れて、それで、全てにモヤがかかって、何も思い出せなくなっていく。 

 

 まるでそれらがすべて、僕の妄想で、虚像であったとでも言うように。 


 なんとか日本刀を弾き続ける防戦一方な僕に、白髪が叫んだ。 


「俺には、助けたい人がいる」と。「あなただ。……俺は、あなたに救われた。だから次は、俺があなたを救わなければいけないんだッ!! 他でもない……あなたを。俺の、神様をッ!!」

 

「意味が、分かんねぇよッ!!」

 

 足に力を込めて、思い切り日本刀を弾き飛ばした。

 その反動で大きく後ずさって、余裕を取り戻す。

 

 ……ああ、そうだ。

 ゆっくりと深呼吸をして、なんとか正常な思考を取り戻した。 


 思い出せないとか、僕が人を殺したとか、神様とか、もう一つの人格とか。

 ――そんなの、何もかも今はどうでもいい。

 

 頭の中で、結花の笑顔が揺らめいている。 

 ……生きるか死ぬか、救うか殺すか。

 

 迷っている暇はないだろう。悩んでいる暇はないだろう。

 ごちゃごちゃごちゃごちゃ、御託はいらない。 

 

 そうだ、今は。

 ――僕がこいつを殺すか、あいつが僕を殺すかだ。 


 ダガーの柄で日本刀を弾き返し、押し飛ばす。

 挑発するように手招きをした。


「来るなら来いよ」と。「それと、僕を神様か何かだと勘違いしているみたいだが……頭大丈夫か? もしあれだったら、良い精神科を紹介するけど。……僕も、ずっと通っていたとこだ」


「頭がおかしいのはお互い様だ。お前だって善良な市民のフリをして、ここに来てから何人殺した? そうだよ。俺たちはもう、正常じゃない。もう、人間には戻れない。お前も、俺もだ」


「そっか。だったらそうだ、名案があるんだけど。ここから出たら、二人で一緒に精神科に行くとかどう? まあ……」 


 白髪に手をかざして、僕は笑った。


「ここで君が死ぬから、その夢は叶わない訳だけど。スキル、【砕波】ッ!!」

 

 巨大な拳になったフラマが、一挙に白髪に躍りかかる。

 轟音と共に地面がえぐれ、草むらに隠れていた小鳥達が飛び上がった。 


 ギリギリで躱しきれなかったらしい白髪が地面を滑りながら、ニタリと不敵な笑みを浮かべる。


「そうか、ようやくやる気になったかよッ!!」と。「そうだ、それでいいッ!! 殺す気で来いッ!! そして、思い出させてやるよッ!! 貴方が、本当は、俺の神様だってことをッ!!」




【あとがき】

 お久しぶりです。

 まだ読んでくださる方がいるかは分かりませんが、どうしてもこの物語に決着をつけたいという思いで書いてます。

 

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その無能陰キャボッチ高校生、先行プレイヤーにつき。 ~現実世界にダンジョンが現れたのでスキル【回収】&【放出】で無双していたら、いつの間にか魔王呼ばわりされていた~ 四角形 @MA_AM

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