第30話 決戦前夜


 ――エリア【死者の楽園】。

 そこに生息する難易度星5のエリアボス【命なき魔法使い】リッチー。 

 

 現在、「まずはボスを倒して第4階層の開放を目指そう!」という結論に至った僕らは、それとの戦闘の真っ最中だった。

 は、いいのだが……。

 

「天菜、魔法を撃てッ!!」

「わ、分かってるわよッ!! 氷結魔法【フリ――って、わ、わわわっ!?」

 

 魔法を撃とうとする天菜を見て、格好の獲物と言わんばかりに群がり始める雑兵スケルトン。

 それに対して、天菜は目に涙をためて「イギャァアアッァア!!」と叫んだ。心の底からの絶叫だ。もう女としての品性を感じない。


「雑魚スケルトンは、あんたが射抜くって言ってたじゃん、キュータローのばかっ!!」

「す、すまん……俺もビックリだ……。まだ一発も弓矢が当たっていないッ!!」

「は!? 一発も!? ちょ、ちょっと、誰よ、こんな雑魚をパーティーに入れたのはッ!!」 


 早々に仲間割れを始める天菜と久太郎に、乾いた笑い声が漏れる。

 ……まじで、何やってんだこいつら。遠足気分なのか?

 

 ちなみに、天菜の口にした『キュータロー』とは久太郎ヒサタロウの愛称だ。

 なぜかといえば彼自身が、ここに来る道中にぶつぶつと「俺の名前、じじばばにキュータローって勘違いされるんだよなぁ。ジェネレーションギャップってやつかな。あれ、みんなオバQ知らないの?」とぼやいていたからだ。

 

 キュータローが、「も、モブキャラで悪いかよ……ッ!! あと、キュータローじゃなくて、ヒサタロウだッ!!」と、僕の背後で叫んでいる。 


 もう、無視だ、無視。

 僕は敵の頭を叩こう。【命なき魔法使い】リッチー。無数の雑魚スケルトンを生み出して戦わせる厄介な魔物だ。更に、闇属性らしき魔法をぽんぽんと飛ばしてくるので、近づくことさえままならない。

 

 ただしそれも……彼女がいなければ、だろう。


「ユズハッ!!」

「うんっ!」 

 

 恒例の必殺技。

 超スピードで駆け出そうと、一歩足を踏み出す。

 

 ――瞬間、風が頬をかすめた。

 

 びゅんっ。

 耳元で音がして、弓矢が頬をえぐりながら通り過ぎていく。 


 心臓が縮んだ。

 冷や汗がだらだらと体中から流れて、怒りが体の奥底から込み上げる。

 

 思い当たる節があるのは、たった一人だ。

 気づけば、僕もまた天菜と同様に叫んでいた。


「どこ狙ってんだ、キュータローッ!! お前はっ、僕をっ、殺す気かっ!!」

「す、すまんっ! まじで、ああ、最悪だ……っ。やっぱり、俺……全然向いてねー……」 


 意気消沈したキュータローが、弓矢を置いてその場で蹲って頭を抱える。

 その横では、スケルトンから叫んで逃げ回る天菜。 


 ……その惨状を見渡しながら、僕は「ははっ」と肩をすくめた。

 笑いたきゃ笑え。これが僕らのパーティーだ。あの白髪の男と戦うための、最高戦力だ。 


 どう考えたって、おかしい。これはおかしい。ゲームバランスが崩壊している。

 勝ち目? あるわけない。馬鹿だ。単なる消化試合にしかならない。 


 そもそも、エリアボスにすら勝てるかどうか怪しいっていうのに。

 

 ため息が漏れた。

 ……でももう、どうでもいい。そうだ、そうだろう。僕らは元々、二人だった。ユズハと僕、二人だけでここまで戦ってきたんだ。

 

 今は、それだけを信じて戦えばいい。


「ユズハ……もう一回ッ!」

「もうかけてる!」

「流石ユズハだッ!!」


 王を守るように、無数のスケルトンが集まって道を塞いでいる。

 しかし、僕には関係のないことだった。

 

 道に壁がいるのなら、それならば。

 

 ──翔べばいい。 

 

 思いっきり地面を蹴って、空を泳ぐようにジャンプする。

 

 フラマの現在の状態――『エンチャント型』。どうやら、僕自身の基礎ステータスを底上げしてくれる代物らしかった。ジャンプ力が今までと桁違いだ。

 しかし、それでもリッチーとの距離は遠い。残り30m程といったところか。けれど、これだけ近づけば十分だろう。

 

 すかさず前方に手をかざして、僕は叫ぶ。


「蹴散らせフラマ……ッ!! 【砕波】ッ!!」

 

 フラマが一瞬にして巨大な拳となって、思いきり地面を殴りつける。

 ズガァンッ!! 轟音が鳴って、凄まじい衝撃波が周囲のスケルトンをなぎ倒しいく。

 

 これで道が開けた。

 あとは、大将を倒すだけ── 


「──ぅ、ぁッ!?」

 

 何かに足を掴まれてすっ転ぶ。

 視線を下に落とせば、泥沼から黒々とした手が伸びてきていた

 

 ……魔法だ。やられた。

 焦燥する僕を嘲笑うように、スケルトンが群がり始める。

 

 しかし、今度はスケルトンの動きが止まった。

 いいや……凍った。


「私はもう、足手まといになんてならないんだからっ!!」

 

 勢いよく、僕に群がるスケルトンが凍っていく。

 天菜の氷結魔法だ。一瞬は、やっぱり頼りないと見限ったけど……。


「ありがとう天菜……助かったッ!!」

 

 足を掴む手を振りほどいて、もう一度駆け出す。

 リッチーが慌てたように杖を掲げた。淡い光が貯まる。

 

 まずい、魔法が来る。

 右? 左? ……とにかく、避けないとッ!!


「お、俺もいるっ! 俺だって、足手まといになってたまるかよっ!」

  

 びゅんっ。

 弓矢が宙を駆け、そして……リッチーに掠りもせず、減速してへなへなと地に落ちた。

 

 盛大な空振り。無辺世界を射るとはこのことだ。

 久太郎……『目』以外では正直使い物にならなさそうだ。

 

 それからは早かった。

 魔法を使ったリッチーに対して、アイテム『十字架』を投げつけて牽制。そのスキにフラマの【砕波】を打ち込めば、バラバラとリッチーは砕け散った。討伐完了だ。

 

『十字架』ってのは、いわゆる攻略補助アイテム。

 巨人戦でいうところの『はちみつ』だ。

 

 巨人に比べると妙に弱く感じたが……相性が良かっただけだろうか。

 ちなみに、目玉の討伐報酬は【キルカウンター】だ。 


 カメラのような形状をしていて、どうやら被写体である人間の『今まで殺した人間の数と名前』が分かるようだった。使用回数無制限である点が強みだろう。人狼ゲームでいえば……『霊媒師』か。


 と、いうわけで。

 空を見上げ、浮かび上がるマップを見つめる。 

 

 残りボス――たった一体。 

 

 アイツを倒せば、第四層の道が開かれる。

 息を呑んで、僕は天菜達の方を振り返った。


「もう、行く?」


 天菜に対して、僕は首を振る。


「その前に少し休憩しよう」 


 ◇

 

 夜。

 すっかりと日は暮れ、ダンジョンだというのに嫌らしいくらいに辺りは冷え込んでいた。


 焚き火をみんなで囲んで、ほっと息をつく。

 ユズハは、ぐっすりと僕にもたれかかって眠っていた。すやすやと夢心地だ。

 

 火に両手をかざす天菜が、ほぅと吐息を吐く。

 

「あと……ちょっとで終わりなのね」

「ああ。なんか……色々あったな」

「本当よ。ここに来てから散々」

「でも、まあ」ここに来る前の情けない自分を思い出して、苦笑する。「良い機会には、なったかも」


 ガタガタガタ。久太郎が、震えながら歯を鳴らしている。

 それを見て、天菜が不快感を顕にした顔を浮かべた。


「ねぇアンタ……うるさいんだけど」

「すまん……。これから最後の戦いが始まると思ったら、緊張して……うぷっ」

「なっさけないわね、アンタ。私だって、もう完全に覚悟を決めてるってのに」

「そうはいっても、だって……死ぬかもしれないんだろ」


 ピタリ。辺りが一斉に静まり返る。

 静寂が訪れると、夜音がよく聞こえてきた。風の音に、妙な動物の鳴き声に。木がパチパチと弾ける音。

 

「ちょ、ちょっと……不安にさせないでよ」

 弱気になったのか、天菜が膝に顔を埋めながら弱音を吐いた。 

 

 でも、確かにそうだ。……この中の誰が死んだって、おかしくはない。『裏切り者』は、僕ら普通のプレイヤーを全て殺さなければクリアにならない。だから多分、全力で殺しに来る。

 

「俺なんて、尚更だ……」久太郎が、ムスッとした顔で地面を睨む。「俺はお前らとは違って、モブキャラだから。……噛ませ犬みたく死んだって、おかしくない」

 

 天菜が完全に黙り込む。

 

 まったくもって、久太郎は馬鹿野郎だ。

 みんな、分かっていて、だから触れないように、気づかないようにと自分を騙し続けていたのに。……こいつのせいで、全部パーだ。

 

「みんなで……」励ましにならないことは分かっていたけど、ぽつりと声が漏れていた。みんなの視線が、一斉にこちらに集まる。「……みんなで、生きてまた会おう」


「会うって……?」

 天菜が不思議そうに顔を上げた。


「生き延びて……また、今度は現実世界で会おう。それで、ここであったことを話そう。ちゃんと、思い出として」


「へぇ」天菜が、にぃと口を横に伸ばした。妙に楽しげだ。「それ、いいわね。そういえば私達、みんな学生だし?」

 

「というか……」

 久太郎が、天菜の制服をまじまじと見つめて問いかける。

「アンタ……それ、東京の有名なお嬢様学校のだろ。……頭いいのか?」


 久太郎に言われて、僕もハッとなった。


「そういえば、確かにどっかで見たことある」

「なに? 私が頭悪そうって言いたいわけ?」

 

 それに対して、久太郎はにへらと笑った。

「だって、ギャルだろ、アンタ」


「ギャル=頭悪そうってアンタの考えが、一番頭悪そうで可哀想ね」

「……そ、そんなに言うかよ、普通」

 天菜の急な暴言に、久太郎はあたふたと狼狽える。

 

 それをぼんやりと眺めながら、僕は思索にふけっていた。

 確かに……どこかで見たことがあるのに。えっと、どこだっけ……。

 

 天菜の制服をじっと見つめ、それから数秒。


「あ」

 思い出したかのように、僕は声を上げていた。


「どっかで見たことあると思ったら……学校の近くでよく見る制服じゃん」

「……え、本当っ!?」 


 天菜が嬉しげに声を上げて、僕の両腕をガッと掴む。

 それから少し恥ずかしくなったのか、ゆっくりと僕の腕から手を離して、控えめに「本当?」と聞き直した。


「えっと……あんま学校に行ってなかったから曖昧だけど、多分、そうだ」

「ちなみにどこ住み?」

「千代田区だけど」

「一緒じゃん。……まじ?」

「え、本当なのか?」

 

 ぱちくり目を瞬かせる。

 天菜が、「じゃあ」と少し甘めな声色で言った。


「ここから出たら……本当にすぐ会えるんだ」

「そういう……ことだな」

 

 ぴたり。

 そこで、急に言葉が止まる。天菜の目と、じっと目が合う。

 

(なん、だこれ……)

 甘ったるい異様な雰囲気に、頭がくらくらする。なぜか、天菜の目を真っ直ぐに見れない。それは向こうも同じようで、すかさず目を逸らされた。

 その仕草を見て、また胸が弾む。 


 ……は?

 困惑する。

 なんだ、これ……。なんというか……やばい。

 

 恥っずい……。

 

「そうだ! じゃあ、妹さんに会わせてよ!」

 

 天菜の陽気な声に、急にハッとなった。

 いつも通りにまた戻る。もう、妙な胸の高鳴りはない。平静を装って、僕は答えた。

 

「妹に……?」

「うん。ほら、最初に話してたじゃない。可愛くて大切な妹を助けるためにここに来た! って」

「あ、ああ。そっか。……いいな、それ。多分、結花も喜ぶはずだ」


「おいおい……」

 久太郎が、俺も忘れるなよと言いたげに顔をしかめた。

「俺だけ港区なんだけど……。俺も行っていい、かな、それ」

 

「え? あ、ああ。どうせなら、キュータローも、それに、ユズハも来てほしいかな。結花は……僕くらいしか喋り相手がいないから。賑やかになって喜ぶはずだ」

 

 久太郎の顔がパァッと晴れる。

「え、まじ!? 俺も行っていいのか!? じゃあ、行く、絶対行く! というか、やっぱ夏目は……凄えな。妹を助けるためにここに来たのか?」


「ああ。そういえば、久太郎はどんな夢でここに来たんだ?」


「え? あ、あー……」久太郎は頬を掻きつつ、恥ずかしげに答えた。「……推しのアイドルが、癌になって活動休止しちゃったから。……それを、友達と二人で、治そうと思って」

 

 静寂が訪れる。

 天菜が、「そのアイドルってのは……面識がある方なの?」と恐る恐る聞く。

 

 しかし、久太郎はふりふりと首を横に振った。


「……画面の前の遠い存在だ」

「う、嘘でしょ……。というか、癌になって活動休止って……それ、『レインパレット』のアリスちゃんじゃん!?」

「し、知ってるのか!?」

「知ってるというか、めちゃくちゃファンなんだけど!?」

「う、嘘だろ……。夢色キラキラ流れ星担当、清楚代表のアリスちゃんを……アンタみたいなギャルが……?」

「い、いや……あんなザ・女の子って感じのアイドルをそこまで推してるアンタの方が怖いわよ……」

「そ、そこまで言うなよ……!?」


 ノックアウトされる久太郎を見て、くすりと笑う。

 なんだ。どうやら、天菜と久太郎もそこまで相性悪くなさそうだ。 

 

 ああ、そうだよ。

 ……決して、強くはないかもしれない。

 でもきっと、もう僕らはお互いを疑わない。あの時みたいなことは、起きない。

 

「これなら……きっと大丈夫そうだな」

 不意に言うと、天菜が不思議そうにこちらを見た。


「何がよ?」

「いや、さ。これなら、案外本当に、みんなで生きて帰れるかもな……って」

 

 自信なさげに言うと、天菜がニカッと笑った。


「当たり前じゃない!」と。「今更、弱音なんて吐いてられないわ!」

 

 ……ああ、そうだ。

 今更もう、弱音なんて吐いていられない。逃げ場なんてない。立ち向かうしかない。

 

 覚悟を決めて、僕は前を見る。

 そして、言った。


「ああ、生きて帰ろう」と。「誰一人として、欠けることなく。この四人で、絶対に攻略しよう」

 

 いつか、口にした覚えのあるセリフ。

 あの時は、結局ダメだった。けど、今回は違う。もう、失敗はさせない。油断はしない。


 ……今度はきっと、上手くやる。


「ユズハ、頑張るっ!」

 いつの間にか起きていたユズハが、右手をピンと上げて朗らかに叫んだ。

 

 それを見てまた、みんなで少し笑った。


 それから、みんなにリッチーを討伐して得たアイテム――【キルカウンター】の紹介をした。

 みんなに使用してみたけれど、誰も反応しなかった。つまりみんなキルカウント0だ。みんな、誰も殺してない。

 

 ちなみに、僕のキルカントは測られなかった。

 ユズハが止めたからだ。「夏目くんは嫌な思いをしてるから、あまり思い出させないでほしい」と彼女が言ったら、「まあ、別に信用できるし……いっか!」と流されたという訳だ。

 本当にいいのか? と思ったが、信用されている証だろう。 

 

 それから、作戦会議をして交代で睡眠を取ることになった。

 眠ったら、結構疲れは取れた。万全ってほどではないけど、まあ、体は軽い。

 

「おい、おいってば。……ユズハ、起きろ」

「ん~……。もうちょっとだけ寝かせて……」

「ほら、早く起きろってば。……行くぞ。早くしないと……」


 ユズハを叩き起こして、僕らは最後のボスが待ち受ける方角を見る。

 その背後では、丁度夜の帳に赤色の光が満ち始めているところだった。

 

 はぁ、と寒さに白息を吐く。

 くゆる白煙が、寒空に登っていくのを目で追った。

 

「ほら、もうすぐ夜が明ける」

 

 それから僕らは、登り来る朝日へと向かうように、軽快な足取りで最後のボスを討伐しに歩き始めた。

 あるいは、最後のゲームを始めに。

 

 ◇

 

---【???】視点---


『第三層のエリアボスが全て攻略されました~!』

 

 突如として脳内に響き渡る女の声に、はハッと目を覚ました。 

 気怠けに上半身を起こして、パキポキと首を鳴らす。

  

 優雅な朝の一コマみたく、男は軽快に伸びをした。寝癖のついた頭を掻きむしる。

 寝ぼけ眼を擦って、彼はぼやいた。

 

「……ようやくか。待ちくたびれたな」

 

 ふわわとあくびをする彼は、ゆっくりと立ち上がる。


「……おい」 

 直ぐ側に控えていた図体の大きな男を蹴り起こす。

「行くぞ。ラストゲームの時間だ。大丈夫。……お前の正体は、奴らにはまだバレていない」


 脳内でまた、声がする。

 

『これより、第四層へと皆さんを強制転移させちゃいます! 準備はできましたか? 第五層はボスエリアなので、第四層が実質最後のエリアだと思ってください!』 

 

 最後のエリア。これで、全て終わる。

 それから、彼は笑った。


 どこまでも不気味な笑みで。

 男は、ケラケラと笑っていた。一度笑うと、止まらなかった。

 

「ここなら、誰にも邪魔されない。母さんもいない。ここでなら、俺は……」


 笑う男の脳内で、声がする。


『――それじゃあ、レッツゴーッ!』と。

 

 体を包み込む淡い光。


「待っててね……夏目くん。すぐに、君がこっち側・・・・の人間だって、思い出させてあげるからさ」

 そう、男は楽しげに声を上げた。 


「――裏切り者は、たった一人だけ、普通のプレイヤーを【裏切り者】に変えることができる。だから、なぁ? 夏目くん……。君は……こちらに来るべき人間だよ」と。


 ◇


『それじゃあ、レッツゴーッ!』と、脳内で声がした。

 最後のボスを倒したらすぐにこれだ。どうやら、今度は階段とか原始的な方法ではなく、転送方式らしい。淡い光が、体をゆっくりと包み込んでいる。

 

 誰も声は出さなかった。

 ただ静かに、目を配せ合った。言葉はなくとも、お互いの覚悟はそれなりに伝わった。


 最後のゲームが始まる。これで、何もかもが終わる。そんな予感が、ずっとする。


「絶対に……生きて帰ろう。みんなで」


 言うと、視界が急に光で満たされた。

 みんなの気配が遠くなって、やがて、鳥の鳴き声が耳元で反響する。 


 ゆっくりと、視界を覆い隠す光が褪せていく。

 

「……どこだ、ここ」


 目を擦ってよく辺りを見渡してみると、そこは森の中だった。

 ただの森だ。ほのぼのとしていて、なんの変哲もない。 


 けど、誰もいなかった。きっと、みんなランダムな位置に飛ばされたんだろう。

 嫌なシステムだ。


 ――いいや、違う。


 いた。たった一人だけ、僕のそばに、いいや、目の前に。

 そいつは、まるで挑発するように、ともすれば、僕を嘲笑うようにそこに悠々と立っていたのだ。

 

「よぉ。……まさか、お前と最初に会えるなんてな」

 

 額に汗が伝う。

 息を呑む僕の視界で、ゆらりと白髪が風に吹かれていた。


 ◇


「最悪だ……。ああ、クソッ。……完全に逸れた。これ、あれだ。主人公が、後から俺の死体見つけて驚くパターンの……」


 ぶつくさ、ぶつくさ。

 愚痴りながら一人で森の中を歩く男――久太郎は、あまりにも慎重な足取りで歩いていた。慎重すぎて、殆ど進んでいない。1mm程度の前進だ。 


 ひそり、ひそり。

 なるべく物音を立てぬよう、ゆっくりと。 


「まずは……みんなと合流だ。それまで、なるべく敵には見つからないように……」


 しかし、現実は非情だった。

 パキリ。木の枝を踏みつけ音が鳴るなんてありがちな展開に、彼は顔面蒼白する。 


 咄嗟に口元を押さえる彼だったが、時はすでに遅かった。


「GYUAAAAAA!!」 

 草むらから、大きな熊が一匹飛び出してくる。 


「お、おいおいおいおい……おいってば……ッ!? まじ? ……本気で俺、こんな意味不明な死に方で――」 

 声を上げる間にも、熊は彼の全身をその影で覆い隠す。

 

 が、しかし。

「炎魔法【フレア・ニードル】ッ!!」 

 鳴り響く声と共に飛来する炎の槍が、熊を一閃に貫いた。 


 悲鳴もあげず、熊はぐたりとその場に倒れる。

 ばくつく心臓を押さえながら、久太郎は顔を引きつらせた。


「――って、あれ。俺、いきてる?」

「あ、あのっ!」

 

 すぐ隣でする幼い声に、久太郎はハッと現実に連れ戻された。

 声の方向に顔を向ければ、いつかの日に見た、白髪の男達の仲間であるブレザーの少年の姿がある。 

 

「な、なんで……俺を……」

 言葉足らずに訊く久太郎に、少年は答えた。


「僕は……貴方達の味方です」と。「協力を……してほしいんです。あいつを――サカサを、倒すために」


 久太郎は、ガッと目を見開いた。

 ああ、そうだ。いたはずだ。白髪の男に状態異常をかけた、こちらサイドの人間が。

 

(……こいつが、そうなのか)

 思わぬ収穫に、久太郎は仄かに笑みを浮かべた。


「そうか、アンタが……。オッケー。じゃあ、死ぬ気で協力する」

「本当ですかっ!? ああ、やっぱそうだ。……この前会った中で、貴方が一番優しそうでしたから……貴方に出会えて、良かったです」

「え、あ、まじ? そうかな……」


 照れ臭そうに、久太郎が頬を掻く。


 それを見て。

 ブレザーの少年が、口元を歪めてニタリと笑った。 


「ええ、そうですよ! 貴方が一番良い人だろうって、見抜けたんです。何せ、僕は目が良いですからね!」

「目が良い、か」久太郎は満足気に笑うと、答えた。「奇遇だな、俺も同じだよ」と。

 

 ◇


「よりによって、真っ先にアンタと再開するとはね……」 


 淡い光が差し込む洞穴の中。

 金髪の少女――天菜は、図体の大きな男と向かい合って立っていた。 


 向かい合う男――市井実はしかし、一言も発さず一歩足を前に踏み出す。

 

「何よ。……こ、来ないでよ」

 後ずさる天菜に、もう一歩。じりじりと。

  

「ちょっ!? それ以上来たら、まじで――」

 杖に手をかける天菜。瞬間、口元を手で塞がれた。目を見開く。たった一瞬。刹那もの間に、市井に背後を取られた。

 

 恐怖に、天菜はじたばたもがく。

 しかし、声も出なければ体もびくともしなかった。

 

 錯乱状態に陥る天菜に、市井は言葉少なく耳元で囁く。

 

「いいか、落ち着いて聞いてくれ」と。「俺は……あいつらの味方じゃない」 


「ふがっ!?」

 口元を塞がれている天菜が、驚いたように声を上げる。それに対して、市井は焦ったように更に強く口元を押さえた。


「……今も誰に聞かれているか分からない。だから、落ち着いて、静かに聞いてくれ」


 息を呑んで、天菜はこくこくと頷く。

 すると、市井はほっと息を吐いた。


「今まで、騙して悪かった。でも安心してほしい。俺は……嬢ちゃんたちの味方だ。酷い仕打ちをしたことは分かっている。でも、仕方ないことだったんだ。……あの化け物を騙すには、あれくらいやらないと駄目だった」


 がぷりっ。

 殺気立つ天菜が、市井の手に勢いよく噛み付く。

 

 痛さに市井が手を離したすきに、天菜は小さな声で「それで?」と問いかけた。


「そのせいで、私は死にかけたんだけど」

「わ、悪かった……」

「別に……謝って欲しいわけじゃないわ。ただ……私を殺しかけただけの成果はあるんでしょうね?」 


 問われ、市井は自信に満ちた顔で答える。


「それは間違いない」と。「サカサは、完全に俺を味方だと勘違いしている。……だから上手くやれば、確実に勝てる。チャンスは一度きりだ。失敗はできない。俺が嬢ちゃんを生け捕りにしたと言って、不意打ち出来る機会を作ってやる。それで……? 嬢ちゃんこそ、サカサを騙す覚悟はあるんだろうな?」

 

 問われ、天菜は尊大に笑った。


「ええ、当たり前じゃない」


 それを見て、市位はすかさず振り返った。

 背を向けて、彼は告げる。

 

「だったら、行こう」と。「さっさと、決着をつけに行く」

 笑みなど、微塵も浮かべずに。バツが悪そうに、あるいは罪悪感に苛まれるように。ギリッ、と奥歯を噛み締めたまま。 


 



【あとがき】

 鬼長くてすみません。

 次からメイン回です。

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