そして迎えた当日の朝、わたしは……伸ばしていた前髪を切った。


 もう瞳を隠す事は出来なくなるけれど、隠す理由だってない。わたしの好きな人は、この色違いの瞳を綺麗だと言ってくれる。わたしも今なら、彼のその言葉を真っ直ぐに受け止める事が出来るから。

 もう、わたしを守る盾はいらない。



 屋敷に迎えに来てくれたアレクは今日も素敵だった

 薄いグレーのスラックスとジャケットに、ベストは濃いグレー。黒のループタイに飾られた赤い石が光を映している。


「アレク、とっても素敵だわ」

「ありがとう。君も綺麗だ。……こんなに美しい君をエスコートするなんて、少し緊張してしまうな」


 はにかんだようにアレクが笑う。その言葉の温かさが嬉しくて、わたしも笑みが漏れた。


 わたしのドレスは淡い緑色のものだ。長袖の手首には白いフリルが重ねられている。立てた襟元にも揃いのフリルで肌の露出はないけれど、胸元だけがドレスと同じ緑のレースで透け感がある。

 控えめなパニエで少しだけ膨らんだスカートの裾には小さな宝石が飾り付けられていて、動くたびにきらきらと輝く様がとても綺麗。


 メイド達が丁寧にお手入れしてくれたおかげで艶の出た髪は、にんじんよりも鮮やかな赤色になっている。それを高い場所で結い上げて、金細工で出来た花を飾った。向日葵のような大輪の花はわたしによく似合っていた。


 特別目を引くような美人ではない。

 それでも──今のわたしは自信に満ちて、美しいと胸を張って言えるほどだ。


「本当に……凄く綺麗だ。お願いだから僕から離れないでね」

「何を心配しているのか知らないけれど、わたしはあなたの傍にずっといるわ」


 お互い顔を見合わせてくすくすと笑って、わたしがまたアレクに見惚れてしまうと──ゴホン、と大きな咳払いが聞こえた。そちらに顔を向けると我が家の執事が扉を開けて待ってくれている。

 わたしとアレクはまた笑って、お茶会へ向かう馬車へと乗り込んだのだった。



 よく晴れた日だった。

 薄い雲が風に流されて、余計に青が際立っているようにも見える。


 色鮮やかな薔薇のアーチをくぐったその先では、先に到着していた人達が賑やかに談笑していた。幾つもの丸テーブルが整然と並び、席には名前の書いたプレートが置かれている。


 アレクのエスコートで、わたしとアレクの名前があるテーブルに向っていると……やけに視線を感じた。それもそうだと思う。今までずっと欠席で、学園内では目立たないように息を潜め、着飾る事もしていなかった醜い・・伯爵令嬢が、婚約者と共に現れたのだもの。

 奇異の視線、好奇の視線、様々なものを感じたけれど、意外なほどにそれらはわたしを傷付けなかった。


 それはきっと──自分に自信が持てているから。

 わたしの隣には、微笑むアレクが居てくれているから。


 メイドが用意してくれたお茶を頂きながら、同じテーブルの方々に挨拶をする。そこから始まった談笑は、思っていたよりも穏やかなものだった。

 苦手意識と言うか嫌いだった美しい令嬢達の事も、素直に綺麗だと思う事が出来る。それはわたしの心の持ちようが変わったからだし、それもアレクのおかげだ。


 隣にアレクが居てくれるという安心感も大きくて、彼に向かって微笑みかけると、アレクも同じように微笑んでくれた。それだけで、胸が弾んだ。


「アレク様!」


 穏やかな時間を裂くような声は、声だけ聞けば甘さを含んだ可愛らしいものだった。しかしそれが誰のものなのか、振り返らずとも分かっているわたしは思わず溜息をついてしまったし、アレクを見れば表情を無くしている。

 同じテーブルの方々は気の毒そうにこちらを見ていた。


 振り返った先、スカートを摘みながら駆けてきているのはサフィ嬢だ。お茶会の席で走るのは宜しくないと思うけれど、彼女に付き従う例の・・二人はにこにことそれを眺めている。


「アレク様、やっとお会い出来ましたね! 本当はエスコートからご一緒して頂きたかったんですけど……」

「僕は婚約者以外にエスコートをするつもりはないから」


 アレクの声が固い。

 それに内心で苦笑しながら、わたしは立ち上がった。


「ごきげんよう、サフィ様」


 ようやくわたしへ意識が向いたのか、サフィ嬢がわたしを見て目を瞠った。それも一瞬の事で、すぐに嘲るような色が青色の瞳に乗った。


「ごきげんよう、ディアナ様。……珍しい恰好をなさっているのね。よくお似合いだと思いますよ」

「ありがとう」


 そういうサフィ嬢は肩を全て露わにした白いドレスだった。金の糸で美しい刺繍がされて、大きく膨らんだスカートはふわふわとしてとても可愛らしい。夜会ならば皆の称賛を集めただろうと思うほどに。

 そう、夜会ならば。


 学園の中庭を使って行われるこの行事は、お茶会という名目でありながらもガーデンパーティーの様相を呈していた。

 それでも招待状に【お茶会】と書いてあるのだから【お茶会】だ。お茶会では肌の露出や派手なドレスは好まれない。


「すこーしだけ地味な気もしますけれど、ディアナ様にもよくお似合いです」


 にっこり笑うサフィ嬢の言葉には棘がある。わたしはそれを笑って流す事にしたのだけど……流せなかったのはわたしの隣に立ったアレクだった。


「このドレスが地味? 僕も一緒に選んだこのドレスは、お茶会に相応しい品格のあるものだと思うけど」


 ひりつくような声にサフィ嬢がたじろいだのも一瞬で、すぐに気を取り直したのかまたわたしへと笑いかけてくる。正直なところ、その笑みが何だか怖くて、早くどこかに行って欲しかった。


「わぁ、ディアナ様の瞳、とっても変わっていますね! これが噂の瞳ですか。ふふ、本当に噂通りですね」


 噂とは。

 サフィの後ろにいる二人組はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。幼い時にわたしを傷付けた時と変わらない笑み。以前のわたしならその意地悪さに怯んで、瞳を隠していただろう。

 でも、もう大丈夫。


「どんな噂か知らないけれど、変わっていて素敵だと思わない? わたしもやっとこの瞳を好きになれたんだけど、それも全部アレクのおかげなの。彼は綺麗な瞳だって言ってくれるのよ」


 サフィ嬢の言葉に潜む毒なんて気にしていないとばかりに、わたしはにっこりと微笑んで見せた。わたしの腰を引き寄せるようにアレクが抱いてくれたから、そっと体を預けた。


「素敵だと? 相変わらず不気味な瞳ではないか!?」

「どれだけ着飾っても醜いのは、小さな時から変わらないものだな」


 サフィ嬢の劣勢に気付いてか、背後に控えていた二人が悪意のある言葉をぶつけてくる。

 それに溜息をもらしたのはわたしだけはなくて、周囲の方々も一緒だった。


 幼い時の悪口なら、子どものした事だと許して貰える。でももうそれが許される年齢ではないのに、彼らの頭は子どもの時のままで止まってしまっているみたいだ。指摘してあげる義理はないけれど──


「子どもみたいな事をおっしゃるのね。お茶会で大きな声を張り上げるのも、罵倒するような言葉を口にするのも、そぐわない衣装を纏うのも、婚約者の居る男性に近付くのも褒められた行為ではなくってよ」


 ──気付けば口が動いていた。


 サフィ嬢も取り巻きの二人も顔を真っ赤にして、わたしの事を睨みつけている。それも一瞬の事で、サフィ嬢はぽろぽろと泣き始め、そのまろい頬を涙に濡らしていた。


「アレク様! ディアナ様はいつもこうやってわたしに意地悪を言うんです……! ひどいわ……っ」

「どこが意地悪なのか、僕にはさっぱり分からないな。後ろの二人も、僕の大事な婚約者を傷付けようとするのはやめてくれ。聞けば以前に彼女の事を突き飛ばしてもいるだろう? この事と合わせてリネルガ伯爵家から抗議をさせて貰うからそのつもりで」


 アレクの言葉も声もひどく辛辣なものだった。

 周囲を見回した取り巻き二人が、自分たちに対する冷ややかな視線に気付いたのか、サフィ嬢の腕を引っ張っている。アレクの言葉もあって、その顔色はひどく悪い。


「あなたの事は好きになれないけれど、あなたのおかげで自分を変えようと思えたところもあるのよ。そういう面では感謝をしているわ。でも……もうわたしとアレクには近付かないで頂戴」

「な、っ……! あんたなんて不細工のくせに……私の方が可愛いのに……」


 ぶつぶつと呟くサフィ嬢は腕を引かれているにも関わらず、わたしを睨みつけたまま動こうとしない。聞こえてくる言葉に苦笑が漏れる。


「あなたはそう思うでしょうけど、わたしは……今の自分が好きよ。あなたより可愛くなくても、わたしがそう思えるんだからいいの」

「僕はディアナが一番可愛いって、昔からずっと言っているけどね」


 アレクの言葉に頬が熱くなる。

 そう、彼はずっと……わたしの事を可愛いと言ってくれていた。それを信じられなかったのは過去のわたし。


 サフィ嬢と取り巻き達は警備の者に連れていかれる事となった。

 騒ぎを起こしてしまった事を周囲の方々に謝罪したら、皆、同情的な言葉をくれて少しだけほっとしてしまった。


 それからの時間は、今までの空白を埋めるような楽しいものになった。新しく友人も増えそうな予感に、胸の奥がどきどきと騒がしくなる。

 澄み渡った空と同じように、わたしの気持ちも晴れ晴れとしていた。それだけ楽しいお茶会だったのだ。



 お茶会もお開きになって、わたしとアレクは同じ馬車で岐路についていた。

 向かい合って座るアレクが楽しそうに、にこにこと表情を和らげている。


「ディアナ、今日は楽しかった?」

「ええ、とっても。あなたのおかげよ」

「君が努力をしたからだよ。ドレスを着ていなくても、瞳を露わにしていなくても君の可愛さは変わらないけれど……君の嬉しそうな姿を見られるのはいいね。自信に満ちた君は、もっと綺麗だ」

「ありがとう。あなたはずっと……わたしを可愛いと言ってくれていたのよね。これからももっと磨いて、あなたにずっと可愛いって言って貰えるように頑張るわ」

「君が辛くない程度にね?」

「ええ、分かってる」


 わたしの隣に移動をしてきたアレクが、そっと手を握ってくれる。指を絡めるようにわたしからも握り返して、伝わる温もりに目を細めた。


「好きだよ、ディアナ。僕も君に似合うように、努力をしないと」

「あなたは昔からずっと素敵なのに、これ以上? あなたはわたしを庇ってくれたあの時からずっと、わたしの大好きな人よ」


 そう、向日葵みたいだと思ったあの時から。

 ずっとわたしは、アレクに恋をしている。


 肩に頭を預けると、ふわりとコロンが香った。

 これから先、また迷う事も不安に思う事があるかもしれない。それでも──アレクとなら乗り越えていける。


 窓の向こうは夕暮れの空。

 アレクへと視線を向けると、緑の瞳が柔らかく細められた。わたしの大好きな笑みにつられるように、わたしも笑った。


 これからも一緒にと、それを心で願いながら。アレクの向こうに見える窓で、星がひとつ流れていった。

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向日葵のあなたが、可愛いと言ってくれたから 花散ここ @rainless

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