第6話 шарлотка[キミの祖国のアップルパイ]

 陸第4中隊が帰ってきた——。


 その知らせは瞬く間に基地内に広がっていった。

 いつもなら待っているのに、走って走って迎えに行く。


 あたしの足は遅いけど。それでも。


 急げ、いそげ、イソゲ。

 一秒でもいいから、早く会いたいの。


 その後ろをトトトトッと、ケープコートを靡かせてスロが追う。


 唸るキャタピラの音。

 装甲車と戦車のエンジン音。

 地面を削りながら進むような、煩い音。


 好きじゃなかったこの音さえ、今は待ち遠しい。



「お嬢! 帰ってきてたんですか!」

「お嬢!」

「良かった、無事だったんすね!」

「スロ、お前護衛についてたのか、どーりでいねえと思ったぜ」


 ——お嬢! おかえり!!!


 口々に叫ぶ、見慣れた顔。

 飛行部隊と比べて、無骨で、エンジンオイルにまみれて、むさ苦しくて。

 でも間違いなく一番に、ただいまとおかえりをくれる場所。


「みん……な」


 おひさまみたいな笑顔の中で、何人かは血を流して包帯を巻いている。

 そんな怪我、慣れたもんさと言わんばかりに。


 

「お嬢……戻ってたんですね。ご無事で何より」

「トーマス……。あの、イェンスは?」


 ガサツで、スキンヘッドかモヒカンが九割を占めているこの部隊で、一際目立つ紳士的な仕草と銀色の髪。

 片眼鏡モノクルを掛けた副隊長、トーマス・オールソンが真っ先に隊員の声を聞きつけオディールの元へと歩み寄る。


「すみません……。隊長は……」

「……えっ?」


 その、常に冷静沈着な彼の表情がフッと翳るのを彼女は見逃さなかった。


「どう……いうこと?」


 俯くトーマスは言葉を探しているようだ。言いづらそうに、その唇が何度か開こうとしては閉じ……を繰り返す。

 普段どんな時もその眼差しは真っ直ぐの、彼の視線が泳いでいる。


「その、隊長は……今」


 ぺたん、と地面に崩れ落ちるように座り込む。

 地べたに座るなんて嫌よ、汚れるもの。といつもなら言い張るのに。


「あっ、あのお嬢。気をしっかり持ってください」

「嘘……」

「オディール、だいじょうぶ」


 へたり込んだ彼女を支えるように、スロがそのすぐ側に寄り添う。


「お嬢、その。すみません……あの、隊長は」

「いやっ、聞きたくないっ!!」


 下を向けば涙が落ちてしまいそうだった。

 ああ、あの人はいないのだ。だっていつも真っ直ぐ先頭を歩く、あの人がいないのだ。

 そんな現実、受け入れられるものか。

 

「お嬢、隊長がどんな姿になっていても、会ってくださいますか?」

「そん、な……」


 肩にかけられた優しい、気遣うようなトーマスの掌。

 ……そんなに、変わり果てているというのか。

 

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 わがままいわないから。

 かっこよくなくてもいい、スマートじゃなくてもいい。

 だからお願い、帰ってきてよ。

 あなたがいなくなったら、あたしが生きのこる意味がなくなっちゃうじゃない。


「オディール……」

「雪白、ちゃん。うっうううっ……」


 ぼろぼろ、ぼろぼろ。

 涙の止まらなくなったオディールにスロが一生懸命首を横に振っている。


 いやだ、嫌だ、いやだ、いやだ——。


 しゃくりあげるような泣き声になってくると、流石にトーマスも焦りだしたようで。


「あっ、あのお嬢っ、ちがっ」


「トーマス、お前は本当に言葉が下手すぎる。やはり斥候せっこうに向かんようだ」


 ——えっ。


「もっ、申し訳ありません隊長。そんな、つもりでは……」

「おい何してるんだ、そんなところで。服が汚れるから地べたに座らせるなといつも言うじゃないか」


 涙で滲んだ景色、こぼれ落ちるそれを拭いもせずに、声のした方へ視線を上げる。


「イェ……ンス?」


 何が起こったか理解できずに、呆気にとられているとふわりと優しく抱え上げられた。汗と、火薬と、砂の匂い——。


「好きな女の泣き顔を、よその奴らに見られるのはあまり気分のいいもんじゃないな」

「生きてる……?」

「アタマ大丈夫か? どう見ても幽霊じゃないだろ」


 ペタペタとその顔に触れると、硬質な皮膚とチリっとした感触。

 いつも自信満々で帰ってくる彼。なのにどこか疲弊して、粉と砂にまみれて無精髭まで生やしてる。


「……あんまり触るな。おじさんってすぐ嫌がるだろうが」

「ああよかった、生きてるのね」


 お帰りなさい——。そう言ってひとおもいにその太い首筋に抱きつく。

 どうしてか、ふわりと甘い匂いが鼻腔をくすぐった。


 お姫様抱っこをしてくれるのは、いつもあたしを見つけてくれるのは。

 白馬に乗った王子様じゃなくて、戦車に乗った軍人さん。


「おじさんでも、泥だらけでも。傷だらけでもいいわ」


 だって、愛してるんだもの——。

 ぎゅっと回した腕に力を込めれば、まるであやすようにその大きな手が背中をぽんぽんとさすってくれた。




◆◇◆◇◆◇◆◇




「ふくたいちょう、ことばヘタ。ぼくでも思う」

「すみません……だって、あの隊長がですよ」


 ウチのが嫌がるから……。そう言って毎朝髭を剃り、泥だらけの戦闘服は必ず着替えて帰る。隊員から見たグスタフはそんな男だ。

 いや、そういう男になってしまった。なのに。


「あんな薄汚れてしまって、もう。……ノーラに貰ったそうですよ、ほら」

「なに、これ?」


 ぐしゃぐしゃになった一枚のメモ。そこに書かれているのは連邦の家庭料理のレシピだ。


「林檎を素手で粉々にするような男がですよ、キッチンなんて借りたら大惨事に決まってるじゃないですか」




「おかえり、スロ。どうだったお嬢のお供は?」

「パピ、おかえりなさい。ん、アップルパイ、いっぱい」


 聞き慣れた声に振り返り、返事を返せば、優しい大きな手に頭を撫でられた。


「パピも作れる? アップルパイ」

「いや。作った事ないな、そんなシャレたもん」

「ぼく、わかった。おいしいもの、すきなひとと食べるともっとうれしい」

「焼きリンゴでいいか? 幸い、火炎放射器ならいくらでもある」


 めぼしい部下が数人、その言葉にびくりと震えるのが見えた。

 ふふふっ、とスロは笑い。どこからともなく雪が舞う。

 

「めでたしめでたし、だね」




◆◇◆◇◆◇◆◇




 ——шарлоткаシャルローットカ



 それは、日々銃弾のやり取りをする、国境向こうの国の、アップルパイ。


 パイというより、林檎のケーキ。

 ベーキングパウダーを入れて作るそれは、分厚くてなんだかパンケーキのよう。


 一足先に戻った彼は必死にこれを焼いていたんだそう。

 しかも出来上がったそれは、もっといびつで焦げたり生焼けで。


「まるで貴方みたいね」

「……どういう意味だ」

「ぶっさいく」

「……」


 ワインレッドの爪で、白い指先で、掴んで口に運ぶ。

 甘いけれど、ちょっと粉っぽい。


「おい、無理に食わんでいいんだぞ」


 頰についた粉砂糖を、少し荒っぽく拭われた。


 フォークとナイフ、マナーもいらない。

 雨ざらしの小屋の中、聴こえるのはキャタピラの音。

 ガラスのテーブルも、薔薇の花も、金で縁取られた食器もない。


「いいの。だってこれが一番おいしいから」

 

 あるのは鉄と、迷彩色の彩りのない世界。

 だけどもここが、あたしにとってのワンダーランド。


 確かに、皮肉な事に、この幸せな日常は狂ってる。


「貴方の故郷のアップルパイも作ったの、今度食べてくれる?」

「スロと食ったんだろ?」

「食べたけど……? また新しいのを作ればいいじゃない?」


 ずぅっと一緒なんだから。


「あっ、今度雪白ちゃんにもお礼しなきゃねー」

「……」

「なにその顔」


 膝の上に腰掛けたまま、その凶悪な顔を仰ぎ見る。


「お前も大概だが、俺も大概だって事だよ」

「意味わかんない」

「……わからなくていい」



 くるみ割り人形を持って、現れるドロッセルマイヤー。

 迎えにきたドロッセルマイヤー。


 それは宮廷の魔術師、運命と、こんぺい糖の魔法使い。

 正体が王子様じゃなくったって、本当は何の不満もなくってよ。


 そっとその頰に手を添えて。

 ヴェンタブラックの唇で、そっと囁く——。


『Eat Me.』


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A Mad Tea-Party KHM 53 -雪白アップルパイ週間- すきま讚魚 @Schwalbe343

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