第5話 Äppelpaj [スウィーデンのアップルパイ]
陸軍部の女性隊舎で再び一泊。起床ラッパの音と共に朝起きたが、第4中隊はまだ戻って来ていなかった。
軍人ではないオディールにとっては、ラッパの音も隊員達のバタバタ動く物音も、なんの関係もない。ただ、この空間の中で、帰ってくるはずの人をひたすら待ちわびる身だ。
どこまで行ってしまったんだろう。もしかして大変な戦闘なのだろうか。
気持ちが晴れないまま、身支度をし、服を着替えて外へ出る。
騒がしい戦車の音も、戦闘機の音も、どうしてか今日は聴こえてこない。
「おはよ」
声に振り向けば、隊舎の玄関付近に寄りかかるようにしてスロが立っていた。
「おはよう、雪白ちゃん」
「元気ない、ごはんちゃんと、たべた?」
トトトッと軽い足取りでこちらへ歩み寄ってきたスロは、その大きな目でジッとオディールを見つめる。なんだか見透かされているようで嘘はつけない。
「ううん、食欲なくて……」
むぅと一瞬、スロが何か考えるような仕草をした。
それを見たオディールはふるふると首を横に振る。
「いいのよ雪白ちゃん。あたし普段はほとんど食べないから」
ここ数日は、なんだかいろんな人の温かさに触れて食べ過ぎていたくらいだ。
いつもなら、ドレスが入るよう体型を維持できるようにと。どれだけ食えと言われてもあまり口にしないのに。それはやっぱり楽しかった事と。
「女の子は、甘いものは別腹……ホントなのねぇ」
ぽそりと呟いたその言葉をスロは聞き逃さなかったらしい。
今日はちょっぴりクラシカルなドレス。いつもよりすっきりめな袖口をキュッとつままれる。
「甘いもの、たべよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「りんご、おすそわけ」
……ああそうか。その林檎はまだあったのか。
その両手で抱える紙袋は、今や中身が半分ほどになっていた。
じろじろと寄せられる視線にかしこまったように会釈し、オディールが今立ち寄っているのは飛行部隊の庁舎(寝泊まりしている舎ではなく事務仕事や待機、ミーティング等がされる建物)である。
普段であれば絶対に立ち寄れない場所だ。
いくら師団内で良好な関係とは言え、陸軍部と空軍部の関係者が自由に出入りする事などほとんどないのだ。ましてやオディールは軍人でもない。
(普通に入ってきたけど、雪白ちゃん……天然通り越してこれマズいんじゃ)
無遠慮気味な視線には、きっとそういった意味合いのものも含まれているはずだ。そう思うと肩身が狭い。
「ほら、散った散った! グスタフ大尉の奥方だ、不躾な視線を向ける暇があるのなら業務へ戻れ」
通りの良い声が、ぴしりとその周りの視線を一掃した。
「メイヴィス、さん」
立ち止まっていた兵達を散らし、現れたのは昨日飛行部隊の官舎で会ったメイヴィスだ。
「ごめんなさいね、可愛い女の子が来たもんだから。きっと興味津々だったのよウチの男どもは」
立ち止まった彼はにこりと笑い、そっと耳打ちされる。
その、あまりの口調の変化に思わず笑いが零れた。
「凄いかっこよかったです。でも今はとっても素敵」
「あら、ありがとう。伊達に男も女も三十年経験してないわよ」
「時々……お見かけしたらお声がけしてもよろしくて?」
「もちろん、何かあれば言ってちょうだい」
ふむ、とメイヴィスは視線を上げると「アイツ、こうなるのも狙いだったわね。本当二重も三重も食えない奴」と独り言ちた。
「中尉、スナオ、いる?」
「待機室にいると思うわ、早朝の哨戒から戻ってきてたから」
「ん、ありがと」
頷き、林檎を一つ袋から出して差し出す。
「あげる。昨日、みんなで食べた、これ中尉の」
「あら、ありがとう。まるで林檎配りの妖精さんね二人共」
林檎を持った真っ白な小人と、真っ黒なドレスに真っ黒なメイクのお姫様。
ハイホー、ハイホー。
それはまさしく。不思議な不思議な、林檎の旅。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「なるほど! では仲直りに大尉どのの故郷のアップルパイを焼きたいと!」
「そうなの。力を貸してくださる?」
「無論だ! 夫婦仲は良いに越したことはない。幸い本日の任務は終了したし……では少尉どのっ! 早速お買い物に行きましょう!」
待機室に到着するなり、スロが一目散に駆け寄ったのは彼と同じくらいの背丈をした少年兵。……その実、少年兵ではなくれっきとした女なのだが。
それはまた別の話——。
スロと並ぶと対照的な、黒い短髪とちょっとつり目気味で勝気そうな真っ黒な瞳。わざわざ髪を染めているオディールからすれば、羨ましい事この上ない。
スロが本来林檎を渡したかったのはこの子らしい、すぐにピンときた。
とても嬉しそうに隣に並んだ小さな二人はとても可愛らしかった。
「……だから何故俺だ、ヒロシと行けばいいだろう」
その少年兵に声をかけられ、めんどくさそうに椅子の上で足を組んでいるのは、陸軍部でも魔王だのなんだの呼ばれている……目つきが鋭くて金髪オールバックの、とりあえずなんか強い人。
(冷血若頭役とかで、マフィア映画に出てきそう……)
オディールにあまり軍の知識はないが、この人達が王子様……ハートマンと同じ部隊にいたというのは記憶している。
ここ数日、優しい人達ばかりに出会ってきたのに。なんだか緩めのロールプレイングゲームをしていたら、目の前に急にラスボスが現れたような、そんな気分。
「もーっ、適材適所をご存知ですか少尉どの。兄上は釜を熱する係に決まっておるでしょう? 貴方の能力さえあれば、沢山買い込んでも重さはゼロです。オートバイを使えばまさに疾風迅雷の如し、なんと素晴らしい!!」
ラスボスの威圧感を全く意にも介さずに、黒髪の少年兵が高らかに言う。
「えっっ!? 荷物なら俺が持つよ? オートバイより速く走るよ?」
「兄上は黙って釜を180度〜200度にキープしといてください。重要な任務です」
(……あっ、この人お兄さんなんだ)
見れば必死の形相で、同じような黒髪の人物が少年兵に縋りついている。
「えーっ、ヤダヤダ。お兄ちゃんをオーブンの主力にしないで! お外に行くなら危なくないようにしなきゃ。弾除けと、あとヘルメットと、俺と……」
「ええい離れろこの筋肉ゴリラめ! ご令嬢の目の前でなんて情けない姿を晒しておるのですか! 母上が嘆きますよ!」
見た目も十分強そうなその兄とやらは、少年兵にゲシゲシ蹴られている。
関係性がイマイチよくわからない。この小さな弟が大好きなのだろうか。
「……こんな真昼間の街に食材買いに行くだけで、どんな修羅場をくぐるつもりだ貴様ら。あと俺は荷物持ち兼運転手か? ふざけるのも大概に」
ん……?とそこでラスボスチックな彼が言葉を止める。
ちょんちょん、とその袖を引っ張るのはスロだ。
「少尉、ぼくオートバイ乗りたい。おかいもの、いこ」
「だから何故俺が」
「な? スロも一緒に乗りたいよな!」
「ん、少尉抱っこしてくれるとふわふわする、たのしい」
「俺はアトラクションか!?」
「……ハートマン少尉、すぐアイス買ってきてくれた。オディール、こわがってる、よくない」
その言葉に、一瞬オディールの方を見ると。舌打ちを寸前で我慢したような酷い仏頂面で、小さな二人に詰め寄られていた人物が立ち上がる。
「行くぞ貴様ら……買い物だ」
「「いぇーいっ」」
気がつけばスロと少年兵が嬉しそうにハイタッチをしていた。
……なんだか騒がしかったが、とりあえず力を貸してくれるらしい。
色んなテーブルを巡り巡って、それぞれの故郷のアップルパイを食べてみて、オディールにはやりたい事があった。
『イェンスの故郷、スウィーデンのアップルパイを作りたいのだけど』
じゃあやろう! と立ち上がったのは黒い
白の妖精はそれに並ぶ。ほんの少し、期待したようなその顔は、実はまた違うアップルパイを食べられるからだったりして。
イヤイヤながらも、実はその不機嫌もポーズかもしれない
しょんぼりしながらかまどに轟々とした火を
白いバラを赤く塗れ? 赤いバラを青く塗れ?
そうじゃないのよ。
真心とは。一体全体。
あなたが何色であっても、そこに寄り添い捧げるものだから。
ああ、どうしようかしら。
さぁ林檎よ林檎、アナタは何になりたいの?
◆◇◆◇◆◇◆◇
兵達が買い物袋を片手に戻り、スロの林檎と合わせてさっそく調理が開始された。
皮をむき薄くスライスした林檎を深めのオーブン皿に入れ、レモン汁を回しかけていく。ワインレッドの爪で器用に林檎をくるくると回し、皮を剥いているとおおっと誰ともなしに声が上がる。
「あっ、自分林檎はゴロゴロしたやつが好きなんでもう一皿作っていいですか」
「……勝手にしろ」
言いながら、何故かあのラスボスチックな彼まで手伝ってくれている事に、オディールは思わず小さく噴き出した。林檎くらい素手で割れそうなのに、ちゃんと包丁を使っている。
……自分の旦那はかぼちゃすら素手で割るのを思い出して真顔になったが。
切った林檎に砂糖をふりかけ、合わせてシナモンもふりかける。軽く混ぜて、オーブン皿の中で均等にならす。
お次はアップルパイというからにはもちろん生地だ。
「クランブルって言うんですって。面白いわね、パイ生地が上だなんて」
室温で柔らかくしておいたバターの塊を、ボウルに入れてあらかじめ混ぜておいた薄力粉と砂糖に加える。ヘラで切るようにして混ぜると、だんだんとポロポロしたそぼろ状になっていった。
出来上がったそのクランブルにバニラエッセンスを振れば準備オーケー。
これを準備しておいた林檎の上に乗せ、予熱しておいたオーブンで40分くらい焼く。表面のパイ生地がこんがりと色づいて、下に見えるリンゴが柔らかくぐつぐつしてくれば完成だ。
火加減は少年兵の兄が見てくれているらしい。
「兄上、焦がさんでくださいよ!!」
「任せなさい!」
異能をオーブンに使うなんて! そう皆が苦笑する中で「なんで俺が」なんて一言も言わないこのお兄さんは、実はとても優しいんだろうな。そうオディールは思う。
「さあ、ではここがもう一つの要ですよ!」
少年兵が嬉しそうにボウルを一つ抱えてきた。
げっ、とあからさまにラスボスな彼が狼狽えたように見えたが、なんだったのだろう。
「こんなものまで用意してくれたの?」
「ええ! 仕上げは大事ですからっ、お嬢様はこちらを混ぜていただけますか?」
そう言うなり、少年兵は手元の大きなボウルに生クリームを入れると、泡立て器でしっかりツノが立つまでと混ぜ始めた。量的に、なかなかの重労働のはず。
一方オディールに渡されたボウルの中には卵黄、粉砂糖が。そこにバニラエッセンスを入れてよく混ぜ。
しっかりホイップされたクリームに、もう一方のクリームを優しく混ぜ合わせれば——。
「バニラホイップというそうです! スウィーデンのアップルパイには鉄板だそうですよ!」
大きめのスプーンでお皿に取り分けて、上からとろりとしたバニラホイップをたっぷりと垂らす。
「おいし!」
「ほんと!なんだかこれまで食べたものとは違うけど」
フォークで簡単に崩れるそれを、掬って口に入れる。まずクランブルのぽろぽろとした食感が口に広がって、後からバニラと卵の香るホイップクリームの味が追いかけてきた。
そして林檎、火加減が良かったのか少しキャラメリゼされていて、ジューシーな林檎の食感とほろ苦いパリッとした食感が交互にやってくる。
パイ生地の重さがそんなにない分、これもするりと平らげてしまいそう。
今日はアールグレイの紅茶も用意した。
温かい湯気にのって香る紅茶の香りにホッとする。
お茶会はいつでも落ち着かない。
隣でくつろぐ白い妖精。
クラシカルなドレスと、何故かここは軍施設の共用キッチン。
アンティークなテーブルも、金のカトラリーも、おしゃれなクロスもここにはない。
「少尉どのっ! 食べてくださいよーっ」
「すなおっ! お兄ちゃんが食べるからっ」
「やかましいぞ貴様ら! 俺は帰る!」
ホッと一息つけばいいのに。彼らはぐるぐる走りまわっている。
飽きもせずにまぁぐるぐると。
「仲良しなのね」
そう呟くと、スロが紅茶を飲みながら「ん」と短く返事をした。
いっせーので走りだす。そんな彼らのコーカスレース。
皆が一緒に優勝するレース。
堂々巡りとするのか。
それとも無限大とするのか。
それは、果たして彼ら次第——。
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