第4話 For to make Tartys in Applis~[ブリタニアのアップルパイ]
甘さ控えめ、どちらかといえば大人の味の
パイとは違って、でもサクサクとした食感。
薄切りなのにずっしりとした林檎のフィリング。熱々のそれに冷たくとろけるバニラアイス。干しぶどうがアクセントになって、口の中でほっこりとした温かい果物の甘みと冷たいバニラの香る甘みが混ざり合いとても美味しい。
気分を落ち着けるように出されたのは、濃いめのミルクティ。
こっくりとしたセイロンの渋みが、ミルクと調和して流れ込み、
スロはとても気に入ったらしく、おかわりを所望していた。
バニラアイスは溶けちゃいけないと思ったのか、少し大きめなカップに入ったそれはずっと彼の膝の上にある。彼自身が冷凍庫代わりのようだ。
無表情ながらも、取り分けられる
(雪白ちゃん、単純にバニラアイスが好きなんじゃ……)
そうも思ったが口には出さないでおいた。
その夜はなんだか少しスッキリした気持ちで、ローセと並んで眠った。
思いっきり泣いて、気持ちを曝け出したおかげかもしれない。
(イェンスに会うの、楽しみだな……そうだっ!)
早く彼に会いたい、でもどうせならちゃんと仲直りするきっかけが欲しい。
オディールは、ある事を思いついていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
『見たものを食べる』と、『食べるものを見る』は全然違うのさ。
大昔にどこかの帽子屋がそんな事を言ったらしい。
トンチンカンで、初めから終わりが決まっていた人生。
——じゃあ、それならば。
終わりがあるから生きるのか。
生きるから終わりがあるのか。
そんな終わりのない
『もう少しましに時間をつかったら?』
『堂々巡りに答えなんてないもの』
人生を変えたのは、私か、貴方か。
さあ狂ったお茶会を始めよう!
時間なんて関係ない!
きみが、ぼくが、いればいい。
林檎はね、大昔から。
齧った人の運命を変えてしまうんだよ。
——いろんな意味でね。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌朝、ローセの家を出発して基地に戻ると、陸第4中隊は昨日から任務で戻ってきていないという事だった。勿論、グスタフはその隊長なので基地にいるはずもない。
なんなら修繕の時間も足りなかったようで、格納庫横の小屋はまだ酷い有様だった。流石にまじまじと壊れた小屋を見ると居心地が悪い。
どうしようかと思案していると、隣に佇むスロにちょんと袖を引かれる。
「りんご、おすそわけ、いこ?」
「そっ、そうね。まだその仕事が残っていたわね雪白ちゃん」
「だいじょうぶ。ぼくいる。パピいない、ぼくちゃんとする」
(そうか、大佐がいなくて雪白ちゃんも寂しいのね……)
私がしっかりしなきゃ! カッポカッポと音を立てながら、彼女は背筋を伸ばしてロッキンホースで歩き出す。
本当は、「大佐もまだ帰ってきていない。護衛なら僕がいるから不安がらなくていいよ」と言いたかったスロの気持ちは、何一つ伝わっていないのであった。
二人が向かった先は、飛行部隊の官舎(独身の部隊部屋ではなく家族用の住居)。
ハートマンから連絡を受けた、彼直属の上官でもあるバルクホーン中尉が迎え入れてくれた。堅実で穏やかな人物だとはよく聞く。ハートマンの側にいるので見かけた事はあったが、きちんと話すのは初めての事だ。
「りんご、おすそわけ」
「ありがとう、スロ」
にこりと微笑み、スロの頭を撫でるその姿は大人の貫禄を感じさせた。
聞けばまだ三十代前半だという、歳下のはずなのにグスタフよりも立ち振る舞いが大人っぽくて紳士的だと感じるのは何故なのか……。
「そういえば、ローセとハートマンの所でダイチェの焼き菓子を食べたんだって?」
「はい、とっても素敵なお味でした」
スロもコクコクと頷く。
「よかった。離れてもやはり祖国の味をそうやって繋いでいけて、皆で味わえるというのはいい事だね」
せっかく持ってきてくれたし、俺も何かお礼ができたらいいんだけど。そう考え込むような仕草をした彼の後ろでもう一つの声がした。
「やっぱ昔姉ちゃんが焼いてたブリタニアのアップルパイが一番だって。作れねーの?」
アップルパイが最初に登場したのは13世紀、ブリタニアがまだ別の名前の国家として呼ばれていた頃の料理本に書かれていたらしい。
サクサクとした何層にも折り重なるパイ生地ではなく、ショートクラストペストリーと呼ばれる薄い生地のものをタルト型にひき、そこに生のりんごとブラックベリー。
そしてレモン果汁とシナモン、ナツメグを加えて……ウエンズリーデイルチーズもしくはチェダーチーズを加える。
——ウエンズリーデイルチーズ??
「ウエンズリーデイルチーズ……ですって!? そんなもん急ごしらえであるわけないでしょ! せめて先にレシピくらい送っときなさいよ!」
「ルッセェなこのカマ野郎! 黙って手ェ動かしやがれ」
「誰に向かって言ってんの、このクソガキ! 野郎つけるんじゃないわよ! ぜんっぜん意味が違うのよ、オネエさんとお呼び!」
「何がオネエさんだ! ふざけんなよ、俺は手が使えねーんだよ!」
——思ったよりだいぶ騒々しくて、かなりクレイジーだ。
「いやぁ、すまないね。ちょっと今日はエキサイトしてしまったようで」
そうのんびり告げるバルクホーンは、評判通りどころか穏やかの度合いが若干振り切れているように見える。
先ほど発言したのは彼が身元保証人となっているという少年兵。電動車椅子に乗っていたり、他にも色々と出自やら経歴やらが複雑らしいが、どうやらブリタニアの血を引くハーフらしい。
その彼が罵詈雑言を浴びせかけているのは、アッシュブロンドのショートカットの人物。比較的スラッとした細身ではあるが軍服を着ているし、ちゃんと鍛えているのだろう、どう見ても体型が女性のそれではない。
「えっと……あの人が彼のお姉さん?」
「いや、アイツは俺の同僚だ」
「あの……確かに、とても美しい方ですけど」
「ん、そうか。君みたいな可愛い子にそう思ってもらえるとは。本人に言ってやったら喜ぶよ」
にこにこと笑うその表情を見て、ああこの人は根っからの善人なんだろうなぁとオディールは思う。
「……あたしの見間違いだったらごめんなさい。男の方ですよね?」
「うーん、どうなんだろうね。なんて説明したらいいか」
「あのひと、こころは女のひと」
「おっ、スロ。説明が早いね、わかりやすいぞ」
褒める口調だが結構重要な事をサラッと言った気がする。大丈夫なのかこの人達は。
そんな視線に気づいたのか、バルクホーンが微笑む。
「大丈夫、アイツは明かしたくない奴の前では絶対ああはならないから。俺より器用だから料理もできるだろうし、きっと君とも友人になれるんじゃないかと思って呼んだんだ。ほら、陸軍部特殊部隊のすぐ側なのに、女の子一人じゃ何かと大変だろう?」
まあ、アイツも男っちゃ男でもあるんだけど。
そう穏やかにいうバルクホーンに「聞こえてんのよ!」と、檄とクッキングシートの筒が飛んだ。
結局、チェダーチーズを入れて焼き上げたそのアップルパイは、見た目がこんもりとしたミートパイのような仕上がり。
さっくりとナイフを入れて1ピースをお皿に移せば、とろりとしたチーズとブラックベリーが零れ出てくる。ほかほかとした湯気の立つパイに、更に温めたカスタードソースをかければ完成だ。
「はい、こぼさないように気をつけてね」
せっかくの可愛いドレスだもの、と微笑むその人は、もはや性別なんてどうでもいいくらいに綺麗だと思った。フニャッと微笑むと目元の泣きぼくろが余計に魅力的でもある。
一口分をフォークですくい、パクリと口に入れる。林檎の素材の甘みとチーズの塩気が絶妙で、温めたカスタードクリームがまろやかにそれを包み込む。
(何これ! 初めて食べる味だけどすっごく美味しい!)
横を見ればスロも美味しそうにむぐむぐと食べている。
「アンタのお姉さんほどじゃないかもしれないけど、どうよ」
「しらね、食えるだけ及第点じゃね」
「生意気ねぇ」
そんな会話が聞こえ、顔を上げれば車椅子の少年の口元に優しい手つきでアップルパイを運んでいるアッシュブロンドの人が見えた。
何だかんだ言いつつ、一緒にパイを焼こうと試行錯誤する程度には仲は良いらしい。
「ああ、メイヴィス、俺がやるよ」
こちらの相手をしてくれていたバルクホーンはそう言いながら立ち上がり、メイヴィスと呼ばれた人物に近づくとこれまた優しい手つきでその手からスッと皿を奪う。
「君はほら、温かいうちにあの人に持って行ったら? たぶん今執務室にいるから」
「……図ったわね?」
「こうでもしないと動かないくせに」
いーや! 恥ずかしい! と真っ赤になるメイヴィス。誰か隊内に想い人でもいるのだろうかとオディールもその様子を眺め見る。
性別なんてどうでもいいじゃないか、あれはまんま恋する乙女だ。素直に羨ましいとすら思う。
それを横目に見ながら、ふぅーんと一言呟くと、今度は少年の方が「それ、取って」と車椅子の膝部分に誰も手をつけていない皿を乗せてもらっている。
「俺が届けてやるよ、あの人だろ。メイヴィス中尉が作りましたって言えばいいんだな」
「ちょっと!?」
ふうとため息をつきながら、少年はバルクホーンの方を仰ぎ見る。
「俺、やっぱお前のそういうとこキライ」
「ははっ、手厳しいなぁ。肝に銘じとくよ」
キライだとか、いやだとか。
聞こえてきた言葉はそれなのに、何故かそのやり取りにとても温かい気持ちになった。
「ははっ、すまないね、いい歳したおじさん達が」
慌てて少年の車椅子を追ったメイヴィスの背中を見送り、バルクホーンが少し困ったように言う。二人が去ると、同じ笑顔がなんだか少し寂しそうに見えた。
「あの……」
「中尉、だいじょうぶだよ。ふたりとも中尉のことすきだよ、言えないだけ」
何か言わなきゃ、と口を開いたものの。
どうしていいかわからなかったオディールの言葉をスロが遮る。
(そう言えば……雪白ちゃんって、こういう人の機微に敏感よね)
なんとなく、ここ数日見ていて思っていた事。
言葉は少なくとも、人が悲しい時や嬉しい時にこの子は寄り添うように隣にいる。
「……ありがとう、スロ」
その真っ白な頭を優しく撫でられたスロは、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
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