忘れ者のわたしは
紫鳥コウ
忘れ者のわたしは
携帯が震えるということは、家族か院生仲間か、どちらかからの連絡ということで間違いはない。友達や、関係がうすいのに連絡先を交換してしまった人たちからの着信は、ミュートにしてあるから。ずっと震動している。ものすごくイライラしているときにかぎって、電話がかかってくるのはなぜなのか。
相手は母。この夏、実家に帰省しないということの確認の電話だった。
「お盆に帰らないんでしょ」
「うん。こんなご時世だし」
不機嫌なわたしは、ムスッとした調子で短く答えた。
「そう。でも、いつだって帰ってきていいんだよ。つらかったらさ」
母は、わたしのことならなんでも分かる、みたいな態度を貫いている。一時期、それが嫌いでたまらなかった。けれど、いつしか、そのことへの感謝の念を実感することができるようになった。ようやく、大人になれたのだと、そのときに思った。
「でも、いま帰ったら、村のひとたちが嫌がるだろうし、今後、うちが白い目で見られると思うからさ」
今度は、長く答えてみた。それでも、どこか不機嫌さは残ってしまう。
ここ数日、猛烈な苛立ちが、わたしを苦しめていた。なんでわたしは、夢半ばでたちどまっているのだろう。心身をぶっ壊して、休んでなんかしてしまっているのだろう。どうせ、長くない人生なのだから、できることはすべて、やってしまいたいのに。
「そうねえ……」
「そう、そう」
もう、切ってしまいたかった。そして、頭をかきむしって寝てやりたかった。
「じゃあ、今年の念仏は、おばあちゃんとふたりでだね」
念仏――八月十五日、わたしの村では、ご先祖様を送りかえすために、念仏をおこなうのがしきたりだった。そして、念仏が終わると、川で小さな仏壇のようなものを作り、線香をそなえる。弔いの儀式。けれど、去年も帰ることができなかった。
「父さんも帰らないんだ」
「うん。このご時世だし」
このご時世――そんな言葉が「つうかあ」のように通じてしまう、嫌な世の中になってしまったと思う。
電話を切ってしまうと、そのまま、ベッドに横になって眠りについた。こんな生活が、いつまで続くというのか。
――――――
寝ぼけ眼のなか、昔のことを思いだしていた。
あれは、反抗期のとき。そう、わたしにだって、反抗期はあった――意外だね。なんて、大学の保健センターの国山さんは言っていたけれど、だれだって、少なからず、家族に反撥したくなることなんて、あると思う。
あれは、反抗期のまっただなか。
理由は、あまり覚えていない。きっと、とんでもなく幼稚な理由で恥ずかしいものだから、それを抑圧してしまおうと努めてきてしまったため、もう、思いだせなくなっているのだろう。
わたしは、祖父ととっくみあいの喧嘩をした。といっても、わたしは祖父に一撃を喰らわすことなく、ただ泣きわめいていただけだったと思う。
祖父は窓を開けると、わたしの首を鷲づかみにし、そのまま後ろ向きにわたしを放りなげた。飛び石に頭があたっていたら、たいへんなことになっていただろう。けれど、運がいいことに、苔むしたところに身体をうちつけた。
あのとき見た月の形。クレーターの濃淡さえ覚えている。秋の虫の音が、静寂のなかに澄み渡っていたことも記憶している。手足から血が流れて絆創膏をはったことも忘れていない。そして、それからというもの、祖父とまともに話すことはなかったということも。祖父が死んでも、なお、あの喧嘩が収束した気にならなかったことも。
しかし――わたしは取り返しのつかないことをしたと、いまでは思う。しっかりと、後悔しているし、あのときに戻りたいと思う。謝りたい。そして、いっぱい、かわいがられたい。けれど、そんなことは叶わない。だからこそ、「紫鳥コウ」という、祖父が生前に好きだったものを組み合わせたペンネームで、創作活動をしている。そして、物書きとして、たくさんのことを「成したい」と思っている。
――――――
すんなりと起きられない日々が続いていた。憂鬱でたまらない。抗鬱剤が効かないときもあるし、どうしようもなく、泣きそうになる。前に進まなければならない。そうしなければ、「成す」ことなんてできない。それなのに、幼いころにきたした心身の不調は、わたしの足首をひっぱって離さない。
もう、曜日感覚さえおかしくなっている。寝たいときに寝る。その生活の不健全さにも苛立ってしかたがない。いままで、突発的な著しい心身の不調は何度もあったけれど、今回のものは長引きそうだ。不甲斐ない自分が赦せない。消えてなくなれとさえ、思ってしまう。
苛立ちにさいなまれる日々は、果てがないように続いていった。
そんなとき、また、母から電話がかかってきた。画面に表示される母の名前。長ったるい震動がうっとうしい。だけど、すぐに繋ぎたくない。電話がくるのを待ち望んでいたと誤解されるのが、癪だったのだ。
十秒、十二秒、十五秒……切れてしまえとさえ思ったけれど、切れない。たっぷり時間をかけてから、もしもしと、だるそうな、そして小さな声で応じた。
「お、生きてたね」
「生きてるけど」
「そっか。生存確認ができたから、もう切るね」
それだけのために?……そう訊こうとしたとき、一週間に一回は生存報告のために連絡をいれる約束をしていたことを、思いだした。
「あ、そうだ。念仏さ、紗羅がいなかったからたいへんだったのよね……去年もそうだったけど。念仏が書いてある本のさ、どこをどの順番でするのかなんて、わたしたちは覚えていないものだから」
念仏? そこでわたしは、今日が八月十五日であることに気づいた。今朝も日にちを確認したはずなのに、「終戦の日だ」と思ったくらいだった。そして、南半球では、悲惨な紛争が、第二次世界大戦の終結の反動として連綿と続いていることに、どれくらいのひとが気づいているのだろうと想っていた。わたしのなかでは、それで「この日」は完結してしまっていた。
「念仏、終わったんだね」
「うん、さっき。ご先祖様を送ってきたよ。風が強くてね。なかなか線香をたてられなくてさ……」
電話をおえると、椅子にふかく腰かけた。そして、頭を天井にむけて、ため息をついた。
当時は失していた、感謝の念。そして、一生、背負い続けるべき後悔の情を、絶対に忘れないために、ペンネームにまでした祖父のこと――その祖父への弔いを忘れていた自分が情けなく、恨めしかった。そして、ぞっとした。
しかしだ。
どういうわけか、わたしの気分は、どこか晴れやかになりはじめていた。そして、足首が軽くなってきたような感じがした。前に進もうと、こころが奮い立っていった。
目標に向けて、前に進むこと――それが、一番の弔いなのだ。
いまはまだ、霧のなかを歩いている。しかし、霧からぬけだしてしまえば、走ることができる。またどこかで、足をくじいてしまうかもしれないけれど、そうしたら、初心にかえればいい。そしてまた、前へと進んでいけばいい。わたしが「成した」ことを、墓前で報告できる日まで。
パソコンを立ち上げると、ファイルを開いて、書きかけの小説を――その物語を紡ぎはじめる。
秋のおとずれはまだ先の、夏のまっただなか。あつさ香る夜は、どんどん深くなっていった。
忘れ者のわたしは 紫鳥コウ @Smilitary
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