帰還

 男はそう呟くと、血相を変えて僕の両肩を両手で掴んだ。


「ほんとに……奏羽の友達なのか!?」


「はい……。同じ高校の同じクラスで、中学校からの友達です」


 田中が、この人の息子……。

 同姓同名の別人の可能性は? ……いや、そういえば田中は本当の苗字では無いとあいつの口から聞いたことがある。

 なんでも、田中は7歳の頃に迷子で泣いているところを警察に保護されたと言う。その後、養子としてある夫婦のところへ引き取られて、苗字もその夫婦のものに変わったが、本人は「僕は田中奏羽だ」と言い張って聞かないので、正式な書類以外では「田中」と名乗ってもいいと言われたそうだ。

 僕はその話を聞いて、「優しい夫婦に恵まれて良かった」と自分の事のように安堵したのを覚えている。最近は、その夫婦への恩があるからと、その夫婦の苗字を日常生活で名乗ることも多くなっていた。しかし僕や西田たちは、今までの癖で「田中」と呼んでしまい、本人も特に咎めないので、僕たちの間であいつは「田中」として定着していた。


「あいつは、7歳の頃に迷子になっているところを保護されたって言ってました。間違いないと思います」


 僕がそう言うと、その男は膝からその場に崩れ落ちた。僕はびっくりして、「田中さんっ」と肩をさすった。


「良かった、生きててくれた……! 奏羽は! 奏羽は今、幸せに暮らしているか……!?」


 田中さんは目から大粒の涙をボロボロとこぼし、僕の腕を両手で掴んだ。


「はい、優しい夫婦に育ててもらって、毎日笑顔で学校に通っています」


 僕は田中さんを安心させるために、精一杯の笑顔でそう言った。


「そうか……本当に……良かった」


 コンビニで初めて会った時の田中さんとは、もはや別人かと思うほど、感情をむき出しにして泣いている田中さんの背中を、僕はできるだけ優しくさすった。


「奏羽のことをもっと聞かせてくれっ! 学校でのこととか、どんなものが好きかとか……」


 田中さんは嬉しそうに僕にそう言いかけたが、僕の斜め後ろへと視線をやると、急に黙り込んだ。


「田中さん? どうしたんです…か……」


 僕はそう言いながら田中さんの視線の先へと体を向けた。

 そこにあったのは、ロータリーの中央に佇むあの時計だった。


「時間だ……」


 田中さんはそう呟いた。時計の針が刻む時刻は、5時55分。あと5分で、僕は帰らなければならない。


「僕っ、まだここにいます! 帰るのは明日でいいです! 奏羽のこと、田中さんにいっぱい話したいから……!」


 僕は田中さんの目を見て、確かな意志を宿してそう言った。

 しかし田中さんは一瞬微笑んで、優しい声でこう言った。


「ありがとう……でも、君はもう帰りなさい。異世界にいるということは、それだけで理に反するんだ。帰るなら早いうちがいい」


「でもっ!」


「いいんだ……もういいんだよ。君みたいな子が奏羽の友達で居てくれるなら、それでいいんだ」


 田中さんはそう言って立ち上がると、しゃがんでいた僕の手を握り、僕を立ち上がらせた。そして僕を時計の下まで連れて行った。

 僕は田中さんに握られた左手から伝わる思いに何も言葉が出せず、ただ下唇を噛んで田中さんの後を歩くことしかできなかった。


 そして、時計の真下にあるピンクの花や雑草が生えている花壇に、僕は足を踏み入れた。


「あと、3分ほどでちょうど午前6時だ」


 田中さんは左手につけていた少し大きめの渋い腕時計を外し、僕の手のひらに乗せてそう言った。


「………」


 僕は何も言えずに下を向いていた。


「君がここへ来てくれて嬉しかったよ。こんな偶然があるんだね」


 そう言って笑う田中さんに僕は言った。


「偶然じゃないです」


「え?」


「スレを見つけて、その方法を試してみようと言ったのは奏羽です」


「えっ……」


 僕は下を向いているので、田中さんの表情は見えない。


「きっと、心のどこかで “もしかするとお父さんに会えるかもしれない” っていう希望があったんだと思います。でも、奏羽にとってあなたは、10年前に自分を見知らぬ世界へ置き去りにした父親……。きっと、そんな葛藤があったんだと思います」


「……そうか」


 渡された腕時計を見ると、残り時間は約1分半。すると田中さんは、地面に落ちている尖った石を拾い、僕の手のひらにある時計を一瞬だけ左手で掴み取り、文字盤の裏に石で何かを書き、僕の手に戻した。


「これを……奏羽に渡してくれ」


「え、でも記憶が消えるんじゃ……」


「頼んだ」


「……はい。絶対渡します」


 そして時は来た。僕は思いっきり頭を下げて、大きな声でこう言った。


「ありがとうございました!」



 ※



 僕は気がつくと、××駅のロータリーの中央で、頭を下げていた。


「えっ、あれ? なんでこんなとこに?」


 周りにはタクシーやバスが止まっていて、スーツを着た会社員や早朝の散歩に来ているおばちゃん達から奇異な目で見られている。

 スマホを見ると、時刻は朝の6時。

 僕は確か……ああそうだ。午前0時にここへ異世界に行く方法を確かめに来たんだ。でも……あの後の記憶がすっぽりと抜けているような気がする。

 もしかして……ここで立ったまま寝ていたとか!?


 すると、駅舎の方から誰かが走ってきた。


「芦間っ!」


「田中!?」


 なんと田中が僕の方へ向かって走ってきたのだ。


「えっ、田中お前、ずっと待ってたのか!?」


「ああ……LINEも電話も繋がらないし、心配で。でも見つかって良かった。もしかして、本当に異世界に行ってたとか……?」


「いや、それがさ、僕にもよく分からないんだよね。午前0時に1人でここへ来たと思ったら、なんか夜が明けてるし……。ていうか、お前なんで昨日来なかったんだよ。自分から誘っといてそれはないだろ」


「ごめんって。やっぱりまだ決心がつかなくてさ……。まあ、ありえないってわかってはいるんだけど……。それより ほら、早く帰ろうぜ」


 奇妙な噂を確かめに行く決心がつかないなんて……。普段は石橋をジャンプしながら渡るようなヤツなのに。


 ロータリーの中央で感動……かはわからない再会をしていた僕らは、ひとまずロータリーを後にして、駅舎の方へ向かった。

 何故か右肩や右腕が痛いし、とりあえず家に帰りたい。そう思ってポケットからICカードを取ろうとすると、ずっと左手に何かを握っていたことに気づいた。


「なんだこれ……」


 そう言って左手を開いて握っていたものを見ると、それはどうやら男物の腕時計だった。


「時計……? 誰のだ?」


「何それ? どっかで買ったの……ってちょ、それ見せて!」


 僕の右隣を歩いていた田中が、その腕時計を覗き込んできて、何かに気づいたようにそれを奪い取った。


「間違いない! これって……!」


 震えながら時計を凝視する田中に俺は驚いて、田中に聞いてみた。


「なあ、その時計がどうかしたのか?」


 田中は僕の質問なんて全く耳に入っていない様子で、時計を隅々まで確認していた。そして時計を裏返して見たとき、田中は一瞬動きが止まり、次の瞬間目からボロボロと大粒の涙を流しその場に崩れ落ちた。


「おい田中っ、どうしたんだよ!」


 僕はその時計の裏側を、泣いている田中の後ろから確認した。

 すると、何やら文字盤の裏側に不格好な文字が彫られているようだった。


『幸せを祈ってる』

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午前0時、××駅のロータリーにて。 まろにか @_sarusuberi_

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