花火は打ち上がらなくていい

にのまえ あきら

◇八月の夕暮れ、自室にて


 悠々自適に本を読んでいたら、シエスタが声をかけてきた。


「ねえ、君」

「なんだ、シエスタ」

「今年の私たち、何も夏らしいことしてなくない?」

 

 本を閉じて、考えてみる。


「言われてみればそうかもな」

 

 溶けるような暑さにやられたり、暑さにやられないようクーラーの効いた部屋に引きこもっていたら八月もいつの間にか後半に差し掛かっていた。

 ちなみに今もソファの上で溶けているのだが、シエスタはなぜか俺の上に寝転がっている。

「熱苦しいからどいてくれ」と言ったら「私も熱いんだからおあいこだよ」と返ってきた。理不尽だ。


「去年はエメラルドの宝石を探しに常夏の島に行ったり、カジノで豪遊したり、他にも色々満喫したのに」

「ああ、『そのあと一文無しになったけど』って付け足さなければ確かに魅力的な夏だったかもな」


 おかげで三日間ほど野宿することになったのはシエスタの記憶にはないらしい。

 

「でも別にいいんじゃないか。夏らしいことはできてないけど、代わりに一文無しにもなってない」


 巻き込まれ体質も夏季休暇に入っているのか、なんとここ一ヶ月ほど何も起きていないのだ。

 外出して帰宅するまでに頭上から物が降ってこなかった日の方が少ない身としてはいっそ違和感を覚えるが、何もないならこれ幸いとため込んでいた依頼や仕事をこなし、もらった報酬でいつになく安定した暮らしができている。

 だというのに、シエスタは俺の上に寝そべったままやれやれと言わんばかりに首を振る。


「君はいつからそんなつまらないことを言うようになったの?」

「ただ穏やかな暮らしがしたいだけなのにつまらないって言われるのは納得がいかないな……」

「第二の人生を始める還暦のおじいちゃんでも、もっと楽しもうとする姿勢持ってるよ」

「それは第一の人生が楽しかったこと前提なんだよ」


 月一以上で無一文になったり死にかけたりするような人生が楽しいと言うならそうなのかもしれないが。


「で、何がしたいんだ」


 こういう時、大抵シエスタは何かをしたがっていてそれに俺を巻き込もうとしている。

 俺にはわかる。

 なぜなら「ねえ君」「なんだ」「別に何も」という会話をすでに三回ほど行っているから。


「助手は話が早くて助かるよ。よいしょっ、と」


 シエスタはにんまりと笑い、おもむろにソファの下に手を伸ばした。

 そして取り出されたのはビニール袋。中に入っている物がところどころ透けて見えた。


『燃焼時間が――』『取り出し簡単!!』『せんこう――』


 賑やかなフォントと色とりどりの文字がパッケージに踊るそれが取り出される。

 予想せずとも分かった通り、市販の手持ち花火だった。


「午前中出かけてたのはそれを買うためだったんだな」

「他の目的もあったよ。さて、準備しよっか」


 言って、シエスタは立ち上がった。


◇ ◇ ◇


 シエスタが「先に出ていて」と言ってから二十分が経った。


「準備って、何にそんな時間かけてるんだ?」

 

 部屋を借りているアパートの前でそんなことを呟く。

 バケツに水は汲んであるし、シエスタが花火と一緒に買ってきたチャッカマンも用意してある。

 太陽はとっくのとうに姿を消して、電灯が夜道と下にいる俺を照らしていた。

 このご時世、公園で花火をすることもできないためアパートの前で細々とやるしかないが、逆に言えば遠出する必要もない。

 だというのに、シエスタはいったい何を準備しているというのか。

 ひとまず様子を見に行ってみようとアパートの階段へ向かおうとしたちょうどその時、カンカンという足音が聞こえてきた。


「おい、遅いぞシエスタ。いったい何して――」


 俺の前までやってきたシエスタに、俺は言葉を失くして立ち尽くした。


「ごめん、ちょっと手間取っちゃって」


 そう言ってほほえむシエスタは浴衣だった。

 白の地に青い金魚が気持ちよさそうに泳いでいる。

 

「どうかな、似合ってる?」


 言いながら一回転してみせるシエスタ。

 電灯の下、広い袖と白銀の髪がふわりと揺れる。

 髪には帯と同じ淡い水色の髪飾りがつけられていた。


「ああ、まぁ似合ってるんじゃないか」


 上手く言葉を返せず顔をそらしながら言えば、シエスタは「なにそれ」とからかうように笑ってくる。


「ていうか、どうしたんだよそれ」

「他の目的もあったって言ったでしょ。どうせなら雰囲気作った方がいいと思って呉服屋さんで借りてきたんだよ」

「言ってくれれば俺も一緒に行ったのに」

「午後まで爆睡してた人が何言ってるの。ほら、やろ?」


 笑いながらシエスタは俺の手にあった手持ち花火とチャッカマンをさらりと取った。


「何してるの、君」


 しゃがんだ状態でこちらを見上げながら手招きするシエスタに、俺はぶっと吹き出しそうになりながら再び顔をそらす。


「……なぁシエスタ。下着はつけてきたか?」


 俺の問いに、シエスタはキョトンと首をかしげる。


「下はちゃんと履いてるよ?」

「上もつけるもんなんだよ!」


 まさか下着をつけないで浴衣を着る女子がいるとは。

 てっきりラブコメ作品の中にしか存在しないと思っていた。

 

「でも今から付け直すのも時間かかっちゃうし、私はこのままでいいよ」

「いや良くないが」

「だって君が気にしなければいいだけだし」

「無茶振りがすぎる!」


 今から世界征服をしてこいと言われた方がまだマシかもしれない。

 けれどシエスタは本当にそのまま花火を始めてしまった。

 花火の先端にチャッカマンの火を当てていると、やがてパチパチという音を立てながら花火が激しい光を放ち出す。


「はぁ……シエスタがいいならいいよ」


 仕方なく隣にしゃがんで花火を手に持つ。

 こんな状態じゃ最後まで花火は楽しめないだろうと思っていたのだが、案外楽しくてシエスタの下着のことは気にならなくなった。

 なんというか、年相応のことをやるのが久しぶりすぎて逆に新鮮だった。

 二人して両手に持った花火を剣のようにぶんぶん振り回したり、ねずみ花火とやらの挙動に驚いたり。


「そういえば、なんで花火だったんだ?」


 ふと気になってシエスタに尋ねてみる。

 夏らしいことなんて他にも思いつくのに、なぜ花火なのか。


「本当は打ち上げ花火を見たかったんだよ。でも、私たちは見られなかったでしょ」

「ああ」


 ついこないだ、近場で打ち上げ花火も上がるような割りと大きなお祭りをやっていたのだが、俺たちは泊まりがけの依頼があって見られなかった。


「だからこうして代わりに君と手持ち花火をやってるわけ。……あ、最後になっちゃった」


 いつの間にか、残すのは線香花火だけになっていた。

 ふと、シエスタがいたずらっぽい笑みを浮かべながら俺に線香花火を手渡してくる。


「どっちが長く灯せられるか勝負しようよ」

「いいなそれ、乗った」

「負けた方は一週間勝った方のいうことをなんでも聞く」

「だいぶ重いな」


 けど、こういうのは雰囲気が大事だ。

 俺は無粋に言葉を挟むことはせず、粛々しゅくしゅくと線香花火に火をつけた。

 二人の線香花火がほぼ同時に灯り、しばし無言で己のものを見つめ続ける。

 すると、ふいにシエスタがつぶやいた。


「ありがとね、付き合ってくれて」

「なんだよ、急に」


 突然の感謝の言葉に若干ながら動揺してしまう。


「これくらいどうってことない」

「花火もそうだけど、もろもろだよ。ここまで付き合ってきてくれてありがとうって」

「本当に急だな。どうしたんだよいきなり。何かあったのか」


 まさかこないだ勝手に食べた俺のアイスの件についてまだ悪びれているのだろうか。

 と思ったけれど、シエスタはゆるゆると首を振る。


「別に何もないよ。ただ、なんだかんだ日頃の感謝を伝えてなかったなって」

「俺は還暦を迎えるおじいちゃんか」


 俺はまだまだ元気だぞ。


「来年も、こうして花火ができたらいいな」

「ああ、そうだな」

「来年こそは打ち上げ花火見に行こうね」

「別にいかなくてもいいんじゃないか」

「え、なんで」


 シエスタが意外そうな声をあげる。

 俺はぽりぽりと頬をかきながら言う。


「別に、花火は打ち上がらなくてもこうして想いは打ち明けられるんだし」


 そう、別に打ち上げ花火なんて、お祭りなんてなくても良い。

 むしろ、何もない日々がいい。

 巻き込まれ体質のないこの一ヶ月で、強くそう思った。

 シエスタと一緒にいられたら、それで構わない。

 

「ふふっ、あはは」


 けれど当のシエスタは俺の想いなどつゆ知らず、声をあげて笑う。


「笑うなよ……」

「君らしいなと思って」

「悪かったな、感傷的で」

「どうせ君は打ち上がった花火の音に告白がかき消されるんだろうなぁ」

「そういうのって女子がするもんじゃなかったか?」

「そっか、君は告白する勇気がないもんね」

「うるせえ。する必要がないんだよ」


 その時、俺の線香花火が一際強い光を放ち、ポトリと地面に落ちた。

 ジュッと焼けるような音を立てて消える。


「「あ」」


 遅れてシエスタの線香花火も地面に落ちて消える。


「はい、君の負け」

「くっそ」

 

 持ち手だけになった線香花火をバケツに入れて立ち上がれば、シエスタはにやにやと笑みを浮かべている。


「なにお願いしよっかなぁ」

「一週間あるんだからそんなすぐにこき使う必要もないだろ」

「花火の煙吸ったらのどが乾いちゃってさ。冷たいものが飲みたいんだよね」


 何が言いたいかわかるよね? と言わんばかりにほほえむシエスタ。

 勝負に負けた俺は何も言い返せず、頭をかく。


「冷たい紅茶でも買ってくるよ」

「おねがい。片付けはやっておくからさ」


 そんなシエスタの声に背中を押され、コンビニへ向かう途中でふと空を見上げる。

 夜空に浮かぶ月はまんまるで、昨日と変わらぬ輝きを放っていた。


「……来年もこんなことができたらいいな」


 つい、そんな呟きが漏れた。

 いつまでこんな生活が続けられるかわからないけれど、せめて来年も一緒にいられたらいい。

 そんなことを思いながら紅茶とコーヒーを買った帰り道、車と事故りかけたら中から誘拐され途中の少女が出てきて俺の夏季休暇が終わりを迎えたのはまた別の話。

 

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花火は打ち上がらなくていい にのまえ あきら @allforone012

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