失恋した話

落葉沙夢

失恋した話

 あの頃。

 ガムを噛んで、空腹を紛らわせていたあの頃。

 私は何一つ持たない大学生だった。

 例えば、ドイツ語の講義をさぼった学食で、ぼうっと行き過ぎる学生を眺めたり、例えば、誰も居ない午後二時の電車の中で、モラトリアムの意味を勘違いしていたあの頃。

 私は虚無で、空虚で、ともすれば、酔夢の中にあった。

 心地よい怠惰は浸ってしまえば、それが薄い毒であると知りつつも、次の盃を満たさずにはいられない。

 私は途方もない失恋の最中にあった。


 過ぎ去った恋を語る時、人は誰しもが詩人なのだ。

 私の場合、その相手が人間でなかった事が、それをより詩的に、或いは私的にさせる。


 目標を持たずに生きられる人間がいる。

 反すれば、目標を持たずには生きられない人間もいる。

 私の場合はそれだった。

 彼女、便宜上そう語るが、との出会いは私が生きる目的という大層なお題目に気が付く直前であった。

 将来の夢。

 小学生の頃、飽くほどに聞かれたそれ。

 具体的な話などさせるつもりもないのに、書かされたそれら。

 将来の夢。

 私と彼女との出会いはちょっとした誤字だった。

 情熱的な物語に、少しの勘違いが付きもののように。

 

 科学者と化学者。

 この単語の違いを端的に説明できる人間がどれほどいるだろうか?

 科学とはサイエンス、日本語に直すと自然科学と呼ばれる。

 それは非常に広義な分類を示す。

 物理学や生物学、宇宙工学に量子力学……etc、おおよそ一般的に「かがく」と呼ばれるもの全般を指すのが科学。

 一方で化学とはケミストリー、物質を構成する原子や分子を主として扱う学問となる。

 みんな大好きなすいへーりーべーも、電気陰性度も芳香族も化学だ。

 ちなみに、紛らわしいこの二つの単語を区別するために、化学を「ばけがく」と呼ぶことがある。

 科学の一分野に化学があると言えばわかりやすい。


 漢字に無頓着だった、呆けた小学生は、将来の夢を聞かれたときに、科学者と書こうとして化学者と書いたのだ。

 それを見た教師が、「ばけ」学者と呼んだ事で、少年は科学と化学が厳密には違うと知る事になる。

 その時、漠然と理科が好きだった少年は化学の女神に出会った。

 生きる目的になるには充分過ぎるほど魅力的な出会いだった。


 彼女との日々を回想するとき、それは紛れもない栄光の日々として、常にセピア色の中で、より滲んで淡い風景を描く。

 私は化学を勉強した記憶がない。

 配られた教科書は三日で読み終わり、一度読めば内容の大半を理解した。

 この関係性を示す言葉を相思相愛以外に知らない。

 当たり前のように満点のテスト、教師が語る教育上致し方ない嘘に溜息を吐いたり、より発展的な知識を求めて文献を漁る。

 これを恋煩いと私は呼ぶのだ。

 私は化学を愛していたし、化学は私を愛していると思った。

 十年後に宛てた手紙に、化学への愛を語る程度には、私は彼女の虜だった。

 蜜月の日々は、私の青春の殆どであり、そして、それは青春の終わりと共に去って行く。


 化学を愛した少年は高校生になっていた。

 校内を白衣を着て歩く立派な変人となった化学部部長は、おおよそ世の高校生の九割九分が知る事のない反応速度に関する研究をしていた。

 内容については、流石に割愛しよう。

 ここで反応速度定数や活性化エネルギー、ましてや水素結合の話をしても仕方ない。

 ただ一つ言える事は、この研究は私にとって、とても充実したものだった。

 殆ど独りで実験に向かい合う日々、彼女はいよいよ私の隣に腰掛けたように感じた。

 咽せるようなアセトンの匂いに、カラカラと回るスターラーバーに、干されたホールピペットに、その姿が映っていた。

 そこに不安の影などあるはずもないと。

 

 塩化物イオン。

 ああ、なんという塩化物イオン。

 塩化ナトリウムというありふれた、そんな些細な物質が、実はずっとそこにあった、遙かなる断絶を現す事になると、あの時の私は思ってすらいなかったのだ。


 研究は順調だった。

 いや、概ね順調だった。

 ただ一つ、塩化ナトリウムを添加した時にだけ、データが予想通りにならない点を除いては。

 低濃度で添加された塩化ナトリウム、その数ポイントがずれる、ずれる、ずれる。

 十回ではきかないほど実験を繰り返しても、遂にそのデータが安定することはなかった。

 何が起こっていたのか、推論は立った。

 しかし、事実と証明するための方法は立てられなかった。

 それが終わりの始まりだと、あの時の私は思ってもみなかった。

 ただ、数ポイントのデータがズレる。

 苦心の末、それに一応の理由を見付ける。

 ともすれば、それこそが化学のあるべき姿である事を。

「いいデータはない。都合のいいデータがあるだけだ」

 部顧問は言った。

 その意味をしっかりと理解できないまま、私はその研究を終えた。

 小さなわだかまりを感じたまま。


 化学とはなんだろう?

 日常、人はそんな事を考えもしない。

 日がな一日、そんな事を考える人間以外は。

 化学とは。

 幼い私は根本的な思い違いをしていた。

 身も蓋もない言い方をするのなら、同棲して初めて、その人がどんな人間なのかを知るようなもの。

 なんともありふれた失恋理由だろう。

 化学とは、この世に普遍的にある法則を発見し、追跡し、記し、残し、積み重ね、真理というモノへと辿り着く道だと、幼い私は思ってしまっていた。

 残念な事に、それは大きな間違いなのだ。

 化学とは、人類が観測可能な範囲で「そう言うことにしておこう」の集合体だ。

 少しだけ難しい言い方をするなら、これを演繹法と言う。

 この世に普遍的にある法則など、実はない。

 いや、これは正確ではないな。

 少なくとも、現状までの観測に基づいて、普遍的と考え得る法則は存在する。

 それが確かに普遍的と証明する手段がないだけだ。

 化学は、自然が隠した法則への挑戦ではなく、人類が世界を理解するために取る方法の一つなのだ。

 しかし、私がこの事を自覚するのはもう少し先になる。


 高校三年の私はどこか冷めていた。

 すれ違いを認めたくない未練がましさがそこにはあった。

 化学を勉強する気にもなれず、どこか余所余所しくなってしまった彼女の背中を見る度に、深いため息を吐いた。

 

 それでも時は過ぎ、そんな気もないのに、私は大学生になった。

 怠惰だったなりに、大学生の美点を挙げるとするなら、時間が過分にあることだ。

 もっとも、これは怠惰な学生に限った話だが。

 時間があると、人間は考える。

 どこで間違ってしまったのか?

 失恋した自覚すらない青年は、どこでこの愛の火が斜陽に入ったのかを考えていた。

 彼女になぜ見限られたのかを。

よもや、自分が振ったのだと気付く事すらせずに。

 あの頃の無気力な日々を思い返すに付け、その傲慢さと無知は、恐ろしい罪だと思わざるを得ない。

 

 私と彼女との間にあった誤解について、あらゆる語弊を恐れずに言うのならば、私は彼女に処女である事を期待していたのだ。

 清純な、まだ誰も触れられた事のない、果てしない神秘を。

 全く、童貞が見そうな夢。

 現実、彼女は人類史稀に見る売女だった。

 無数の人間が彼女に恋をして、その上を通り過ぎた。

 その多くを彼女は忘れ、その幾つかを彼女は記憶し、面影に残す。

 その面影にこそ惹かれ、漂わせる色香は果てしない憧憬と共にあり、ともすればある意味での処女。

 天真爛漫な魔性であり、そしてなにより、最良の売女。

 そのことに気付いた時、はっきりと恋の終わりを私は見た。


 二列編成の電車は、講義をさぼった大学生だけを乗せて、各駅停車で走る。

 心地よい振動に、面白くもない自己啓発本をめくる。

 薄っぺらい言葉の上を目が滑り、森の中の無人駅、車両すれ違いの為の十分間の停車。

いつもの心地よい怠惰。

 開け放たれたドアから流れる初夏の咽せくる熱気。

 気の早い蝉たちの喚き。

 彼女のいない日々が、当たり前になった事へのささやかな疑問。

 どうして、こうなのだろう?

 自己啓発本には書いていない。

 輝かしい日々の思い出をめくる。

 ふと、手を止めたのは塩化ナトリウムだった。

 平均値で打たれたポイント。

 共通イオン効果?

 本当に?

 ああ、そうか。

 別れを告げたのは私からだった。

 わかってみれば、それはカラリとしていて、それなのに、ひたすらに悲しかった。

 

 化学は誰も愛さないが、化学は誰にでも優しい。


 目標を持たずには生きられない人間がいる。

 彼女と別れた私はがらんどうを生きていた。

 あの頃。

 ガムを噛んで、空腹を紛らわせていたあの頃。

 私は何一つ持たない大学生だった。

 失恋の傷の深さを語る時、それに費やした時間を言えばいいのだろうか?

 四年。

 空虚な日々は四年続いた。

 詰まるところ、大学生活を謳歌したと言える。

 ひとつ、残念な事があったとするなら、怠惰な学生は怠惰らしく留年したことだろう。

 笑い話にもならない。

 しかし、大学生活が五年あったことは幸いだった。

 五年目の大学生活。

 大学最後の年が、望む望まないに関わらず、誰にとってもそうであるように、それは現実と未来との対話の時期だ。

 就活だの卒論だの、詰まるところ月並みな追っ手。

 そこに留年したという、先輩の元同級生と同級生の元後輩との不思議な関係が加わって、私はすっかり怠惰と決別しなければならなかった。

 迫り来る、まるでこの世の終わりのような、卒業。

 この時になってやっと私はモラトリアムの意味を理解し、目を背け続けた失恋の傷跡と対面した。


 彼女は少しも変わらずにそこにいた。

 そのことに驚きもしなかった。

 相変わらず私は彼女が好きなのだと気付いた。

 それが恋愛ではなくなっていることにも。

 友愛と呼ぶのが相応しい。

 この時、私の失恋は終わったのだ。

 この時、私の青春は終わったのだ。

 小学生で彼女に触れたときに始まった青春がこの時、終わったのだ。

 私は彼女と握手を交わした。

 決別と再会の握手だった。


 私は化学に恋をしていた。

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